多様な意見を実りあるものに
福音による和解委員会 上中 栄
9月27~30日、第6回日本伝道会議が神戸コンベンションセンターで開かれました。主に日本福音同盟(JEA)に連なる諸団体を中心に集い、現在の教会が抱えるさまざまな課題について学び、考える時となりました。
JEA社会委員会は、「教会と『国家』」プロジェクトとして、いくつかの集会を企画しました。多様な意見を持つ参加者が、キリスト者としてどのように平和をつくり出せばよいのか、活発な議論を行いました。
その一つ、「キリスト教平和論についてのディベート」は、なかなか興味深いものでした。ディベートとは、一つのテーマについて、肯定・否定の立場に分かれて行う討論です。討論する人(ディベーター)は、肯定・否定のいずれかに分かれます。その際、必ずしも自分の意見と同じでなくてもその立場に立ち、数分という短い時間で討論をします。こうして、それぞれの意見を冷静に見つめるとともに、コミュニケーションの能力や、論理的な思考を鍛えることから、ある種のゲームとも呼ばれます。
今回のディベートでは、「伝統的キリスト教の平和論」と「憲法論議の平和論とキリスト教」の二つのテーマを挙げました。
まず、キリスト教の平和論には、正義のための戦争はありうるという「義戦論/正戦論」と、あらゆる武力行使を否定する「非戦論/絶対平和主義」があります。それぞれ聖書に基づく根拠があり、教理のようにしてその立場が表明され、教会の歴史でも多くの実践が重ねられてきました。双方の立場からのディベーターによる立論、反論、参加者を交えての反論などを経て、最後に参加者によるジャッジを行いました。これは勝敗ではなく、説得力を判定するものですが、結果は非戦論の方が少し多めの支持がありました。
二つ目のテーマは憲法ですが、キリスト者の中にも平和を志向しながらも、改憲・護憲と両方の意見があります。双方が言う積極的平和の意味、公と個人のどちらを尊重すべきか、宣教局ニュース具体的に憲法の改正は必要か、について討論しました。ジャッジは、護憲の方が多い結果となりました。
しかし、「自分の思いとは異なるが、正戦論や改憲論の方が説得力があると思った」と言う沖縄の牧師がいるなど、すっきりしない結果でもありました。けれども、肯定・否定と角突き合わせることの多い課題について、それぞれの正義を主張するだけではなく、きちんと対話をすることによって見えてくることがあります。それがディベートのねらいでもあり、とても有意義だと思いました。
また、この伝道会議に合わせて、日本福音同盟(JEA)社会委員会から「憲法問題Q&A」が発行されました。これも、さまざまな意見を前提に、ともに考えることを願って作成されたものです。各教会にも一冊送付されますし、今年の私たちの教団総会決議「昨今の憲法『改正』論議について」の説明にもなります。200円と価格も手頃ですので、お入用の方は福音による和解委員会までお問い合わせください。
JEA社会委員会は、「教会と『国家』」プロジェクトとして、いくつかの集会を企画しました。多様な意見を持つ参加者が、キリスト者としてどのように平和をつくり出せばよいのか、活発な議論を行いました。
その一つ、「キリスト教平和論についてのディベート」は、なかなか興味深いものでした。ディベートとは、一つのテーマについて、肯定・否定の立場に分かれて行う討論です。討論する人(ディベーター)は、肯定・否定のいずれかに分かれます。その際、必ずしも自分の意見と同じでなくてもその立場に立ち、数分という短い時間で討論をします。こうして、それぞれの意見を冷静に見つめるとともに、コミュニケーションの能力や、論理的な思考を鍛えることから、ある種のゲームとも呼ばれます。
今回のディベートでは、「伝統的キリスト教の平和論」と「憲法論議の平和論とキリスト教」の二つのテーマを挙げました。
まず、キリスト教の平和論には、正義のための戦争はありうるという「義戦論/正戦論」と、あらゆる武力行使を否定する「非戦論/絶対平和主義」があります。それぞれ聖書に基づく根拠があり、教理のようにしてその立場が表明され、教会の歴史でも多くの実践が重ねられてきました。双方の立場からのディベーターによる立論、反論、参加者を交えての反論などを経て、最後に参加者によるジャッジを行いました。これは勝敗ではなく、説得力を判定するものですが、結果は非戦論の方が少し多めの支持がありました。
二つ目のテーマは憲法ですが、キリスト者の中にも平和を志向しながらも、改憲・護憲と両方の意見があります。双方が言う積極的平和の意味、公と個人のどちらを尊重すべきか、宣教局ニュース具体的に憲法の改正は必要か、について討論しました。ジャッジは、護憲の方が多い結果となりました。
しかし、「自分の思いとは異なるが、正戦論や改憲論の方が説得力があると思った」と言う沖縄の牧師がいるなど、すっきりしない結果でもありました。けれども、肯定・否定と角突き合わせることの多い課題について、それぞれの正義を主張するだけではなく、きちんと対話をすることによって見えてくることがあります。それがディベートのねらいでもあり、とても有意義だと思いました。
(2016年11月「りばいばる」誌)