「積極的平和主義?聖書の問いかけ」

福音による和解委員会 宮崎誉
 

 近年、「積極的平和主義」という表現を用いる人が増えてきました。第二次世界大戦の反省から、日本人は70年間、憲法九条を土台とする平和主義を大切にしましたが、別の方
向の道を「積極的平和主義」という呼び名を用いて、目指すべき平和主義だと主張するのです。その表現に、「?」と感じる人は少なくないでしょう。その積極的平和とは、何を
指すのか、聖書神学の視点から問い直してみましょう。
 
 この問いを浮き彫りにするために、『平和の契約』(東京ミッション研究所)の著者、W・スワートリーという新約学者を紹介します。彼によると新約聖書が語る「キリストの平和」は、「ローマの平和(パックス・ロマーナ)」の対抗概念という性質があると指摘しています。「平和」は新約聖書のギリシャ語で「エイレーネ」という言葉です。古代ギリシャ・ローマ世界には、「イレーネ/エイレーネ」という名の女神がありました。イレーネの偶像は、アテネのアゴラをはじめ、地中海一帯の世界で信仰の対象となった女神で、左腕に子どものプルートを抱く彫像が残されています。名前は「イレーネ(平和)」ですが、皇帝アウグストゥスが女神イレーネを帝国主義の力の象徴の一つとして用いはじめてから、イレーネは帝国主義的な平和と繁栄を意味するパックス・ロマーナの象徴となっていったことを、スワートリーは指摘します(Covenant of Peace35~37頁)。圧倒的な軍事力、或いはパワー・バランスでもたらされる平和と繁栄が、「パックス・ロマーナ」の特徴であり、同盟国と共闘して紛争地に武力で国際貢献しようとする「積極的平和主義」とは、この系譜にある用語だと言えるでしょう。じつは、新約聖書の使徒行伝にも、ローマの平和に言及する場面があります。大祭司アナニヤが弁護人を通して語った言葉に、「ペリクス閣下、わたしたちが、閣下のお蔭でじゅうぶんに平和を楽しみ」(使徒24:2)というように、権力者がパックス・ロマーナを享受する姿が記録されています。
 
 歴史学者はこのパックスの特質を、近代史に適用して「パックス・ブリタニカ」(英国の平和)と表現します。また、冷戦後のアメリカ一強時代を、「パックス・アメリカーナ」と呼びます。同様に、戦時中の日本のスローガン「大東亜共栄圏」も「パックス・ジャポニカ」と訳すことができるのです。これらは一つの根で繋がっ
ています。
 
 カンザス州のマッコーネル海兵隊基地の看板に、「平和は私たちの専門」とあります。冷戦時代にレーガン大統領がロシア全域を射程におさめるミサイルシステムを構築したとき、「平和守護者( peacekeeper)」と名づけました。
 
 武力によってヨーロッパの大半を支配したナポレオンが、晩年語った有名な言葉があります。「アレキサンダー、シーザー……そして予は、偉大な帝国を建設した。しかし、彼らは何に依存したのか。彼らは武力に依存したのだ。しかし、何世紀も前に、イエスは愛の上に建てられた帝国を創設し給うた。そして、今日に至ってもおびただしい数の人々が彼のために死ぬのである」(M・L・キング牧師・説教『汝の敵を愛せ』80頁)。剣に頼った自分は最後に敗北したが、キリストの愛は勝利し続けていると語ったのです。 
 
 教会が宣べ伝えるべき平和は「キリストの平和(パックス・クリスティ)」だとスワートリーは語ります。武力によって従わせる平和秩序ではなく、主の十字架の勝利と平和を聖書は語ります。「キリストはわたしたちの平和であって、二つのものを一つにし、敵意という隔ての中垣を取り除き……」。(エペソ二14)キリスト者は主イエスに従い、平和作りの道を歩むように召されているのです。

(2015年7月「りばいばる」誌)