このコーナーは聖書の光の子どもデボーション (子どもだけでなくてもいいのですけれど…)のページをそのまま載せてあります。自由にコピーしてフリガナをつけたり、文字の大きさを変えたり、言い方を変えたり、 みなさんのクラスの子どもたちに合わせてアレンジして使ってください。
十字架は私たちが想像できないほどの恐ろしい死刑です。でもそのような十字架の苦しみと死を通してイエスさまを信じる人が起こされました。
4月5日(日)ルカ二十三32?33
悪いことをしていないのに、「あなたは罪を犯した」とされることは、あってはならないとんでもないことです。ピラトはイエスさまを、罪を犯していない無実の人だと言ました。それなのにイエスさまは二人の犯罪人と同じ罪人として十字架にかけられてしまったのです。
4月6日(月)ルカ二十三34
イエスさまのお祈りに私たちはびっくりし、心が動かされます。痛みと苦しみの中で自分の敵のために罪のゆるしを祈られたからです。多くの人はみんな自分たちが恐ろしいあやまちをしていることに気づかず、正しいと思っていました。「何をしているのかわからない」とイエスさまが祈った通りでした。
4月7日(火)ルカ二十三35?38
私たちなら「自分を救ってみろ」と言われたら、きっとくやしくてたまらないでしょう。でもイエスさまはできないから自分を救わなかったのでありません。十字架のそばでののしる人、ばかにしている人だけではなく、今の私たちもひっくるめてみんなを救うために自分を救わなかったのです。
4月8日(水)ルカ二十三39?40
二人のうち一人の罪人はどうしてイエスさまはなんにも悪くないと言いました。イエスさまが、自分は悪くないと叫んだり、十字架につける人をののしったりしないで、みんなのためにお祈りをする姿に、このお方は本当に救い主だと気づいたのかもしれません。そうできるのは、本当に王さまだからだと。
4月9日(木)ルカ二十三41?43
この人はイエスさまを十字架の上で信じました。それもイエスさまが死んで終わりではなく、まことの王さまとしてまた来られると信じ「わたしを思い出してください」とお願いしました。すると「きょう」わたしと一緒にパラダイスにいると約束をいただけました。
4月10日(金)ルカ二十三44?46
まだ昼間なのにあたりが真っ暗になりました。神殿の幕が裂けました。それらはこのイエスさまの十字架が、ただ人が仕組んだことだけでなく、神さまも関係しておられることをあらわしていました。そしてイエスさまは息を引きとられました。父なる神さまにすべてお任せして。
4月11日(土)ルカ二十三47?49
これを見ていたローマの兵隊の隊長は、イエスさまを信じました。「ほんとうにこの人は正しい人であった」。イエスさまの十字架の様子、死の姿、そして死をめぐって全地が暗くなったこと。すべてイエスさまが正しくまことの救い主だと教えていたのです。
罪のないイエスさまが十字架で死んでしまうなんて、あってはならないとんでもないことです。でもその取り返しのつかないことをひっくり返す、とっても素晴らしくうれしいことが起こりました。それがイースターです。
4月12日(日)ルカ二十四1?3
お墓におさめたはずのイエスさまの体がない!女たちは驚きました。みんな「盗まれた!」と思いました。わたしたちもきっとその場にいたらそう思ったでしょう。だれもイエスさまが死んだのに生き返ったなんて思いつきませんでした。
4月13日(月)ルカ二十四4?5
イエスさまが死んでしまったことだって途方にくれることです。それなのに、今度はお墓にあるはずの体までないなんて。もうどうしていたらいいのでしょうか。すると二人の天使が現れて、「イエスさまは生きているんだから、お墓の中をさがしたっているわけがない。」と言ったのです。
4月14日(火)ルカ二十四6?7
イエスさまは生きているのです。よみがえられてもうここにはおられないのです。女たちはイエスさまの言葉を思い出す必要がありました。そういえばイエスさまが「三日目によみがえる」と言っていたことを。イエスさまの言われた言葉は本当に起こることなのです。
4月15日(水)ルカ二十四8~10
女たちはまだイエスさまに会っていません。でもイエスさまの言葉を思い出して信じました。そうだ!イエスさまはよみがえるって言っておられた!みんなにしらせよう。女たちは仲間にこのことを話しました。私たちも途方にくれることがあっても、みことばが助けてくれます。聖書にはこう書いてあった。だから大丈夫だ!って。
4月16日(木)ルカ二十四11
けれども聞いた弟子たちや他の仲間たちは信じませんでした。イエスさまが死んだのによみがえるなんてありえないと思ったのです。イエスさまの言葉はすぐに思い出されませんでした。死んだらもうおしまいという思いは、それほどに強く私たちを「もうだめだ」という思いにさせるからです。
4月17日(金)ルカ二十四12
ペテロも信じませんでした。でもペテロは空っぽのお墓を確かめました。イエスさまの体に巻いていた布は確かにある。でもイエスさまの体はない。とっても不思議に思いました。イエスさまのよみがえりを信じるにはもう少し時間が必要でした。
4月18日(土)ルカ二十四44?49
イエスさまの言葉をわかったり理解したりすることもイエスさまが助けてくださいます。すぐに信じられなかったり、わからなかったりすることはあります。でもイエスさまが私たちに近づいて、みことばを思い出させ、教えてくだいます。
この世界はとってもよくできています。生き物はみんな動物も魚も植物も食べたり食べられたりしながら、お互いを支えて生きています。このすばらしい世界を造られたのは神さまなのです。
4月19日(日)創世記一1?5
この世界の初めには神さまの他なんにもありませんでした。でもそれでいてぐちゃぐちゃでなんにも区別がないようでした。神さまはただ言葉で光を呼びました。すると光がでてきました。そこでさらに世界を光とやみにわけられました。こうして何もないけどぐちゃぐちゃなところに光とやみ、昼と夜の区別ができました。
4月20日(月)創世記一6?8
第2日に神さまは言葉で水の間に大空を造られました。大空は水を大空の上と下に分けました。それまでは水がいっぱいだったところに、大空ができて空間ができました。
4月21日(火)創世記一9?13
第3日に神さまは水に「一箇所に集まれ」と命じて水を集めると、かわいた大地を造られました。海と陸ができました。さらに地からはいろいろな草や果物、木の実などいろいろな実のなる木を生えさせました。
4月22日(水)創世記一14~19
第4日には太陽と月と星が天に造られました。こうして朝、昼、夜や季節や時間の区別ができるようになりました。太陽や月、星を神さまと信じて拝む人もいますが、神さまではありません。神さまが造られたものなのです。
4月23日(木)創世記一20?23
第5日には海の中に魚やたこ、いか、クジラやイルカ、オットセイ、他にもいろいろ造られました。空にはすずめ、鳩、カラス、他にもいっぱい、いろいろな鳥が飛ぶようになりました。神さまは生き物たちにどんどん増えるようにと祝福されました。
4月24日(金)創世記一24?31
第6日、かわいた大地にいろいろな動物が造られました。そして人間も神さまによって、神さまのかたちに造られました。神さまのかたちというのは、私たちが神さまと交わりをすることができるということです。神さまの声を私たちが聞いて、それにこたえることができるし、神さまも私たちの声を聞いてこたえてくださることです。さらに人は他の生き物たちの世話をすることを任されました。
4月25日(土)創世記二1?3
第7日、神さまは休まれました。世界ができあがったからです。神さまは世界の一つ一つを造るたびに、良いものができたと満足されました。どれもこれも神さまにとってかけがえのないものでした。私たちにとって当たり前のようにやってくる朝、何も考えずに吸い込んでいる空気、季節を感じられる木や花。そして私たち。みんな神さまに造られ生かされています。
私たちはひとりだと寂しくなります。話ができる友だちがいないとつらいです。なぜなら神さまは最初から、私たち人間を、だれかと友だちになり、助け合い、交わり、あるいはだれかと結婚して家族になって生きるように造られたからです。だから私たちは、神さまと人と交わりを持って生きることがなくてはならないものなのです。
4月26日(日)創世記二4?6
この世界を造られた神さまは、一度にすべてを造られませんでした。まず天と地がありました。あとは地面に水が湧き出て、地面に水が行き渡っていました。
4月27日(月)創世記二7?8
粘土で何かをつくったことはありますか。神さまも土で人のかたちを造られました。そして鼻から神さまの命の息をふーっと吹き入れて、人が生きるようにされました。私たち人間は土のちりでできたはかなく、もろいものたちです。でも神さまの命の息で生かされています。
4月28日(火)創世記二8?9
神さまは人が生活できるエデンの園を用意されました。エデンの園にはいろいろな木がたくさん生えていました。美しい木やおいしそうな木。もちろん食べていいのです。そしてエデンの園の中心には、命の木と善悪を知る木がありました。
4月29日(水)創世記二10~14
昔から川のあるところに人は住んで、そこに大きな町ができて、やがて大きな国になりました。水があれば人も植物、動物たちもみんな生きられるし、畑も作れます。エデンの園から川が流れ出ていて、さらに4つの川にわかれて世界に行き渡っていました。
4月30日(木)創世記二15?17
人は土を耕し、エデンの園を守る仕事を与えられました。エデンにたくさんの木がありました。神さまは善悪を知る木からは食べてはいけないと言われました。食べたら必ず死ぬからです。そのほかはみんな食べていいのです。食べていけないのは一つの木だけです。食べていい木がたくさんあるから、一つだけいけないのがあっても困りませんね。
5月1日(金)創世記二18?20
人には一緒に遊んだり、食べたり、交わりのできる仲間、「助け手」が必要でした。いろいろな鳥や動物が連れて来られました。人は生き物の一つ一つに名前をつけてかわいがりました。でも人にはものたりなかったのです。神さまはもっとふさわしい相手が必要だと思われました。
5月2日(土)創世記二21?24
神さまは人が寝ている間に、人のあばら骨の一つをとって、そこから女の人を造られました。神さまに連れて来られた女の人と会うと、人はとっても喜びました。自分にぴったりだと思ったからです。必要としていたのはこの人だったからです。
今週は、どうして神さまは人が背かないように造らなかったの?と、どうして神さまは、どうして…と聞きたくなることがでてくるような聖書の箇所です。
5月3日(日)創世記三1?3
へびは女にずる賢い質問をしました。一つだけ食べてはいけないのが本当なのに、「神さまは全部だめって言ったの?」と聞いてきたのです。女はへびに聞かれて急に善悪を知る木が気になり始めたのでしょう。それまでは他に食べていい木がいっぱいあるから、あまり気にならなかったかもしれません。
5月4日(月)創世記三4?5
それにしてもどうして神さまは、ずるがしこいへびをエデンにおいたのでしょうか。いなかったらよかったのに。へびの言葉はとても魅力的でした。「食べても死なないよ」「食べたら神さまのようになれるよ」。もしあなたならどうするかな?
5月5日(火)創世記三6?7
女は食べてしまいました。そして夫にも。夫はどうして食べてしまったのでしょう。妻が死なないのをみて、大丈夫だと思ったのでしょうか。神さまの言葉よりも、女の言うとおりにしてしまいました。すると二人とも、今まで気にしたことのなかった裸であることが恥ずかしくてたまらなくなりました。
5月6日(水)創世記三8~13
神さまがあらわれると二人はさっと木の間に隠れました。約束を破ったので、神さまと素直に会えなくなりました。男は善悪を知る木の実を食べたのは、女のせいだと言いました。そもそも女を神さまがあたえてくれたから…とも思っているようでした。女はへびにだまされたと、へびのせいにしました。二人とも神さまにごめんなさいと言えませんでした。
5月7日(木)創世記三14?15
へびは、「神さまの言葉よりももっといいものがあるよ」と人をそそのかしました。神さまを信じるよりももっと他にいいものがある、と悪魔は今も私たちをそそのかそうとするのです。けれどもそうやって誘惑する悪魔の頭をイエスさまは打ち砕きました。十字架の死からよみがえることによってです。誘惑にあっても、神さまにいつも戻れるよう救ってくださいました。
5月8日(金)創世記三16?19
二人は、これからは喜びもあれば悲しみや苦しみもある生活を、助け合って乗り越えていくのです。そしていつか死を迎えて土に帰るのです。
5月9日(土)創世記三20?24
二人はエデンの園から出ていかなければなりませんでした。善悪の知識の木がなければよかったのに、そう思うかもしれません。でも神さまは人を言われたままに動くロボットのようにはつくりませんでした。神さまの言葉に、自分で信頼することを願われました。
あなたは兄弟や姉妹はいますか。仲はいいですか。いつもけんかばっかりしちゃうかな。
5月10日(日)創世記四1?2
「カイン」は「得る」という意味です。エバは子どもが神さまによって与えられたことをとても喜びました。次に生まれた「アベル」は「無」という意味です。アベルの命がはかないものであることを表しているかのようでした。大人になるとカインは畑仕事をし、アベルは羊飼いをしました。
5月11日(月)創世記四3?5
カインとアベルはそれぞれささげものを用意して神さまを礼拝しました。なぜか神さまはカインのささげものを受け入れませんでした。するとカインはとっても怒ったのです。あなたは神さまに対して怒ったことはありますか。だとしたらあなたはどうして神さまのことを怒ったのですか。
5月12日(火)創世記四6?7
神さまはカインに聞きました。「なぜ怒っているのか」。カインは顔をふせたまま何も答えませんでした。もし自分にやましさがなければ、たとえ神さまがささげものを受け入れてくださらなくても、顔をあげて神さまを仰ぐことができたでしょう。カインはこのままでは大変な罪を犯してしまいます。でも神さまは言われます。あなたはその罪に勝つことができると。
5月13日(水)創世記四8?9
カインは神さまの言葉を聞きませんでした。神さまがアベルだけを受け入れたことが、腹が立って仕方がありませんでした。アベルさえいなければ、そう思ったのでしょう。大事なはずの弟を殺してしまいました。大変なことをしてしまったのに、カインはごめんなさいと言うことができませんでした。まるでふてくされて神さまにそっぽをむいているようでした。
5月14日(木)創世記四10?12
神さまは何もかも知っています。弟を殺した罰は大変重いものでした。カインがどんなに畑を耕しても、もう何も取れないのです。今住んでいるところも出て、地上をさまよい続けると言われました。カインはどこに行っても自分の居場所がなくなってしまいました。
5月15日(金)創世記四13?14
カインは「この罰はとても負えない」と言いました。カインは、自分では負いきれない罰を負わされるような罪を犯してしまったと気づきました。神さまから見捨てられてしまったらもう自分はどこへ行っても受け入れられないで、弟を殺した人として殺されてしまうだけだと思いました。
5月16日(土)創世記四15?16
神さまはカインを見捨てておられませんでした。彼を守り生かすしるしがカインにつけられました。私たちにとってはイエスさまの十字架が、負いきれない罪の罰から救うしるしです。
言われたことをその通りにするのって難しい時がありませんか。自分のやり方をしたくなるからです。神さまの言葉には、その通り従っていきたいですね。
5月17日(日)創世記六5?10
神さまが造られた世界はとてもすばらしいものでした。けれどもノアの時代の世界は、最初とは全くかけ離れてしまいました。人間が思い考えすることが、神さまの思いとは反対で、悪いことばかりだったからです。しかしただ一人ノアだけは、神さまから喜ばれていました。ノアは神さまを信じ従って歩んでいたからです。
5月18日(月)創世記六11?13
アダムとエバが神さまに背いてから何年もたち、世界には人が増え広がっていました。すると罪もまた、人が増えると一緒に増え広がり、重くひどくなっていったのです。世界の悪い様子は、神さまが世界を滅ぼす決心するほどでした。
5月19日(火)創世記六14?18
神さまは世界を洪水によって滅ぼすことをノアに打ち明けられました。そして神さまを信じて歩んでいるノアと家族は、箱舟を造ってその箱舟にはいって生き延びるようにと言われました。
5月20日(水)創世記六19?22
ノアたち家族と一緒に、動物たちも雄と雌のカップルで箱舟に乗せなければなりません。鳥やへびや虫たちだってみんなです。そうして生き物たちの命を守るのです。やがて箱舟から降りたら、生き残ったものたちが、世界を造っていくためです。箱舟を造ることも、生き物たちを乗せることも簡単なことではありません。けれどもノアはすべて神さまの言葉の通りにしました。
5月21日(木)創世記七1?10
箱舟を造るのにどのくらいかかったでしょう。とっても大きな箱舟を家族で造り上げると、神さまがいよいよ洪水を起こされる時が来たのです。ノアはいろいろな種類の生き物たちを箱舟にのせて、家族とともに入り、神さまの言われたとおりにしました。
5月22日(金)創世記七11?16
昨年の台風では、大雨で川があふれたり、風で屋根が飛んでしまったりして、家の中やお店の中が水浸しになって大変なところがたくさんありました。ノアたちの時も大雨が降りました。なんと40日間も降り続けたのです。世界中が水に埋もれてしまったのです。ノアたちの箱舟は神さまによって戸が閉められ守られました。
5月23日(土)創世記七17?24
40日間も雨がふれば、山だって水の中に埋もれてしまいます。でも箱舟はちゃんと水の上に浮かびます。箱舟にのっていたノアと家族と生き物たちだけが生き残ることができました。ノアが神さまの言われたとおりに従ったからです。正しく生きたとはそういうことなのです。
大洪水の後、今度は水が引いて地面が乾くにはとても時間がかかります。なんとノアとその家族が外に出られるまで6ヶ月近くかかりました。その間箱舟の中でどんなふうに過ごしていたのでしょうね。
5月24日(日)創世記八1?5
箱舟にのって大洪水から助かったノアの家族と生き物たち。舟は150日もの間水の上に浮かんでいました。動物たちは早く出たいと騒がなかったでしょうか?神さまは彼らのことを覚えて気にかけておられました。
5月25日(月)創世記八6?12
ノアは地面が乾いているかを知るために、からすと鳩を飛ばしました。まだどこにも止まることができなかったようで、箱舟に帰ってきました。それから7日たって鳩を飛ばすとオリーブの葉っぱを加えて戻ってきました。さらに7日目に鳩を飛ばすと、もう戻ってきませんでした。どうやらそろそろ外に出られそうです。
5月26日(火)創世記八13?19
ノアが箱舟から外をみると、地面は乾いているように見えました。けれども外には出ませんでした。神さまの言葉がかかるまで待ちました。だれか外に飛び出したくならなかったのかな。とうとう神さまが「外に出ていいよ」と言われました。そこでノアと家族と箱舟の生き物たちはみんな外に出ました。
5月27日(水)創世記八20?22
外に出るとノアはまず神さまに礼拝をささげました。神さまはノアのささげものを受け取られ、「人の思いは小さいときから悪い。もう二度と洪水で生き物を滅ぼすことはしない」と思われました。洪水の後も人の心は変わりません。だから神さまはイエスさまによって私たちを救い、心をきよめる道を用意してくださいました。
5月28日(木)創世記九1?7
神さまは、ノアと奥さん、息子たちと息子たちの奥さんたちを祝福されました。そして木の実や植物、畑になるものだけでなく、生き物たちも人の食物として与えられました。ただ動物の血をたべることと、人の命を奪うことはしてはいけないと言われました。人は神さまのかたちに造られた大事な存在だからです。
5月29日(金)創世記八8?11
神さまはノアと家族と生き物たちと約束をされました。それはもう洪水で世界を滅ぼすことはしないということでした。神さまにとって世界を滅ぼし、新しい世界を作ることは簡単です。でも神さまはさばくことより、人を救いたいのです。
5月30日(土)創世記八12?17
約束のしるしに虹が与えられました。虹を見るのは人だけでなく、神さまも、です。そして今の私たちへの約束でもあります。だから虹を見たらこの約束を思い出すのは神さまと私たちです。
今日はペンテコステです。教会の誕生した記念の日です。創世記のバベルの塔で言葉がばらばらになって人々は散らされました。しかしペンテコステで注がれた聖霊によって、弟子たちがいろいろな国の言葉で語るイエスさまのことを聞き、イエスさまのもとにまた人々が集められるようになりました。
5月31日(日)創世記十一1?2
今世界は同じ言葉ではありません。外国語を聞いてみさっぱりわかりません。でももし同じ言葉だったら、世界はどんな感じなのでしょう。
6月1日(月)創世記十一3?4
その時代の人々は、れんがやアスファルトなどが造れるようになり、大きくてしっかりした建物を建てられるようになりました。やがて立派な建物のある町を造り始めました。さらに天まで届く塔をたてて、自分たちがいかに力があるかをみせつけてやろうと考えました。そしてここから散らされないようにしようとしました。
6月2日(火)創世記十一5?7
人々の計画は、神さまがノアたちに言われた「産めよ、増えよ、地に満ちよ」と言われた言葉とは反対のことでした。神さまが彼らの言葉を混乱させて、人々がいろいろな言葉で話しだしたので、彼らは一緒に町を建てたり、塔を立てたりできなくなってしまいました。何を聞いてもお互いわからなかったからです。
6月3日(水)創世記十一8?9
お互いに通じあえなくなったので、人々は他の場所へと散らされて行きました。神さまによって言葉がばらばらにされたので、その町はバベルと呼ばれるようになりました。
6月4日(木)使徒二1?13
かつてバベルの塔を立てようとした人たちは、神さまによってお互い何を言っているのかわからなくなり、ばらばらになりました。けれども今度は聖霊によって、弟子たちがいろいろな国の言葉を語りだしました。だからそれを聞いた人々は、自分の国の言葉で、イエスさまのことを聞くことができたのです。
6月5日(金)使徒二14?36
神さまはイエスさまを死からよみがえらせました。そして今外国語で話している弟子たちはみんなそのことの証人なのです。ペテロは語りました。「イエスさまは、イエスさまをねたんだ人々によって、十字架で殺されましたが、実は神さまの計画でもありました。それはイエスさまを死からよみがえらせ、私たちすべての人を罪と死の裁きから救うことでした。このお方がキリストなのです」。
6月6日(土)使徒二37?42
聞いていた人々は、聖霊に心を強く刺されました。このままではいけないと思い、悔い改めて洗礼を受けました。なんと3000人の人たちがイエスさまを信じる仲間になりました。
イスラエルという民族や国の始まりは、聖書に出てくるアブラハムからです。アブラハムは祝福の源として用いられる人になります。もし私たちも、あなたのおかげで私も祝福を受けている、なんて言われたらうれしいですね。
6月7日(日)創世記十二1
アブラハムがまだアブラムという名前だった時、突然神さまが彼に声をかけられました。「今住んでいる国を離れ、親戚とも親とも離れて、私が行けというところへ行きなさい」。神さまはアブラムを呼んで、「これからわたしと一緒に生きていこう」と言われたのです。
6月1日(月)創世記十二2?3
神さまは一緒に生きようと言われ、約束をされました。それは神さまと一緒に生きるなら、あなたは人々から尊敬される人になります。偉大な人と呼ばれます。あなたを祝福し、またあなたを通して他の人も祝福を受けるようになります。という約束でした。
6月8日(火)創世記十二4
アブラムは神さまと一緒に生きることを決心しました。それは神さまが言われたように生きるということです。おいのロトも、おじさんと一緒に行きたいとついてきました。なんとアブラムは75歳で新しい人生が始まりました。
6月9日(水)創世記十二5?6
アブラムの仲間は妻とサライ、おいのロト、そしてアブラムの家で働く人々です。そして多くの財産も持っていましたし、羊や牛などの家畜もたくさんいました。それらをみんな引き連れて大きな群れでカナンの地へ向かって旅をしました。
6月10日(木)創世記十二7
カナンにつくと、神さまがアブラムに言われました。「あなたとあなたの子や孫やそのまた子たちにこの地を与えるよ」。アブラムには子どもはいません。でも神さまは、アブラハムだけでなく、あなたの子や孫にとまで言われました。それに今はカナン人の住んでいる土地です。でもアブラムは神さまのためにささげものを焼く祭壇を造り、神さまに感謝の礼拝をしました。
6月11日(金)創世記十二8?9
アブラムはさらにカナンの中を進んでベテルとアイの間にやってきました。アブラムはそこにテントを張りました。アブラムの生活は家を立てて同じ場所にずっと住むのではなく、テントで移動しながら、また羊や牛の食べる草を探しながらの生活です。
6月12日(土)創世記十二8?9
ベテルは「神の家」、アイは「滅亡」という意味があるそうです。アブラムは神の家と滅亡の間に祭壇を造ってお祈りをしました。神さまから引き離そうとする罪と滅びに引きずられて、進む方向がずれてしまいやすいのが私たちです。だから礼拝によって神の家に向かうのです。
子どものいないアブラムにとって、おいのロトは息子のようであったかもしれません。そんなロトと旅をすることは楽しかったでしょう。けれども、別れなければならないときがやってきました。
6月13日(日)創世記十三1?4
アブラハムは飢饉のためしばらくエジプトにいましたが、エジプトでアブラハムは大きな失敗をしてしまいました。しかし神さまの助けの中で、エジプトから帰って来たのです。ベテルとアイの間に戻ってきて、そこに造った祭壇で、アブラムはまた神さまを礼拝しました。
6月14日(月)創世記十三5?7
アブラムもロトもたくさんの財産や羊、牛を持っていました。ところがそれが大きな問題になったのです。その地域ではもう二人が持っているたくさんの家畜たちに十分に食べさせられるものがなく、それぞれの家畜を飼うものたちが、草をめぐってケンカをするようになりました。財産を多く持っていても問題はあるものです。
6月15日(火)創世記十三8?9
アブラムはロトに提案しました。「このままずっと一緒にいたらケンカばかりになってしまう。ここで別れよう。」争いをおさめるには、別れるということもあるのです。アブラムは右へ行くか左へ行くか、ロトが先に決めていいと言いました。アブラムはロトを愛していたので、ロトが願うようにしてあげたいと思ったのです。
6月16日(水)創世記十三10?13
ロトは木がしげり、川が流れ、草がたくさん生えていて、人が住みやすそうなソドムを選びました。そこならたくさんの羊や牛が食べるものに困らなくて良さそうです。でも実はソドムは神様の目に悪いことばかりする町だったので、後に滅ぼされることになるのです。もちろん二人はまだそのことを知りません。
6月17日(木)創世記十三14?17
ロトがとてもいいところを選びました。アブラムに残されたところはどうだったでしょう。神さまはアブラムに言われました。目を上げて良さそうな一方向だけでなく、全体を見渡し、また気に入ったところだけに行くのではなく、いろいろなところを神さまが言われるままに歩きなさいと。すべて見渡すところ、全て歩くところが与えられるからです。
6月18日(金)創世記十三14?17
アブラムには子どもがいません。でも神さまはまた言われました。「あなたとあなたの子孫に永久に与える」と。さらには「あなたの子孫を地のちりのように数え切れないほどにします」と。アブラムにはまだまだたくさんの恵みが神さまによって残されていました。
6月19日(土)創世記十三18
アブラムの生活にはいつも祭壇を築いて神さまを礼拝することがありました。
今週読む聖書の出だしの1節から12節は、読みにくい名前の王さまがでてきて、何がなんだかわからないと、読むのが嫌になるかもしれませんね。辛抱して読んでみてね。
6月20日(日)創世記十四1?12
ロトの住んでいる町と仲間の町の4つが手を組んで味方になり、自分たちを支配している4つの町と戦争をしました。しかし支配者側の4つの町の方が強く、ロトの住んでいる町のソドムの王やゴモラの王、そして他の町の3人の王もみんな逃げ出しました。そこで、強い町の王がソドムとゴモラの財産や食べ物を奪っていきました。ロトも連れて行かれてしまいました。
6月21日(月)創世記十四13?16
アブラムのところにロトを助けてほしいとやって来た人がいました。そこでアブラムは戦いのために訓練したしもべを連れて助けに行きました。それにしても戦えるしもべが300人もいて、財産もあって、家畜もいっぱいいるアブラハムです。もともと住んでいた人たちにとってアブラムは、こわい人であったかもしれません。でもアブラムは土地の人たちとよい関係を持ち、何かあったらお互い助け合う仲間の約束をしていました。そういった仲間たちとロトを助けに行きました。
6月22日(火)創世記十四13?16
人数では敵の方が多く、かなう相手ではなかったでしょう。二手に分かれて夜のうちに敵を襲う作戦にでました。その作戦がうまくいき、敵を追い払うことができました。アブラムには助け合う仲間と、助けてくださる神さまがともにおられました。
6月23日(水)創世記十四17?18
戦いから帰ってきたアブラムを二人の王が迎えました。一人はソドムの王で、自分の町を助けてもらったお礼がしたかったでしょう。もうひとりはサレムの王メルキゼデクでした。彼は平和の王であり、いと高き神の祭司として神さまと人をつなぐ人です。彼はアブラムにこの戦いの勝利が神さまのおかげだと心にとめさせるためにやってきたのです。
6月24日(木)創世記十四19?20
メルキゼデクはアブラムを祝福しました。そして、神さまが敵をアブラムに渡されたと、神さまをほめたたえました。
6月25日(金)創世記十四19?20
アブラムは持ち物の10分の1を神さまにおささげしました。戦いに勝たせてくださり、ロトを助けさせてくださった神さまへの感謝のしるしでした。
6月26日(土)創世記十四21?24
アブラムはソドム王の贈り物を受け取りませんでした。ソドムの王が後になって、自分のおかげで豊かになったとは、決して言わせないためでした。ソドムの王の財産をもらわなくても、アブラムは神さまによって豊かだったからです。
75歳で神さまに従ったアブラム。神さまと一緒に生きるアブラムの生活は、夢を与えられ、時間をかけてかなえられていく歩みでした。
6月27日(日)創世記十五1
神さまはアブラムの盾になるから、何も恐れることはないといわれました。神さまがアブラムの前に立って、どんな攻撃からもアブラムを隠し守ってくださるのです。さらには、神さまがアブラムから始まってアブラムの子孫へと受け継がれていくすばらしい恵みを与えると約束されました。
6月28日(月)創世記十五2?3
アブラムには子どもがいません。子どもがいないのに、子や孫へと受け継がれていくものを与えられてもアブラムの後、だれがそれを受け継いでくれるでしょう。だからアブラムはもう後継ぎとして別の人を考えていました。
6月29日(火)創世記十五4?6
神さまは子どものいないアブラムに、星の数ほどの子孫を与えると大きな約束を与えられました。だからアブラムが考えている人を後継ぎにする必要はないのです。自分の考えを越えた神さまのびっくりするような言葉にアブラムはワクワクしました。自分の子どもをちゃんと後継ぎにできるのです。その約束をアブラムは信じました。そういうアブラムを神さまは、あなたは正しい人だ、私の心にかなう人だと受け入れられました。
6月30日(水)創世記十五7
神さまの約束は、この地をアブラムに与えるということでした。まだ子どもは一人もいないし、ここには他の人々が住んでいて、アブラムの土地はありません。でも星の数ほどの子孫が与えられ、数えきれない人が住む土地が与えられるのです。
6月31日(木)創世記十五8?11
神さまはその約束をどうやって進めていくのでしょうか。アブラムは契約のしるしとして動物を用意しました。契約を結ぶとき、どうやってアブラムがこの地を受け継ぐことができるのかを聞くことができるのです。アブラムは動物を狙ってやってくる鳥を追い払いながら神さまを待ちました。
7月1日(金)創世記十五12?16
アブラムはカルデヤのウルという町から神さまによって導き出されました。神さまは、アブラムの子孫もまた奴隷という苦しみを乗り越えてエジプトから導き出され、この土地を与えられると言われました。アブラムが生きているうちに起こるのではなく、もっともっと長い時間をかけた神さまの計画でした。
7月2日(土)創世記十五17?20
夜の暗闇の中で、神さまの炎が、アブラムの裂いた動物の間を通られました。こうして、今はいろいろな人々が住んでいるこの地をあなたの子孫に与えるという神さまとアブラムの契約が結ばれました。