総務局
新型コロナウイルスの感染拡大を受けてのお願い

「7月豪雨」で被災されたすべての皆さまにお見舞い申し上げます。
7 月3 日(金)から九州地方を中心に全国で豪雨、大雨が続いています。そこで、四国及び九州教区長に教区内の教会の被害状況を確認していただいたところ、教会も信徒の方々も被害はないとのことです。
K元牧師 検証報告
宣教局
現在ホーリネス系の教団教派を中心に受講者が与えられ、延べで1000人を越える勢いで日本中に広がっています。聖書的で健全な教会を目指すT&Mは、内向きの体質から外向きの教会へと教会を刷新します。教団教派を越えて全国から救いの喜び声が集まっています。アフターコロナから始まる本来あるべき教会の姿を目指す、今は備えの時かもしれません。
教職だけでなく信徒の方々も多数参加されています。途中参加も可能です。すでにLevel1セミナー又は、コーチングセミナー受講されて登録されているセミナーは無料参加可能です。ふるってご参加下さい。
T&MLevel1
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ワンポイント
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1月
平和の計画
あなたがたのために立てた計画は、
私がよく知っているI主の仰せ。
それはあなたがたに将来と希望を与える平和の計画。
(エレミヤ29:11)
2021年が始まりました。昨年を振り返ると、新型コロナウイルスの感染拡大によって、計画をしていたことがことごとく中止になったり、延期になったりしたのではないでしょうか。
東京オリンピックの延期に象徴されるように、何年も時間をかけて準備をしたとしても、一つの感染症でそれが簡単にひっくり返されてしまうのです。人間の立てる計画の限界というものを見せつけられたような気もします。
神さまの立てる計画はそうではありません。この計画が実行されるまでには、長い年月がかかっています。だから、何も進んでいないように見えた人もいるかもしれませんが、着実に進められていったのです。そして、イエス・キリストさまによってこの計画は実行され、じつは現在も進められているのです。聖書を読んでみますと、そのことがよくわかります。
それは、わたしたち人間を罪と死から救うという壮大な計画です。アダムの犯した失敗によって、人間に罪と死が入り込んできました。そこから救うために、独り子であるイエスさまがこの世に遣わされました。そして、イエスさまはわたしたちの罪の身代わりとなって十字架にかかり死なれましたが、三日目によみがえられたのです。これらの出来事によって、イエスさまを自分の救い主として信じるならば、わたしたちの罪は赦され、永遠の命が与えられるのです。死はもはや終わりではないのです。
2021年がどのような年になるかは誰もわかりません。しかし、イエスさまを救い主として信じる人にとっては、聖書の言葉に約束されているように、将来と希望と平和の計画が与えられるのですから、あまり心配する必要はないかもしれません。

水がぶどう酒に

教団委員長 島津吉成
「『あなたは良いぶどう酒を今まで取っておかれました』。イエスは、この最初のしるしをガリラヤのカナで行って、その栄光を現された。」(ヨハネ2:10、11)
昨年は新型コロナウイルスによって、世界が一変してしまいました。恐れと不安が世界を覆いました。昨年の年の初めに、誰がそのことを予想したでしょうか。そして、世界は、今年はどうなるのだろうという不安の中で、新しい年を迎えています。
ヨハネ2章には、カナでの婚礼の席で起きた出来事が記されています。当時の結婚式は、数日間続いたそうです。そのお祝いの途中で、ぶどう酒がなくなってしまったのです。新郎たちの面目は丸つぶれです。喜びの宴の真っ最中に、あってはならないことが起きたのです。これは、まさに今の私たちの状況ではないでしょうか。そのとき、主イエスは水をぶどう酒に変えて、若い二人をこの危機から救ってくださいました。
ここで大事な点は、マリアが召し使いたちに、「この方が言いつけるとおりしてください」と頼み、召し使いたちが主イエスの言われたとおりに、かめの縁まで水を満たしたということでしょう。「ぶどう酒がなくなったのに、どうして水をかめに入れるのですか」と、不平を言ってもおかしくありません。しかし、召し使いたちは主イエスの言葉に従いました。そこに、水がぶどう酒に変わるという素晴らしいことが起きたのです。
私たちもそれぞれ抱えている課題があります。その課題を抱えつつ、主からの御言葉を聞きます。その御言葉は、まるでぶどう酒が必要なときに、「水を汲め」と言われているように聞こえるかもしれません。しかし、その主の御言葉に従うとき、水がぶどう酒に変わるという奇跡が起きるのです。
主は言われます。「天が地よりも高いように、私の道はあなたがたの道よりも高く、私の思いはあなたがたの思いよりも高い」(イザヤ55:9)。そして言われます。「まず神の国と神の義とを求めなさい」「明日のことを思い煩ってはならない」(マタイ6:33、34)。
厳しい時代だからこそ、思い切って、大胆に、御言葉に聴き従っていきましょう。主はきっと、私たちの思いを超えた御業を行ってくださいます。そのとき、私たちも言うのです。「水を汲んだ召し使いたちは知っていた」。


―キリストの愛の中で、仕える喜びに生きよう―
任命制度の改革に寄せて
任命制度検討プロジェクトチームの皆さんが、任命制度の改革案を作ってくださっています。今春の教団総会で説明の時が持たれ、さらに一年をかけて各教会、教区で検討していただき、来年の総会で決定することができたらというスケジュールになっています。昨年の10月末に行われた全国信徒代議員研修懇談会でも説明がなされ、熱心な質疑の時が持たれました。今回は、この件について、最近感じていることを書かせていただきます。
一つのことは、教団全体のことを見るという視点を持っていただきたいということです。どうしても、自分が属している教会に関心が行くと思います。それは当然のことです。その上で、教団全体が一つの教会だという視点も持っていただきたいのです。「一つの部分が苦しめば、すべての部分が共に苦しみ」(第一コリント12:26)と言われています。これが教会です。任命の中で、自分の教会の牧師を別の教会に送り出すということも起きてきます。その時、その教会の必要のために涙を呑んでわが牧師を送り出すという姿勢、また、受ける教会は送り出す教会の痛みを受け止めるという姿勢が必要です。自分の教会ファーストというエゴがきよめられる、まさにここで、ホーリネスが問われるのだと思います。
任命には、栄転という考えはありません。小さな教会から大きな教会に行くこともありますし、大きな教会から小さな教会に行くこともあります。小さな教会は、人数が少ないことを恥じる必要はありません。たとえ人数が少なくても、心から主を愛し、熱心に主に仕えている群れに、牧師は意気に感じて一緒にやりたいと思うものです。大事なことは、この「熱」があるかないかです。それは、大きな教会も同じです。
もう一つ気になっていることは、開拓者魂ということです。少子高齢化、過疎化、牧師不足ということの中で、内向き思考になっていないでしょうか。「時が良くても悪くても」と言われているように、どんな時でも、教会を開拓していく、新しい働きを始めていくということは大事なことだと思います。
ベンチャーとは、「冒険」という意味です。アブラハムは、行く先を知らずに出て行く冒険者でした。パウロは、晩年になってもイスパニア(スペイン)に行って伝道したいと願う冒険者でした。コロナのことで、ますます縮こまってしまう感じがしますが、この時だからこそ、思い切って転換できる、新しいことを始めることができる機会になるかもしれません。牧師も教会も、夢を描き、ビジョンを持って、霊に燃えて主に仕えていく、それを支え、後押ししていくような任命制度の改革となるようにと願っています。

このたびの「西日本豪雨」「大阪北部地震」「北海道胆振東部地震」で被災されたすべての皆さまにお見舞い申し上げるとともに、主の慰めと平安を心よりお祈り申し上げます。
【北海道胆振東部地震】第2報 北海道教区の状況
【大阪北部地震】第4報 高槻第一教会のため
【西日本豪雨災害】災害支援対策ニュース①
災害支援対策ニュース②
災害ボランティアご案会