私たちの教団のホームページにようこそ!

教団委員長 佐藤義則

 
 ホームページをご覧くださり、あ りがとうございます。

 「ホーリネス」(Holiness)という名称は、神の聖さのことを表わしますが、私たちの教会は、神がその聖さを授けてくださるという恵みを信じ、これに生き、これを証してゆくことを使命としています。

「すべて重荷を負って苦労している者は、私のもとに来なさい。あなたがたを休ませてあげよう。」(マタイによる福音書11章28節)
 
 人はだれでも、重荷を背負って日々を歩んでいますが、しばしば疲れ果てて負いきれなくなってしまうことがあります。そのような私たちを、キリストは招いておられるのです。この方の前にいっさいの重荷をとり降ろすなら、真の休息と平安を与えてくださるのです。日曜日は教会へ。是非、キリスト教会をお訪ねしてみてください(教会については、「全国教会所在地」をご参照ください)。

 主イエス・キリストの父なる神が、あなたを豊かに祝福してくださいますように。

【年間標語】新たな宣教と教会形成をめざして
【年間聖句】「もし、主が家を建てるのでなければ それを建てる人々は空しく労苦することになる。もし、主が町を守るのでなければ 守る人は空しく見張ることになる。空しいことだ 朝早く起き、夜遅く休み 苦労してパンを食べる人々よ。主は愛する者には眠りをお与えになるのだから。」 (詩編127編1、2節)


 
 
 
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奉仕局


第108回教団合同記念会・納骨式
日 時: 4月5日(土) 午後2時から
場 所: 八王子高尾 東京霊園
教団墓地・礼拝堂
連絡先: 立川教会 遠藤 京子

教育局


聖書の光訂正のおわび

いつも「聖書の光誌」をご愛用くださり ありがとうございます。
今度の日曜日(2・23)のワークA(p。69) にミスがありました。
本当に申し訳ありません。
修正版をこちらからダウンロードしてお使い下さい。

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琵琶湖のほとりにあるキャンプ場

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プロジェクト



 
(2017年6月15日)
(2017年4月13日)
平和の祈り
(ページ内よりダウンロードできます)
 
 
 

魂の安らぎを与えてくださるキリスト

すべて重荷を負って苦労している者は、私のもとに来なさい。
あなたがたを休ませてあげよう。(マタイ11:28)
 
 冒頭の言葉は、聖書にあるイエス・キリストの言葉です。私たちの人生には、負わなければならない「重荷」があります。簡単に下ろすわけにはいきません。キリストは、そのような私たちに「休ませてあげよう」と言われます。でもキリストが与えてくださる休みは、単に「いったん重荷を下ろしてゆっくりしなさい」という休みではありません(もちろん、そのような休息も必要ですが)。
 
 この言葉の後に、キリストはこのように言われています。「私の軛(くびき)を負い、私に学びなさい。そうすれば、あなたがたの魂に安らぎが得られる。私の朝は負いやすく、私の荷は軽いからである」(29~30)
 
 「軛」とは家畜を繋ぐ農機具ですが、普通に考えると家畜は一日の労働を終え、範から解き放たれて休息を得るはずです。しかしキリストは、「私の軛を負い」なさい、そうすれば「魂の安らぎが得られる」と言われます。ここでは「私の軛」と言われ、キリストはご自分に繋がれることを強調しておられます。そうすることで、どんなときにもキリストが私たちと共に歩んでくださり、しかも私たちの重荷を一緒に負ってくださるとおっしゃるのです。
 
 私は小学校三年生のときに故郷の教会の、子どものための集まりの救会学校に初めて出席しました。
それ以来、小学校高学年のときにいじめにあったときも、高校一年生のときに両親が離婚したときも、高校三年生のときに自転車の事故でけがをして入院し大学生活のスタートから挫折してしまったときにも、教会が支えになりました。牧師さんや教会のおじさんおばさんたちに慰められ、励まされ、立ち直ることができました。そのようにして、私はキリストの朝に繋がれながら、魂の安らぎをいただきながら歩んでこられたのです。
 
 あなたも、キリストの軛に繋がれて、キリストと共に人生を歩んでみませんか。
 
(「きぼう」6 月号)

     

 (「きぼう」アーカイブ) 
   
 
 

復活の主イエスの息吹

宣教局長 加藤 望
「そう言ってから、彼らに息を吹きかけて言われた。『聖霊を受けなさい。』」(ヨハネによる福音書20章22節)
 
 よく知られている聖霊降臨の様子は、使徒言行録2章に記されています。激しい風が吹いて来たような音が天から響き、炎のような舌が分かれて現れ、一人ひとりの上にとどまったという衝撃的な出来事でした。祭りで集まっていた大勢の人が、見に来たと記されています。昭和5年のホーリネス教会のリバイバルも、2階集会室で床を踏み鳴らしながら祈っていたところ、突然床が抜け、大きな物音と濛々と上がる埃を見て、近所の人たちが集まってきたとか……。まるで2千年前のペンテコステのような出来事でした。

 今でも、多くの人がこのように強烈な目に見える形での聖霊の注ぎを経験したいと期待しますが、それでいいのでしょうか。いいえ、むしろ私たちはヨハネ福音書20章が記す、復活の主イエスによる聖霊の注ぎ(ヨハネのペンテコステ)に目を留めるべきでしょう。使徒言行録の記述が「動」とするなら、ヨハネ福音書のそれは「静」。主イエスは、ユダヤ人を恐れて家に鍵をかけて閉じこもっていた弟子たちに派遣命令を出し、「聖霊を受けよ」と言われました。そのときに、「ふぅっ」と息を吹きかけてくださったのです。復活の主イエスの息吹そのものが聖霊です。正に最初の人アダムが土の塵から造られ、神の命の息が鼻に吹き込まれて、初めて生きた者となったように(創世記2:7)、復活の主イエスは臆病な弟子たちに新創造の御業をなさったのです。

 「霊」を表すギリシャ語プニューマも、ヘブライ語ルーアッハも、元来「風」とか「息」を表す言葉です。目には見えませんが、私たちはその風を感じ、木々の葉がそよぐことでその動きを見ることができます。同様に聖霊は復活の主イエスの息吹として、主の思いのままに、風のように目に見えない私たちの心、また周りの人々の心を動かし、感動を与え、決断を促します(ヨハネ3:8参照)。私たちの思いと主の思いが祈りの中で一つとなるとき、主の救いの御業が起こる! そう信じて疑いません。
 
 
(「りばいばる」7 月号)

  

「りばいばる」アーカイブ
 

主の御名によって立ち上がり、歩む

教団委員長 佐藤義則


「ペトロは言った。『私には銀や金はないが、持っているものをあげよう。ナザレの人イエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい。』」 (使徒言行録三6)

 今年度の年間標語は、「新たな宣教と教会形成をめざして」であります。これを達成するために欠かせないことは、信徒の方々の教会、教団への主体的な参与であると考えております。

 私たちには、たとい金銀というような輝く才能や財がなくとも、イエス・キリストの御名があります。この御名によって祈るなら必要なものは備えられ、この御名によって前進するなら道は開かれて行くのではないでしょうか。親しい友人や家族を教会の催し物に誘うことを主から促されたのなら、イエスの御名によって立ち上がり、歩み出す者でありたいと思います。主から出たことですから、主がその人を教会に来れるように導かれ、救いに至らせてくださるのではないでしょうか。

 教会の働きを担いたいと願いながら、子育てに忙しくてそれがかなわず、主に対して申し訳ないという気持ちで悶々としていた、一人の姉妹がおりました。しかし、数年後にようやく念願がかない、ある日、なんとも嬉しそうな笑顔で教会にやって来ました。「教会案内のチラシを配らせてください」、そう言ってその姉妹は、数日かけて教会の周辺に教会案内とトラクトを配付したのです。それによって、だれか新しく教会に導かれるということはありませんでしたが、それをきっかけとして教会の流れが変わり、教会が新たな良き歩みをなして行くようになったのではないかと、後になって気づかされるということがありました。

 教会において様々な問題が度重なって低迷し、もがきながらも何の手の打ちようもないということがあります。そのような時に、全くもって無関係というところから、前述したような信仰をもって立ち上がる人を神は起こされるのではないでしょうか。

 礼拝の中で、あるいはひとり静まり聖書を開く時に聴かされたみ言葉をとおして、ひとりの人が立ち上がり主に従うなら、そのひとりの人にとどまらず、周囲に祝福を与え、教会を新たに変えてゆく、そのような力があることを思わずにはおれません。

 ナザレの人イエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい。
 

(「りばいばる」視6 月号

 

(「りばいばる」アーカイブ)
 
2025年7月21日~23日
箱根湯本温泉 天成園
 

 



学院プロモーションビデオ  
小林和夫師 
セレブレーション・オブ・ライフ

約束の地カナンに入り、土地を勝ち取っていったイスラエルの民。しかし、その実態が士師記で暴かれる。王国設立前の混乱の時代に生きた士師たちの姿と、イスラエル部族社会のあり様から学ぶ。
「ヘブライ大学で学んだ 聖書の話をちょこちょこと」
山口 光 師
(日本同盟基督教団 シオンが丘キリスト教会牧師)

全5回/土曜日 午前10:30~12:00 オンライン配信(Zoom)
 5回にわたる「一回完結型」の旧約聖書の話です。話の内容は、ヘブライ大学で学んだ中から、当学院の過去のコース内容と重ならないようにして選びました。聖書のナラティブ(物語)を、ヘブライ語から考察しながら味わいます。

[各回のテーマ]

① 4月26日 モーセの人となりとその生涯 
② 5月10日 エズラ・ネヘミヤ時代から考察する共同体の形成
③ 6月7日 ヨブ記の全体像
④ 6月14日 ルツ記で考える「主のあがない」
⑤ 7月5日 ヘブライ語で考える「共同体」の姿

[受講料]

お支払いは、受講終了後にご案内します。
1回90分
1,200円:信徒コース登録済みの方
1,500円:それ以外の方
[申込方法]QR コードからお申込みください。学院事務所所からの返信をもって、申込完了となります。それぞれの授業の3日前を締め切りといたします。

本科・1年訓練コース
 

 


 

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〈掲載依頼〉

東宣社

「私は確信しています。死も命も、天使も支配者も、現在のものも将来のものも、力あるものも、高いものも深いものも、他のどんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から私たちを引き離すことはできないのです」ペトロの手紙Ⅱ3:18

「 タクマ的な日々」
―中高生のためのデボーション・ブック
日本ホーリネス教団出版部 編
定価1,650円(本体+税)

黙想あり漫画あり豆知識あり、その他もろもろありの366日分の聖書日課です。4月始まり400ページです。青年・初心者の方にも最適!

「タクマカフェ」
―Youthのためのデボーション・ブック
日本ホーリネス教団出版部 編
定価1,650円(本体+税)

毎朝立ち寄るカフェのように、毎朝、心に寄り添える本であれば幸いです。オシャレなカフェには、ステキな小物やおいしいメニューがあるように、青年たちを励まし、主イエスに導く黙想が満載です。30名の青年牧師が書き下ろした渾身の聖書日課です!

 
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