フィリピン宣教

エノプレ・悦子宣教師

12月

ミンダナオ・グロリアス・チャーチ  エノプレ 悦子

 主の御名を讃美いたします。いつもお祈りいただきありがとうございます。フィリピン福音ホーリネス教団よりミ
ンダナオ・グロリアス教会へ派遣される牧師の候補者が決まりました。しかし現在、着任が遅れています。この記事を皆さまがお読みの頃には、教会は新しい牧師を迎えていることと思います。
 引き続き、ミンダナオ・グロリアス教会と、新しい牧師の働きのためにお祈りください。また、円滑な引き継ぎがなされますようお祈りください。

10月

ミンダナオ・グロリアス・チャーチ  エノプレ 悦子

 尊き主の御名を讃美いたします。
 当教会では、7月から家庭集会が5ケ所で行われ、それぞれの集会が祝福され、感謝しています。
 さて、7月18日~20日、フィリピン福音ホーリネス教団の教団委員長と副教団委員長が、当教会を訪問された際、
当教会としてフィリピン福音ホーリネス教団に以下の要望をいたしました。①当教会の法人の確保、②土地の登記
証は弁護士が保管すること、③良い牧師を派遣し、サポートをして欲しいこと、④当教会の管理費を援助して欲し
いこと(③と④は2年間)。そして、これらが受け入れられ、(双方合意の上で)、当教会の役員が、フィリピン福音ホーリネス教団の加盟書に署名をすることができました。感謝です。
 9月12日にはマニラで、ミンダナオ・グロリアス・チャーチ、フィリピン福音ホーリネス教団、日本ホーリネス教団、韓国聖潔教会のフィリピン宣教部代表が集まって、契約が無事、なされました。引き続き良き牧師が送られ、今後の宣教が進んで行きますように、お祈りに覚えてください。
 また、当教会のジェームズ・マーク・オレンシアダ(17歳・男子)が献身し、11月にフィリピン国際大学に入学する予定です。この大学は、韓国聖潔教会が創設したもので、神学部の他にキリスト教教育、英語学、体育学のコースがあります。ジェイムズ・マークは教会員の子どもで、5年前にペドロ牧師より洗礼を受けました。今年の3月に高校を卒業して、青年会長をしていました。彼が、主のよき働き人となりますように、共にお祈りください。

8月

 尊き主の御名を讃美いたします。
 エノプレ牧師の召天後も、家族が訪問してくれて感謝です。先日も甥家族がダバオに来て、礼拝でその娘と息子が特別賛美をしてくれました。この甥はRandy といい、20〜22歳の時にダバオの大学で学び、今は国際船の船長で、機械技師をしています。彼が12歳のとき、エノプレ牧師がネグロス島(エノプレ牧師の故郷)で洗礼を授けました。
 教会の家庭集会も4か所で行われて、青年が多く集まっています。その中から礼拝に出席する者も起こされていて感謝です。青年たちが救いに導かれるようにお祈りください。
 今後、フィリピン・福音ホーリネス教団との契約がすみやかに行われますようにお祈りください。できれば、9月に牧師が派遣されますようにと願っています。

7月

  フィリピン福音ホーリネス教団への加入のための連絡がうまくとれておりません。どうかお祈りください。

5月

 3月は、5か所の家庭集会に、新来者、求道者が多く参加し、感謝でした。運転は、教会の前の家に住む求道者のJRベランドレスさんがしてくださいました。彼の家でも集会が行われ、今回ご両親も出席されました。この一家の救いのためにお祈りください。

 3月31日、イースター礼拝後、ポトラックで、愛餐会が持たれました。礼拝は、休会員、新来者の出席もあり30人となりました。引き続き、安全のため、教会員の霊的成長のため、フィリピン福音ホーリネス教団への加入が速やかにできるようお祈りください。

【祈祷課題】
* フィリピン福音ホーリネス教団への加入のための連絡がうまくとれておりません。どうかお祈りください。

故ペドロ・エノプレ師 追悼文

東京仲よし教会 小倉 進

ペドロ・エノプレ師の召天

 2012年12月24日クリスマスイブににぎわう教会とは別に、ペドロ・エノプレ宣教師は静かに主のみもとに召されて行きました。70歳でした。エノプレ先生は1985年より日本ホーリネス教団(以下、教団) の宣教師として、フィリピンで二番目に大きなミンダナオ島のダバオ市への任命を受けられました。以来38年ほとんど休まれることもなく教会形成に励んで、まさに心血を注いでこられたのです。血圧系の病気もあったといわれますが、死因は心臓発作だったと言われています。謹んで主のお慰めをお祈り申し上げます。

お二人の出会いについて

 ある日ペドロ・エノプレ先生の心を捉えた証しがDTC(Discipleship Training Center)の機関誌に紹介されました。寺島悦子さん(現・エノプレ夫人)のもので、「主が導かれるなら、将来東南アジアのどこかの国へ宣教師として行って働きたい」という主旨のものでした。DTCはシンガポールにある超教派の宣教師養成の神学校で、その活動や学生の証しが諸外国に送られていて、エノプレ先生はそれを見て「これはきっと神さまの導きだと思う」と確信されたと言います。
 1979年お二人は結婚され、悦子先生の母教会(東京中央教会)の故松原次郎師が出席されました。初めの数年はネグロス島(ペドロ先生の出身島)で伝道されましたが、東京聖書学院での1年間の研修を経て、教団の宣教師として任命され、ダバオ市で宣教を始められたのです。

ペドロ・エノプレ先生について

 ペドロ・エノプレ先生は聖書の虫と思われるほど聖書を愛読され、聖書についての学びをされていたそうです。静かな方でしたが伝道の人でした。暑さと不便さは日本では考えられないほどの困難な中で闘っていた時、教団から贈られた車で水を得た魚のように伝道に励まれ、危険なイスラムの人々の居住地までも訪問され、救いに導かれたのです。教団宣教100年を記念して、ミンダナオ・グロリアス教会へ教団から素晴らしい記念教会堂が贈られてからはますます伝道に邁進され、一時は50人近い礼拝の時もあったそうです。
 主はエノプレ夫妻をお用いになって、今までに100人に及ぶ受洗者をお与えくださったのですが、ダバオ市は産業が乏しいので、ほとんどの教会員が就職でダバオ市を離れるのは大きな試みです。
これからを思って
 日本的に見ると少し早い召天では、と残念に思えてなりませんが、フィリピンでは平均寿命だったとのことです。外国人同士が主に在って一つとされ、宣教師としてこれほどハーモニーのよいお二人だったことを思うと、残された悦子先生のことが心配されますけど、主の豊かな慰めと健康をぜひお祈りいただきたいと願っています。
昨年4月エノプレご夫妻は聖地旅行をされました。本当に素晴らしい主の摂理だったことに聖名をあがめています。