「聖書にみる教会と国家の関係」

和解委員会 宮崎 誉
 
 今回は教会と国家との関わりについて聖書がどう語るかを見ようと思います。まず、現代の教会と公との関係の類型を紹介します。
①教会が公共とは接点をもたない孤立型の伝道。
②教会が地域社会と交流して宣教の裾野を広げるが、独自運営をする独立交流型の宣教。
③キリスト教理念の福祉施設や学校運営を通して、行政の資金援助を受けつつ活動する協力型の宣教。
④人権侵害や公権力の乱用など、社会悪と向き合う対決型の宣教。現代、これら四類型が重複する形で、多様な宣教活動がなされていますが、新約聖書にも、幅のある態度が記されています。

1.国のために祈る

  「まず第一に勧める。すべての人のために、王たちと上に立っているすべての人々のために、願いと、祈と、とりなしと、感謝とをささげなさい。…安らかで静かな一生を、真に信心深くまた謹厳に過ごすためである」(Ⅱテモ2:1~3)。パウロの晩年、伝道者テモテに勧めたことは、王や政治家の為にとりなしの祈りを捧げることでした。波乱万丈の宣教者パウロが「安らかで静かな一生」を勧めることを、不思議に感じる人もあるかもしれません。パウロが晩年に、性格の角が取れて丸くなったから語ったというのではありません。初期の手紙の一つである、ローマ人への手紙12章18節にも、「あなたがたは、できる限りすべての人と平和に過ごしなさい」、また、「上に立つ権威に従うべきである」(13:1)と教えています。
  しかし注意すべきことは、公権力を握る者の業を、無批判に受容することを勧めてはいないということです。主イエスの敵を愛する教えの実践を含めた勧告であり、復讐心を神さまに預けて、むしろ、「善をもって悪に勝ちなさい」(12:21)と教えています。波風立てない平静な人生ではなく、敵意と迫害の最中で、福音に生きる招きなのです。パウロの晩年は、狂気に満ちた皇帝ネロの時代です。ネロの統治の初期は比較的に安定した時代でしたが、ローマの大火の後、自殺するまでの皇帝ネロは凶悪で、クリスチャンの大迫害を行い、パウロもこの時代に殉教しています。その中で為政者の為、平和の実現の為、全ての人の救いのために祈り続けるように導いているのです(Ⅰテモ2:1~4)。

2.獣の時代と小羊の勝利

 ヨハネの黙示録には、狂暴化した国家の象徴として「獣」が登場します(13章)。しかし、最終的に勝利するのは小羊なるキリストであると救いの約束を示します。黙示録の解釈は様々で、将来訪れる患難時代を表しているとする解釈もあり、また全ての時代において社会が獣化する危険性を持っていると見る倫理的解釈があります。
 戦時下のホーリネス弾圧(1924年6月26日)を見る時に、国家の牙が突如、ホーリネス教会に向けられた事件ではなく、公権力の横暴さがしたたかに忍び込み準備された事件と見ることができます。それ故に、現代の教会も時にはどう猛な、或いはしたたかな公権力の獣性を注視する必要があります。私たちホーリネス教団は、弾圧経験と戦争責任告白との眼差しを曇らせず、小羊の勝利を信じて歩む使命があるのです。
(2014年7月「りばいばる」誌)