私たちの教団のホームページにようこそ!

教団委員長 佐藤義則

 
 ホームページをご覧くださり、あ りがとうございます。

 「ホーリネス」(Holiness)という名称は、神の聖さのことを表わしますが、私たちの教会は、神がその聖さを授けてくださるという恵みを信じ、これに生き、これを証してゆくことを使命としています。

「すべて重荷を負って苦労している者は、私のもとに来なさい。あなたがたを休ませてあげよう。」(マタイによる福音書11章28節)
 
 人はだれでも、重荷を背負って日々を歩んでいますが、しばしば疲れ果てて負いきれなくなってしまうことがあります。そのような私たちを、キリストは招いておられるのです。この方の前にいっさいの重荷をとり降ろすなら、真の休息と平安を与えてくださるのです。日曜日は教会へ。是非、キリスト教会をお訪ねしてみてください(教会については、「全国教会所在地」をご参照ください)。

 主イエス・キリストの父なる神が、あなたを豊かに祝福してくださいますように。

【年間標語】新たな宣教と教会形成をめざして
【年間聖句】「もし、主が家を建てるのでなければ それを建てる人々は空しく労苦することになる。もし、主が町を守るのでなければ 守る人は空しく見張ることになる。空しいことだ 朝早く起き、夜遅く休み 苦労してパンを食べる人々よ。主は愛する者には眠りをお与えになるのだから。」 (詩編127編1、2節)


 
 
 
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(2017年6月15日)
(2017年4月13日)
平和の祈り
(ページ内よりダウンロードできます)
 
 

はばからないで神に近づこう

堂々と恵みの座に近づこうではありませんか。(ヘブライ4:16)
 
 聖者はこれまでたくさんの種類の日本語に翻訳されてきました。ある翻訳では、最初に掲げた聖書の言葉をこんなふうに訳しています。「はばかることなく恵みの御座に近づこうではないか」。
 
 「はばかる」という日本語は、もともと「幅を取る」という意味の言葉です。横に幅を取ると、「憎まれっ子、世にはばかる」という言葉のように、横柄な姿を表しますが、縦に幅を取ると、相手と自分との間に距離を置くことを意味します。ですからはばかるとは、相手に近づくことができない姿、相手を近づけることができない姿なのです。
 
 でも聖書はこう語りかけます。「はばかることなく、堂々と恵みの座に近づこうではありませんか。
神の恵みの座に、つまり神の前に、遠ざかるのではなく、はかることなく、遠慮なく近づこう」。

 私たちが誰かのそばに近づきたくないと思うのは、こんな自分を相手は到底受け入れてくれないのではないか、拒絶されて傷ついてしまうのではないか、そう心配しているからかもしれません。そんな気持ちの裏で、弱くて不甲斐ない自分の姿に、自分自身が心奪われてしまっているのではないでしょうか。

 この聖善の言葉の直前の15節にはこう語られています。「この大祭司ーーこれは主イエスのことですーは、私たちの弱さに同情できない方ではなく、罪は犯されなかったが、あらゆる点で同じように試練に遭われたのです」。

 主イエスは神であられたのに、私たちと同じ人間となってくださり、私たち人間の弱さをご自分も味わい、受け止めてくださっていました。誰にもわかってもらえない、理解してもらえないと思う自分の弱さを、主イエスだけは深く同情し、思いやっていてくださいます。だからあなたも、はばからないで、遠慮しないで、喜んで、恵みに満ちた神に近づきましょう。
(「きぼう」3 月号)

     

 (「きぼう」アーカイブ) 
   

馬ではなくろば、親ろばではなく子ロバを

東京聖書学院長 錦織 寛
「主がお入り用なのです。」(ルカ19:34)
 
 主イエスは受難週の日曜日、エルサレムに入城しようとしておられました。主イエスはその時、二人の弟子たちをある村に遣わし、村の入り口につながれている、ろばの子を連れて来るようにとおっしゃいました。主がそのろばの子をお入り用だったのです。

 弟子たちをはじめ多くの人たちが、主イエスが王なるメシアとして、エルサレムに入られる日を、興奮しながら迎えようとしていました。王としてという意味では、馬の方が勇ましく見えたことでしょう。しかし、主イエスは馬ではなく、ろばに乗られました。旧約聖書にそのように預言されていたからです。主イエスは武力と脅しで人々を黙らせ従わせるのではなく、柔和なお方、へりくだったお方として、愛と平和で人々を治める王だったからです。

 器用さという意味では、親ろばの方がずっとふさわしかったでしょう。しかし、主イエスはその仕事に慣れていた親ろばではなく、まだ誰も乗せたことがない子ろばを指名されました。リハーサルなしの一発勝負。初めて人を乗せるろばの子はよろけることもあったでしょう。しかし、主を乗せるのに用いられたのは、他のことに使ったことがないろばの子でした。上手かどうか、安定性があったかどうか、ということになるとおぼつかなかったでしょう。でも、主はその経験も浅い、でも主イエスのため以外に用いられたことがない、ろばの子を用いられました。

 東京聖書学院も卒業式を迎え、ろばの子たちを送り出し、また新しく主が召されたろばの子たちを迎えます。また、すべてのキリスト者が「主がお入り用なのです」とのお声を聞いて、置かれた場で主に仕えるのです。
 
 人々は上着を敷き、賛美の中でイエスさまを迎えます。ろばの子がたたえられているのではありません。ろばの子がお乗せしている主イエスがたたえられているのです。私たちの歩みを通して主がたたえられる、そのような歩みをさせていただきたいと思います。
(「りばいばる」3 月号)

  

「りばいばる」アーカイブ

主にあってひとつとせられ

「同じ思いとなり、同じ愛を抱き、心を合わせ、思いを一つにして、私の喜びを満たしてください。」(フィリピ2:2)

 昨年5月、栃木の聖化大会に招かれ、その御用にあたらせていただきました。ですが、主日の午後、聖会が開催されるということから、この大会の幹事役の田中牧師夫妻にお願いして、兼牧しておられる4つの教会のうちの、茂木教会の礼拝に出席させていただき、説教の御用をすることとなりました。新幹線を利用すれば短時間で移動ができるということで、その教会からは結構な距離があるのですが、役員の方が宇都宮駅まで車で出迎えてくださいました。礼拝には新しい方や長く教会を休んでいる方などが誘われ、出席しておりました。誘われておいでになった方々を紹介していただき、ご年配の一人の方とお祈りをしたのですが、そこに生きた主の働きを見せていただきました。その後、役員と奉仕の方数名に外食に誘っていただき、会食しながら、お一人おひとりの救いの証、信仰の証を聴かせていただき、至極の時間を過ごしました。そして、再び役員の方に、宇都宮駅よりさらに遠い、聖化大会開催地の栃木教会まで車に乗せていただき、聖会に臨むことができたのです。

 茂木教会は牧師が常駐しない兼牧の教会ではありますが、もっとも印象的だったのは、牧師と役員をはじめ教会の人たちとしっかりと信頼の関係につながれており、一人ひとりが自ら進んで奉仕をし、生き生きと教会の働きがなされていたことです。月に一度牧師が講壇に立って説教し、群を牧する、他の主日は録音された牧師の説教を聴き、礼拝をささげるということですが、ひたすら主に感謝し、笑顔で教会生活を送られている姿が忘れられません。

 今月の3月22日第四主日に、久しぶりの連合礼拝が行われます。会場は東京聖書学院チャペルとし、ライブ配信によるオンライン礼拝となります。全国のすべての教会がオンラインをとおして集結し、皆さまとお会いしたいと思います。その開催のねらいは上掲の御言葉にあるように、全国の教会が心を合わせ思いを一つにして、主を仰ぎ礼拝することです。「受けるよりは与える方が幸いである」という御言葉がありますが、私たちの信仰は自分のことだけで完結せず、受けた主の祝福を外に向かって分かち与えてゆくものです。一つの教会が主の愛と信頼によってつながれているように、150からなる教会が主にあってひとつにつながれ、特に困難な教会を互いに助け支え合って、祈り励まし合い、新たな宣教と教会形成に努めてまいりたいと思います。
(「りばいばる」視3 月号

 

(「りばいばる」アーカイブ)
 
 

 

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