日本ホーリネス教団の戦争責任に関する私たちの告白
 
 ホーリネス宣教百年の年を迎えようとしている今、私たち日本ホーリネス教団は、これまでの神の導きを心から感謝し、先達の信仰の戦いに思いを寄せています。そして、私たちが私たちの教会の歴史を振返ることによってその歩みを省み、信仰の継承を目指すと共に、過去に犯した過ちをここに言い表します。

1 歴史を振返って

 明治憲法や教育勅語等によって、天皇神格化の波が日本に浸透しつつあった1901年、私たちの教会は宣教を開始いたしました。「四重の福音」を旗印として、日本全国と、アジア諸国へと宣教をすすめました。その働きによって、現在の私たちの教会が存在し、アジア諸国にホーリネス教会が建てられ、現在のアジア太平洋地域ホーリネス教会連盟のような実を結びました。
 また、戦前の私たちの教会は、宗教法案や宗教団体法案による国家の宗教への介入や、神社参拝の強要に対して、信仰の戦いの意志を明確にもっていました。

 しかしそれにもかかわらず私たちの教会は、日本の軍国主義と、それを支えた天皇制については、それを批判することなく、むしろ支持をしました。教会は、当時の日本が犯した侵略という過ちにも気づかずに、天皇の名による戦争を「聖戦」と呼び、「皇室中心主義」や「敬神尊王」などと言って、その過ちを信仰の事柄と交錯し、支持をしました。そして、私たちの教会のアジア諸国への宣教は、宣教がその純粋な動機であったとは言え、その働きは日本の植民地政策に追随するものでありました。
 
 さて、昭和十五年戦争下、私たちの教会は、治安維持法と宗教団体法によって不当に弾圧され、解散を余儀なくされました。そしてその信仰のゆえに命を奪われた牧師たち、裁判で命懸けの証言をして信仰を貫いた牧師たち、解散させられたために、社会的にも経済的にも困難な事態に陥りながらも信仰を守り続けた牧師家族や信徒たちのように、試練を乗り越えた先達の信仰の戦いによって、今日の私たちの教会があることは、神の守りの聖手が加わっていたためであると信ずるものです。
 
 しかし、それ以前に私たちの教会は、リバイバル(信仰復興運動)の経験によって進展しつつも、その後、再臨信仰で躓き、教理の理解の相違から、同信の友と決別しました。そして、その後の宗教団体法案には反対の姿勢をもはや取り得ず、教会合同の流れに組み込まれていきました。しかも、それ以前から教会合同の気運があったために、宗教団体法を楯にした国家権力の圧力に屈したにもかかわらず、教会はそれを信仰的な決断であると理解しました。こうして成立した日本基督教団に、私たちの教会も参加しました。またその過程において、同法によって天皇神格化を進める国家の圧力に屈し、再臨信仰に関する教義を変更しました。そして国策に従い、宮城遥拝や君が代斉唱などの国民儀礼や神社参拝を行い、さらに戦勝祈願、皇軍慰問献金、半島人徴兵制度実施感謝式の開催などの戦争協力を進めました。
 
 また、弾圧に直面した時、私たちの教会は、自分たちの信仰が治安維持法に問われていることに気づきませんでした。それは、天皇を崇敬する愛国者を自負していたために、治安維持法のいう「国体の否定」に抵触するとは思っていなかったためであります。すなわち、キリスト教信仰の中に天皇制を受け入れていたのでした。そして、天皇に仕えるのが日本人の本分であるという、「国民生活」という文を機関紙に載せ、天皇制へとすりよってしまいました。
 
 拘禁された牧師たちの中には、裁判のために、それまでのキリスト教信仰を清算し、祖先崇拝などをして日本人として生きると言う者たちや、神社参拝に積極的な姿勢を示す者たちもいました。また、私たちの教会は、再臨信仰が問題となっていることが分かった時、かつて分かれた同信の友の再臨信仰との違いを強調し、自らの身を守ろうとしました。それは、弾圧時に日本基督教団がホーリネス系教会を切り捨てたという自己保身の態度と変わらぬものでした。このような中で、信仰を捨てた信徒もおりました。

 敗戦後、私たちの教会は復興を遂げ、その信仰の特徴を生かすために日本基督教団を離脱して今日に至っています。神の守りと導きのうちに、多くの実を結ぶことができました。靖国問題や天皇の代替わり、宗教法人法改正や、私たちの教会がもつ差別意識が糾弾されたことなどを通して、歴史や社会とのかかわりについて、学びを進めて来ました。
 
 しかし、私たちのそのような問題意識はまだ徹底されたものではありません。むしろ、私たちの教会の関心は信仰の内面性に重点がおかれ、その結果、私たちの教会の社会とのかかわりは、希薄なものとなっています。
またこれまでの私たちの教会の歴史認識は、非常に狭められたものでした。それは、私たちの教会は、弾圧の被害者であるという意識を強く持っていたためです。しかし私たちの国が、かつての戦争や皇室を美化し、その過ちを水に流そうとしているのと同様に、私たちの教会も、自らの歴史を検証し、問題点を明らかにすることを怠ってきたことの責任は免れません。
 
 また、本来、教会は、信仰告白を絆とする信仰共同体であります。しかし、私たちの教会の絆は、カリスマを持った指導者に負うところが大きく、それ自体は誤りではないとしても、その弊害は教会に「内なる天皇制」の問題を投げかけています。そのために、無責任な体質や、さきにふれた差別意識などを持つていると言わなければなりません。

2 これからの歩み
 
 私たちのこの言葉は、戦時下の私たちの教会とキリスト教界、当事者個人の過ちを糾弾するものではありません。戦時下の教会を過ちに陥らせた天皇制の圧力は、今も姿を変えつつも存続しており、戦時下の教会が問われた信仰告白に生きることは、まさに今の私たちの課題であります。
 
 そこで私たちは自らを告発し、その責任を言い表します。

 日本の進めた侵略戦争によって引き起こされた、神社参拝の強要、日本語教育の強制、虐殺、慰安婦の問題、そして今日では経済力による侵攻や民族の蔑視、責任の回避など、私たちは日本人として、このような国家の過ちについて連帯の責任を負うものです。また、教会の中にも民族蔑視の思いや、皇室に対する拭いきれない好意によって生じる、戦争容認などの誤った歴史の見方があることを、私たちは認めます。

 また、私たちは日本人としての連帯責任を負うことによって、私たちの教会の信仰の問題を曖昧にはしません。天皇制社会に生きる私たちの、福音理解が問われていると考えます。私たちの強調してきました「聖書信仰」も、個人の内面的な信仰に重点がおかれ、社会とのかかわりの面は希薄でありました。その結果、アジア諸国の人々とその教会の気持ちばかりでなく、私たちの教団内の韓国人教会や、沖縄の諸教会と、そこに属する人々の気持ちについて、私たちの教会の理解は、あまりにも不充分なものでありました。

 ここに私たちの教会は、自らの弱さと過ちを、神と人との前に悔い改めて言い表し、心から赦しを請うものであります。
 まず、私たちの教会は、神社参拝や天皇崇拝などの偶像礼拝に墜ちてしまった罪を、神の前に悔い改めます。
 そして、私たちの教会のアジア諸国への宣教が、日本の侵略戦争に追随するものであったことと、さまざまな戦争協力を行ってきたことを、アジア諸国の人々とその教会に謝罪します。
 また、弾圧時の裁判の中で、かつての同信の友を切り捨てるような発言をしたことを、謝罪します。
 また、日本基督教団が、旧ホーリネス系の教師及び家族、教会に対し、謝罪の意を表した時、私たちの教会は、それといった反応を示しませんでした。それは、戦時下、特に弾圧への対応によって生じた、私たちの教会と諸教派との亀裂が、今なお深い部分では癒えていないためです。このことについて私たちの教会は、自らを正当化せず、責任をも自覚するものですが、和解の必要を感じています。
 今後、私たちの教会は、「日本ホーリネス教団の信仰告白」に基づいて、神のみこころに適う教会の形成を目指します。また、歴史に学ぶことを忘れずに、私たちが置かれている時代と社会の状況を見極めることができるような体制によって、社会への責任を果たすことを目指します。そして、アジア諸国の人々の心情を理解することを努めるとともに、特に私たちに与えられている、アジア太平洋地域ホーリネス教会連盟の交わりを豊かなものとすることを目指します。

ホーリネス宣教百年を迎えようとするこのとき、共同体の罪を自らのものとして懺悔した、指導者ネヘミヤ(ネヘミヤ記第1章4~11節)やダニエル(ダニエル書第9章1~11節)の祈りに学びつつ、悔い改めと信仰をもって立ち上がる覚悟でおります。そして21世紀を迎えようとする今、私たちは、私たちの教会の歩みが神のみこころに適い、神と人に仕えることができるよう、願っています。
1997年3月20日
日本ホーリネス教団第34回総会