宣教局

Level1セミナーの内容の中から、より信徒が実践できるものを抽出し、コンパクトにお届けいたします。具体的に以下の2つを学びます。
①コーチング(愛をもって人に接する姿勢)②福音を周りに伝えるための4つのステップ(手順)

Level1を学んだ方々でT&Mを実施している方を対象のセミナーです。親教会から子教会、または外に増え広がるスモールグループの発展的な宣教の広がりを学びます。

T&Mで取り扱われている証しの方法、三つの円を用いた伝道、エバンジェキューブを用いた伝道、訪問伝道、帰納的聖書研究などについての実践的な学びと訓練を致します。どなたでも参加できます。


人はなぜ生まれ、生きでいるのか?
神は言われた。「我々のかたちに、我々の姿に人を造ろう。そして、海の魚、空の鳥、家畜、地のあらゆるもの、地を這うあらゆるものを治めさせよう」(創世記1:26)
人生を生きることは大変です。「人生はつらいことばかりだ、人生は思うようにはいかないことが多い、しかし私は生きている、いったいなぜ生きているのだろうか、少しでも人生を楽しみたい、私にもそのチャンスがあるだろうか」などと考えます。
私たちはいろいろな困難に出会うと「私はなぜ生まれたのだろう、何のために生きているのか」など、と自分の生きているワヶを考えます。しかし、その答えをなかなか見つけ出すことができません。
聖書に目を向けてみましょう。神さまが人間を創造する時の、神さまの思いが書かれています。
人間を創造する前に、神さまはある決意をします。「造ろう!」と決意したのです。私たちは何かを決し行動する時、「さあ、やるぞ!」と自分を鼓舞します。まるで、人間の私たちを創造する時、神さまもやる気十分に思いを込めて創造しようとしたかのようです。最高のものを造ろうとしたのです。その気持ちは、造る人間を愛していたからです。また、造ろうとしている人間に期待していたからです。
私たちは、愛され、期待されて創造され、生まれてきたのです。たとえ親に望まれなくて生まれたとしても、神さまは愛し、期待して私たちを誕生させてくださったのです。そのことを忘れないようにしたい。
そして、人間を創造した目的は、神さまが創造した最高のこの世界を、神さまの願うように「治める」ために人間を創造したのです。私たちは自分の幸せのためではなく、世界に住むすべての生き物が喜んで生きられるように治める使命があります。どんな仕事であっても、どんな生活であっても、それを用いて、この世界を神さまの願う世界に治める使命があるのです。生きている限り、その使命が与えられているのです。すべての人が互いに支えあってそれを行なうのです。その人生はなんと幸いな人生でしょう。

同じ教団に属する喜びと痛み

総務局長 中道善次
今から22年前、日本ホーリネス教団から「開拓指定」をいただき、萩園教会の会堂建築を行い、献堂式を行いました。「開拓指定教会」でしたので、全国の教会から祈っていただき、尊い献金をささげていただきました。
2002年の年会の時です。今は天国に帰られたS先生が私に近づき、親しみを込めて、「先生、献堂おめでとうございます! 祈っていましたよ!」と言ってくださり、祝献堂と記された封筒を手渡してくださいました。
S先生のお名前は、もちろん存じておりました。また、東村山で持たれた年会の早天祈祷会でなされたメッセージを聞いたことがありました。しかし、父親のような年齢の先輩牧師でしたので、個人的にお話したことは、一度もありませんでした。私はとまどいながらも手渡された封筒を受け取りました。先輩のS先生から祈っていただき、お祝いを述べていただき、「なんとありがたいことか」と感激しました。S先生のお姿は、「喜ぶ者と共に喜び」(ローマ12:15)そのものでありました。
同じ教団に属するとは、「喜ぶ者と共に喜ぶ」だけでなく、「泣く者と共に泣く」ことでもあります。パウロは教会をキリストの体に例え、「一つの部分が苦しめば、すべての部分が共に苦しみ、一つの部分が尊ばれれば、すべての部分が共に喜ぶのです」Ⅰコリント一二26)と述べております。日本ホーリネス教団は、英語で表すとJapan Holiness Church(ジャパン・ホーリネス・チャーチ)です。Churches(チャーチーズ)という複数形ではありません。「一つの教会」であります。同じ団体に属する者たちが、喜びと痛みを「自分のこと」として共有することが大切なのです。
病気と戦っておられる牧師がいます。その教会を助ける牧師がいます。定住の牧師が遣わされない教会があります。懸命に兼牧の働きをしている牧師がいます。
私の恩師が、「自分のことで精いっぱいというところを超えて、隣人を思いやることができるように」とよく語っておられました。これは信仰者に向けて語られたメッセージですが、それぞれの教会も、自分に語られたメッセージとして受け止めたいと思います。


三位一体の神と私たち
「神は人を自分のかたちに創造された。神のかたちにこれを創造し、男と女に創造された。」(創世記1:27)
人は神のかたちに創造されたとあります。神は目に見えない永遠のお方ですから、 「かたち」とは外観のことを言っているのではなく、内面のことであって、人に神のご性質に似た性質が付与されたことをさしています。たとえば、人に備わっている創造性、主体性、愛、正義感などがそうです。
その中で、神が私たち人にもっとも授けたいと思った性質は、三位一体の神に現わされている、一体の交わりではないかと思っております。神は三つの独立した位格でありながらひとつとなって交わり、ひとつとなって協働し、天地を創造され、人類の罪の贖いを完成して私たちをお救いになりました。その交わりと協働を何にもまさる喜びであると感じておられる神が、その喜びを私たち
にも味わってほしいと願われて、人と人とが関わりをもって生きるように造られたのではないかと想像するのです。
互いに異なる人格を尊重し、心思いをひとつにして、神から授けられた仕事、使命を果たす。さらに、三位一体の交わりの中に私たちも招き入れられて、神を知り神の御心を知って、ちょうど大きな水滴に小さな水滴が吸い寄せられてひとつとなるように、神の御心と私たちの思いがひとつとせられ、神のみわざに携わるのです。
ひとりで何かを構想しひとりで作り上げてゆく創作には、大きな喜びがあります。しかし、二人三人が一緒に考え、力を合わせて作り上げるならば、喜びは倍加し、それ以上のものとなります。さらに、神に知られ神を知り、神と私たちの心がひとつとされて、神と共に宣教のわざをなし、キリストの身体なる教会を建て上げてゆくことは、何とさいわいなことでしょうか。