再建時に確認した信仰内容

① 復興

 日本の敗戦により、国家権力のキリスト教会に対する束縛も次第に解かれ、宗教団体法や治安維持法は、順次廃止されます。それに伴い、治安維持法などにとわれていた牧師の裁判は、「免訴」という曖昧な形ながら決着し、教会は次第に自由を取り戻します。

 そして、弾圧時にホーリネス系教会の牧師に、辞任や謹慎を迫った日本基督教団も、9月下旬には「謹慎解除」の通告を出しました。そして、復興感謝会の席には日本基督教団統理も同席し、祝辞を述べるなどしました。こうして、解散させられていたホーリネス系諸教会は、他の教派とは全く異なる、文字どおりの「復興」を遂げていきました。

 戦後すぐのホーリネス系教会にとっての復興は、日本基督教団への「復帰」を意味しました。日本基督教団の教師の身分が回復し、日本基督教団に所属する教会が復興したのです。

 しかし、外面的には国家権力の圧力によって成立し、その内面においても充分なコンセンサスが得られないまま成立した日本基督教団は、戦時下の成立時のような拘束力や求心力を持たず、独自の信仰表明を願う諸教派は、早い時期から教団離脱の可能性を模索していました。

② 戦後の再建の経過

 旧日本聖教会の流れに属する教会や牧師は、日本基督教団の中で、「ホーリネスの群れ」として、独自の歩みを続けて来ました。しかし、1949年になって、車田秋次は日本基督教団からの離脱を決意し、次のような宣言書を公表しました。

「宣言書
我等は従来日本キリスト教団の中に在りてホーリネスの群を形成し聖潔の証を立てて来たのであるが、今回一教団として自主的行動をとる必要を痛感して同志の協力を得、旧新約聖書を神の言と信じ、四重の福音を骨子とする日本ホーリネス教会を組織し以って日本教化の大業に任ずべき事を宣言する。
日本ホーリネス教会代表 車田秋次
外牧師五十五名並びにその所属教会三十六」

 これは、1949年の7月10日付の機関紙「リバイバル」に掲載されたものですが、同紙には離脱の経緯も記されています。それによると、前述の通り、日本基督教団内にあって、ホーリネスの群としてその信仰の特色を維持し、教団の中にあって、それを発揮することを試みたとあります。このような使命感を抱いて群れを導いてきたにもかかわらず、群の将来の在り方については、次第に注意深く考えざるを得なくなったと記されています。

 このような状況の中にあった車田秋次に、教団離脱を決意させたのは、東洋宣教会との関係の復旧の見通しでした。当時の現状から考えると、東洋宣教会との関係がなくては、教団離脱は現実的には厳しいものであったと思われます。

③ 再建された日本ホーリネス教団の信仰告白とその重要性

 1949年9月10日付の「リバイバル」には、アメリカの一ホーリネス誌からの抜粋として、「ホーリネス人の信条」が記されています(この「ホーリネス誌」の詳細については不明)。それは、八つの項目から成り、要約すると、

「一.聖書、二.三位一体、三.神の独子イエス、四.千年期前再臨、五.イエス・キリストの死と復活による救い、六.悔改めと信仰による救い、七.聖霊のバプテスマによる聖潔、八.復活」

となっています。そして車田秋次の「ホーリネス信仰告白の重要性」という文が同紙にあり、そこでは、中途半端な信仰告白ではなく、ホーリネス信仰を明確に強調すべきことが訴えられています。
更に同紙には、日本ホーリネス教団沿革と現況について記され、その中で「教義」の部分には次のように記されています。

「言うまでもなく四重の福音を特色とする純聖書的信仰であり、特にジョン・ウェスレーの説いた聖潔の信仰を高調してこれに標準を置く、言わば初代メソジストの信仰を模範とする。

 四重の福音とは、新生、聖化、神癒、再臨の四つを謂い、単なる其の墨守に止まらずして積極的なる救霊伝道をもって特色とする。勿論伝道方式等に於いては時代に適はしいものが用いられるであろうことは論を待たない」。

 1950年10月10日付の「りばいばる」で車田秋次は、「四重の福音の再確認」という題の文章で、日本ホーリネス教団が死守すべき教義として、四重の福音を挙げています。その中で車田は、「メソジスト教会が、その無二の光栄として居った独自の信条と死活を共にすることを声明して居った如く、我ホーリネス教会は事実四重の福音と死活を共にすべく運命付けられておったかに想像される」と言っています。

 このように、再建時の車田秋次の中には、日本ホーリネス教団は「メソジスト」であることと、四重の福音は日本ホーリネス教団の「信条」であるという意識が、明確であったことを見ることが出来ます。

結び

 車田秋次の著書「御霊の法則」の中には、戦後の日本ホーリネス教会(後に教団)の創立大会の報告がありますが、教義に関しては詳述されていません。ここに挙げた機関紙の記事からから分かることは、1901年から受け継がれてきた信仰を、再確認していることです。戦前および戦時下の、会則の変更については触れられていませんし、信仰の挫折があったことが告白されているわけでもありません。伝統的な信仰の良い面だけを受け継ぎながら、日本ホーリネス教団を創立させたということになります。

 前述の通り、1949年の設立については、「創立」なのか「再建」なのかという議論がありましたが、創立と再建の両側面があると言えるでしょう。しかし、歴史的に見た場合、わたしたちの教団のルーツは、1901年にあったことを否定することは出来ません。

 このように、戦後の再建時に、1901年の創立時の信仰が、意識的に継承されたと言うことが出来ます。