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11月
神の恵みのゆえに……
教団委員長 中西 雅裕
「しかし、神の恵みによって、わたしは今日あるを得ているのである。そして、わたしに賜わった神の恵みはむだにならず、むしろ、わたしは彼らの中のだれよりも多く働いてきた。しかしそれは、わたし自身ではなく、わたしと共にあった神の恵みである」(Iコリント15:10)。
ブラジル福音ホーリネス教団の宣教90周年記念式典に参加させていただきました。
地理的に地球の対極にあると言われるブラジルと日本ですが、その関係は深く、日本から1908年に781人が「笠戸丸」に乗ってブラジルに渡ったのが日本からの移民の初めと言われ、今では160万人の日系人がこの国で生活しています。東京聖書学院で学んだ物部赳夫先生は、1925年に32歳でブラジルの地に『福音』を携え赴きます。交通の不便な時代、馬に乗るか徒歩で各地を回り伝道したと言います。あるときは、歩き疲れて空腹のあまり、道のわきにあった見ず知らずの家に「何か食べさせてください」と倒れ込んだと言います。そこで、先生は空腹をかかえて3時間待たされます。そして、出てきたのは白米のご飯でした。その家の主婦は、「日本人だからお米が良いでしょうと思って、畑に行き、稲を刈り、臼でついて炊きました」と言ったそうです。3時間!しかし、その時間はブラジルの人々の旅人をもてなそうとする心の優しさを表します。このようなブラジルの方々の間にあって命がけで伝道すること5年。先生は肝臓癌で召されます。日本からビジョンを与えられて、遠い国での5年は短いようにも感じます。しかし、その期間に日本から先生と同じようにブラジルの地に使命を持つ先生方が起こされ、ブラジルで救われた者が聖書学院に留学するのです。
冒頭の御言葉は、先生の生涯の御言葉であったと言います。神の恵みによってなのです。先生の墓石には、「福音使 物部赳夫」と記されています。「福音使」!何と素晴らしい響きの言葉でしょう。この先生によって始められたブラジル福音ホーリネス教団は、現在国内10州に41の教会があり、伝道所、巡回地を持ちながら伝道のわざを進めています。この記念式典の会場には、ブラジルと日本の国旗の間を繋ぐように何百もの鳩の形をした折り紙が、虹のように飾られていました。今回、総会で日系ブラジル人秦野教会の上山マルシオ先生が按手礼を受けられ、12年間宣教師としてブラジルで奉仕された新谷聡一郎・聖美先生御夫妻が、日本へ帰国されるために「再派遣式」が持たれました。「日本からブラジルに福音が届けられた。今、ブラジルからも日本に福音が届けられている。」日本とブラジルの良き関係を目の当たりにさせていただきました。
10月
霊なる主の働き
教団委員長 中西 雅裕
「わたしたちはみな、顔おおいなしに、主の栄光を鏡に映すように見つつ、栄光から栄光へと、主と同じ姿に変えられていく。これは霊なる主の働きによるのである」(Ⅱコリント3:18)。
「主から与えられた賜物は、主の働きのために用いることを、主が望んでおられることを聖会で教えられました。」
ひとりの高校生が、証詞をしてくれました。「集会が始まる前、『急だけど来週キャンプに行かない? 奉仕者が足りなくて困っているんだけど』とさそわれました。スケジュール表を見ると、日程的には空いていました。『でも、この夏は他にも多くの予定が入っていて無理。その週は休みたいもん』と答えました。その後の集会で、『何が神さまに喜ばれるのか』と語られた御言葉に心がザワザワしました。主の語りかけにお応えすべきだと示されました。そして、祈って『行ってもいい』と返事をしました。翌日、そのキャンプの案内が来たときビックリしました。このキャンプを私は知っていたのです! 数日前に、キャンプのためにお祈りくださいと、メールでみんなに言っていた文章を、私は読んでいたのです。あぁ、私が神さまに導かれて行くことになったのは、このキャンプのことだったんだ! と。それを先生に伝えると『不思議な摂理に導かれて……がんばろうね。神さま、私たちに与えてくださった賜物を用いさせてください。土の器ですが、用いてください。と祈りつつ』 と返事が来ました。その集会で賛美した『土の器』という賛美の歌詞を思い出しました。
♪土の器――欠けだらけの私 その欠けからあなたの光がこぼれ輝く 土の器 ヒビだらけの私 そのヒビからあなたの愛があふれ流れる こんな私でさえも 主はそのままで愛してくださる だから今 主の愛に応えたい 私のすべてで 用いてください主よ 私にしかできないことが 必ずあるから
―あぁ、そうなんだなと思いました。」御言葉を聞いて、主に従っていく幸い。しかし、そこには犠牲も生まれます。それを喜んでさせていただけるのは、主の愛に応えたいからではないでしょうか。感謝だなぁと思いました。各地でもたれた聖会において、主を仰がせていただき、恵みの御座に導かれた方々のお証しが分かち合われています。御言葉をいただき、生き方を変えられていく「聖会」は、ホーリネス教団が大切にしていくべきものの一つです。老いも若きも、「聖会で主に取り扱われる」経験をおのおのがさせていただきましょう。
(「りばいばる」2015年10月号)
9月
勝ち得て余りある
教団委員長 中西 雅裕
「しかし、わたしたちを愛して下さったかたによって、わたしたちは、これらすべての事において勝ち得て余りがある。わたしは確信する。死も生も、天使も支配者も、現在のものも将来のものも、力あるものも、 高いものも深いものも、その他どんな被造物も、わたしたちの主キリスト・イエスにおける神の愛から、わたしたちを引き離すことはできないのである」(ローマ八37〜39)。
突然の病の宣告に動揺を覚え、「すべてを主におゆだねします、と毎日祈っていた祈りが急にできなくなってしまったのです。何と信仰のない者か、自分の弱さを痛いほど思い知らされました。こんな私のために祈ってください」。そんな祈祷課題が出されました。死を前にしたときに、私たちの心は震えます。あんなに愛していた主を疑い、従うことを平気でやめてしまうかもしれない自分に愕然とするのです。その姉妹の素直な告白に、その場にいた者たちは何と返答してよいかわからず、沈黙が続きました。そのときです。最長老の姉妹がこの御言葉を引き、祈り始められました。御言葉を聴きながら、みんなの心が主に向きました。「わたしたちを愛して下さった主」は、私の手を引いてくださる主です。祈れないとき、主の御前に連れ出してくださる主です。暗闇の中でも、しっかりと導びいてくださる主です。「わたしは確信する」。死ですらも、この御方の愛から私たちを引き離すことはできないと。それは、私たちサイドの力ではない、「わたしたちを愛して下さったかたによって」なのです。その愛の大きさに打たれ、今一度その愛の大きさを確認させていただき、みんなが心から「アーメン」と唱和しました。
いたずらをした子どもが、謝るべきお父さんの前になかなかでられないときに、お母さんが手を引いて一緒にでてくれるように。真っ暗な夜道を、不安で不安でたまらないときに、暖かく力強いお父さんの手に安心を覚えるように。主は私たちの人生の中にあっても、どんな状況の中でも手を引いてくださるのです。ともにいてくださる以上の恵みを覚えます。主の手のぬくもりを我が身に感じるのです。祈った姉妹は帰り際に、祈祷課題を出した姉妹の肩に優しく手を置き、「私も祈るから。主に信頼しましょう。それ以上の幸いはないからね」と。敬老の日を前に、このような信仰の諸先輩が各教会にいてくださることを感謝します。
(「りばいばる」2015年9月号)
8月
主なる神の福音を伝える
教団委員長 中西 雅裕
「願わくは、わたしの福音とイエス・キリストの宣教とにより、かつ、長き世々にわたって、隠されていたが、今やあらわされ、預言の書をとおして、永遠の神の命令に従い、信仰の従順に至らせるために、もろもろの国人に告げ知らされた奥義の啓示によって、あなたがたを力づけることのできるかた、すなわち、唯一の知恵深き神に、イエス・キリストにより、栄光が永遠より永遠にあるように、アァメン」(ローマ16:25〜27)。
敬愛する一人の牧師先生から、「このところしきりに心にかかっていることがあります。教団の総会報告を隅々まで読むようにしていますが、とくに教勢報告を見ながら心が痛みます。少子高齢化の時代だから仕方がないのでしょうか? 今こそ福音を必要としている時はないのではないでしょうか? ……だからこそ、伝道しなければならないのではないでしょうか? やらなければならないことが多すぎて、手が回らないように思えて仕方がないのですが……」とのご意見をいただきました。隠退されたこの先生は、今もその置かれている地で、個人的な魂の重荷を求め労しておられます。伝道し続けておられるのです。一人の人が救われるという喜びに生きておられる先生の言葉には重みがあり、深く考えさせられました。
わたしたちは今、真理のメッセージを躊躇することなく宣べ伝え、神への全き献身の道を歩んでいるでしょうか。どのような暗黒の時代であっても、徹底的な悔い改めをし、主に自らを明け渡し、神の愛に満たされ、罪の力が打ち破られる経験をした者たちには、生活に聖さと輝きが現れてくるのです。神の力と恵みと愛が溢れる、神の恩寵に生きられるのです。主に栄光を帰しつつ、喜んで主に従って生きる者たちとさせていただけるのです。その生き方は、この世にインパクトを与えます。そこに聖霊が働いてくださる時、主の救いあずかる人々が起こされていくのです。戦後70年を迎えるこの時も、私たちに与えられている「聖化」の恵みをしっかりと自分たちのものとしながら、祈りと御言葉に深く身をゆだねたいと思います。この夏、また秋、各地で聖会が開かれます。キャンプや修養会も持たれます。そこで主に取り扱っていただき、再献身をさせていただきましょう。福音はすべての人に必要であり、どんな人をも造り変える力があるのです。「救い主」なる御方とともに生きる、この喜びを手渡すために生きる者たちとさせていただきましょう。
(「りばいばる」2015年8月号)
7月
主を待ち望む者は新たなる力を得……
教団委員長 中西 雅裕
「しかし主を待ち望む者は新たなる力を得、わしのように翼をはって、のぼることができる。走っても疲れることなく、歩いても弱ることはない」(イザヤ40:31)。
ネヘミヤ・プロジェクトのためにお祈りとご協力をありがとうございます。時間をかけての歩みの中で、思いもかけない道に導かれたりする不思議さを味わっています。その中で、「このプロジェクトは神さまによって始められ、神さまによって導かれ、神さまの御心がなる働きなのだ」との更なる確信が与えられてきています。日本ホーリネス教団・OMS・東京聖書学院・東京学院後援会・東京聖書学院教会を中心とする実行委員会を、各部が支えます。またその働きを、全国の教会と信徒の方々が日々覚え、祈って支えてくださるのです。何と感謝なことでしょう。この日本の地において、多くの献身者を育成する学院の働きと、その献身者の働きを支える教団の働きが前進していくようにお祈りください。一つひとつの歩みの中で、「わが思いは、あなたがたの思いとは異なり、わが道は、あなたがたの道とは異なっていると主は言われる。天が地よりも高いように、わが道は、あなたがたの道よりも高く、わが思いは、あなたがたの思いよりも高い」(イザヤ55:8〜9)ことを教えられ、「あなたがたは喜びをもって出てきて、安らかに導かれて行く。山と丘とはあなたの前に声を放って喜び歌い、野にある木はみな手を打つ。いとすぎは、いばらに代って生え、ミルトスの木は、おどろに代って生える。これは主の記念となり、また、とこしえのしるしとなって、絶えることはない」(イザヤ55:12〜13)との将来に目を向けさせられています。主のなさる最善を信じ、この御方に信頼しての一歩一歩の歩みです。目の前に見える課題に臆することなく、御言葉に従って主の喜ばれる正しい歩みをしていきたく願います。「このように、わが口から出る言葉も、むなしくわたしに帰らない。わたしの喜ぶところのことをなし、わたしが命じ送った事を果す」(イザヤ五五11)と約束してくださっているのですから。この働きが、これからの日本の福音前進のために用いられ、主のご真実を証しする「主の証し(主の記念)」となっていけますように。
(「りばいばる」2015年7月号)
6月
富ませる力のあるかたに守られて
教団委員長 中西 雅裕
「神はあなたがたにあらゆる恵みを豊かに与え、あなたがたを常にすべてのことに満ち足らせ、すべての良いわざに富ませる力のあるかたなのである」(Ⅱコリント9:8)
4月17日からOMSの新総理になられたロバート・フィッツァレン師御夫妻が来日され、東京聖書学院チャペル、教会でのご奉仕などをしてくださいました。教団委員たちとも良き交わりをなし、これからの歩みのために祈り合うときがもてたことを感謝いたします。また、4月27日にはブラジル福音ホーリネス教団のアウグス梅木師との懇談のときをもちました。互いに託されている働きの場で、どのように助け合い、福音の前進のために労することができるのかを話し合うときでもありました。こうして折りあるごとに与えられる、主にある同労者たちとの交わりにより、心が燃やされます。それぞれの国の言葉を託され、そこで福音を語る主の証人とされている幸いを、心からありがたく思うのです。互いにイエス・キリストを仰ぎながら、その十字架の下に力を結集し、「協力」ができることもまた幸いです。6月15〜18日には、WH連女性教職・牧師夫人大会が韓国でもたれ、同じホーリネスの信仰を持つ韓国・台湾の方々との関係を深めます。また今年度は、教団から北米ホーリネス教団に一家族の牧師を派遣します。主なる神のもと、ともに協力していくのです。「ただ、聖霊があなたがたにくだる時、あなたがたは力を受けて、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、さらに地のはてまで、わたしの証人となるであろう」(使徒行伝1:8)。それぞれに、時代の中で困難さを覚えないわけではありません。しかし、その状況を打破してくださる力のある御方が私たちにはいてくださるのです。すべての必要を満たしてくださる、この力のある御方を信じて、ともに置かれている場で福音宣教に励む者たちでありましょう。
今年、東京聖書学院に入学した一人の兄弟のお母さまが、新聖歌311番「いかに恐るべき」を賛美して彼を送り出しました。歌詞を味わってみてください。何があっても守ってくださり備えてくださる愛の神を信じて、さぁ出て行きましょう。「御翼の陰は安らかなり」。おのおの遣わされている地で。
(「りばいばる」2015年6月号)