神が声をかける
キリスト教では、人が亡くなる時、「天に召される」と言います。AIで調べたところ、次のように書かれています。「召されました」は、おもに神仏によって天国(あの世)へ導かれるという意味で使われることが多い。天に召されるとは、人がなくなることを宗教的・婉曲的に表現した言葉です。特にキリスト教において、神の導きによって天国に迎えられるという意味で用いられます。
「召される」は、丁寧な表現です。英語ではCALL(コール)です。呼ばれるという意味です。
聖書では、三種類のコール(神からの呼びかけ)があります。
第一は、人生を共にしませんかというイエスの呼びかけです。マタイ福音書十一章28節で、イエスは、「すべて重荷を負って苦労している者は、私のもとに来なさい。あなたがたを休ませてあげよう」と言っておられます。
第二は、いかに生きるかという召しです。私は大学受験の時、何のために勉強をするのか、何のために生きるのかがわからず、悩みました。そしてたどり着いた結論は、「神のために生きる」でした。神が与えた使命に生
きることと言えます。
第三の召しは、天におられる方から「こちらに来なさい」と召され、神の御許に帰ることです。私たちは、身近な人が亡くなると、さまざまなことを思います。しかし確かなことは、天におられる方が、こちらに来なさい
と声をかけられたのです。
私たちは、何歳まで生きるかわかりません。しかし神が与えてくださった人生を精一杯生きたいと思います。
余念なく奉仕できるように
「働く者が報酬を受けるのは当然である。」(ルカ10:7)
かつてこんな話を聞いたことがあります。ある牧師が奉仕している教会で、上下半期謝儀を受け取る際、礼拝後に教会員に対して、「ありがとうございます」とお礼を言うようにと役員会から求められたそうです。「そんな馬鹿な話はない」とその先生は抵抗されたのですが、聞き入れてはもらえず、結局、言われたとおりにされたということでした。皆さんはどう思われるでしょうか。
この話を聞いて、私は牧師の子としての子どもの頃の悲しい経験を思い出しました。中学3年生のとき、学校からの帰り道、友人からこのように言われました。「お前んちは、信徒からお金を恵んでもらって生活しているんだろう。物乞いのようなものだな」と。実際には、現代では避けるべき表現、「乞食のようなものだな」という極めて侮蔑的な言葉でした。「献金とはそういうものではない」と反論しましたが、中学生を相手に議論しても無駄でした。牧師の子として嫌だったことはたくさんありますが、これほど悲しく、悔しい思いをしたことはありませんでした。
私の中では、この二つの出来事は根底でつながっています。どちらにも、「牧師は教会員のおかげで生活させてもらっている存在」という見方が潜んでいるように思うからです。もちろん、牧師は謝儀を受け取る際、ごく自然に「ありがとうございます」という言葉を発することがあります。しかし、牧師が謝儀に対して教会員の前でお礼を言うことを正式に求められるとするならば、それは謝儀を施しとして受けるということなのでしょうか。
主イエスは弟子たちを宣教に遣わすにあたり、財布を持たずに出て行くようにと勧めた上で、「働く者が報酬を受けるのは当然である」と言われました。福音の恵みにあずかった者たちが、財をもって宣教者の生活を支えることを当然のこととされたのです。献金は宣教の奉仕者に対する施しなどではなく、主イエスの恵みに対する感謝の応答だからです。私たちのために、命をさえ与えてくださったキリストに対して、牧師も信徒も、共に自らの人生を主に献げます。その献身の現れ方がそれぞれ異なるだけで、そこに優劣はありません。
全国の牧師たちが、教会員の主に対する真実な献身によって支えられ、余念なく奉仕ができるようになることを願ってやみません。
宣教研究委員会報告3
福音宣教における証しの重要性
―人々に届かない非参与型伝道からの脱却―
(発題者/西岡義行牧師)
Ⅰ 発題の概要
1 福音を伝達する2つのアプローチ
(1)宣言型 絶対的普遍的真理として福音を人々に伝える方法(講壇からの説教等)。このアプローチは一方的であるゆえに福音が権威的、威圧的に伝達されてしまう可能性、伝達側のキリスト者の存在から福音が乖かい離りしてしまう可能性がある。
(2)支援型 社会的支援(母子支援、こども食堂、がんカフェ等)によるアプローチ。受け手によって福音が歪められ、一般的道徳(「苦しいときは助け合うのが大事」等)になってしまう可能性がある。また、支援者、被支援者という関係性が生じるため、どうしても被支援者はある種の「負い目」を感じ、本心ではない信仰の決心をさせてしまうことがある。
2 第三のアプローチとしての「証し」の重要性
(1)伝道戦略としての証人
イエスが復活後も残されたのは、聖なる書物でも信条でも神学的体系でもなく、主の十字架と復活によって変えられた、無学なただの人たちの群れであった。聖書の時代から変わらない福音の伝達方法は、福音によって変えられ、生かされている「証人」としてのキリスト者の存在である。
(2)証しにおける3つの力
①問いの力 宣言型アプローチにおいて、福音は絶対的な「答え」として一方的に伝達されるが、証しにおいては、福音は伝える者の人格、その生き方をとおして伝えられる。そして、受け手の心に「なぜ彼らはこのように生きているのだろうか」「彼らに力を与えているイエスとはいったいどのようなお方なのだろうか」という問いを生み出す。②噂の力 受け手の問いは噂となって広がっていく。ここで大事なことは、この噂は受け手自身が発信していくものであって、証しする側(キリスト者)が発信するものではないということ。③弱さを共有する力 自分たちの文化になじんだおいしい飲み物や食べ物を口にしながら、お互いの痛み、悩み、心配、不安、いらだち、怒り、小さな感謝、喜びを共有する交わりの中で、主から語られる御言葉に共に耳を傾ける。それによって互いに変えられていく、生きた証しのうちに福音が浸透していく。
Ⅱ 発題を受けての感想
最後の「弱さを共有する力」が心に残った。主の証し人である私たちが福音によって変えられていくために、「弱さの力」を再発見することの必要性、また自分のうちにある闇や弱さを正直に認めることのできる教会、何を分かち合っても裁かれない心理的、霊的な安全が確保されている教会が形成されていくことの重要性を感じた。
聖書学院入学案内
本科・訓練コース
【出願資格】
(本科)本科入学希望者は、受洗後一年以上経っていること、伝道者としての召命が明確であること、また教会において、献身者としての奉仕経験及び訓練が半年以上あることが求められています。
(訓練コース)訓練コースの受験資格は、18歳以上、受洗後一年以上を経過していること、また主の働き人として仕える思いが明らかであることが求められます。
【入学願書と添付書類】
1、 入学願書 ※
2、 最終学校 成績証明書(本科のみ)
3、 履歴書
4、 入信の証し(1500字程度)
5、 献身の証(本科のみ、1500字程度)
6、 所属教会牧師の推薦状
7、 教会役員会からの推薦状
(訓練コースのみ)
8、 健康診断書 ※
9、 保証書(家族に限る) ※
※入学願書・保証書・健康診断書の用紙は、東京聖書学院事務所に申し込んでください。
【入試日程】
第一回願書締切 2026年11月10日(火)
第一回入学試験 2026年 11月 18日(水)
第二回願書締切 2027年2月24日(水)
第二回入学試験 2027年3月3日(水)
【試験内容】面接・聖書知識・国語
【受験料】 10,000円(当日納入)※訓練コースの2027年9月入学についても相談に応じます。
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