戦後70年日本を執り成す

福音による和解委員会 根田 祥一
 

 今年は終戦から70年を迎えます。戦後50年の1995年には、多くの教団・教派・キリスト教団体から、前の戦争に加担・協力した責任を認める宣言が出されました。日本ホーリネス教団もそれから2年をかけて、「戦争責任告白」を教団総会で可決採択しました。これは、日本が犯した侵略戦争の罪を教団として公式に認めて告白したもので、私たちが保持している信仰の表明です。

 福音による和解委員会は、今後この教団が「戦責告白」にふさわしい歩みを続けていくための機関を設置するとの付帯決議に基づき、その年の1997年から活動を開始しました。「戦責告白」は教団のホームページの和解委員会サイトにありますので、ぜひお読みください。
 
 ところが戦後70年の今の日本には、20年前とは違った空気が流れているように感じます。戦後70年を意識してキリスト教界からいち早く上がった声は、戦争に対する日本の国と教会の責任を認め悔い改めるものではなく、むしろ逆にそれを否定しようとするものでした。それは2014年秋に設立された「日本を愛するキリスト者の会」で、理事の中には東京聖書学院の卒業生やホーリネス系の人も含まれています。

 この会のスローガンは、「日本は『悪い国だった』とするのではなく、良い点をも積極的に評価し、日本を心から愛し、キリストの福音による復興を目指して祈ろう!」というもの。設立趣意書によると、戦後日本の社会は〝左翼マスコミ〟によって不当に欺かれ、いわゆる〝自虐史観〟を刷り込まれていることを憂慮し、70という数字にかけて、そのような「精神的バビロニア捕囚」から日本人を解放し、むしろ日本の歴史・文化・伝統を積極的に取り上げて評価し直すことを求める、というもの。
 
 その内容は、太平洋戦争は侵略戦争ではなくアジア解放の戦いだったと美化する「歴史修正主義」に通じるものです。キリスト教が戦争責任を認めて日本人を貶める「反日左翼宗教」と誤解を与えることが、今日のキリスト教低迷の理由の一端だと批判しています。

 このような言説に、この20年で戦争への反省が風化していることが現れています。旧約聖書の列王紀や歴代志でイスラエル・ユダ王国が、ある時代には自国の罪を認めて主に立ち帰るものの、次の世代にはそれを忘れて元の罪に戻ってしまうことを繰り返した教訓を忘れてはなりません。
 
 この欄でともに学んだことを要約します。① 国や教会の過去の罪を正直に言い表すことは「自虐」ではなく、聖書が教える信仰的悔い改めの姿勢です。②聖書が示す国への愛は、良いところを誇張することではなく、為政者に公義に生きる道を示す預言者的愛国心です。③教会が自らの罪を認め悔い改めることは福音宣教を阻害するものではなく、神と人との前における真摯な姿勢を証しすることです。
 
 安倍晋三首相は1月5日の記者会見で、戦後70年にあたり「村山談話を含め、歴史認識に関する歴代内閣の立場を全体として引き継いでいく」とアジア侵略の反省と謝罪を表明しました。その反省の姿勢を、政策とアジア諸国との和解に生かすことを期待します。この国と教会とクリスチャンが過去の罪責を堂々と悔い改め続けられるように、執り成しを祈りましょう。
 

(2015年3月「りばいばる」誌)