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日本ホーリネス教団人権対策室
 
 

「K元牧師 性加害事件検証」から

~課題を再検証する~
 
 
日本ホーリネス教団
2022
目   次

 
はじめに
1 再検証の要点
 A「検証報告」に対する評価 
 B「検証報告」で明らかになった課題のその後
 
2 「検証報告」の再検証
 A 批判への応答
(1)加害者を実名で表記するべき
(2)被害者への謝罪の言葉がない
(3)教会を世俗と切り離し一段上から語っている(検1.1)
(4)加害当事者としての真摯な姿勢が感じられない(検Ⅳ.2.ⅰ.⑤)
 B 課題のその後
(1)啓発の課題
(2)被害者を守る適切な対応の課題
(3)牧師養成に関わる課題 
(4)牧師のケアの課題
(5)被害当事者とのコミュニケーションの課題
(6)加害者の処分の在り方と悔い改め・償い
(7)K元牧師の真実な悔い改めと被害者への償い(検「今後の課題」Ⅰ.ⅱ.)・ 14
終わりに―福音理解を深める―(検Ⅳ.3.ⅰ.ⅱ.ⅲ)
 
*本文中の(検Ⅳ.2.ⅰ.⑤)等の表記は、「K元牧師 性加害事件検証報告」の項目番号です。
 

はじめに
 
 私たち日本ホーリネス教団(以下「教団」)は、2011年第48回教団総会で「K元牧師 性加害事件検証報告(以下「検証報告」)」を決議し、教団内外に発表した。この事件は、教団の牧師が携わる超教派団体の代表である立場を悪用して起こした性暴力事件として、被害者とそのご家族を深く傷つけ、教団の内外に大きな衝撃を与えた。事件の検証は教団に迫られた責任であり、人権対策室は教団の一機関として、事件に至った経緯や原因・背景・事件後の教団の対応の適否などについて調査・分析・検討を行い、「検証報告」にまとめた。それを通して多くの問題が浮き彫りになり、教団として改革をしなければならない課題が明らかになった。
 「検証報告」は冊子にして教団内の諸教会に配付するとともに、教団ホームページでも公開した。それは、この検証によって自覚するに至った課題への取り組みを私たちの世代だけで終わらせることなく、教団という教会共同体の連続性の中で、改革を自らの課題として次世代へと継承していくためである。また、この取り組みは、教団としての検証・改革の作業であるとともに、広くキリスト教界に対して、また社会に対して負うべき責任であることを承知している。「検証報告」を公開したことによって、教団の内外から様々な意見や批判をいただいた。私たちはそれらをも受け止め、今後の取り組みに生かしていく必要を覚えている。
 「検証報告」はその最後に「今後の課題」として、ⅰ. 事件の継承、ⅱ. 被害者への償い、およびK元牧師の真実な悔い改めと謝罪を促すことを挙げ、啓発活動、教育活動、再発防止と被害が発生した場合に適切な対応をする体制づくりへの決意を表し、次の言葉で結んでいる。
 私たちは、これは終わることのない検証作業であることを自覚しなければならない。加害責任を負った教団として、性暴力の問題を契機とした人権の尊重・擁護について、私たちは引き続き研鑽を積み、あるべき教会の姿を求めて正すべきところは正し、悔い改めるべきところは悔い改め、自らを改革し続けていく必要を銘記し、後に続く者たちに受け継ぎ、神と人との前に責任を果たせる教団への変革を図っていく決意を新たにするものである。
 
 「検証報告」発表後、これをいつまで続けるのかとか、加害者を糾弾し続けるのかというような声も出てきた。しかし「検証報告」の結語に記したように、この検証の取り組みは、教団が存続する限り世代を越えて継承し続けるべきことであるとの認識に立って始めたものである。2.「検証報告」の再検証 A.批判への応答 でも触れるが、検証の目的は、加害当事者を糾弾することではなく、日本ホーリネス教団という教会共同体において起こった深刻な人権侵害の事実に対して、私たちが自らの課題として向き合い、再発防止に取り組む意識を養われ、キリストの教会にふさわしく建て上げられるために不断の努力をし続けていくことである。この「検証報告」は2011年の第48回教団総会で正式の議案として審議し、賛成多数で可決した。つまりこれは、日本ホーリネス教団に連なるすべての教会・キリスト者が共有すべき認識であることを再確認したい。ここに記した「私たち」は、実務作業に当たった人権対策室のみならず、任命責任を持つ教団委員会はもとより、すべての教団教職・信徒をも含んでいる。この決意に基づき、検証報告を発表してから今日までに、できたことは何なのか、できなかったことは何なのか、新たに気づいたことは何なのか、なお残されている課題は何なのかをここに再検証する。再検証は概ね、次の2点に集約される。

1. 再検証の要点
A.「検証報告」に対する評価
 「検証報告」を教団ホームページに発表したことは、ある種の驚きをもって受け止められた。これまでキリスト教界では、教団内の教職によるいわゆる“不祥事”について詳細に公表するという慣例がなかったからであろう。そうした身内の負の情報を「恥」と見て、できるだけ目立たないように穏便に処理することが通例になっていた文化の中で「検証報告」の公開は一定の評価を得た。
 しかし一方で、「検証報告」の内容については、なぜ加害者の氏名を匿名にしたのか、被害者への謝罪の言葉がない、第三者的な書き方で加害当事者として真摯な姿勢が感じられない、などのご意見もいただいた。それらはおもに被害者家族Mさんのもとに寄せられ、Mさんから送られてくるブックレット「Mの発信」(現物は実名)に記されている。
 この再検証をするにあたり人権対策室では、そうした批判に応えて「検証報告」の不備や足りなかったことを修正した改訂版を作成するべきだ、という意見もあった。しかし議論の結果、「検証報告」の文言を修正するのではなく、「検証報告」に挙げた課題が実施できているかを再検証する、新たな文書を作成することに決定した。その理由は、不十分なものではあっても2011年時点ではあの「検証報告」をまとめるのが精一杯であった現実を覆い隠すことなく記録にとどめた上で、10年後の今の認識を別途書き加えることが正直な「検証」の再検証になると判断したからである。
 個別の批判についての再検証は後述する。

B.「検証報告」で明らかになった課題のその後
 
 「検証報告」を通して、K元牧師性加害事件が起きた背景、なぜ防ぐことができなかったのか、加害事実を知った教団の対応にどのような問題があったのか、教団教職の養成過程の問題は何か、教団教職のケアや管理は適切になされているかなど、多くの課題が浮き彫りになった。それらの課題に関して、この10年の取り組みによって改善できたことは何か、なお残された課題は何かを検証する。

2. 「検証報告」の再検証
A.批判への応答
(1)加害者を実名で表記するべき
 実名で表記するべきという議論は「検証報告」作成当初、人権対策室内部にもあった。さらなる被害を防ぐためにも、実態を知らない人々が「悔い改めたのだから赦すべき」などと安直な評価に流れて判断を誤らないためにも、実名で表記すべきという意見である。しかし「検証報告」ではK元牧師の性暴力が起こった超教派の働きの実名を表記していることなどから、上記の2点は実質的にクリアできると判断した。最終的に匿名にしたのには、2つの理由がある。ひとつは、「検証報告」は特異な罪を犯した特異な人物を糾弾して済ませられるものではなく、引き起こされた出来事から私たちの教団が、教会が、聖書学院が、牧師・信徒が問われることは何なのか、に焦点を当てるため。もうひとつは、この出来事の事実と検証を将来の世代に継承するためである。万一「名誉毀損」に問われてホームページへの掲載継続を断念せざるを得なくなるリスクを回避することを重視した。すでに被害者家族が実名で発信しておられたが、「検証報告」では公平を期して被害当事者を「Hさん」、被害者の母親を「Mさん」と表記した。実名を含め事実を率直に伝えることの重要性を認識しつつも、ホームページへの公開を続けられることを優先した。
 
(2)被害者への謝罪の言葉がない
 教団は被害を受けた方々に心より謝罪したいと当時も今も思い続けているが、「検証報告」では事件がなぜ起こってしまったのか、どうして防ぐことができなかったのかを客観的に検証することを目的とした。Mさんには直接お訪ねして謝罪し、文書でも教団として謝罪をお伝えした。「検証報告」にもあるように、K元牧師が在職当時には、教団の責任者が同行してHさん、Mさんに謝罪をさせたが、真摯な謝罪として受け入れられるようなものではなかったという課題は今なお残っている。
 
(3)教会を世俗と切り離し一段上から語っている(検1.1)
 「検証報告」では、なぜ今、検証なのかの理由として第二に、「世俗化の影響が深刻さを増していること」を挙げた。しかしこの姿勢は倫理的な乱れが教会の外部から来て教会を汚すかのような、責任を転嫁した見方である。
クリスチャンは社会から切り離された存在になったわけではなく、社会にあって生きている。もし現代社会が倫理的レベルにおいて過去よりも低下していると見るなら、それはクリスチャンにも同様に起きる。教会には一般社会とは別の倫理的基準が存在することは事実である。だが、教会は聖いという前提に立って、なぜ「聖」なのかの意味を正しく問うことや教えることを十分にしないまま逸脱行為を黙認する、あるいは隠したり排除したりすることで「聖」を保とうとすることは、社会で受け入れられるものではないし、教会が求めている聖さでもない。
牧師がその職責を利用して性的暴行を加えることとは、時代によって変わる何かではなく、もっと根本的な、「人として」の罪深さの問題である。
罪、過ちを犯す「人として」、私たちは社会にあって何の差異もない。イエス・キリストの贖いを信じその聖さにあずかる命を受けているが、それはイエスを主とする真実な信仰における、神との不断の交わりの中に与えられる恵みであって、私たち自身が世の人から切り離され高くなった特別で完全な存在であるわけではない。
キリスト教会内の特に性的な問題は、教会の歴史と共に常にあった。「過去の教会は社会の影響を受けずに聖かったが、現代は影響を受けて乱れてしまった」という理屈は成り立たない。
現在、社会ではいじめや性加害行為に対する処分や予防を定める制度が整いつつあり、批判の目も厳しくなっている。
では、私たち教会は、「なぜ今、検証なのか」。それは神を信じキリストの愛を知らされながら、なぜ人を侵害し、心も体も死に至らせるような行為をするのか。また罪、過ちを犯した時、神と人の前にどうあるべきなのか。今も続くこの私たち自身の課題に正面から向き合うべきだからである。
 
(4)加害当事者としての真摯な姿勢が感じられない(検Ⅳ. 2.ⅰ.⑤)
 この批判は重く受け止め、私たちの責任と真摯に向き合い続けていきます。

B.課題のその後
(1)啓発の課題
① 検証から得られたことを教団内に周知徹底できたか
「検証報告」は印刷して教団内の全教会に送付したが、どう活用されたかは教会による。人権対策室では各教区・ブロックに講師を派遣してのセミナーを提案し、多くのブロックが教職研修でハラスメント問題をテーマに取り上げた。研修後はこの問題の重要性に理解が深まりつつある。だが、教職者の意識が変わることは周知へのひとつの足がかりであり、全信徒に共有するまでにはさらなる啓発の継続が必要だ。教団機関紙「りばいばる」に2019〜2020年、全11回の人権コラムを掲載できたことは、牧師のみならず信徒も含めて教団内の全教会に啓発をする機会となった。今後も現役の牧師を含めて研修の機会を拡げるなど、さらに様々な形での啓発を模索し、継続して実践していく。(検Ⅰ. 2.ⅰ.検証文の概要⑤)
 
② 性暴力が起きないよう人格が尊重される教会を建て上げる基盤づくり
これは不断の努力と研鑽を要する課題である。毎年、セクシュアル・ハラスメント(SH)防止・相談室と人権対策室が共同で専門家を講師に招いて研修会を開催。そこから派生した超教派のセクシュアル・ハラスメント防止連絡会(2022年から「ハラスメント防止連絡会」に改称)における情報交換や研修への参加、Mさんをお迎えしての講演会や懇談、その他セミナー・研修会などを通して多くのことを教えられてきた。また聖書学院での授業、教団教職として新任時の研修や継続教育にハラスメント防止のプログラムを盛り込んだ。教育局では勧士教育、信徒代議員研修などにもSH防止のための学びをしている。
*具体策は「3. 牧師育成の課題」に詳述。(検Ⅰ. 2.ⅰ.検証の目的①②③)

(2)被害者を守る適切な対応の課題
① セクシュアル・ハラスメント(SH)防止・相談室の働き
SH防止・相談室には少なからぬ相談が寄せられた。これは、K元牧師性加害事件以後も同種の被害が発生したことを示すものであり、改めてこの問題の闇が深いことを認識した。だが同時に、これまでどこにも相談できなかったかもしれない事案が、相談窓口を公にしたことによって顕在化したとも言える。そのため、窓口は24時間対応・匿名可の携帯電話とした。研修を受けて相談員となった女性教職は延べ12人。こうした案件の相談に対応できる人材の層は少しずつ拡充してきた。相談員は相談者に寄り添う姿勢での傾聴に徹し、交代制なので1人の案件に複数の相談員が対応するケースもある。相談員間の連携を図り、室長のスーパーバイズを受ける体制での相談業務が定着している。しかし、それでも「教団には言いたくない」「信頼できない」と感じられる被害者がいることだろう。その受け皿として何ができるか課題である。(検Ⅰ. 2.ⅰ.検証の目的④)(検Ⅱ. 3.)
 
② 被害者支援と加害防止への連携体制
専門家の助言を受け、原則として被害者ケアはSH防止・相談室、加害者対応は人権対策室と役割を分担し、相互に情報交換しつつ問題に対応する連携体制が定着している。相談者が望まない限り、相談内容はSH防止・相談室内部に留められる。相談者が教団に対して加害者への対処を望むことが確認されたら、SH防止・相談室はその旨を教団委員会に報告する。その後の加害者への対応は、試行錯誤の末、教団委員会から委託された予備調査委員(教団委員以外の者)が加害者に面談して予備調査をし、その答申に基づいて教団委員会は調査委員会を立ち上げ、調査委員会の調査結果を受けて教団委員会が加害者の処遇を決定する、という手順が確立してきた。SH相談員は被害者に寄り添い、必要に応じて面談も含めての相談やケアに当たることもあるが、相談者が当該の教会・教団から離れたいと希望する場合は、その後のケアがSH防止・相談室の手を離れるため十分なサポートがしきれないという課題もある。また被害者への二次被害を防ぐため、被害の聞き取りはSH防止・相談室に一本化している。このことは、複数の部署が被害の聞き取りをすることによる被害者の負担を減らす面では妥当である半面、調査委員会は被害者の声を直接には聞かないまま加害者への処分の判断をしなければならないという面では困難を覚えることもある。(検Ⅰ. 2.ⅰ.検証の目的④⑤)
 
③ K元牧師による被害者への支援
K元牧師の性加害による被害者が多数に及ぶこと、それら被害者に教団として誠意ある対応が必要であることは、当初よりMさんから指摘されていた。教団としては、SH防止・相談室の相談窓口を設けたこと、教団ホームページに「K元牧師 性加害事件検証報告」を公開したこと、被害者に謝罪したい旨を呼びかけたこと等により、K元牧師による被害者から申し出があることを願ったが教団には連絡が来なかった。Mさんのもとには多くのK元牧師による被害者から連絡があり、加害側教団の対応は信用できない、あるいは、加害側教団には相談しにくいという課題が残されている。
 

(3)牧師養成に関わる課題
 
① 献身者の資質の見極めと適切な指導
再発防止へのひとつの手立てとして、聖書学院在学中に、将来的に問題を起こす可能性のある資質を見極め、適切な指導をする必要が専門家から推奨された。しかし学院教師会がその危機感を共有し、改革に取り組むよう意識が変わるまでには時間がかかった。現在では、以下のような取り組みをしている。(検Ⅲ. 1.)(検Ⅳ. 1.ⅰ.)
 
1)SH防止・相談室主催のセミナーに教師会と修養生の参加を恒常化。
2)教師会、教団委員会と人権対策室の合同で牧師養成とケアに関する懇談会を実施。
3)東京聖書学院に「人権相談窓口」を設置。人権対策室員が担当し、修養生からの相談にのるとともに、教師会に出席して修養生のケアについて共に考えている。
4)修養生全員への心理テストを実施。臨床心理士による分析と個人面談を行い、内容は教師会にフィードバックされる。
5)カリキュラムに、人格形成、人権とハラスメントに関する授業を組み入れ、インターンゼミでは、牧会現場でのハラスメント問題への対応や、対人関係の在り方、牧師の自己管理の研修授業を実施している。
6)教師会は定期、随時にミーティングを行い、修養生のコンディションに関して情報共有し、連携した対応ができるよう努めている。
 
② 聖書学院自体の体質改善
学院修養生への人権教育は徐々に整えられつつあるが、学院の体制自体の意識改革には課題が残されている。聖書学院の伝統の中には、今まで受け継がれてきた支配的な構造がある。それが聖書学院の教育指導のあり方や、教師陣の発想や言動に今なお影響を与えている。教育指導の体質が改善されることが、そこから輩出される献身者の発想や言動に感化を与えることになり、ひいてはハラスメントが起きる教会の土壌を変えることにつながる。体質改善が具体的に進むよう、人権対策室は教師会をサポートしていくことを確認した。(検Ⅲ. 3.)(検Ⅳ. 1.ⅰ.)
 
③ 牧師職のリスク認識
「K元牧師検証報告」後も続いた戒規の事案などを通して、牧師の立場特有のリスクがあるとの認識が広がりつつある。その認識のもとで、リスクの回避や予防のための必要を見極め、実行していくことが今後の課題である。(検Ⅲ. 3.)(検Ⅳ. 1.ⅰ.)
 

(4)牧師のケアの課題
人間援助職である牧師は、教会員を適切にケアするために自身が適切なケアを受ける必要があることが、臨床心理の専門家から指摘されている。牧師には「献身」の意識のもとで心身を追い詰めるような無理な働きを長期間し続ける傾向がある。そのことは人間関係や人格的な破綻、ハラスメントやDVなどの問題行動を生じる温床となってきた。それを防ぐためには、牧師が一人ひとり自覚を持って自己管理をするとともに、牧師が所属する教団が、キリストのからだとしての共同体を健全に保つためにも、そのメンバーである教職者のケアを適切に行うことが課題である。必要とされる牧師のケアには次のような課題がある。
 
① ストレスマネジメント
教会員らの悩みや問題に向き合う牧師職はストレスの多い職務である。ストレスに対処し上手に付き合っていくストレスマネジメントの重要性が社会でも注目されているが、牧師の職務を遂行するにはなおのこと、自分に合ったストレスへの対処法を自覚することが求められる。この自覚と適切な対処を怠ると、いわゆる燃え尽きや、牧師と教会員とのコミュニケーションが破綻したり、問題行動が生じたりして牧師職が続けられない、ということになりかねない。その原因は⑶①の献身者の資質にも関わるが、本人に自覚がない場合も少なくないため、精神科への受診やカウンセリングを勧めてもうまくいかないケースもある。また牧師がストレスや健康不良を抱え込まないために、適切な休暇を取るよう教団から指導がなされたが、どの程度実行されているかには課題が残されている。(検Ⅲ. 3.)
 
② メンタリング
牧師の孤立は様々な意味で破綻の原因のひとつであることが「検証報告」でも明らかにされた。教団は牧師の孤立を防ぎ、健全な育成を促進するためにコーチングやメンタリングを制度化しようと試みたが、うまく機能せずに頓挫した。今後の取り組みに残された課題である。(検Ⅲ. 3.)(検Ⅳ. 3.ⅲ.)
 
③ 教団外の働きに従事する教職者の管理監督
K元牧師性加害事件の舞台が教団外の超教派の働きであり、教団の管理監督が及んでいなかったことが「検証報告」で課題として挙げられた。特に、具体的な今後の課題として「教団委員会あるいはその下に置かれるしかるべき機関において、それを見極める管理体制、具体的な指導方法を見いだすことが必要である」との認識が示されていた。このことは今なお、今後の課題である。

(5)被害当事者とのコミュニケーションの課題
① まず被害者に聞く
 
被害者の立場や思いを慮って控えたり遠慮したりしたことが、Mさん本人の思いや望みとは違っていたとの反省が「検証報告」にも記されているが、自分たちの思考の枠組みを超えることは容易ではなかった。Mさんが「まず被害者に聞くこと」を諦めずに語りかけ続けてくださったことには感謝するほかない。教団の執行部も、人権対策室も、新しい世代が加わり、Mさんと直接に対話を経験していないメンバーも増えてきつつある。その中で、Mさんから教えられたことを次代に継承し、これからも思い込みや独りよがりを排して「まず被害者に聞く」ことに徹していきたい。 (検Ⅳ. 2. ⅰ. ①)
 
② Mさんの思いを聞いた者の責任
「検証報告」を2011年の教団総会で可決した2年後の年会講演の講師としてMさんを迎えることができたことは、教団にとって大きな転換点であった。人権対策室員や教団委員のみならず、多くの教職たちがその席でMさんから生の声と思いを伺うことができたことは、何にも代えがたい機会であった。しかし、残念ながらその席に居合わせなかった教職も少なくない。証言を聞いた者は、自らの在り方、生き方が問われたと同時に、その証言を教会・教団内の聞いていない人々に共有していく責任を負っている。あれから10年で、どれほどその責任を果たし得たかをもう一度省み、この責務への姿勢を正す時としたい。

(6)加害者の処分の在り方と悔い改め・償い
① 戒規処分の手続きと悔い改めの実効性
K元牧師性加害事件では、拙速な戒規の執行が、処分後の教団としての加害者への対応を困難にし、被害者が望む、同じ地域に居住しないこと、牧師職を続けないこと、真の悔い改めと回復、真実な謝罪を促す道筋を困難にした。この反省は一部でその後の戒規の手続きに生かされた。現在ではトップリーダーの個人プレーに陥らないよう、不祥事情報は必ず教団委員会で共有し機関決定すること、人事任命権者である教団委員会だけでなく客観的立場に立ちうる予備調査委員による予備調査、調査委員会による調査を経て教団委員会が戒規を決定するという、公正で客観性を保てる手続きが取られるようになった。だが実際の執行においては、解任処分直後に当事者が退団して教団の監督権が及ばなくなるケース、あるいは、教育プログラムの成果が上がらず真の悔い改めと回復に至ったとは認められないため再任命が困難なまま待遇に苦慮するケースなど、戒規が本来の機能を果たしているとは言えない現実が続いている。この問題は今後も長いスパンで忍耐強い取り組みと試行錯誤を要する。今後取り組むべき一つの方向は、加害者が自らの内に認罪と謝罪の思いが湧いて来るようなアプローチである。客観的に自らを振り返るプロセスを丁寧にたどることによって、気づきが与えられる。(検Ⅳ. 2. ⅱ. ②③④)
 
② 被害・加害の適正な事実確認
K元牧師性加害事件では、性加害の情報が教団外からもたらされたが、確認作業が稚拙であったため本人否認のまま放置されることになり、被害の拡大を防ぐことができなかった。加害者への調査の仕方については上記①のような手順が整えられたが、その実効性についてはなお課題がある。調査委員は教団教職・信徒の中から教団委員会によって委嘱されるが、重い任務を担う者たちはこの種の聞き取りに関して専門知識やスキルを持っているわけではない。聞き取る能力の有無も未知数であり、必ずしも聞き取りが適正かつ効果的になされるとは限らない。この面の精度の向上、スキルアップも今後の課題である。(検Ⅳ. 2.ⅲ. ①②③)
 

(7)K元牧師の真実な悔い改めと被害者への償い
 
 除名処分の執行により、教団の管理監督権が及ばない中で、K元牧師はMさんの要望に反して同じ地に住み続けている。2011年にMさんに同伴して訪問し対話を試みたが実を結ぶことはなく、自死された被害者Hさんへの心からの謝罪をしてほしいというMさんの要望も叶っていない。また、K元牧師による他の複数の被害者たちへの謝罪と償いも実現できないまま今日に至っている。被害関係者の皆様に対し、教団はこれらの課題に力及ばずにいることを痛感し、真摯に取り組んでいきます。
(検「今後の課題」1. ⅱ.)

終わりに―福音理解を深める― 
 
「検証報告」を通して明らかになった問題は、上記のような個々の具体的な諸課題にとどまらず、私たちの教会・キリスト者としての本質を問う福音理解そのものの課題であることを、私たちは取り組みを進めるほどに痛感してきた。すなわち、「福音とは何か」という私たちの福音理解そのものが問われているのである。これまで、人権対策室やSH防止・相談室などが、性暴力やDVなど人権に関するセミナーや研修会への参加を呼びかけると、「もっと伝道につながるセミナーをやってほしい」というような声を聞くことが何度もあった。おそらく、「どのようにして伝道するのか」、すなわち“how”に関心が集中しているということであろう。しかし、“how”と同じくらい、いやそれ以上に大切なのは“what”、「何を伝えるのか」ということではないだろうか。
 
さらに、伝える私たち自身がどうあるか、”being”が問われている。近年、私たちの教団では、牧師によるセクハラ問題だけではなく、DVの問題も起こっている。これは昔はなかったということではなく、今になってようやく明るみに出されるようになったと考えるべきであろう。そうなるといよいよ、私たち教会が宣べ伝えている福音が、果たして本当に福音という名に値しているか、そのことを自ら問わなければならない。なぜなら、人をあらゆる囚われから解き放つはずの福音が、真の福音として届いていない、ということだからである。K元牧師性加害事件を検証することは、救い、愛、罪、認罪、悔い改め、赦し、聖化、和解、回復、これらを改めて問い直す、極めて福音の問題、伝道の問題なのである。
 
聖書信仰に立ち、しかも聖化を高調する私たちの教団において、今なお、その理解は浅く、現実への適応は力が乏しく、未熟である。「検証報告」後の取り組みから10年を経てもなお、模索を続けているのが現実である。私たちの内に巣食う罪の根深さに向き合い、その罪に確かな究極的解決を与えてくださった主イエス・キリストのあわれみと知恵とを乞い求め、課題に誠実に向き合い続けていく覚悟を新たにする。再発防止のため、神の真実に支えられ、これらの課題のすべてを次世代に継承していく。
(検Ⅳ.3. ⅰ. ⅱ. ⅲ.)

「K元牧師 性加害事件検証」から~課題を再検証する~
2022年4月1日
  編集:日本ホーリネス教団人権対策室
発 行:日本ホーリネス教団
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