【年間標語】 主イエスに遣わされたわたし
【年間聖句】 「あなたがたに平和があるように。父が私をお遣わしになったように、私もあなたがたを遣わす。」(ヨハネによる福音書20章21節)

私たちの教団のホームページにようこそ!

教団委員長 大前信夫

 私たちの教団はキリスト教のプロテスタント(新教)に属します。
それぞれのプロテスタント教会には独自の歴史と信仰の特徴があります。私たちの教会は「ホーリネス」を名称としていますが、それは英語で神の聖さを意味し、イエス・キリストを人生の主として生きる時に与えられるいのちの輝きを表そうとしています。

 かつて私は生きる意欲のない者でした。どんどん人を避けるようになり、新しい朝を迎えることも嫌になっていました。そんな私の人生にイエス・キリストは訪れ、神の愛を表してくださったのです。そして、このイエス・キリストとの出会いにより私の毎日が大切なものになり、たくさんの「驚くばかりの恵み(アメイジング・グレイス)」を経験させてくれました。
 ぜひあなたもお近くの教会にお出かけください。きっと、素晴らしい出会いが待っています。(教会の住所等は「全国教会所在地」をご覧ください)
 このホームページをご覧くださった皆さまの上に、神さまの祝福がますます豊かにありますようにお祈り申し上げます。


 
 
 
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【T&Mセミナーの予定】
Zoomにて次回1月開講 
教会増殖と呼ばれる教会形成のイロハを学びます。祈り、伝道、育成、教会形成の段階を経た主の弟子訓練の学びで、キリストの教会のあり方を学びます。
○1月開講

 Level1セミナーの内容の中から、より信徒が実践できるものを抽出し、コンパクトにお届けいたします。具体的に以下の2つを学びます。
①コーチング(愛をもって人に接する姿勢)②福音を周りに伝えるための4つのステップ(手順)

○1月開講

Level1を学んだ方々でT&Mを実施している方を対象のセミナーです。親教会から子教会、または外に増え広がるスモールグループの発展的な宣教の広がりを学びます。

○4月開講

T&Mで取り扱われている証しの方法、三つの円を用いた伝道、エバンジェキューブを用いた伝道、訪問伝道、帰納的聖書研究などについての実践的な学びと訓練を致します。どなたでも参加できます。

○毎週月曜昼1:30~
○毎週月曜夜7:30~

T&Mの訓練は、主にコーチング的なアプローチでの訓練になります。教えるのではなく、訓練を受ける人の神様から与えられている可能性を引き出す働きになります。
○1月開講
その他グループコーチング、個別コーチング、国内外の教会増殖に関係する特別講演などを行っています。

 
(2017年6月15日)
(2017年4月13日)
平和の祈り
(ページ内よりダウンロードできます)
 
 

実を結ぶ

およそ鍛錬というものは、当座は喜ばしいものではなく、悲しいものと思われるのですが、後には。それによって鍛え上げられた人々に、平安な義の実を結ばせるのです。(ヘブライ12:11)
 
 11月は月末に収穫感謝祭があります。日本では11月23日が勤労感謝の日ですが、この頃、アメリカやカナダなどでは収穫感謝祭(サンクスギビングデー)を祝います。日本のキリスト教会でもお祝いするところがあります。米や葡萄や栗や梨などは自然の恵みであり、自然を支配する神さまからのものです。労した方に、また神に感謝を献げるのです。
 
 さて、葡萄の実が良くできるためには、適切な温度と日光と共に、夜が大切ということを聞きました。どうして夜が大切なのかなと疑問に思っていましたが、少し調べたところ、夜になると光合成でなく、呼吸作用になり、呼吸作用にエネルギーを使わないような低い温度だと多くの糖分を蓄えやすくなるという説明がありました。人間も、労動の後は、感謝して、ゆっくり休むことも大切なのだと教えられました。
 
 ところで、聖書に、鍛錬を耐え抜いた者に「平安な義の実を結ばせる」とあります。悪への誘惑や弱さに負けそうな時に、それに負けないで義の道を歩む者に「平安という義の実が結ばれる」ということです。この「平安」とは「平和」という意味があります。神と人に対して「平和」があり、自分の心のうちに「平安」があるのです。そこには豊かさと満足があります。
 
 また、聖書に「義の実は、平和をもたらす人たちによって平和のうちに蒔かれます」ともあります。決して、戦いによって平和はもたらされないのです。正義の戦いはミサイルや武器によらないで、相手と自分の命を尊ぶ中で、平和のうちになしていく時に、義の実として本当の平和がもたらされるのです。
(「きぼう」11月号)

     

 (「きぼう」アーカイブ) 
 

「若い日のために主が備えてくださった恵みの大きさ」

「若き日に、あなたの造り主を心に刻め。」(コヘレトの言葉12章1節) 
 
 私は若い日に、神さまを知ることができたことを本当に
感謝しています。小学3年生の時にイエスさまを信じ、同じ年に献身を決心しました。高校時代にはサッカーに明け暮れて、思いっきり泥にまみれ、大学時代には多くのすばらしい恩師、先輩、友人たちと出会いました。大島泉の家に入り浸って、キッチンワーカーをして奉仕をしていました(実際にはのびのびと羽を伸ばし、遊んでいました。神さまが創造された世界を満喫しました)。


 東京聖書学院でも、教団を越えて多くの献身者たちと出会いました。卒業して結婚し、妻と2人で教会で奉仕し、多くの教会員の方々と出会いました。中高生たちとしょっちゅう一緒に食事をし、一緒に遊びました。子どもたちが生まれ、子連れで留学し、アメリカにいる日本人、また世界中からの兄弟姉妹たちと出会いました。
 
 若い日に経験できたこと、出会った方々、一緒に時間を過ごした仲間たち……そんな中で私は育てていただいたことを思います。祈ってくださった多くの人たちがいました。また、声をかけ、時間をかけて交わり、自腹を切ってごはんを食べさせ、また黙ってサポートを送り、お金を握らせてくれた人たちがいました。そして、何より主は忍耐強く、その慈しみをもって支え、私を負ってくださいました。

 「若い日」はとてもすばらしい時です。そして、若い日に神さまとつながることができたということはかけがえのない恵みです。私たちは教会に通ってくる青年たち、少年少女、子どもたちに、心いっぱい愛を注ぎたいと思います。最後の責任はとってあげてください。尻拭いは先に歩む世代のめです。失敗するのも貴重な体験です。失敗するのを許して上げてください。生意気なことを言っても、正論をぶつけて押さえ込んだり、黙らせたりしないでください。いつも正解をおしつけるのではなく、自分で答えにたどり着くのも大切なことです。いつも思います。日本ホーリネス教団の青年たち、とてもすばらしいですよ。突っ込みどころも多いかもしれません。でも、ダメ出しするのではなく、励ましてあげてください。温かく見守り、時には具体的に、励ましの声かけをしてください。「がんばれ」もいいですけれど、「がんばってるね」 「すごい!」 「あなたたちのこと大好きだよ」 そんな声が彼らを笑顔にするのです。
 
(「りばいばる」11月号)

  

「りばいばる」アーカイブ
主イエスに遣わされたわたし

 

主イエスによるアレンジ

 一緒に神を賛美するように、講壇横に生花が飾られています。おそらく日本の教会ならではですね。さて、この生花ですが、生け花というよりフラワーアレンジメント(風)だと、小さな白い花のカスミソウがよく使われます。このカスミソウ、花束でも上手くアレンジされると名脇役になります。ただの引き立て役とは言えない、見事な存在なのです。

 このようなアレンジを教会とその働きにも見ることができます。

 神は教会に様々な人を導き入れ、一人ひとりにふさわしい務めを託されます。そして、その務めを担うため聖霊の賜物が与えられます。こうした教会の姿をパウロはキリストのからだとして理解し、「体は一つでも、多くの部分から成り、体のすべての部分は多くても、体は一つであるように、キリストの場合も同様」(Ⅰコリント12章12節)と言っています。一人ひとりとその務めの違いに神のデザイン、ご計画があると続けるのです。この神のデザインについては、「そこで神は、御心のままに、体に一つ一つの部分を置かれたのです」(同18節)と言いました。この「置かれた」はただそこにあることではなく、英語のある聖書では、アレンジするとされています。これはとても意味深いことではないでしょうか。
 
 2001年12月、ブラジルから帰国しました。私にとって楽しかった生活と働きでしたが、とても中途半端な終わり方でした。日本に向かう飛行機の中、どうしてこんなことになったのか……やるせない気持ちで一杯でした。そんな自分を責める惨めな私に響いてくる言葉がありました。ブラジルでの働きに踏み出させてくれた「主も弟子たちと共に働き」(マルコ16章20節)との言葉でした。この言葉を思いながら、わたし一人でやり遂げたことがあっただろうかと振り返りました。長い間の祈りが積まれ、誰かが種を蒔き、少しばかり刈り取りの喜びに与らせていただいただけ。私は大きな主イエスの働きのある部分に関わったのに過ぎない。だから大切なことは、私の働きでなく、今も主イエスの働きがなされていること……。こうして私は、私の小さな働きを、不十分な働きを、大きな神のお働きの中でアレンジし、一つの働きとして調和を与え、実を結ぶようにされたのは、まさに共に働かれる主イエスであることを知らされたのです。
 
 あなたやあなたに託された務めは大きな花のようでしょうか。それとも、引き立て役としか思えませんか。どちらでも良いのです。大切なことは、主イエスが私たちの働きをアレンジしてくださることなのです。
 
(「りばいばる」視11 月号

 

(「りばいばる」アーカイブ)