教育局
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今度の日曜日(2・23)のワークA(p。69) にミスがありました。
本当に申し訳ありません。
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説教勉強会

私は望む。清くなれ。
イエスが手を差し伸べてその人に触れ、「私は望む。清くなれ」と言われると、たちまち規定の病は清められた。(マタイ8:3)
私が高校生になった時、教会に高校生は私一人でした。友だちがいない中、教会に行き続けられたのは、笑顔で「今日も来てくれたのね。おばちゃん、うれしいわ」と毎週、迎え続けてくれた婦人の言葉が励みになっていたからです。
「私は望む。清くなれ」とは主イエスの言葉ですが、規定の病を思った人への言葉がけでした。規定の病とは主に皮膚病です。病気が発覚すると祭司に見せ、「汚れている」と言い渡される辛い方気でした。感染を抑えるために、町から出て寂しいところで生活しなければなりませんでした。
当然、仕事もできません。人から隔離され、社会から隔離され、礼拝からも隔離されました。追い打ちをかけたのは、「汚れた人に触れた人は汚れる。そして罪貴あるものとなる」という教えでした。
この教えは、仲間たちに、絶対触りたくない、と思わせるものでした。自分の価値がまったく無くなってしまったようで、心が折れる出来事だったと思われます。
そんな時、彼は、イエスに出会い、「主よ、お望みならば、私を清くすることがおできになります」と願いました。彼は自分を見失い、自分のことを願うことすらできない、マイナス思考に陥っていたのかもしれません。でも、この言葉に主イエスは、「私は望む。清くなれ」と応えてくださいました。言葉だけでいやすことができる主イエスが、汚れることをいとわず手を差し伸べ、彼に触れて、彼を清くされました。主イエスは彼と一つとなってくださつたのです。
自分自身で望むことすらできない日がくるかもしれません。けれど、誰か一人でも期待して待ってくれる人がいれば、慰めになります。いつか立ち上がることができます。私にとってあなたは大切な存在だと、主イエスはずっと望んでいてくださいます。

「主との交わりに生きる」
「私たちの交わりとは、御父と御子イエス・キリストとの交わりです。」(ヨハネの手紙一1章3節)

東京聖書学院長 錦織 寛
新年度が始まります。新入生たちが入って来ます。進級する者たちも気持ちを新しくして、新年度を始めようとしています。一人ひとりにとって、きっとまたかけがえのない一年になることでしょう。
東京聖書学院では多くのことを学びます。もちろん、聖書を学びます。聖書をどのように読み、語るかを学びます。また人とどのように向き合い、またどのように教会に仕えていくのかを学びます。ただ同時に、このところで、主との親しい交わりに生きることをしっかりと学んでほしいと思います。それは単に頭の中だけの学びではなく、御言葉を土台とした主との交わりの積み重ねでもあります。
この2月に、私は沖縄にいました。沖縄ケズイックでアメリカ人講師の先生の通訳にあたるためです。ある集会の後、一人の女性が先生に近づいてきました。彼女は導きを求めていました。自分がこれから先どのように進んだらよいのか確信がもてなかったのです。神の御旨が分からない……それが彼女の苦しみでした。
その時、その講師の先生は彼女に次のように答えました。「あなたは主の導き、主の御旨を一生懸命求めているのですよね。でも主の御旨を求めるよりも、主ご自身を求めなさい。あなたと主との交わりが深くなればなるほど、
神さまの御思いが分かるようになるはずだから」。横でそのことを聞きながら、その通りだなあとうなずいていました。
主の御心を求めるのは大切なことです。主に従いたいと願い、御心を求める人を主は喜んでくださるでしょう。しかし、主の御旨、その御業を求める中で、主ご自身を求めることがないとしたら、主はどんなに悲しまれることでしょう。私たちは新しい年度、主を求めたいと思います。また共に主に仕える交わりを楽しみたいと思います。東京聖書学院が主との親しい交わりに生きる主の器を育てることができるようにお祈りください。


「宣教研究委員会」、この一年をふり返って
昨年4月から4回にわたって開催された「宣教研究委員会」の活動を報告いたします。初回はメンバーの顔合わせとオリエンテーションが行われました。会の目的・主旨、取り組みの内容について説明がなされ、初年は学ぶことに主眼を置きました。ただ同委員会が学ぶだけで終わらず、実践に結びつけられるように、宣教局の新谷聡一郎主事に加わっていただきました。
第2回目(昨年7月)は、私たちの教団の実情を知るために、教団の創立期(1949年)から現在に至るまでの教勢・財政のデータ分析を、歴史編纂委員だった山田智朗牧師に発題していただきました。教勢は1990年代をピークに緩やかに下降し、少子高齢化、殊にコロナによって下降はさらに加速し、牧師の隠退者数に新加入者が追いつかず、教会は兼牧、合併、閉鎖を余儀なくされてきました。
この現状を踏まえて、第3回目(昨年10月)は、超教派団体と関わりの深い松島信人牧師に、他教派他教団との宣教協力による打開の道をさぐっていただきました。その可能性として、同じホーリネス信仰に立つ、10団体から成る日本福音連盟(JEF)との交わりを中心に、宣教協力を進めていくことが良いのではないかということでした。特に東京聖書学院の卒業生や現委託生がJEF加盟団体に多く、宣教協力の大きなアドバンテージとなっています。
第4回目(2月)は、昨年9月にソウルで開催されたローザンヌ会議に出席し、学院で宣教学の教鞭をとっている西岡義行牧師に発題していただきました。この発題で私自身教えられたことは、わが身になされた神の救いのみわざ、その体験を語ることが、どんなにか人の心に響くものであるかということです。また、課題図書『キリスト教とローマ帝国』(ロドニー・スターク著)をとおし、初代教会時代のキリスト者の凄まじいばかりの証、生きざまに心奪われました。当時、世界最強のローマ軍も太刀打ちできなかった敵は疫病でした。一旦感染者が起これば、家族であっても見捨てたのです。ところが、キリスト者は死を恐れることなく罹患者の介抱に努め、友のいやしと快復のために自分の命をも顧みなかったのです。その信仰を見て、人々は彼らの神は真の神、救い主であることを認めたのです。彼らをそのように強くしたのは、揺るがぬ復活の信仰でした。殉教者もそうでした。人々は「こんな宗教を信じたら、身の破滅だ」とは思わず、彼らの信仰の中に生きた神を見たのです。私自身も、彼らのような揺るがぬ復活の信仰に立ち、キリストを証してゆきたいと思います。
山口 光 師
全5回/土曜日 午前10:30~12:00 オンライン配信(Zoom)
5回にわたる「一回完結型」の旧約聖書の話です。話の内容は、ヘブライ大学で学んだ中から、当学院の過去のコース内容と重ならないようにして選びました。聖書のナラティブ(物語)を、ヘブライ語から考察しながら味わいます。
① 4月26日 モーセの人となりとその生涯
② 5月10日 エズラ・ネヘミヤ時代から考察する共同体の形成
③ 6月7日 ヨブ記の全体像
④ 6月14日 ルツ記で考える「主のあがない」
⑤ 7月5日 ヘブライ語で考える「共同体」の姿
お支払いは、受講終了後にご案内します。
1回90分
1,200円:信徒コース登録済みの方
1,500円:それ以外の方
[申込方法]QR コードからお申込みください。学院事務所所からの返信をもって、申込完了となります。それぞれの授業の3日前を締め切りといたします。

東宣社

「私は確信しています。死も命も、天使も支配者も、現在のものも将来のものも、力あるものも、高いものも深いものも、他のどんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から私たちを引き離すことはできないのです」ペトロの手紙Ⅱ3:18

黙想あり漫画あり豆知識あり、その他もろもろありの366日分の聖書日課です。4月始まり400ページです。青年・初心者の方にも最適!

毎朝立ち寄るカフェのように、毎朝、心に寄り添える本であれば幸いです。オシャレなカフェには、ステキな小物やおいしいメニューがあるように、青年たちを励まし、主イエスに導く黙想が満載です。30名の青年牧師が書き下ろした渾身の聖書日課です!
E-mail:tosensha55@yahoo.co.jp