私たちの教団のホームページにようこそ!

教団委員長 佐藤義則

 

 ホームページをご覧くださり、ありがとうございます。
 「ホーリネス」(Holiness)という名称は、神の聖さのことを表わしますが、私たちの教会は、神がその聖さを授けてくださるという恵みを信じ、これに生き、これを証してゆくことを使命としています。

「すべて重荷を負って苦労している者は、私のもとに来なさい。あなたがたを休ませてあげよう。」(マタイによる福音書11章28節)
 
 人はだれでも、重荷を背負って日々を歩んでいますが、しばしば疲れ果てて負いきれなくなってしまうことがあります。そのような私たちを、キリストは招いておられるのです。この方の前にいっさいの重荷をとり降ろすなら、真の休息と平安を与えてくださるのです。日曜日は教会へ。是非、キリスト教会をお訪ねしてみてください(教会については、「全国教会所在地」をご参照ください)。

 主イエス・キリストの父なる神が、あなたを豊かに祝福してくださいますように。

【年間標語】聖霊に導かれ、聖霊と共に生きる
【年間聖句】「私は父にお願いしよう。父はもうひとりの弁護者を遣わして、 永遠にあなたがたと一緒にいるようにしてくださる。」(ヨハネによる福音書14章16節)


 
 
 
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奉仕局



 

 

第106回教団合同記念会・納骨式
日時:日(土)           午後2時から
場所:八王子高尾 東京霊園
教団墓地・礼拝堂
連絡先:南つくば教会 工藤 章洋

次世代育成
プロジェクト



 

宣教局


 

T&Mホームページ


【T&Mセミナーの予定】
5月開講予定
教会増殖と呼ばれる教会形成のイロハを学びます。祈り、伝道、育成、教会形成の段階を経た主の弟子訓練の学びで、キリストの教会のあり方を学びます。

1月17日(水)〜3月27日(水)
午前10:00-11:30 全11セッション

 Level1セミナーの内容の中から、より信徒が実践できるものを抽出し、コンパクトにお届けいたします。具体的に以下の2つを学びます。
①コーチング(愛をもって人に接する姿勢)②福音を周りに伝えるための4つのステップ(手順)

開講中

Level1を学んだ方々でT&Mを実施している方を対象のセミナーです。親教会から子教会、または外に増え広がるスモールグループの発展的な宣教の広がりを学びます。

次回5月開講予定

T&Mで取り扱われている証しの方法、三つの円を用いた伝道、エバンジェキューブを用いた伝道、訪問伝道、帰納的聖書研究などについての実践的な学びと訓練を致します。どなたでも参加できます。

次回5月開催予定

次回5月開講予定
T&Mの訓練は、主にコーチング的なアプローチでの訓練になります。教えるのではなく、訓練を受ける人の神様から与えられている可能性を引き出す働きになります。
その他グループコーチング、個別コーチング、国内外の教会増殖に関係する特別講演などを行っています。

教育局


説教勉強会

   

CS研究会、CSネットワーク

 

視聴覚

聖会の説教などのCD、DVD販売の注文

聖書の光

胎児から成人までの一貫した教案誌(ワーク付)個人の学び家庭集会にも最適

四コマ紙芝居が新しくなりました。

聖書の光の注文

 
 
 

奥琵琶湖キャンプ場


琵琶湖のほとりにあるキャンプ場

 
(2017年6月15日)
(2017年4月13日)
平和の祈り
(ページ内よりダウンロードできます)
 
 

主イエスを深く愛して

 
 安息日が終わると、マグダラのマリア。ヤコブの母マリア、サロメは、イエスに油を塗りに行くために香料を買った。そして、週の初めの日、朝ごく早く、日の出とともに墓に行った。(マルコ16:1~2)
 
 イースターの朝、イエスさまに付き従ってきた女たちは、香料を持って墓に向かいました。彼女たちは前々日、ゴルゴタでイエスさまの十字架の死を、最後まで見続けました。
 
 なぜ彼女たちは、気が遠くなるような残酷な場面を見続けることができたのでしょう。
 それは、彼女たちが『主を深く愛したから』ではないでしょうか。では、なぜ彼女たちは主を深く愛したのでしょう。『多くの罪を赦された者は、多く愛する』、これは、イエスさまのお言葉です。主を深く愛した彼女たちは行動的です。安息日が終わるやいなや、早朝、墓に向かったのですが、墓の入り口の石をどのようにして取り除けられるかについての見通しはありません。軽率と言えば、その通りなのですが、しかし彼女たちは、一刻も早くイエスさまの亡骸に、香油を塗りたいと考えたのです。
 
 そんな彼女たちが見たものは、入り口の石が取り除けられた空の墓でした。恐れる女たちに、御使いがイエスさまの復活を告げました。最初に復活の事実を知らされたのは、弟子たちではなく、十字架のもとにとどまり続けた女たちでした。復活の福音は、女たちから、恐れと悲嘆にくれる弟子たちに伝えられたのです。
 
 また、復活のイエスさまが最初にご自身を現されたのは、ペトロでもヨハネでもなく、悲惨な過去から救われたマグダラのマリアでした。多く赦されたマリアは、イエスさまを深く愛しました。イエスさまなしでは生きられないマリアに、復活のイエスさまは、まず会ってくださったのです。そして主は、私にも出会ってくださり、多く赦してくださいました。主に愛され、主を愛する者としていただき、圧倒的な福音の恵みに生かされています。
(「きぼう」3月号)

     

 (「きぼう」アーカイブ) 
 

新しい出発をされるあなたに

 

東京聖書学院長 錦織 寛

 「さあ行け。私はあなたを……遣わす。……私はあなたと共にいる。これが、私があなたを遣わすしるしである。」(出エジプト記3章10、12節)


 3月。それぞれの学びを終えて、卒業される皆さん、おめでとうございます。春を迎えるこの時、卒業・入学、就職、引越など、人生の大きな岐路を迎えておられる方々も多いことでしょう。これから始まろうとしている新しい生活に夢を見ながらワクワクしたり、大きな期待に胸をふくらませたりしておられる方々も多くおられるはずです。
 
 しかし同時に、未知・未経験の世界に入っていくことに不安や恐れを抱くこともあるのだろうと思います。また、自分が思いもしなかったような状況の中に置かれ、生活の変化を強いられている方もおられることでしょう。居心地の良かったところ、慣れ親しんだ場所や人から離れていくということは、ある意味、勇気や覚悟がいることでもあります。

 けれども確かなことがあります。あなたをそこに遣わされるのは神さまです。そして、神さまはあなたのために、すばらしい時を、場所を、人を備えてくださっています。神さまはあなたを良い地に導き入れようとしておられ、そのために必要なすべてのことは備えてくださっているからです。足がすくむような思いがすることもあるでしょう。でもあなたを遣わすとおっしゃる主に信頼して、一歩を踏み出したいと思います。
 
 そして、何よりも、そこには神さまがおられます。神さまはあなたと共に行きたいと願っておられます。楽なことばかりではないかもしれません。もしかしたら、困難や試練の中を通ることもあるでしょう。しかし、そのような時にも、あなたはそこで、神さまがどんなにすばらしいお方であり、力あるお方であるかを経験するのです。神さまはあなたのためにすばらしことをしようと、あなた以上にワクワクしながらあなたを招いておられます。
 
 おめでとう。「私」とおっしゃる神がおられます。「私」と語られ、「あなた」と呼びかけてくださる主があなたと共にいてくださるからです。
 
(「りばいばる」3月号)

  

「りばいばる」アーカイブ

祈りは愛を育む

「御子は私たちのために命を捨ててくださいました。それによって、私たちは愛を知りました。だから、私たちもきょうだいのために命を捨てるべきです。」(ヨハネの手紙13:16)

 私の信仰生涯をふり返ってつくづく思うことは、祈りとは信仰を生み出し、信仰を育てるものであるということです。私が初めて教会に行ったのは、中学に入学して間もない頃のことでした。当時、教会には親切で思いやりのある、魅力的なクリスチャン中高生が少なからずいました。私もあの人たちのようになりたいと思いながら、教会に通っていましたが、信ずるには至りませんでした。そういう私を見かねて、牧師は「信じられるように祈りなさい」と勧めてくれたのです。そう言われて素直に祈り続け、本当に信じられる時が訪れたのです。聖霊によって先ず自分の罪に気づかされ、わが家に起こった出来事をとおし、神が生きておられることを知ったのです。それは長年教会を離れていた父の回心でした。父の変わりようを見て、神は生きておられる、キリストは人を救い得る神であることが信じられたのです。

 上掲の御言葉には、十字架の上に現わされたキリストの愛を知ったならば、隣人のために命を捨てるべきことが述べられています。人は誰一人例外なく、自分さえよければいいという罪が心の内に深く根ざしているのであって、自らを顧みず、自分の命を差し出すようにして人を愛するなどできるはずがありません。しかし、この十字架の愛を自分のこととして受けとめるなら、神の愛が私たちの心の内に確かに芽生え、さらには、祈りの中で、その愛が育まれてゆくことをこれまで体験的に学ばされてきました。
 
 私の信徒時代のことです。教会を長く離れていて、久しぶりに教会に帰ってきたものの、神の愛に全くふり向こうともしない人がいました。彼の心の虚しさに触れ、その人のために祈るようになりました。祈りつづけてゆく中で、彼が変えられたのではなく、私自身が変えられて行きました。私がなく、ただひたすらその人のために祈るという境地に至って、祈れる喜びを味わい知ったのです。そのような経験に導かれて、その人の心に神の愛が届いたのです。それからというもの、彼は聖書講解書を買い集め、熱心に聖書を学ぶようになりました。そして、私が東京聖書学院に入る時には、きっと役立つだろうからと言って、入学の祝いに彼の蔵書の中から、バックストンの『ヨハネ伝講解書』などの貴重な本を頂いたのです。祈りは、おおよそ自分のことしか考えられない私の心に、神の純正な愛を育んでくれたのです。
 
(「りばいばる」視3 月号

 

(「りばいばる」アーカイブ)
 
 

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