宣教局長 中道善次
 
 若い人々が宣教の働きに携わる分野が広がっている。現在まで遣わされた教会では、超教派の学生伝道、メディアを通しての福音宣教、短期の海外宣教(2週間から2年まで)、音楽伝道、クリスチャンが運営するカフェなどに青年たちが関わってきた。宣教や伝道の働きが多岐にわたっているのを感じる。
 
 私が献身を志した時代は、牧師の働きに着くことが、主の働きをする大きな前提であった。牧師として教会の牧会をしながら、放送伝道や学生伝道に関わってこられた先生方がおられた。
 
 日本のキリスト教会は高齢化が進み、若い年齢層が少なくなっていると言われる。統計的にはその通りである。

 しかし、楽観的と言われるかもしれないが、若い人たちが情熱を持って主に仕えている。またこれから主に仕えようとしている若者もいる。それは直接献身をして、教会の牧師となるというスタイルとは異なるかもしれない。だが福音宣教は、教会の働きと共に「パラチャーチ」の働きがある。パラチャーチとは、各個教会の領域を越えた宣教の働きである。インターネットでは、パラチャーチを次のように紹介する。「クリスチャンが、主の働きにおいて超教派で協力し、世に対する福音伝道と社会責任の使命を果たしてゆくこと」。


 宣教局がこれまで取り組んできたのは、大きなプロジェクトであった。国内宣教では、開拓伝道を推進し、牧師の派遣と教会堂建築に焦点を当ててきた。国外宣教では、「支える会」を立ち上げて、キャリアー宣教師(生涯を献げて国外宣教に携わる人)を送り出してきた。宣教局では、これまで取り組んできた働きに加え、「パラチャーチ」や「短期宣教」の働きをする若者を応援したいと願っている。

 それは大きな支援とはならない。それでも、地域教会が「宣教献金」の名目で行っているのと同程度の経済的支援ができると考えている。

 ある教会では、年間60万円の予算を計上して、放送伝道、学生伝道、OMS宣教師、開拓教会、カフェ、海外の孤児院などを支援している。宣教局では「小さな一歩だが」、2022年度から、学生伝道に携わる若い働き人を支援する。

 次世代を担う若者たちの宣教活動を少しでもサポートできればと願っている。

茅ヶ崎教会 中道実由香

右から2人目が中道実由香姉

 私は2019年9月にロゴス・ホープ号に乗船し、少し前に2年2ヶ月の船での奉仕を終えました。

 2020年、コロナウイルスが世界中でパンデミックとなり、思っていたようなミニストリーができない時期もありましたが、私はそんなコロナ下のなか恩恵を受けた一人です。

 船がロックダウンとなり、クルーが4ヶ月間一歩も外に出られなかったとき、私はチームでアメリカへ派遣されていたため、その間も現地のミニストリーに関わることができました。そこでの仕事は、インターネットで注文を受けた本を梱包し、発送することです。コロナの影響により自宅で過ごす人が増えたため、その結果オーダーが殺到しました。
 
 こんな世の中でも人々が希望を探し求めて、聖書やキリスト教の書物を購入し、その働きに自分が関わることができていること。神さまは確実に目的をもって私をここに導かれたのだと感じました。毎日増えていくオーダー数と忙しい日々が、私にとって大きな喜びとなりました。

 そして、その後宣教団体OMの本部があるドイツに渡り、再び船に戻って来ることができたことは、当時のコロナ事情を考えると奇跡でしかありません。そんな時期に船での奉仕延長をもう一年決意し、経済的なサポートが与えたれたことも本当に驚きでした。祈りの力、そして信じて従う者に神さまは、とことん良くしてくださるのだと感じました。

 書店で勤務していた私は、船に戻ってからは清掃部署で働くことになりました。コミュニティに仕えること、隣人を愛すること、ミニストリーはなにも外で何かをすることに限らず、この船そのものがミニストリーの場だということに気付かされました。船でよく言われていた“ Be FAT” という言葉。Flexible(柔軟性)とAdaptable (適応性)を持ち、Teachable (教えることのできる)人間になること。自分の殻Comfort zoneから出ることによって、私はさらに祝福を受けました。

 そして、神さまは再び私を書店に呼び戻し、Book fair再オープンの働きに関ることができました。本当に長い道のりでしたが、また一般公開をすることができ、またこんな日が来るなんて夢のようでした。今まで管理職やリーダーシップなどは避けてきた私でしたが、最後はシフトリーダーの一人として用いられました。「自分ができる、できない、やりたい、やりたくない」とは別に、神さまが私にどうあって欲しいか。それは従順な僕であることです。

 私はさらに船での滞在を2ヶ月間延長し、クルーの入れ替わり時期に伴うトレーニングや引き継ぎなどをサポートしました。今振り返ってみると困難も含めてすべてが糧になっていると言えます。〝こんな時期に船に乗って〟と思う方もいるかも知れませんが、まさに私にとって完璧なタイミングでした。
「神のなされることは皆その時にかなって美しい」(伝道の書3:11/口語訳)
聖書の言葉のとおりです。理解をしないで信じること。その先に想像を超え
た祝福がありました。
 
(りばいばる 2022年1月号新春メッセージ)
宣教局員 木下 理恵子

 
 外国で宣教する宣教師は、いずれ宣教地を引き上げ母国に帰国します。帰国する理由や時期は、それぞれに違います。定年となり帰国する場合もあれば、自分や家族の病気、子どもの教育や種々の問題、あるいは政治的な理由で宣教地を離れざるを得ないときもあります。いずれにしても、宣教師にとっては大きな変化です。もっと長く宣教地で伝道したいと思っている中で、帰国を余儀なくされるときには葛藤があります。

 「どうして今なのか?」「どうしてもっとここで宣教できないのか?」等、受け入れるまで長くかかることもあります。そうした疑問を持ちながらも、帰国したら新しい奉仕が始まり、生活して行かなければなりません。

 初めて宣教地に出発したときから、何10年か海外で暮らす内に、宣教師は少なからず変わります。新しい文化・習慣に接し、日本では常識だったことが違ったということも体験します。新しい考え方・価値観・やり方にも接し、日本では知らなかった良さも知ります。そして、そちらに慣れてしまうのです。確かに日本人なのですが、宣教地化した日本人に変わっているのです。ですから、帰国後は改めて自国日本の文化・習慣に再適応しなければなりません。「この先生、何て空気が読めないのだろう」「日本ではそんなやり方はしないのに」など、みなさんを驚かせたり、戸惑わせたりする言動が多々あるかと思います。そうしたときは、背後でその元宣教師のことを話すのでなく、そっと「先生、そこちょっとおかしいですよ」と教えてあげてください。元宣教師はどこがおかしいのかさえわかっていないことがあります。わざとしているのではないので、優しく教えてくださると感謝です。と同時に矛盾するようですが、日本人だけでなく全世界の主であられるお方は、私たちが他の国や文化からも多くを学べることを御存知です。他国に住み、その国・民族の良さを知った宣教師が、それを伝えることで、日本人・日本の教会が宣教地の教会・人々から学んでいけるのです。そのために宣教師も謙遜かつ臆せずに、そうした違いを日本で伝える必要があります。これは主から宣教師に託されたもう一つの奉仕ではないかと思います。私たち日本の教会・信徒がさらに豊かで、主に似た、主に喜ばれるものとなっていけるように、元宣教師も再適応し過ぎず、時には居心地が悪くとも敢えて主が願う刺激をもたらせるものであるように、お祈りくださると感謝です。
 

(「りばいばる」誌 2017年3月)

 

宣教局主事(国外担当) 松沢 実喜男

 
 
 
 第6回日本伝道会議において、「ディアスポラ宣教」のプロジェクト発表を聞いてきました。そもそも、みなさんは「ディアスポラ」という言葉をご存知でしょうか? もともとこの言葉は、散らされて「外国に住むようになったイスラエル民族」を指す言葉として用いられてきました。しかし、今日では一般用語として、何らかの理由で「母国を離れて外国で暮らす人々」をディアスポラと言うようになってきています。
  
 とくに、信教(信仰)の自由のない国から来た人々については、母国外にいる時というのは、福音に触れる良きチャンスとなります。そのため「宣教」という観点からは、ディアスポラ宣教は欠かすことのできない働きとなっています。(まさに、木下理恵子師が台湾から帰国後になされていたのが、中華系ディアスポラへの宣教でした)。ただし、残念ながら日本では、各国からのディアスポラ宣教に力を入れているのは、キリスト教系の「異端」の人々であるということを耳にしております。これは、私たちにとって大きな課題であり、急務となっています。
  
 また、宣教が禁止されている国の出身者だけでなく日本人にとっても、海外は福音に触れる良きチャンスとなっています。(日本伝道会議のプロジェクトでは、おもに日本人ディアスポラを扱いました)。じつに、一年間で救われる日本人の約6分の1は、海外で救われているというデータがあります。しかも毎年、日本を離れて海外で生活するようになる人の数は、増え続けているそうです。ですから、日本人ディアスポラ宣教にも大きな可能性があります。ただここでも、海外で救われた帰国者が、日本の教会に馴染むことができずにいるという適応の課題があるそうです。外見は同じでも異文化に染まった日本人を、日本の教会がどのように迎えていくのか、私たちの対応が問われています。
  
 国の垣根を越えて人と物が行き交うグローバル化の波は、もはやとどめることはできないでしょう。ですから、このようなニーズは今後ますます増えることになりそうです。このディアスポラ宣教というものが、私たちにとっての課題となっていることを一緒に受けとめ考えていただけると感謝です。
  

(「りばいばる」誌 2016年11月)

 

第3種協力牧師 木下 理恵子

 
 この半年、宣教師がどのように召されたかについて、紙面で連載してきました。それを読んで、「私も宣教師に召されているのかな?」とか、「自分も海外宣教に興味がある!」と思われたかたがいらっしゃるなら、うれしく思います。ところで、宣教師に召されているのかどうかを確認するためには、一体どうすればいいのか、ご存知でしょうか。それは……。
 

1.信頼できる人に分かち合い、祈ってもらうこと。

 
 「宣教師に召されているかもしれない」という思いを他人に打ち明けるのは、勇気がいるかも知れません。まず、牧師や宣教師や教会の信仰の先輩等で、自分が信頼でき自分をよく知っていて、祈ってくださる人に、相談して祈ってもらうようにしてください。そうすることで客観的な意見によって、さらにはっきり御心がわかるようになります。またこうした人を通して、さまざまな情報や次のステップが示されることもよくあります。必ず一人でなく、複数で(教会と一緒に)、導きを求めることが大切です。海外宣教は一人でするものではありません。ともに祈ることで、周りの人も(教会も)、あなたを宣教師として送り出すように召されているかどうかを知ることにもなります。


2.具体的に海外宣教に関わっていくこと。

 
 例えば、宣教師のニュースを定期的に送ってもらったり、宣教師の巡回報告会に出て、話しを聞いたりしてください。(私の所属していた宣教団体では、各地で毎月1回の海外宣教祈祷会が持たれています)。宣教師に実際に会い、宣教地の詳しい情報を得ながら祈ってください。また宣教視察や短期海外宣教チームに加わって、宣教地に行ってみてください。多くの宣教師は、正式な宣教師になる前に、宣教地に行く経験をしています。日本で話を聞いているのと、現地に行って見るのとでは随分違います。宣教地の人と接し、様子を見ることで、さらに重荷を持つ人が多くいます。逆に、宣教地に行くことで、自分は宣教師ではなく、母国で祈り支える方に召されているとわかる人もいます。
 
 宣教団体では、「具体的に海外宣教に関わる行動をとらない人は、宣教師には召されていない」と言われますが、その言葉は本当です。とにかく一歩踏み出して行動してみてください。そうするときに、主は必ず召されているかどうかを教えてくださいます。
 

第3種協力牧師 木下 理恵子

  
 もう一つ、今回は宣教師をしていて、「お祈りして欲しい」と思ったことをお分かちしようと思います。私もみなさまのお祈りにより、多くの主の御わざを見させていただきました。
 
 さて、宣教団体に加わり、宣教地に行くと、独身女性は特に安全のために、自分で選んだわけでもない別の宣教師と同じアパートの部屋に住んで、奉仕することになります。もちろん相手は日本人ではありません。会話は、英語か現地語になります。現地の言葉を学びながら、仕事の話しも祈りさえも英語でするという生活をします。こちらの言葉が通じないときも、相手の言葉が聞き取れないときもあります。それは逃げ場のない大きなチャレンジでありプレッシャーでした。
 
 また、宣教師はお互いに賜物も性格も当然違っています。欧米の「見るからに外国人」の宣教師は、日本人の私たちよりも「宣教地受け」しました。また現地の友だちが多い人、頼りにされる人、すぐ人を主に導ける人など、さまざまです。さらに、現地の牧師と一緒に働くことがあります。そして、関わっている人も悩みや問題があると、やはり宣教師でなく、言葉が通じやすい現地の牧師の所に相談に行ってしまいます。このような中にいると、つい自分と他人を比較し、ときには宣教師や牧師に嫉妬してしまうということもありました。
 
 でも、こうした人の弱さの内にさえ現わされる「主の力」は確かでした。以前、4か国の宣教師と台湾の伝道者と一緒に「チーム伝道」をしていたとき、「あなたたち、違う国の人が一緒に働くことができているのを見て、あなたたちの言っている神さまは、確かにいると思った」と言われたことがありました。
 
 宣教師は、宣教地では一人でなく、色々な国の同労者と一緒に、ストレスの中で奉仕をしていることが多くあります。ですから、何語であっても良いコミュニケーションが取れ、傲慢や嫉妬に支配されることなく、たとえ同労者が用いられても心から主に感謝し、喜べるように。また、お互いに尊重し合い、愛し合い、与えられた賜物を忠実に用い、仕え合いながら、一致を保って奉仕していけるように。そして、主が働き、チームとして用いてくださり、主の栄光が現わされ、主を知る人、救われる人が興されていくようにお祈りください。
 

第3種協力牧師 木下 理恵子

 
 これまでに何人もの宣教師から、宣教地での子どもの教育についての心の葛藤を聞いてきました。これは、日本国内で転任する牧師家庭にもある悩みです。「上の子はよく適応し、問題ないけど、下の子は転任先の子の中に入って行けない」等。同じ家庭の中でも、その子の年齢、性格によっても差がでてきます。このように、子どもが宣教地に適応できず、やむなく帰国した宣教師たちもいます。

 加えて、教育が大きな問題となってきます。どの宣教地にも、毎日通える距離に、日本人学校があるわけではありません。あったとしても、ほとんどは中学までです。高校からはどうするのか。日本に一人だけ帰し、ほとんど住んだことのない日本で、親もとを離れて下宿させるか。そもそも日本の受験をパスすることができるのか等、不安もあります。
 
 また、宣教地に残って、現地校に入れたりそこにあるアメリカン・スクールに入れるという選択肢もあります。しかし、高校からとなると、どちらも言葉が問題となります。今まで日本語教育を受けてきて、急に現地語や、英語での授業についていくのは大変です。では、小学校(幼稚園)から現地校、あるいはアメリカン・スクールに入れれば、と思われるかもしれません。けれども、これは言葉だけの問題だけでなく、わが子をどのように育てるのかという問題なのです。将来、その子がどの国で生活するように育てるのかという、大きな選択を迫られていることなのです。
 
 宣教師子弟の多くは、大学教育を受けた国でそのまま就職し、生涯を過ごします。宣教地の学校に入れた場合、親が日本に帰国しても、子どもは宣教地で一生生きることになります。アメリカン・スクールに入れた場合にも、アメリカ人のように育っていきます。しかし、アメリカの大学に進学するときには、今まで住んだこともない、家族も友人もいない国に、一人で住むことになります。それまでは、学校に行くとアメリカ、家に帰ると日本、外に出ると宣教地というミックスされた生活だったのが、突然「全部アメリカ」になります。いくら英語が話せても、カルチャー・ショックを受けます。
 
 宣教師子弟は、「自分はいったい、どこの国の人間なのか?」という、アイデンティティの問題に必ず直面します。出生地は日本、親も日本人でも、日本よりも宣教地の文化に染まり、宣教地のほうが心地良かったりする。言葉ができても、自分はその国の人ではない……自分で選んだわけでない、親の召しと、信仰のゆえに直面させられる大きな課題。宣教師夫婦は、将来わが子がどの国で生きていくようにするのかを考え、決断しなければならないのです。
 
 ぜひ、親としての宣教師、また、特別な十字架を背負わされる子どもたちのためにお祈りください。それが重荷でなく、大きな祝福となるように。
 

第3種協力牧師 木下 理恵子

 
 当たり前のことですが、宣教師は外国に住んでいます。毎日、外国語で買い物をしたり、話しをしたり、奉仕をしたりしています。言いたいことをスラスラ言える母国語とは違い、どこかで「頑張って」話しています。帰国中あるとき、バスの中で一生懸命に聞こうとしなくても、他人のおしゃべりが全部理解できることに、「ハッ!」としたことがありました。
 
 また、言葉だけでなく、宣教地では気候も風土も違います。食べ物も違います。日本では常識であることが、通用しないこともあります。いくら宣教地やそこの人々が好きでも、長くいて慣れたと思っていても、日本にいるときとは違い、宣教師は無意識のうちに、緊張とストレスを感じながらの生活をしているのです。

 そのような生活をしていると、日本にいたときには、実際には深刻なはずなのに、何とかごまかせていた問題が、どうにもならなくなってしまうことがあります。問題のある夫婦が、その抱えている問題が解決されない限り、結婚生活も、宣教も続けられないと、宣教地で初めて自覚するということがあります。子育ても同じです。
 
 さらに、自分の中で向き合うことを避けてきた未処理の問題が、宣教地で浮き上がってくることもあります。ある宣教師は小さい頃、親から虐待を受けていましたが、あまりにも苦しい思い出のため、自分でも忘れていました。ところが、母国から遠いアジアの宣教地に来て、「親もここまでは自分を追いかけて来られない」と感じたとき、その封印していたものがよみがえってきたのです。とくに、似たような経験をしてきた求道者と接するうちに、どうしても思い出せなかった過去の出来事を思い出すようになりました。そして、宣教地でカウンセリングを受けるようになりました。幸いその宣教師は、カウンセリングの助けを得ながら、少しずつ癒しと解放を体験して行きました。
 
 このように、宣教地に来てカウンセリングを受ける宣教師は少なくありません。神さまは、確かに宣教するために私たちを召し、宣教地へと遣わされます。しかし、それだけではなく、宣教師を主の愛する一人の子に変えようとして、あえて外国まで連れて行ってくださるということもあります。母国では目をそむけ対処できない問題を、外国で気づかせ、直視できるようにし、癒し、また解放してくださるのです。
 
 宣教地で自分の隠れた問題に気づかされた宣教師たちが、それに目を覆い、あやふやなままにすることがないように、また、必要ならカウンセリングを受け、癒しを体験できるようにお祈りください。自分をこんなに愛してくださる神さまの御愛を信じ、思い切って、踏みだすことで、結果的にさらに宣教できるようになるのですから。
 

第3種協力牧師 木下 理恵子

 
 教会も女性が多いですが、宣教師も独身女性が多いのが現実です。ただし、独身に召されているから結婚しないという人は少ないようです。それぞれの結婚願望も違い、独身であることに大きな葛藤を覚える方もいます。どちらにしても自分の子どもを産むことがない、家族を持つことがないことは、自分の中で向き合い、主からの癒しや助けを受けなければなりません。
 
 そうした独身女性宣教師が宣教地に行くと、思いもかけない出来事にでくわすことがあります。毎週出席している祈祷会が、その日は自分の結婚のために特別に祈ってくれる祈祷会になってしまっていた。あるいは、祈祷会に行ってみたら、見合いを設定されていたということもあります。宣教地によっては、外国人(あるいは日本人)と結婚したがる人の多いところもあります。
 
 また独身女性宣教師の場合、宣教地で初めて会う日本人ではない独身女性宣教師と一緒に住み、奉仕するようになります。結婚と違い、「その人が好き。一緒に生きていきたい、奉仕したい。」というのではなく、「働きに関するヴィジョンや重荷が一緒」というだけで同労者になり、一緒に住むようになります。長い時間をかけ、さまざまな困難を通り抜け、主のわざをともに見て、一緒にいることが心地よくなっても夫婦とは違い、最後はお互い一人でそれぞれの母国に帰って行きます。
 
 ところが、既婚の女性宣教師からは、独身女性宣教師はよく羨ましがられます。「独身の人は家族の食事の準備や、子どものお迎えに行かなくていいから、現地の人たちと一緒の時間が圧倒的に長い。それだけみんなとの関係が築け、信頼され、実を結ぶことも多い。現地の人が何か相談事があるときは、独身の人の方に行くのが寂しい」。「勉強に集中できる時間も、現地の人としゃべる時間も多いから、現地語が上手」。「休みの日は、他の独身宣教師と一緒に食事をしたり、遊びに行ったり楽しそう」。
 
 もちろん、結婚をしていても独身であっても、それぞれに長所や短所があり、どちらかが絶対に良いということではありません。しかし、今の自分に与えられている立場を受け入れること、またそこに与えられる恵みを主から受け取ることができるよう、そして、喜んで生き、奉仕し、主に用いていただけるように、お祈りくださると感謝です。
 

 宣教局員 木下 理恵子

 
 世界宣教は、歴史的には欧米の教会・クリスチャンが、進めてきたものだと言えます。宣教師は、宣教地の文化風習や考え方を尊重した伝道・教会建設をと心がけてはいますが、気づかないうちに母国の文化風習に影響されています。とくに、日本人としてアジアで奉仕していたときに、欧米の宣教師の言動や働きの進め方に、「母国流」を感じることがありました。
 
 さて、宣教団体の中に、近年、宣教年数や経験あるアジア人が選ばれることも増えてきました。アジア人の観点から意見を述べ、その働きや方向を変えるきっかけとなったりもします。
 
 私たち日本人もまた、しっかり自分の考え・意見を持ち、欧米の宣教師に理解してもらえる英語力を必要とします。英語がペラペラでなくても、繰り返し自分の意見を言う勇気、辛抱強さ、謙遜さが必要です。私たちは、今まで世界宣教を担って来てくださった欧米の教会・宣教師たちを敬いつつ、今こそ日本人・アジア人だからできる貢献をしていくべきだと思わされています。自分の奉仕だけでなく、広い視野で、日本人として宣教団体の中で果たすべき責任があると思います。それが、さらなる世界宣教の前進に繋がるのではないでしょうか。
 

  国外担当宣教局主事 松沢 実喜男


 今回、元台湾宣教師の木下理恵子牧師が右に書いてくださったことは、まさに日本の伝道にも大きな示唆を与えてくれるものです。なぜなら、そもそも宣教というものが、このような異文化を意識した働きかけだからです。私たちは、国内でも、世代間、地域間で、文化が違っていることを、どれぐらい普段から意識して伝道しているでしょうか。

 私たちは、国内で、「この世」にとって全く異質な「福音」というものを、私たちの周りの方々に理解してもらい、それによってその生活、存在までもが変化する程の影響を与えようという壮大なことをしようとしています。聖書に立ちかえりつつ、時代の変化と地域に対応させて、進めていくことが求められています。難しい挑戦ですが、このように宣教できなければ、私たちの教会・教団は衰退していく一方でしょう。だからこそ、主に祈り、最善の宣教方法を探る必要があります。
 
 国内宣教だけでは見えないことも、国外宣教から見えてくることがあります。そのような意味から今後も、この国外宣教をともに進め、宣教に励みたいと願います。続けて、宣教師のためにお祈りください。