宣教局


Level1セミナーの内容の中から、より信徒が実践できるものを抽出し、コンパクトにお届けいたします。具体的に以下の2つを学びます。
①コーチング(愛をもって人に接する姿勢)②福音を周りに伝えるための4つのステップ(手順)

Level1を学んだ方々でT&Mを実施している方を対象のセミナーです。親教会から子教会、または外に増え広がるスモールグループの発展的な宣教の広がりを学びます。

T&Mで取り扱われている証しの方法、三つの円を用いた伝道、エバンジェキューブを用いた伝道、訪問伝道、帰納的聖書研究などについての実践的な学びと訓練を致します。どなたでも参加できます。


生ける水
祭りの終わりの大事な日に、イエスは立ったまま、大声で言われた。
「渇いている人は誰でも、私のもとに来て飲みなさい。
私を信じる者は、聖書が語ったとおり、
その人の内から生ける水が川となって流れ出るようになる」。
この「生ける水」の言葉の意味は、勢いよく流れ出る水のことです。
ある日曜の朝、教会横の道路の上水道が漏れ、勢いよく水が吹き出て、水道局に通報しましたが、休日ということもあり、なかなか工事の人が来れず、夕方にやっと直りましたが、周辺道路は川のようになっていました。
このとき私は2年前に被災した、阪神・淡路大震災のことを思い出しました。水道が一週間ほど止まり、幸い家には井戸があったのでなんとかなりましたが、普通の家にはありません。皆、給水車に二時間ほど並んで水を手に入れたりしていました。
そんな時、近所の道路の水道管が漏れ、水が溢れ出ました。 水を求める人々が我先にと、容器を持って水を汲んでいました。あの時ほど、水が大切なもので、蛇口をひねればきれいな水が出るというのがどれだけありがたいことかを感じたことはありませんでした。
この聖書の箇所の「祭り」とは、秋にエルサレムで行われる「仮庵の祭り」のことです。乾季が終わる頃、雨を求めて祈ります。日本に住む私たちにはあまりピンとこないかもしれませんが、イスラエルでは約半年間、一滴の雨も降らない乾季があるのです。祭りの期間中は毎日、神殿から祭司がエルサレムの丘を下って、シロアムの池から水を汲み、神を賛美しながら神殿に運び上げ、祭壇の所にある容器に水を注ぐのでした。
「渇いている人」とは誰のことでしょうか。それは魂が渇いている人です。自分の罪を自覚し、その罪の赦しを求め、いやしを求めて、平安を切に願う人のことです。その人が私に来て飲みなさいと言われるイエスさまを信じるとき、真の平安が、潤いが与えられるのです。それは、谷底深く汲みに行かなければならないような水ではなく、信じるだけで与えられる、勢いよく溢れ出る水なのです。

互いに重荷を担いなさい
奉仕局長となって半年が過ぎました。奉仕局と聞いて最初にイメージしたことは、イエスさまが弟子たちの足を洗う姿であり、「仕える者になりなさい」(マルコ10:43~45)の御言葉でした。その後、奉仕局員、事務の方、各委員会の委員のみなさまに支えられて務めてきましたが、その中であらためて思うことは、教団に属するすべての教職者、教会員が奉仕局の局員であり、奉仕局は、すべての方が互いに重荷を担い合っていただくことによってのみ成り立っているということです。奉仕局は、単に、そのための環境を提供しているに過ぎないのではないかと感じています。
現在、奉仕局で検討していますことの一部を紹介させていただきます。
奉仕局では、厚生基金、退職基金を運用し、牧師の退職金、隠退後の謝恩金(年金)をすべての牧師に公平になるように支給しています。これらはそれぞれ、各教会から納付いただく厚生費と退職積立金が主財源となります。各教会には大きな負担をお願いしていますが、それによって十分ではないにしても、牧師の隠退後の支えとなっています。また、この厚生基金は、医療費負担など、現役牧師への様々な援助費にも充てられています。厚生基金の枯渇の問題から、現在、一部の援助費が停止されています。何とか財源を確保し、段階的にでも援助費の支給を再開すべく検討を進めています。また、牧師が心身とも健康でご奉仕が続けられるように、年一回の健康診断とストレスチェックの実施を奉仕局としてもフォローしていきたいと考えています。
重荷を担い合う形としては、精神的なサポート、献げること、祈り合うこと等、いろいろな形があると思いますが、何らかの形で、お互いのために重荷を担い合っていただけることを願っています。


この一冊の聖書があるかぎり
1985年3月、私は東京聖書学院を卒業し、妻と共に千葉県成田市での開拓伝道に派遣されました。同年4月3日の夜、仮集会所で行われた祈祷会が、成田開拓のスタートでした。成田市玉造二丁目の仮集会所に案内され、「ご自身の手で開けてください」と言われて鍵を渡され、玄関のドアを開けたのですが、その時の解錠の音と手の感触を今も鮮明に覚えています。その日は受難週であったので、主任牧師の河野先生をお迎えし、聖餐式が厳かに行われました。
開拓伝道は主任牧師の河野先生がおられ、2つのクリスチャンホームと私たち夫婦によって始められましたが、忘れてはならない、もう一夫婦の協力者がありました。OMS宣教師のフランシス・デイヴィス先生と奥さまのマーサ先生です。1980年にデイヴィス宣教師夫妻によって英会話教室が始められ、すでに伝道の火ぶたは切られておりました。その英会話伝道で二人の人が救われ、市内の他教会で洗礼を受けましたが、「成田にホーリネス教会を」という熱い祈りが起こされ、1985年に教団の開拓指定を受け、伝道が始められたのです。
デイヴィス先生がよく言われたのが、「ユーアー キャプテン、アイアム ソルジャー」でした。同夫妻は四国、名古屋などで宣教師の働きをされ、成田が最後の働きでした。英会話教室をとおして伝道の最前線でひたすら働かれ、一年後の帰国の際には、英会話教室のために貯蓄して来られたものを、「これから建てられる会堂のために」と言って献げてくださいました。
デイヴィス先生が初めて来日したのは終戦直後、進駐軍としてでした。その時、焼け野原だった日本の惨状を見て、涙ながらに日本人のために働きたいという志が与えられ、帰国後、神学校で学び、奥さまを連れて宣教師として再び来日されたのです。
当時は、貨物船による渡航でした。家財道具を車に積み、港に着いたその時、突然車が炎上したのだそうです。ところが、マーサ先生が激しく燃えさかる車に走り寄り―それに気づいた夫が止めようとしたが間に合わず―、火の中に手を入れました。彼女の手にあったのは一冊の聖書でした。一瞬にして家財道具のいっさいを失ってしまいましたが、その時、マーサ先生が、「この聖書があるかぎり、私たちは大丈夫です」と言われたのだそうです。
故国を離れ、いっさいをささげて日本に来てくださったこうした宣教師夫妻の祈りと宣教の働きがあって、今日の私たちがあります。そして、この聖書の御言葉があるかぎり、どんな厳しい時代にあっても私たちは大丈夫なのです。

