「ハンセン病療養所の教会の墓標」
1.守り継がれたホーリネスのお墓
戦前のホーリネス教会の機関紙に「草津明星團」への支援献金欄がある。つい数年前まで、これが何であるのか、漢字の読み方すらも分からなかった。2004年に聖公会の司祭から「私たちはホーリネスのお墓を預かっていますよ」と言われて、和解委員会のメンバーが初めて草津を訪問した時に、三本の墓標を見て鳥肌が立つような感動を覚えた。
中田重治の巡回説教を聴き感化された安倍千太郎は、ハンセン病者であった。彼は同じ病を持つ人々のために伝道団体「明星團(みょうじょうだん)」を作り、伝道者を育て、福音を伝えていった。戦前のホーリネスは、その働きを支え続けたが、戦中、戦後の混乱時に徐々に忘れられたかのようになってしまった。後に明星團は療養所内の聖公会に合同することになったが、明星團の墓碑を作り「安倍先生外七十有余永眠者の為」と刻み込んだ。
2.2008年の草津訪問
三年目になる草津での研修ツアー、今年は、療養所内の教会の松浦司祭、そして療養所に住む石浦兄、藤田兄(自治会長)から貴重なお話を伺うことができた。
また、驚いたことに、この春の暴風雨で、半世紀程、立ち続けた木製の墓碑が倒れていた。高齢化が進むハンセン病療養所の教会では修復が難しい状況で、修復に取り組むことになった。墓碑には、明星團の信仰をあらわす十字架と「我は輝く曙の明星な里(り)」という言葉が刻まれている。
(文章:宮崎誉師、2008年11月号の『りばいばる』紙に掲載記事より)