
これが道だ
これは今からおよそ2700年前に、神さまが預言者イザヤによってお語りになった御言葉です。やがておいでくださる救い主イエスさまが、道を教えてくださるお方と。
妻と私の朝の散歩。運動不足解消のために朝6時過ぎから30~40分。初めは大通りを歩いていましたが、飽きてきて細い路地も歩きます。
すると発見!「こんな所にアパートがたくさんあるんだ!」とか、「こんな抜け道知らなかった!」という時も。突然犬にほえられて、飛びのいたり..
ある朝、顔見知りの人に出会いました。「おはようございます。お久しぶり」と挨拶。そして細くて初めての道に入って行きました。すると後ろから声。「そっちは、行き止まりだよ」と。振り返るとさっきの人が心配そうに、私たちを見ていてくださいます。「ありがとうございます」と、苦笑して引き返し、広い路地に向かいます。そして後ろを振り向くと、その人の姿はもうありません。こんな優しい方々が見ていてくださる道。
また台風が通り過ぎた朝。しばらく散歩に出かけていなかったので、「ひさしぶりだ!」と、雲が切れた空の下に出かけました。五分も歩けば川土手。「わあっ。すごい水。橋の下までもう少しだよ」と妻が目の見えない私に実況中継。「カモさんたちがいる川岸の草むらも水の中だよ。カモさんたち、大丈夫かなあ」「羽があるから、どこかに避難したカモね」「わあ、あっちの側溝あふれてる」「じゃあ別の道に行こう」と大通りに向かいます。ななんと。大型トラックがザブンザブンと水を巻き上げて走る音。「すっごい!水しぶきが背の高さを超えてる!」「もっ、もう帰ろう」と一直線に帰宅。テレビのスイッチを入れると「川の水を見に行くのはやめてください」と。
ところでみなさんは、どんな道を歩いておられますか。散歩道ではなく…。

「居場所があることの平安
~新たな宣教について考える」
私は自分の死期を知ったときも、冷静でいられるだろうかと自問自答することがよくあります。正直、答えは出ません。ただ、天には私たちのための場所が、すでに備えられているというお約束は大きな安心になります。天において居場所が用意されていることに平安を覚えると同様に、人はこの世においても居場所を求めているのだと思います。その場合の居場所とは、単なる物理的な場所ではなく、精神的な安らぎや所属感を感じられる場所、自分らしくいられる場所といった、精神的な居場所を指すことが一般的でしょう。
私の所属教会では、数年前から多くの若い人たちが集っています。日曜日の礼拝後には、いつもボードゲームなどを楽しんでいました。そのような中に修養生が遣わされることになり、どうなることかと少し不安を覚えつつ見守っていました。最初は多少の戸惑いもあったようですが、ある日その修養生が言いました。「ここが居場所になっているのですね」と。補足ですが、コロナ下にあっても毎月の例会を持ち続け、学びと交わりを続けていたのも、そのような青年たちでした。また、今年になって、子ども食堂を始めました。まだ子どもたちはあまり集まっていませんが、単に食事を届けるということだけでなく、その場が子どもたちの居場所になってほしいとも願っています。また、最近は、一人暮らしの高齢者も増えているように思います。教会がそのような方々の居場所(溜まり場)になれたらよいと思います。
教会が様々な人にとって、その居場所、心落ち着く安心して過ごせる場所になってほしいと思います。そして、そのようにして教会を訪れた人たちが、私たちの本当の居場所であるイエスさまに出会うことを心から願います。


本物の神の愛
信徒時代のことですが、勤め先の上司から「教会に連れて行ってほしい」と言われ、仕事を終えた後、木曜日の祈祷会でしたが、教会に連れて行ったことがありました。もちろん、クリスチャンではありません。「どうして教会に行きたいと思ったのか」、あらかじめその理由を話してくれました。
上司のKさんは、ぼんやり考え事をしながら車を運転をしていた時に、前の車に衝突したというのです。前の車の運転者がすぐに降りてきて、事故の確認をしたそうです。その人は全く感情的にならずに冷静に状況を説明し、Kさんの過失を指摘したそうです。その指摘のとおりだったので、Kさんは自分の過失を全面的に認めて警察を呼び、保険による賠償責任を果たしたそうですが、相手方が実に沈着冷静に爽やかに対応してくれたことに、Kさんはいたく感心して、「どうしてそんなに冷静でいられるのですか?」と尋ねたそうです。その時、彼がクリスチャンであるということを知ったというのです。
「私が出会ったクリスチャンはただ優しく、何でもゆるしてくれる人ではなかった。正しいことは正しいと、間違っていることは間違っていると、はっきりと、しかも冷静に言うことのできる人だった。そのようなクリスチャンと言われる人たちが、いったい何を信じているのか知りたいと思ったのだ」と。
その話を聞いて、彼が出会ったクリスチャンからすれば、私はほど遠い存在だと思いました。私はただ優しいだけで、善悪を峻別してはっきりものを言うということが苦手な、優柔不断な者であったからです。
クリスチャンは他人をさばかず、赦すべきことが言われます。主は、7を70倍するまで赦しなさいと言われました。無言の赦しというものもありますが、通常赦しとは、非を指摘して成立するものではないでしょ
うか。しばしばクリスチャンの間で、非を指摘された時に、「さばいている」と訴える人がありますが、指摘されて事実無根であればそう証言すればよいのであって、非があれば潔く謝罪するのです。それを指摘し
た人が受けとめて初めて赦しが生じ、二人はこれまで以上に主によって深く結ばれるのです。
主イエス・キリストは、私たちの罪を負い十字架にかかられました。神は罪をうやむやにされず、御子イエスにそのいっさいを負わせられたのです。神の愛は義に裏打ちされた愛です。もう一度、その上司に会うことが許されたら、「事故に遭遇し、あなたはクリスチャンと出会い、本物の神の愛に触れたのだ」と伝えたいと思うのです。

北海道聖会 10/12(日)~13(月・祝)
[会場] 芽室近郊
[講師] 佐藤義則牧師
東北教区 クリスチャン・ミーティング
10/12(日)~13(月・祝)
[会場]プラザイン水沢
[講師]大嶋重徳牧師( 鳩ケ谷福音自由教会)
武毛聖会 10/13(月・祝)
[会場] 栃木県立みかも自然の家
(You Tube配信あり)
[講師] 宮川浩二牧師
(東京フリー・メソジスト教団小金井教会)
信越教区聖会 9/15(月・祝)
[会場]松本キリスト教会
[講師]佐藤信人牧師
千葉聖会 9/15(月・祝)
[会場]千葉栄光教会
[講師]大前信夫牧師
四国教区秋季聖会 9/15(月・祝)
[会場] 松山桑原教会&オンライン
[講師] 松沢力男師
九州教区聖会 9/14(日)~15(月・祝)
[会場]熊本植木キリスト教会(Zoom配信あり)
[講師]佐藤義則牧師
東宣社

「私は確信しています。死も命も、天使も支配者も、現在のものも将来のものも、力あるものも、高いものも深いものも、他のどんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から私たちを引き離すことはできないのです」ペトロの手紙Ⅱ3:18

黙想あり漫画あり豆知識あり、その他もろもろありの366日分の聖書日課です。4月始まり400ページです。青年・初心者の方にも最適!

毎朝立ち寄るカフェのように、毎朝、心に寄り添える本であれば幸いです。オシャレなカフェには、ステキな小物やおいしいメニューがあるように、青年たちを励まし、主イエスに導く黙想が満載です。30名の青年牧師が書き下ろした渾身の聖書日課です!
E-mail:tosensha55@yahoo.co.jp