
象と豆を比べない
一秒で幸せになる方法をご紹介します。それは、象と豆を比べないことです。なぜここに象が出てくるかと言いますと、私の好きな動物だからです。あのゆったり歩く姿。なんでも喜んで食べるおおらかさ。物をつかんだり、水を飲んだりする便利な鼻。あの穏やかな目。動物園で、ずっと眺めていても飽きません。
私は象が大好きです。一方、夫が好きなのは豆の苗。毎日見ては、お世話をしています。いま一番大切にしているみたいです。苗が伸びた、花が咲いた、と言っては大喜び。あんな優しい顔、私には向けません。
夫がいま一番好きなものは豆の苗です(違う、豆よりも絶対キミだー。と向こうの方から声が聞こえますが
…・笑)。
ここで、象と豆を比べてみましょうか…無理です。便劣を競ってみましょうか…無理です。では象に言ってみます。「君は豆と比べて、ハナ(花)も咲かせないし、実もならないから役に立たない。しかも庭にいても大きすきる」。では豆に言います。17は、象と比べてゆったり歩くことができないし、ハナ(基)で物がつかめないから役に立たない。しかもなんといっても小さい」。比べるのは無理です。実はそんな無理なことを毎日していたのが私です。そして、幸せになったり、不幸になったりしていました。
一秒で幸せになる方法は人と自分を比べないことです。逆に一秒で不幸になる方法は、人と自分を比べることです。試してみましょうか?
あまりおすすめしませんが…。比べる相手は、自分があこがれている人、コンプレックスを抱いている人がいいですね。身近な人でも、SNSやTVに出ている人もいいですね。あの人と比べて私は…と思ったら一秒で不幸になれます。
もし、ご自分をどなたかと比べて、不幸になったり、幸せになったり…の方がおられましたら、お勧めします。象と豆を比べないことです。

夏の働きのための祈り
今年の東京東部教区と西部教区合同の新年聖会で、この友人が「100の感謝をする」ということを話していました。この聖会の後、私もさっそく100の感謝を書き出しました。もちろん、「福音にあずかった最初の日」から始めました。一番目の感謝は、「喜びも希望もなく、心を閉じていた私に主イエスが訪れてくださった」。二番目の感謝は、「私の友人となってくれた人がいた」としました。そして、あっという間に感謝は100になりました。
福島教会の礼拝にも、時々ミッション・スクールの生徒が出席します。聖書の授業の課題だからです。この原稿を書いている前日の礼拝にも、お母さんといっしょに男子生徒が出席しました。緊張していたのかもしれませんが、私の目には彼が一生懸命メッセージを聞いているように見えました。そして、授業の課題で礼拝に出席した生徒には珍しく良い笑顔で挨拶をし、帰って行きました。
何か大きなことが起こったわけではありません。でも私は礼拝を終えて、改めて主イエスの励ましを聞いたような思いがしました。「恐れるな。語り続けよ。黙っているな。私はあなたと共にいる……この町には、私の民が大勢いるからだ。」(使徒18:9~10)
今月はユースジャムJrが開催され、各地でバイブルーキャンプも行われます。しつこく誘い、祈ってくれる友人が私に必要だったように、参加する若者たちにも関わってくれる人、諦めないで祈ってくれる人が必要です。この夏が、多くの若者にとって人生のターニングポイントとなるよう祈っています。


聖霊は想起させる
長年信仰生活を送ってきた人であっても、あるいは最近受洗したばかりの人であっても、白身のこれまでの歩みをふり返り、「自分史」を書くことをお勧めしたいと思います。私は牧師になって間もない頃、一冊のノートを使って年表を作りました。年月日を入れ、誕生、入学、卒業、信仰告白、献身、任命・派遣、結婚など重要な出来事を書き記し、その間に人生を左右した二次的三次的に重要な、忘れられない出来事や人との出会いを記していきました。そして、さらにその行間に、なぜそれが重要な出来事であったか、コメントを書くのです。私か信仰告白をして主の御救いにあずかったのは。1973年12月23日ですが、このような作
業をしてみて、キリストとの出会いに至るまでに、いくつもの布石があったことに気づかされたのです。信仰を持つずっと以前から、主は私の身近なところに現れて、遠い先にご白身と出会わせるために、私の心を神に向かわせるような出来事に遭遇させ、ある時は必要なものを備え、危険から守り、身体の成長と共に人格の形成に緻密に関わられてきたことが、深い霧が吹き去られて、美しい風景が眼前に鮮やかに現われるように、想起させてくださったのです。
その一つの布石を紹介したいと思います。わたしの両親はクリスチャン同士で結婚しましたが、父は早々に信仰を失って教会を離れてしまったため、私は信仰とは全く無縁の家庭で育ちました。ただ母だけは密かに教会に通っていたのです。私か小学低学年だった頃、古堅医院という病院の待合室で、当時、小国教会の副牧師だった下澤保先生と母を介して出会いました。その時、私に優しく声をかけてくださった下澤先生の笑顔を、今も忘れられません。私は一度も教会に行ったことがなかったのに、「あの先生のような牧師になりたい」と、思わず母に向かって言ったのです。何か私にそう言わせたのか、今思えば、先生の笑顔に神の聖さを感じたのだろうと思います。
目に見えることが、かえって事の真相を見失わせる場合があります。聖霊は、あの時視たものを、聴いたことを想起させ、そのことの真相を明かされるのです。罪とは何か、キリストとはどのようなお方なのか。聖霊は時至って、キリストの十字架と復活をあなたの心に描き出し、心から信じる者へと導かれるのです。

東宣社

「私は確信しています。死も命も、天使も支配者も、現在のものも将来のものも、力あるものも、高いものも深いものも、他のどんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から私たちを引き離すことはできないのです」ペトロの手紙Ⅱ3:18

黙想あり漫画あり豆知識あり、その他もろもろありの366日分の聖書日課です。4月始まり400ページです。青年・初心者の方にも最適!

毎朝立ち寄るカフェのように、毎朝、心に寄り添える本であれば幸いです。オシャレなカフェには、ステキな小物やおいしいメニューがあるように、青年たちを励まし、主イエスに導く黙想が満載です。30名の青年牧師が書き下ろした渾身の聖書日課です!
E-mail:tosensha55@yahoo.co.jp