胎児から成人までの一貫した教案誌 個人的な学び・家庭集会にも最適

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 このコーナーは聖書の光の子どもデボーション (子どもだけでなくてもいいのですけれど…)のページをそのまま載せてあります。自由にコピーしてフリガナをつけたり、文字の大きさを変えたり、言い方を変えたり、 みなさんのクラスの子どもたちに合わせてアレンジして使ってください。
 

 エリヤは力のある偉大な預言者でした。みんなが頼りにしていました。でもエリヤはいなくなってしまうのです。みんな心細く感じます。でも一番心細く、離れたくないと思っていたのはエリシャでした。

9月29日(日)列王下二1〜3

 エリヤの人生最後の日がやってきました。エリヤは神さまに遣わされて、ベテルへ向かいました。預言者の仲間たちにお別れを言うためです。エリシャは最後まで学べるものを受け取りたいとエリヤから離れませんでした。自分の先生がいなくなってしまうことをエリシャも受け止める時間が必要でした。

9月30日(月)列王下二4〜5

 エリヤがベテルに遣わされると、エリシャはやはりついていきました。エリシャにとっては、先生の後を継ぐものとして、最後の最後まで一緒にいたかったのです。そして、エリヤのように神さまの力をいただきたかったのです。

10月1日(火)列王下二6〜8

 ヨルダン川を二人が渡るために、エリヤは自分のコートを丸めて、川の水を打ちました。水が左右に分かれてかわいた道ができました。昔、イスラエルがモーセによって海を渡った時、またヨシュアに導かれてヨルダン川を渡った時、神様が同じようにして水を左右に分かれさせて渡ることができました。エリヤもモーセやヨシュアのように、イスラエルを導くリーダーでした。そしてこれからはエリシャがそれを引き継いでいくのです。

10月2日(水)列王下二9〜10

 エリシャがお願いした「2倍の霊」は、確かにエリヤの後継ぎとしての力を受け取りたいというお願いでした。でもこれは神さまから与えていただくものです。「あなたが私の取り去られるのを見るならそのようになる。」とエリヤはエリシャを励ましました。エリシャがエリヤを離れなければ見ることのできる恵みでした。

10月3日(木)列王下二11〜12

 火の戦車と火の馬が二人の間をさき、あっという間にエリヤはつむじ風の中を天にのぼっていきました。エリヤが連れ去られることは神さまが決めたことだとわかっていましたが、イスラエルの最強のリーダーがいなくなってしまいエリシャは悲しみました。しかし確かにエリシャはエリヤの最後を見届けました。

10月4日(金)列王下二13〜14

 偉大なエリヤの後を継ぐことは大変なことです。でもエリヤの残したコートでエリシャも川の水を分けて渡りました。確かにエリヤの力を受け継いでいました。

10月5日(土)列王下二19〜21

 エリヤがいなくなっても、今度はエリシャがしっかりと神さまの言葉を伝えます。彼がイスラエルを導くための偉大な力を受け継いでいることが、見る人みんなにわかりました。

 私たちがピンチの時、本当に頼れるのは神さまです。

10月6日(日)列王下五1

 アラムはイスラエルにとって敵の国です。しょっちゅう戦っては負けることのある相手でした。その国の将軍ナアマンが、アラムの軍隊を勝たせる力のあるリーダーだったからです。でも彼はだれにも治せない病気にかかっていました。私たちには、たとえ戦いに強くても頭が良くても、自分の手に負えないことがあるものです。

10月7日(月)列王下五2〜4

 イスラエルの少女は、戦争で負けてアラムに連れられて来て、ナアマンの家で働いていました。でもナアマンを恨んではいなかったようです。ナアマンの病気が治ってほしいと思い、サマリアに治すことのできる預言者がいると伝える優しい心を持っていました。彼女はイスラエルの神さまが預言者を通してナアマンの病気を治せると信じていました。

10月8日(火)列王下五5〜8

 少女と違い、イスラエルの王は、アラム王の手紙を読んでも、本当に頼れるお方がわかりませんでした。そこでエリシャは王に言いました。「その人を私のところによこしてください。そうすれば本当の神さまはイスラエルの神さまだとわかるでしょう。」敵もイスラエルの王も、エリシャによって本当に力のある神さまを知ることになるのです。

10月9日(水)列王下五9〜14

 エリシャはただヨルダン川に入って7回体を洗うようにいいました。でも最初ナアマンは気に入りませでした。エリシャが彼の期待したようには一つもしなかったからです。あやうく怒って帰ってしまうところでした。簡単なことでもやりたくないことだと、従おうとしない頑固な私たちのようです。神さま、どうぞ私たちが自分の都合や思っていたことと違うからと、あなたに従うことをやめてしまうことがありませんように。

10月10日(木)列王下五15〜19

 ナアマンは、病気を治してもらえて、イスラエルの神さまこそ本当の神さまだと知り、神さまを信じました。もうまことの神さま以外を拝まないと決めて帰って行きました。エリシャはお礼の品物を受け取りませんでした。神さまがナアマンを治したことなので、自分の手柄にしませんでした。

10月11日(金)列王下五20〜23

 ゲハジはお礼の品物を少しぐらい自分がもらってもいいだろうと思いました。ゲハジにはエリシャがなぜもらわないのか、わからなかったのです。神さま、自分の欲に負けて、神さまをないがしろにしないよう助けてください。

10月12日(土)列王下五24〜27

 神さま、あなたの前に私たちは何も隠せません。どうぞ隠そうとしていることに気づいたら、悔い改めることができますように。

 神さまの愛を人に伝えることは勇気がいるし、信じるようになるのも簡単ではありません。でも伝える人がいなければ、神さまのことを知ってもらえないのです。

10月13日(日)イザヤ六1

 イザヤは神さまの幻を見ました。神さまがイザヤに、天の玉座に座る神さまを見える形で見させてくださったのです。神殿は神さまの衣の裾だけでいっぱいで、人が造ったものに神さまは入りきれませんでした。イザヤは、国の王にだれがなっても、本当の王は天におられる神さまなんだと思いました。

10月14日(月)イザヤ六2〜4

 神さまのそばで神さまの働きをするセラフィムは6つの翼を持つ天使です。彼らは、「聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな」と神さまのことを呼んでいました。その声だけで神殿が揺れ動き、神さまに仕える天使の力と、神さまの聖さにイザヤは圧倒されました。

10月15日(火)イザヤ六5

 イザヤは大きなショックを受けました。自分は神さまの聖さと正反対で、人に見せられないような思いを持つ罪深い人間だと気づきました。人々に「あなたがたは悪い」と神さまの言葉を伝えられる自分ではありませんでした。自分こそ滅ぼされても仕方のない人間だと思いました。

10月16日(水)イザヤ六6〜7

 「私はもうだめだ。ゆるしてもらえないような人間だ」というイザヤの言葉を神さまは聞いておられました。すると天使がやってきてイザヤの唇に祭壇から取った炭火を触れさせました。そして「あなたの罪がゆるされ、きよくされた」と言われました。同じように神さまは、悔い改める私たちに、イエスの十字架によってあなたをゆるしきよめたと言ってくださいます。

10月17日(木)イザヤ六8

 神さまは、ゆるされた私たちにも「だれが私の言葉を伝えてくれるだろう」と言われます。神さま、あなたが私の罪をゆるしてくださりありがとうございます。罪に悩んでいる人に、神さまがゆるしてくださることをどうぞ話すことができますように、チャンスと勇気を与えてください。

10月18日(金)イザヤ六9〜11

 驚くことに神さまは、イザヤが神さまの言葉を伝えても人々は受け入れないと言われました。「このままでは国が滅んでしまう。神さまだけを信じ、御言葉を聞こう。」と伝えれば伝えるほど、反発して聞かなくなるのです。イザヤにとっても辛く苦しい働きでした。

10月19日(土)イザヤ六12〜13

 やがて敵が攻めてきて、戦いに負け、多くの人が外国に連れて行かれる日が来るのです。南ユダ王国が滅びる日です。でも全くなくなってしまうのではありません。残された人々が、神さまに従って生きるようになるのです。

 困ったことが起こって心が落ち着かないことがあります。祈っても心配が収まらないかもしれません。でもそういう時こそ神さまを信じることができますように。

10月20日(日)列王下十九1〜4

 アッシリアの王は「お前たちの信じている神にだまされるな。神はお前たちを救うことはできない。」と言ってヒゼキヤ王と南ユダ王国の人々を降参させようとしました。ヒゼキヤは悔しくてたまりませんでした。そこで預言者イザヤを通して神さまに「悔しいです」とお祈りしました。

10月21日(月)列王下十九5〜7

 神さまはヒゼキヤの悔しい思いに答えて、預言者イザヤによって語られました。「アッシリアは私をバカにしている。でも何も心配することはない。私にはアッシリアがユダを攻めてこられないようにする作戦がある。アッシリアの王は自分の国で殺される。」神さま、私たちも神さまからの答えを待っていることができますように。

10月22日(火)列王下十九8〜13

 アッシリアの王はまた手紙でヒゼキヤの心を揺さぶりました。「他の国の神は信じる人々を助けることはできなかった。お前の信じている神もお前たちを救えない。」アッシリアの王は自分がどんな神よりも強いと思っていました。本当の神さまを知らなかったからです。
10月23日(水)列王下十九14〜19
 ヒゼキヤは神殿で手紙を広げて神さまにお祈りしました。「神さま、聞いてください。この手紙を見てください。またアッシリアの王は、あなたをバカにしました。彼が勝てたのは木や石で人が造った神だからです。どうか神さま、私たちを救ってください。そして世界中の人に、あなただけが本当の神さまだと知らせてください。」私たちも神さまになんでも祈っていいのです。

10月24日(木)列王下十九20〜28

 神さまははっきりと「あなたの祈ったことを聞き入れた」と言われました。神さまは、アッシリアの王が神さまをののしり、バカにし、滅ぼされた神々と同じように何もできないと言ったことを放っておかないと言われました。神さまがアッシリアの動きを止められるのです。

10月25日(金)列王下十九29〜34

 神さまは、アッシリアがユダの中心の町に入ることも、攻撃してくることもないと言われました。神さまがヒゼキヤとユダの人々を守り救ってくださると約束されました。

10月26日(土)列王下十九35〜37

 その夜のうちにアッシリアの軍隊が天使によって撃ち殺されました。だからもうアッシリアの王はユダに攻撃できなくなりました。そして神さまが言われた通り、王は殺されてしまいました。神さまは約束通りヒゼキヤとユダの人々を救ってくださいました。

 聖書の言葉でも素直に聞ける言葉と、そうでない言葉があります。だから神さまは、私たちがどちらも聞く心が持てるように、あきらめないで語ってくださいます。

10月27日(日)エレミヤ一1〜3

 エレミヤは、神さまの言葉をユダの人たちに伝える預言者です。でもユダの人たちは、自分たちに都合の悪い言葉は聞きませんでした。だからエレミヤは、「神さまがそんなこと言うはずがない」と信じてもらえず、いじめられたり殺されそうになったりしたこともありました。でも国が滅びるまで「神さまだけを信じて言われる通りにしよう」と伝え続けました。私たちにとって聞きづらい御言葉も、ちゃんと聞くことができますように。

10月28日(月)エレミヤ一4〜5

 神さまはエレミヤのことを生まれる前から知っていました。なぜなら、神さまがエレミヤを造ったからです。それも神さまの言葉を伝える預言者にすると特別に決めておられたのです。私たちは生まれる前から神さまに知られ、造られて生まれてきました。だから神さまに知られていない人はいないのです。

10月29日(火)エレミヤ一6〜8

 エレミヤは自分が預言者になるのは無理だと思いました。若い自分には、預言者という大変な仕事をすることはとてもできないと思ったからです。でも神さまは、エレミヤにやってほしいのです。神さまがエレミヤに力と助けを与えて、やり遂げさせてくださるのです。どんな時も共にいて救ってくださるのです。

10月30日(水)エレミヤ一9〜10

 神さまはエレミヤの口に触れて、エレミヤを預言者にしたことをはっきりと示されました。エレミヤの中に神さまの言葉が与えられました。神さまは、偶像を拝み、神さまに背くユダの人々が滅ぼされてしまうと言われました。でもそこからまた神さまに従う人々も現れると言われました。

10月31日(木)エレミヤ一20〜28

 神さまははっきりと「あなたの祈ったことを聞き入れた」と言われました。神さまは、アッシリアの王が神さまをののしり、バカにし、滅ぼされた神々と同じように何もできないと言ったことを放っておかないと言われました。神さまがアッシリアの動きを止められるのです。

11月1日(金)エレミヤ一29〜34

 神さまは、アッシリアがユダの中心の町に入ることも、攻撃してくることもないと言われました。神さまがヒゼキヤとユダの人々を守り救ってくださると約束されました。11月2日(土)エレミヤ一35〜37 その夜のうちにアッシリアの軍隊が天使によって撃ち殺されました。だからもうアッシリアの王はユダに攻撃できなくなりました。そして神さまが言われた通り、王は殺されてしまいました。神さまは約束通りヒゼキヤとユダの人々を救ってくださいました。

 私たちが心からごめんなさいと思うのは、自分が悪かったと本当に思う時です。でも私たちはなかなか自分が悪いことを認められないものです。

11月3日(日)エレミヤ二六1〜3

 神さまはエレミヤに「私の言葉は一言も減らさずに語りなさい」と言われました。神さまは、ユダの国の人々が、エレミヤの言葉を聞いて、神さまのところに帰ってくることを待っておられたのです。神さまはあきらめないで何度も語ってくださるお方なのです。

11月4日(月)エレミヤ二六4〜6

 神さまはエレミヤに、このままでは国が滅びると伝えなさいと言われました。人々が、預言者によって何度も語られた神さまの言葉を聞かないで、人が作った神を拝み、自分の好き勝手に生きていたからです。そのためお互いに思いやることができず、国が荒れていきました。私たちは、神さまの言葉を聞いてその通りに生きる時、人を思いやり、人のことを大切にできるのです。

11月5日(火)エレミヤ二六7〜10

 エレミヤは神さまの言葉を伝えました。しかし人々はその言葉を受け入れませんでした。聞いた人々の中には、神殿で働く祭司やエレミヤと同じ預言者もいました。彼らは、自分たちが神さまに選ばれた特別な民だから、神さまは守ってくれると思い、自分たちのしていることを反省することができませんでした。

11月6日(水)エレミヤ二六11

 エレミヤは逮捕されて、裁判を受けました。そして「この人は死刑だ」と言われてしまったのです。神さまがおられる神殿が壊れるはずはないし、国が滅びることもない、と人々は怒りました。エレミヤはうそを言う悪い預言者だと決めつけました。私たちには、自分は悪くないと思って、他の人を悪者にする心があるのです。

11月7日(木)エレミヤ二六12〜15

 エレミヤは死刑と言われても、神さまの言葉を伝えるのをやめませんでした。「もし自分の生き方を変えて、神さまの言われる言葉に従うなら、神さまは滅ぼすことを思い直してくださると言われた。」エレミヤもユダの国が滅んでほしくないのです。神さまが思い直すと言われたことに希望を持ったのです。

11月8日(金)エレミヤ二六16〜19

 ヒゼキヤ王の時代、ミカという預言者が同じように厳しい言葉を語った時、王と人々はその言葉を聞いて悔い改めました。すると神さまは、言われたことをやめられたのです。神さまは滅ぼしたいのではなく、救いたいお方だからです。11月9日(土)エレミヤ二六20〜24 エレミヤと同じ言葉を伝えた預言者ウリヤは、ヨヤキム王に殺されてしまいました。日本と世界の国々のリーダーたちが、正しく国を導けますように。

11月第二週

 ユダの国はバビロンに滅ぼされてしまいました。多くの人がバビロンに連れて行かれて、そこで生活することになりました。

11月10日(日)エレミヤ二九1〜3

 バビロンに連れていかれた人たちは、早く自分の国に帰りたいと思っていました。すぐに帰れると言った預言者もいましたが、そうなりませんでした。自分たちはバビロンでどんなふうに生きたらいいかわかりませんでした。だから神さまの言葉を期待しました。そんな彼らに神さまの言葉が書かれたエレミヤの手紙が届きました。

11月11日(月)エレミヤ二九4〜6

 エレミヤの手紙には、すぐにはユダには帰れないので、バビロンでの生活が長くなると思って、そこでしっかり生活しなさいと書かれていました。それが神さまの願っておられることでした。どうぞ私たちも、神さまのご計画が自分の期待とは違ってもそれを信じていけますように。

11月12日(火)エレミヤ二九7

 ユダの人たちが連れてこられた町は敵の町です。でも神さまは、敵の町が平和で穏やかであるようにお祈りしなさいと言われました。それが自分たちにとっての平和で穏やかな生活になるからです。神さま、私たちの住む町とまたこの世界に平和をお与えください。この世界に住む人がみんな、平和で穏やかな生活を送ることができるようにしてください。

11月13日(水)エレミヤ二九8〜9

 ある預言者たちは「すぐにバビロンから自由にされてユダに帰れると神さまは言っておられる」と言いました。でも神さまは、それはニセの預言者だから信じてはいけないと言われました。占いも神さまの言葉を伝えていないと言われました。どうぞ私たちが神さまの言葉を正しく聞くことができますように。

11月14日(木)エレミヤ二九10

 神さまは、70年後にユダの国に帰ることができると言われました。70年は長いです。でも神さまに背いていた彼らが悔い改めてやり直すために必要な70年なのです。そして帰れる日が必ずやってくるのです。私たちの願った時に願ったことが起こらなくても、神さまがしてくださる時こそが、一番良い時なのです。

11月15日(金)エレミヤ二九11

 ユダの人々にとって国が滅び、外国へ連れられてきたことは、とても辛く悲しいことでした。神さまに背いた裁きを受けて希望がなくなっていました。でも神さまの計画はそれで終わりではありませんでした。将来と希望を与える平和の計画が約束されていました。11月16日(土)エレミヤ二九12〜14 ユダの人々は全てを失いました。外国に散らされました。でもそこからもう一度神さまを信じていく生活が始まったのです。そして回復されていくのです。


 もし結婚相手が自分とは別の人を好きになっていなくなったら、どんなに悲しいでしょう。神さま以外の偶像を信じることは、それと同じことだと神さまは言われました。

11月17日(日)ホセア二1

 神さまに背いた北イスラエル王国は、罰として国がなくなると言われました。神さまが、もうあなたたちと私は関係ないからと知らんぷりされてしまうのです。でも神さまは本当にイスラエルの人たちを見捨てたのではありません。罰した後にまた回復を与えてくださると約束されました。神さまにとっては、どんなに背いても大事な子どもなので放って置けないのです。

11月18日(月)ホセア二2〜7

 イスラエルは神さまにどんな罪を犯したのでしょうか。預言者ホセアの妻ゴメルは、ホセアと子どもたちを置いて、他の男の人のところへいってしまいました。欲しいものを買ってくれて楽しく生活できると思ったからです。同じようにイスラエルは神さまから離れて偶像の方がいいとバアルの神を信じたのです。ホセアは奥さんのしたことで、神さまがどんなに辛く悲しんでおられるかを知りました。

11月19日(火)ホセア二8〜13

 みんなはバアルの神にお願いしたから、果物や野菜が実って食べられると思っていました。でも畑の実りも、実らせるための天気や雨も神さまが与えてくださるのです。神さまから罰せられて、他の神さまに助けてもらえない苦しみにあって、やっとそれがわかりました。なんでも神さまがくださったもので生きていることを忘れないでいられますように。

11月20日(水)ホセア二14〜15

 神さまはイスラエルの人々を罰した後、バアルを信じる生活から引っ張り出して、やり直させてくださると言われました。神さまは、罰して終わりではなく、また立ち直らせてくださるのです。

11月21日(木)ホセア二16〜20

 回復が与えられる時には、もう偶像はいりません。そしてもう一度イスラエルと神さまがまるで結婚するように、しっかりつながるのです。ただ神さまだけを信じて従う者にされて、争うことなく平和に暮らせるようになるのです。

11月22日(金)ホセア二21〜22

 神さまから離れていた人たちを神さまは迎えてくださいます。イスラエルは神さまに見捨てられたのではなく、愛され、ゆるされている神の民だと知ることができるのです。みんなも神さまだけを信じますと言うようになるのです。

11月23日(土)ホセア三1〜5

 ホセアは奴隷になっていた妻のゴメルをお金で買い戻しました。ホセアはゴメルに言いました。「もうどこにも行かないでね。私もあなたのそばにいるよ。」これが神さまとイスラエルの姿なのです。


 バビロンに連れて行かれたユダヤ人は、神さまの約束通り、イスラエルに戻ることができました。彼らは神殿と町を建て直しました。けれどもいつまでも生活は苦しいままでした。

11月24日(日)マラキ一1〜5

 「神さまが愛してくれているなら、もっと生活は良くなるはずなのに。」ユダの人たちはうまく行かない苦しい毎日で、神さまから心が離れていました。神さまが愛してくださることは、困ったことがないとか、苦労しないとかではないのです。苦しい時、困った時、神さまの愛を信じて乗り越えていけますように。

11月25日(月)マラキ二1〜9

 祭司と人々は、神殿に人々が持ってきた神さまへの捧げ物を祭壇でささげてお祈りをします。それが神さまに感謝したり、悔い改めたりする礼拝です。けれども多くの人は昔からやっているからするだけになっていました。祭司も礼拝がなぜ大切かを伝えていませんでした。私たちの礼拝が神さまをもっと知って、感謝と喜びをささげることができますように。

11月26日(火)マラキ二17

 人々は神さまのことを知ろうともしないし、期待もしなくなっていました。悪いことをしていてもお金持ちになって楽しく暮らしている人もいました。だから悪いことしても神さまが怒ったりはしないという人までいたのです。神さま、神さまは何もしてくれないと、見えることだけで思い込んでしまわないように助けてください。

11月27日(水)マラキ三1〜5

 預言者マラキは、神さまが正しいことをされるとは信じない人々に言いました。「みんなが待っている救い主が来られます。そして罪ある私たちを裁かれるのです。」だれも神さまの裁きと関係ない人はいないとマラキは言いました。

11月28日(木)マラキ三6〜12

 マラキは言いました。「神さまは私たちを滅ぼしたいのではありません。私たちが悔い改めて、神さまのもとに帰るのを待っておられます。すべてのものは神さまがくださいました。だから私たちも神さまに感謝の捧げ物をしましょう。神さまはもっともっと与えてくださいます。」

11月29日(金)マラキ三13〜18

 ユダの人たちの中には、神さまの言葉を聞こうとしない人々ばかりではありませんでした。神さまの言葉を信じた人たちもいました。神さまはその人たちを「私の宝となる」と言われました。信じる私たちは神さまの宝です。

11月30日(土)マラキ三19〜24

 世界が終わる時に、神さまはすべての人を裁かれます。でもその前に、救い主イエスさまがきてくださいました。イエスさまが救い主だと伝えたパプテスまのヨハネも現れました。神さまは約束した通りにしてくださいました。


 いよいよ12月に入りました。クリスマスが待ち遠しいですね。イエスさまがきてくださったことがとってもうれしいと感じるクリスマスでありますように。

12月1日(日)ゼカリヤ九9

 イエスさまが生まれるずっと前のことです。預言者ゼカリヤは言いました。「エルサレムに救い主が、本当の王さまとしてやってこられる日が来ます。その王さまは、雌の子ろばに乗ってこられます。」普通は王さまが乗るのは馬です。戦争に勝って帰ってくる時、馬に乗って堂々と入ります。雌の子ろばは荷物を乗せても、戦いにはいきません。不思議な王さまです。

12月2日(月)ゼカリヤ九9

 どうして馬で来ないのでしょうか。平和の王さまだからです。戦争はしません。でもだれよりも力のある強いお方です。正しいお方です。それなのに、威張ることのない優しいお方です。だから平和のしるしのろばに乗ってこられるのです。

12月3日(火)ゼカリヤ九10

 戦争で勝つと、負けた国は勝った国のものになります。そうやって1つの国が大きくなっていきます。でも本当に強い国は、戦争ではなく、平和で世界を1つの国にします。戦車も武器もいりません。馬は戦いにはいきません。平和の王さまである救い主は、殺しあうのではなく、ゆるしあい、愛しあうように私たちを導いてくださいます。

12月4日(水)マタイ二一1〜4

 預言者ゼカリヤの時代から500年後、イエスさまがお生まれになりました。イエスさまがもうすぐ十字架につけられるという時のことでした。イエスさまは二人の弟子に子ろばを連れてこさせました。二人の弟子は子ろばの持ち主に、「主がお入りようなのです。」と言って借りることができました。ゼカリヤの預言の通り、平和の王としてイエスさまが子ろばに乗るためでした。

12月5日(木)マタイ二一4〜5

 子ろばに乗るイエスさまを見た多くの人は、ゼカリヤの預言した聖書の言葉を思い出しました。そしてゼカリヤが言っていたのはこのイエスさまのことだったんだと気づきました。

12月6日(金)マタイ二一6〜9

 イエスさまは子ろばに乗ってエルサレムに向かわれました。大勢の人たちが、イエスさまを王さまとして迎えようと自分たちの上着を道に敷きました。ホサナと叫んで、イエスさまがこられたことを喜びました。自分たちをローマから救ってくれると期待しました。

12月7日(土)マタイ二一10

 イエスさまを「ホサナ」と叫んでお迎えした人たちは、イエスさまを預言者だと思っていました。イエスさまは預言者よりもずっと力のある神の子救い主です。人々の期待と見る目が、本当の救い主の姿とはズレていました。


 イエスさまの系図は人の名前ばかりで読みにくいですね。でもどんな人たちかを知ると、神さまの恵みが見えてきます。

12月8日(日)マタイ一1〜6

 イスラエルの始まりはアブラハムです。彼は神さまの「あなたを大いなる国民にする」の言葉を信じて従いました。約束通りイスラエルという国民が生まれました。ダビデはイスラエルの王の中のだれよりも神さまを大切にしました。神さまはダビデの子孫から救い主を送ると約束されました。約束通りイエスさまが来てくださいました。

12月9日(月)マタイ一1〜6

 イスラエルの系図は男の人の名前を書くのが普通です。でもこの1節〜6節の中には女の人の名前も書かれています。これは特別なことです。タマル、ラハブ、ルツ、ウリヤの妻が女性ですが、訳ありな人たちばかりです。イエスさまはそういう訳ありな人間の子孫として生まれてくださいました。

12月10日(火)マタイ一1〜6

 タマルは結婚してすぐに夫に死なれてしまいました。イスラエルでは、死んだ夫の兄弟が代わりに結婚して、お兄さんのために後継ぎになる子どもを産むのです。でも次に結婚した弟も死んでしまうと、その下の弟とは結婚させてもらえませんでした。そこでタマルは自分だとわからないようにして、夫の父ユダとの間に子どもを産みました。

12月11日(水)マタイ一1〜6

 イスラエルがカナンの地に入ろうとしていた時のことです。カナンを調べるために偵察に行った二人のイスラエル人をラハブは助けました。彼女は神さまがイスラエルを救ってきた話を聞いて神さまを信じていたからです。外国人で遊女でしたが、彼女と家族は救われました。

12月12日(木)マタイ一1〜6

 ルツはモアブ人でした。死んだ夫の母ナオミと共にイスラエルに住むようになりました。ルツはイスラエルの神さまを信じ、ナオミを一生けんめい支えました。その優しい姿を見ていたイスラエル人のボアズが彼女と結婚しました。外国人でしたが、イスラエル人の中に迎えいれられました。

12月13日(金)マタイ一6〜11

 ウリヤの妻はバト・シェバです。ダビデはバト・シェバと関係を持ち、妊娠させました。それをごまかすためにウリヤをわざと戦争で死なせて、彼女を自分の妻にしました。子どもは死にましたが、その後ソロモンが生まれました。

12月14日(土)マタイ一12〜17

 アブラハムから始まる系図には、本当なら受け入れられない人や、罪を犯したけれどもゆるされた人がいます。イエスさまはこのような救いの必要な私たちの中に生まれてくださいました。系図には私たちの罪とそこから救う神さまの愛が見えてきます。

 マリアがお母さんになることを引き受けたことは、救い主のお誕生にとても大切なことでした。

12月15日(日)ルカ一26〜33

 天使はマリアに、「あなたは神の子救い主のお母さんになるよ」と言われました。マリアはとてもびっくりしました。神さまはマリアに「私の子を預けるからよろしく頼むね。」と言われたのです。神さまはマリアにこの大切なことをして欲しいと思われました。私たちにも神さまはよろしく頼むねと、御言葉を通して任せてくださることがあるのです。

12月16日(月)ルカ一34〜37

 マリアには聖霊の力によって、お腹の中に神の子が与えられるのです。マリアのおばさんのエリサベトも神さまによって赤ちゃんがお腹に与えられていました。おばさんはもう子どもを妊娠できる歳ではありませんでした。普通は起こらないこと、できないことでも、神さまにできないことはないからです。

12月17日(火)ルカ一38

 マリアは「神さま、わかりました。私は神さまのしもべです。だからあなたに従います。あなたの言われる通りにしてください。」と言いました。神さまが言われるなら、それで私はいいですとマリアは思いました。私たちもお言葉通りにしてくださいと従うことができますように。

12月18日(水)ルカ一39〜41

 マリアのことをわかってくれるし喜んでくれるのはエリサベトおばさんです。だからマリアはエリサベトのところへ行きました。マリアが挨拶する声を聞いて、エリサベトのお腹の赤ちゃんが反応しました。エリサベトは、いつもお腹を蹴るのとは違って、赤ちゃんが喜んで踊っているとわかりました。

12月19日(木)ルカ一41〜45

 エリサベトは聖霊に満たされました。うれしくてたまらなくなりました。「よく来てくれたわね。神の子のお母さんになることを決心できてよかったわね。神さまの言われたことが本当になると信じることは何よりも感謝で、幸せなことね。」マリアはエリサベトがちゃんとわかってくれてとても励まされました。

12月20日(金)ルカ一46〜50

 マリアの心は神さまへの賛美でいっぱいになりました。神の子のお母さんになるのに、もっと立派でふさわしい人もいるのに、神さまは小さな私に目を止めてくださったと感謝しました。神さまは私たちがどんなに小さく目立たなくても目を止めて忘れないのです。12月21日(土)ルカ一51〜56 世の中では地位やお金のある人が、人の上に立つことが多くあります。でも神さまは、力のない人に力を与えて用いられます。弱い人、人から見捨てられた人を神さまが忘れることはないのです。だから約束通り救い主を送ってくださいました。

 クリスマスおめでとうございます。救い主を送ってくださった神さまに心からありがとうと感謝できますように。

12月22日(日)マタイ二1〜3

 ユダヤ人の王、救い主を拝もうと外国から星の研究をしている博士たちがやってきました。救い主の誕生を教える星が現れたからです。けれども長い間待ち望んでいたエルサレムの人々はだれも救い主の誕生を知りませんでした。それどころか救い主の誕生を聞いても、喜ぶことができませんでした。

12月23日(月)マタイ二4〜6

 祭司長たち、律法学者たちはみんな救い主がどこに生まれるのかを知っていました。救い主はベツレヘムの町に生まれるのです。預言されていたからです。でも知っていることと、救い主をお迎えすることとはつながっていませんでした。

12月24日(火)マタイ二7〜8

 ヘロデ王は博士たちに、「私も拝みに行きたいので、戻ってきて詳しく教えて欲しい」と言いました。でも本当は救い主を拝むつもりはありません。それどころか、殺してしまおうと考えていました。自分がいつまでも王でいられるためには、救い主がいては困るからです。ヘロデはいつもそうやって、邪魔者を殺してきたのです。そうしかできない自分こそ救い主が必要なことがわかりませんでした。

12月25日(水)マタイ二9〜12

 メリークリスマス!博士たちは星に導かれて、イエスさまの家にやってきました。そしてイエスさまに会い、ひれ伏し拝みました。自分たちの宝物を贈り物にささげました。イエスさまが世界中の人を救うために来られたと信じたからです。

12月26日(木)マタイ二13〜15

 お父さんのヨセフが寝ていると、夢に天使が現れました。「急いでエジプトに逃げなさい。ヘロデ王が赤ちゃんを殺しにやってくるから。」まだ夜中でしたが、ヨセフはすぐに起きてマリアと赤ちゃんを連れてエジプトに逃げまました。私たちも神さまの言葉にすぐに従うことができますように。

12月27日(金)マタイ二16〜18

 ヘロデは博士たちが戻ってこなかったので、すごく怒りました。そして救い主を殺すために、ベツレヘムにいる二歳までの小さな子どもたちをみんな殺してしまいました。イエスさまがもうそこにはいないのを知らなかったからです。自分を守るために人を殺しても、ヘロデの心は安心できませんでした。12月28日(土)マタイ二19〜23
 しばらくして天使がまた夢の中に現れてヨセフに言いました。「もうイスラエルに帰っても大丈夫です。安心して帰りなさい。」ヨセフはいつも天使が教えてくれる神さまの言葉に従いました。それが神さまの計画を実現していくことになりました。


 いよいよ今年も終わります。どんな一年でしたか。新しい年も神さまを信じて一歩一歩進みたいですね。

12月29日(日)マタイ六25

 何か悩んでいますか。不安なことはありますか。悩んでいると頭やお腹が痛くなったり眠れなくなったりします。「思い煩うな」と言われても簡単ではありません。でもイエスさまは私たちがすぐに悩んだり不安になったりすることをよく知っておられます。そしてその悩みから助けることができるのもイエスさまなのです。

12月30日(月)マタイ六26

 鳥が生きていけるのは、神さまが面倒を見てくださっているからです。でもイエスさまは言われます。「鳥のことをとても大切にされる神さまは、さらにもっと人間一人ひとりのことを考えて、面倒を見てくださっているんだよ。」でもそれは神さまのことを信頼しないとわからないのです。

12月31日(火)マタイ六27

 私たちは大人になっても悩みがなくなりません。それなのに「思い煩うな」とどうしてイエスさまは言われるのでしょう。悩むと私たちはいろいろなことを考えます。それは大切なことです。でも自分ではもうどうしようもないことまでなんとかしようとするのはやめなさいと言われたのです。私の思い通りではなく、神さまにお任せすることが大切だと言われました。

1月1日(水)マタイ六28

 あけましておめでとうございます。花の美しさも神さまがしてくださることです。たとえ明日火で燃やされる野の草でも、神さまは手を抜きません。生きている時をちゃんと美しく生かしてくださいます。だとしたら、私たちにはさらに良くしてくださるとイエスさまは言われました。今年も悩む時、不安な時、この御言葉を思い出して神さまに頼れますように。

1月2日(木)マタイ六31〜32

 私たちは人からどう見られるのかがとても気になります。キレイとかカッコイイとか思われたいし、いいねと言われたいものです。でもそればかりに気を取られていると、あれがないこれがないと悩み始めて、大切なことが何かわからなくなることがあります。自分のことばかりに心を向けるのをやめて、神さまに心を向けることができますように。

1月3日(金)マタイ六33

 自分のことばかりになってしまう私たちです。でも神さまの御言葉を聞いていくときに、人を思いやり、人と一緒に生きるように変えられていきます。それが神の国と神の義を求めることです。

1月4日(土)マタイ六34

 明日が来るのがこわい日もあります。だから私たちは神さまに頼るのです。助けてくださいと信頼するのです。イエスさまの「思い煩うな」は、神さまに頼りなさいということなのです。