2015年5月

「宣教師のために祈って欲しいこと④」
独身女性宣教師ってどうなの?
第3種協力牧師  木下 理恵子


 教会も女性が多いですが、宣教師も独身女性が多いのが現実です。ただし、独身に召されているから結婚しないという人は少ないようです。それぞれの結婚願望も違い、独身であることに大きな葛藤を覚える方もいます。どちらにしても自分の子どもを産むことがない、家族を持つことがないことは、自分の中で向き合い、主からの癒しや助けを受けなければなりません。
 そうした独身女性宣教師が宣教地に行くと、思いもかけない出来事にでくわすことがあります。毎週出席している祈祷会が、その日は自分の結婚のために特別に祈ってくれる祈祷会になってしまっていた。あるいは、祈祷会に行ってみたら、見合いを設定されていたということもあります。宣教地によっては、外国人(あるいは日本人)と結婚したがる人の多いところもあります。
 また独身女性宣教師の場合、宣教地で初めて会う日本人ではない独身女性宣教師と一緒に住み、奉仕するようになります。結婚と違い、「その人が好き。一緒に生きていきたい、奉仕したい。」というのではなく、「働きに関するヴィジョンや重荷が一緒」というだけで同労者になり、一緒に住むようになります。長い時間をかけ、さまざまな困難を通り抜け、主のわざをともに見て、一緒にいることが心地よくなっても夫婦とは違い、最後はお互い一人でそれぞれの母国に帰って行きます。ところが、既婚の女性宣教師からは、独身女性宣教師はよく羨ましがられます。「独身の人は家族の食事の準備や、子どものお迎えに行かなくていいから、現地の人たちと一緒の時間が圧倒的に長い。それだけみんなとの関係が築け、信頼され、実を結ぶことも多い。現地の人が何か相談事があるときは、独身の人の方に行くのが寂しい」。「勉強に集中できる時間も、現地の人としゃべる時間も多いから、現地語が上手」。「休みの日は、他の独身宣教師と一緒に食事をしたり、遊びに行ったり楽しそう」。
 もちろん、結婚をしていても独身であっても、それぞれに長所や短所があり、どちらかが絶対に良いということではありません。しかし、今の自分に与えられている立場を受け入れること、またそこに与えられる恵みを主から受け取ることができるよう、そして、喜んで生き、奉仕し、主に用いていただけるように、お祈りくださると感謝です。


2015年4月

「宣教師のために祈って欲しいこと③」
宣教師がカウンセリングを受ける?!
第3種協力牧師  木下 理恵子


 また、言葉だけでなく、宣教地では気候も風土も違います。食べ物も違います。日本では常識であることが、通用しないこともあります。いくら宣教地やそこの人々が好きでも、長くいて慣れたと思っていても、日本にいるときとは違い、宣教師は無意識のうちに、緊張とストレスを感じながらの生活をしているのです。
 そのような生活をしていると、日本にいたときには、実際には深刻なはずなのに、何とかごまかせていた問題が、どうにもならなくなってしまうことがあります。問題のある夫婦が、その抱えている問題が解決されない限り、結婚生活も、宣教も続けられないと、宣教地で初めて自覚するということがあります。子育ても同じです。
 さらに、自分の中で向き合うことを避けてきた未処理の問題が、宣教地で浮き上がってくることもあります。ある宣教師は小さい頃、親から虐待を受けていましたが、あまりにも苦しい思い出のため、自分でも忘れていました。ところが、母国から遠いアジアの宣教地に来て、「親もここまでは自分を追いかけて来られない」と感じたとき、その封印していたものがよみがえってきたのです。とくに、似たような経験をしてきた求道者と接するうちに、どうしても思い出せなかった過去の出来事を思い出すようになりました。そして、宣教地でカウンセリングを受けるようになりました。幸いその宣教師は、カウンセリングの助けを得ながら、少しずつ癒しと解放を体験して行きました。
 このように、宣教地に来てカウンセリングを受ける宣教師は少なくありません。神さまは、確かに宣教するために私たちを召し、宣教地へと遣わされます。しかし、それだけではなく、宣教師を主の愛する一人の子に変えようとして、あえて外国まで連れて行ってくださるということもあります。母国では目をそむけ対処できない問題を、外国で気づかせ、直視できるようにし、癒し、また解放してくださるのです。
 宣教地で自分の隠れた問題に気づかされた宣教師たちが、それに目を覆い、あやふやなままにすることがないように、また、必要ならカウンセリングを受け、癒しを体験できるようにお祈りください。自分をこんなに愛してくださる神さまの御愛を信じ、思い切って、踏みだすことで、結果的にさらに宣教できるようになるのですから。
 宣教師子弟は、「自分はいったい、どこの国の人間なのか?」という、アイデンティティの問題に必ず直面します。出生地は日本、親も日本人でも、日本よりも宣教地の文化に染まり、宣教地のほうが心地良かったりする。言葉ができても、自分はその国の人ではない・・・・・自分で選んだわけでない、親の召しと、信仰のゆえに直面させられる大きな課題。宣教師夫婦は、将来わが子がどの国で生きていくようにするのかを考え、決断しなければならないのです。
 ぜひ、親としての宣教師、また、特別な十字架を背負わされる子どもたちのためにお祈りください。それが重荷でなく、大きな祝福となるように。

2015年3月

宣教師のために祈って欲しいこと②」 
子どもの教育「私は何?」
第三種協力牧師 木下 理恵子


 これまでに何人もの宣教師から、宣教地での子どもの教育についての心の葛藤を聞いてきました。これは、日本国内で転任する牧師家庭にもある悩みです。「上の子はよく適応し、問題ないけど、下の子は転任先の子の中に入って行けない」等。同じ家庭の中でも、その子の年齢、性格によっても差がでてきます。このように、子どもが宣教地に適応できず、やむなく帰国した宣教師たちもいます。
 加えて、教育が大きな問題となってきます。どの宣教地にも、毎日通える距離に、日本人学校があるわけではありません。あったとしても、ほとんどは中学までです。高校からはどうするのか。日本に一人だけ帰し、ほとんど住んだことのない日本で、親もとを離れて下宿させるか。そもそも日本の受験をパスすることができるのか等、不安もあります。
 また、宣教地に残って、現地校に入れたりそこにあるアメリカン・スクールに入れるという選択肢もあります。しかし、高校からとなると、どちらも言葉が問題となります。今まで日本語教育を受けてきて、急に現地語や、英語での授業についていくのは大変です。では、小学校(幼稚園)から現地校、あるいはアメリカン・スクールに入れれば、と思われるかもしれません。けれども、これは言葉だけの問題だけでなく、わが子をどのように育てるのかという問題なのです。将来、その子がどの国で生活するように育てるのかという、大きな選択を迫られていることなのです。
 宣教師子弟の多くは、大学教育を受けた国でそのまま就職し、生涯を過ごします。宣教地の学校に入れた場合、親が日本に帰国しても、子どもは宣教地で一生生きることになります。アメリカン・スクールに入れた場合にも、アメリカ人のように育っていきます。しかし、アメリカの大学に進学するときには、今まで住んだこともない、家族も友人もいない国に、一人で住むことになります。それまでは、学校に行くとアメリカ、家に帰ると日本、外に出ると宣教地というミックスされた生活だったのが、突然「全部アメリカ」になります。いくら英語が話せても、カルチャー・ショックを受けます。


2015年2月

「私、宣教師に召されている?」 宣教師の召しの知り方
第三種協力牧師 木下 理恵子

 この半年、宣教師がどのように召されたかについて、紙面で連載してきした。それを読んで、「私も宣教師に召されているのかな?」とか、「自分も海外宣教に興味がある!」と思われたかたがいらっしゃるなら、うれしく思います。ところで、宣教師に召されているのかどうかを確認するためには、一体どうすればいいのか、ご存知でしょうか。それは・・・・・。

①信頼できる人に分かち合い、祈ってもらうこと。
 「宣教師に召されているかもしれない」という思いを他人に打ち明けるのは、勇気がいるかも知れません。まず、牧師や宣教師や教会の信仰の先輩等で、自分が信頼でき自分をよく知っていて、祈ってくださる人に、相談して祈ってもらうようにしてください。そうすることで客観的な意見によって、さらにはっきり御心がわかるようになります。またこうした人を通して、さまざまな情報や次のステップが示されることもよくあります。必ず一人でなく、複数で(教会と一緒に)、導きを求めることが大切です。海外宣教は一人でするものではありません。ともに祈ることで、周りの人も(教会も)、あなたを宣教師として送り出すように召されているかどうかを知ることにもなります。

②具体的に海外宣教に関わっていくこと。
 例えば、宣教師のニュースを定期的に送ってもらったり、宣教師の巡回報告会に出て、話を聞いたりしてください。(私の所属していた宣教団体では、各地で毎月一回の海外宣教祈祷会が持たれています)。宣教師に実際に会い、宣教地の詳しい情報を得ながら祈ってください。また宣教視察や短期海外宣教チームに加わって、宣教地に行ってみてください。多くの宣教師は、正式な宣教師になる前に、宣教地に行く経験をしています。日本で話を聞いているのと、現地に行って見るのとでは随分違います。宣教地の人と接し、様子を見ることで、さらに重荷を持つ人が多くいます。逆に、宣教地に行くことで、自分は宣教師ではなく、母国で祈り支える方に召されているとわかる人もいます。
 宣教団体では、「具体的に海外宣教に関わる行動をとらない人は、宣教師には召されていない」と言われますが、その言葉は本当です。とにかく一歩踏み出して行動してみてください。そうするときに、主は必ず召されているかどうかを教えてくださいます。

「宣教師のために祈って欲しいこと①」
 もう一つ、今回は宣教師をしていて、「お祈りして欲しい」と思ったことをお分ちしようと思います。私もみなさまのお祈りにより、多くの主の御わざを見させていただきました。
 さて、宣教団体に加わり、宣教地に行くと、独身女性は特に安全のために、自分で選んだわけでもない別の宣教師と同じアパートの部屋に住んで、奉仕することになります。もちろん相手は日本人ではありません。会話は、英語か現地語になります。現地の言葉を学びながら、仕事の話も祈りさえも英語でするという生活をします。ことらの言葉が通じないときも、相手の言葉が聞き取れないときもあります。それは逃げ場のない大きなチャレンジでありプレッシャーでした。
 また、宣教師はお互いに賜物も性格も当然違っています。欧米の「みるからに外国人」の宣教師は、日本人の私たちよりも「宣教地受け」しました。また現地の友だちが多い人、頼りにされる人、すぐ人を主に導ける人など、さまざまです。さらに、現地の牧師と一緒に働くことがあります。そして、関わっている人も悩みや問題があると、やはり宣教師でなく、言葉が通じやすい現地の牧師のところに相談に行ってしまいます。このような中にいると、つい自分と他人を比較し、ときには宣教師や牧師に嫉妬してしまうということもありました。
 でも、こうした人の弱さの内にさえ、現される「主の力」は確かでした。以前、4カ国の宣教師と台湾の伝道者と一緒に「チーム伝道」をしていたとき、「あなたたち、違う国の人が一緒に働くことができているのを見て、あなたたちの言っている神さまは、確かにいると思った」と言われたことがありました。
 宣教師は、宣教地では一人でなく、色々な国の同労者と一緒に、ストレスの中で奉仕をしていることが多くあります。ですから、何語であっても良いコミュニケーションが取れ、傲慢や嫉妬に支配されることなく、たとえ同労者が用いられても心から主に感謝し、喜べるように。また、お互いに尊重し合い、愛し合い、与えられた賜物を忠実に用い、使え合いながら、一致を保って奉仕していけるように。そして、主が働き、チームとして用いてくださり、主の栄光が現され、主を知る人、救われる人が興されていくようにお祈りください。

2015年1月

「なぜ宣教師になったの?」(連載第八回)
フィリピン宣教師 エノプレ 悦子

①「クリスチャンになった頃から、海外宣教に興味があったのですか?」
――私は20歳のとき、東京中央教会で洗礼を受けました。東京中央教会では、礼拝者が地区ごとに奉仕をしていました。当時、私は池袋地区の方々と一緒に応援伝道に行ったり、訪問、トラクト配布をしたりしました。その地区の人たちは、しきりと海外宣教の必要を訴え
ておられましたので、自然と海外宣教のスピリットが私の心の中に植えつけられていたのだと思います。
②「いつ、どんなふうに宣教師の召しを受けたのですか?」
――――1973年12月に、フィリピンのバギオで、第1回アジア学生宣教大会が開かれました。日本のKGKの学生3 0名とともに、私も参加しました。その大会で、「全世界に出て行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えよ」(マルコ一六15)とのみ言葉が語られました。その時、フィリピンを訪れて知ったことは、第二次世界大戦のとき、日本の軍隊が東南アジアの国々に大きな被害を与えたことでした。そのため、できたら戦争責任として、和解の福音のために、東南アジアでご奉仕したいと思いました。
 大学を卒業する年、太平洋岸の国に留学を希望する学生に対する奨学金の募集があり(ハワイのRichard'sFriend Peace Scholarshipというものでした)、それに受け入れられました。2年で2千ドルが支給され、シンガポールにあるOMFの神学校( DiscipleshipTraining Center修士課程)で2年間学ぶことができました。こうして、宣教師になる訓練をすることができました。学生は、タイ、インドネシア、インド、マレーシア、フィリピン、ネパール、パキスタン、シンガポールと、アジアの国々から集まっていました。
 そして1980年、幸いにも主の導きにより、フィリピン人の牧師ペドロ・エノプレと結婚することができました。初めの4年間は、現地のバプテスト教会で奉仕し、その後、東京聖書学院での1年間の学びを経て、ミンダナオ島ダバオ市で開拓伝道をすることができました。

【祈祷課題】
ミンダナオ栄光教会に、フィリピン・ホーリネス教団から正式に牧師が派遣されるようにお祈りください。
骨粗鬆症がいやされるようにお祈りください。


2014年12月

「なぜ宣教師になったの?」(連載第七回)
元ブラジル宣教師
 新谷 聖美

①クリスチャンになった頃から海外宣教に興味があったのですか?
 いいえ。ただ、最初に与えられた奉仕が、母教会のみなさんの海外宣教献金を教団の宣教局に送ることでした。
②献身した時には、もう宣教師になりたかったのですか?
 いいえ。聖書学院3年こときの「ホーリネス週間」で、シュルツ先生が、「神さまが行きなさいとおっしゃったら、どこにでも行く備えはありますか」と問われ、英語も何もできない者でしたが、素直に応答していました。また、不思議なことに、そのときのミッションで遣わされていた平田金次郎先生ご夫妻から、台湾での宣教師生活についてうかがう機会がありました。
③最初から、ブラジルに重荷があったのですか?
 いいえ。聖書学院3年のとき、ブラジル福音ホーリネス教団の創立70周年記念大会がありました。当時、日本ホーリネス教団の海外宣教局の働きをされていた平田先生が参加され、帰国後、ブラジルにおいて日本語の働き人が必要とされていることをうかがいました。
 聖書学院卒業後、新谷との結婚に導かれ、大阪の箕面開拓に遣わされました。多くの方々に祈られ、支えられ、伝道者として育んでいただいた大切な7年間でした。
 侵害に「ブラジル宣教」の思いがあたえられましたとき、修養生時代の神さまとの約束を思いだし、夫婦で御心を求めて祈りました。主は詩篇138:8のみ言葉をもって、私を導いてくださいました。
 ブラジルに遣わされて、はや11年になりますが、ただ主の恵みと憐れみによって、ここまで導かれてまいりましたことを心から感謝しております。

【祈祷課題】
※エノプレ悦子宣教師の巡回が続いています。お祈りください。(巡回については、エノプレ師に直接お問い合わせください。)
※Oワーカー(医療ボランティア)が一時帰国して、12月~2015年2月に感謝の報告をいたします。お祈りに覚えてくださいますと感謝です。
※Iボランティアご一家のお働き、新谷聡一郎師・聖美師のお働きと、それぞれの健康と安全が守られるように、続いてお祈りください。


2014年11月

「なぜ宣教師になったの?」(連載第六回)
ブラジル宣教師  新谷 聡一郎

①「クリスチャンになった頃から、海外宣教に興味があったのですか?」
――まったくありませんでした。牧師家庭に育ちましたが、その頃の願いは、普通のサラリーマンになることでした。
②「献身したときには、もう宣教師になりたかったのですか?」
――19才の時、自動車事故をきっかけに直接献身に導かれ、人の命を支配されている神さまに、自分の人生を献げる決心をしました。献身を表明した直後、父の知り合いの牧師が、「跡取りができて良かったですね。将来はこの教会を継がれるのですか」と父に質問した際、「この子はここに帰ってこなくていいんです。世界のどこかで、神様のことを証詞していればいいんです」と返事をした言葉が、私の心に残りました。
③「いつ、どんなふうに宣教師の召しを受けたのですか?」
――2002年の年会に行ったとき、2人の牧師から、「ブラジル宣教師になりませんか」と声を掛けられましたが、その時は召命がなかったので断りました。しかし、その後「ブラジル宣教」という言葉が、私の心から離れなくなり、夫婦で御心を求めて祈りました。そして私は「向こう岸へ渡ろう」(マルコ4:35)の御言が与えられ、ブラジル宣教を決意しました。
④「最初からブラジルに重荷があったのですか?」
――ありませんでした。しかし21~22才のとき、日本語教師としてブラジルで働かせていただいた経験があるので、こうしてブラジル宣教師とならせていただいていることに、神さまの不思議な導きを感じています。

【祈祷課題】
※エノプレ悦子宣教師の巡回が続いています。お祈りください。(巡回については、エノプレ師に直接お問い合わせください。)
※Oワーカー(医療ボランティア)が一時帰国して、12月~2015年2月に感謝の報告をいたします。お祈りに覚えてくださいますと感謝です。
※Iボランティアご一家のお働き、新谷聡一郎師・聖美師のお働きと、それぞれの健康と安全が守られるように、続いてお祈りください。

2014年10月

「なぜ宣教師になったの?」(連載第五回)
(元台湾山地聖教会宣教師)  平田 金次郎

①「クリスチャンになった頃から、海外宣教に興味があったのですか?」
――四国で信仰に導かれましたが、当時OMSのジョン・マーウィン宣教師ご家族が協力宣教師でした。先生との交流を通して、祈る重荷が与えられました。また、イギリス人宣教師の集会にも参加し、ブラジル日系教会の宣教師報告もはっきり覚えています。さらに、祈りの必要を覚えた経験でした。それ以来、祈りのノートに宣教師の名まえを書きだし祈っていました。
②「献身したときには、もう宣教師になりたかったのですか?」
――東京聖書学院卒業時、私はもう30歳になろうとしていましたから、宣教学的にも自分が宣教師になることは考えませんでした。現地適応能力、語学研修能力等のためには20際代と考えていました。学院の中で北米ホーリネス教団からの修養生とともに世界宣教のために祈り、彼らの卒業後は、私が海外宣教祈祷会を導きました。また、修養生でありながら、教団の海外宣教委員会委員も担当させていただきました。
③「いつ、どんなふうに宣教師の召しを受けたのですか?」
――学院卒業後、喜界教会に遣わされました。素晴らしい教会で、3つのビジョンを掲げて伝道しました。「海外宣教への参与」「鹿児島市に教会を」「他を支援する教会に」。赴任して翌年、長男が与えられ、妻が再び妊娠しました。その年の暮れ、クリスマスを前に突然破水しました。血だらけの妻をチャーターしたセスナ機に乗せ、奄美の県立大島病院に搬送。長男を抱えて大島教会で「なぜこんなことに?」と祈っていたとき、「御心に従っていない」ことを示されたのです。じつはその前に、教団本部より、「台湾産地聖教会から宣教師を求めているが平田先生行く気はないか」と打診を受けていたのです。私たちは喜界教会の伝道が楽しく、祈らずに「自分たちには無理」と決め込んでいました。そのことを示され、病院に妻を見舞い、妻も同じ思いが与えられていました。「神さまの御心なら、台湾に行こう」。それが病室での最初の会話でした。その場で、2人で再献身の祈りをしました。(出エジプト33:14)
④「最初からブラジルに重荷があったのですか?」
――学院4年生のとき、インターン生として奉仕していた千葉栄光教会に、ちょうど教団教育部と東京聖書学院共催の聖化についての教育者セミナーのため、台湾の2人の山地人牧師がホームセテイしました。翌日の礼拝で、台湾山地聖教会(台湾山地聖教会の中心の教会)会堂建築の支援を開始されました。私は期せずして一連の日本のホーリネス教会と、台湾山地聖教会との歴史的関わりについて知り、後にその教区その牧師が日本人宣教師を求めていると伝えられたのです。振り返れば、学院在学時にすでに台湾宣教への神さまの導きが始まっていたと言えます。



2014年9月

「なぜ宣教師になったの?」(連載第三回)
千葉栄光教会(元ブラジル宣教師)  大前 みどり

①「クリスチャンになった頃から、海外宣教に興味があったのですか?」
――牧師家庭に育ち、中学2年生の時に救われましたが、海外宣教に重荷を感じたのはだいぶ後です。
②「献身したときには、もう宣教師になりたかったのですか?」
――いいえ、高校3年生の夏に献身の思いをいだき、その後は教会の奉仕や、友だちへの伝道を喜んでするように変わりました。
③「いつ、どんなふうに宣教師の召しを受けたのですか?」
――アメリカの聖書学校の「宣教学」の授業の中で、少しずつ「いえすさまのためなら海外もありかも!」と思い始めました。あるとき、テストのために御言葉を暗記していました。「大宣教命令 マタイ28:18~20」です。この御言葉に自分自身が、「え~、どうしよう=YES、と答えたらどうなるんだろう??」そんな不安の中、真剣に祈り始めました。そのとき同じ学校で、すでにインドで宣教されていた三森師一家(インマヌエル綜合伝道団・現在はボリビア在)との楽しい交わりや、地域の女性たちの「海外宣教祈り会」も大変な恵みでした。宣教師のため祈り支えるご婦人たちの姿に、またイエスさまの救いを手渡すために出て行く者がいるのだから、小さい日本からでも、小さい私でも神さまにもちいていただこう! と決心の祈りをしました。
④「最初からブラジルに重荷があったのですか?」
――いいえ、どの国かはまだわかりませんでした。東南アジアの国々の必要を聞くと、心が動いたり、特にインドの話はたくさん聞いていたので重荷を感じていたりしましたが、確信はありませんでした。
 ただ身近にあったのが「ブラジル」だったのです。それは私の姉がブラジルに渡って牧師夫人として奉仕をしていたので。また振り返ってみると、聖書学校でたまたま出会った先輩卒業生の方が「日本生まれのお坊さんの息子」で、ブラジルからの留学生の方でした。その方は牧師になっていて、後にブラジルのロンドリーナの町で再会しました。不思議ですね。

【祈祷課題】
教育ボランティアのIさん、ビザ取得の道が開かれました。

2014年8月

「なぜ宣教師になったの?」(連載第三回)
千葉栄光教会(元ブラジル宣教師)  大前 信夫

 サッカー・ワールド・カップが近づいて来るにつれ、「観に行くのですか」と何度も聞かれました。もちろん、私にとってブラジルは特別な国で、だからこそ2001年12月に帰国してからは、「どうして宣教師でなくなったのか?」を話題にすることも多くありました。今回は、「どうして宣教師になったの?」について四つの質問に答えてみます。
①「クリスチャンになった頃から、海外宣教に興味があったのですか?」
――救いに導かれた母教会である京都紫野教会には、いつも数名の宣教師が出席していました。日本最初の宣教師訓練センター(MTC)が京都にあり、さまざまな宣教師と出会う機会もありました。そして、母教会の牧師は、繰り返し講壇から海外宣教について熱く語っておられました。だから自然に興味を持ちました。
②「献身したときには、もう宣教師になりたかったのですか?」
――宣教師になりたいとは考えていませんでしたが、日本にこだわらないで、どこででも神さまに仕えたいと、心のどこかで考えていました。
③「いつ、どんなふうに宣教師の召しを受けたのですか?」
④「最初からブラジルに重荷があったのですか?」
――東京聖書学院でブラジルから帰国した宣教師より、宣教報告を聴く機会が与えられました。それまで、ブラジルへの日本人移民の歴史、現地にある日系人教会、さらに、日本語による伝道の必要も知りませんでした。それで個人の祈りにブラジルの教会を覚え、必
要な働き人が起こされるようにと祈るようになりました。時々「どうしてそれがあなたはではないのか?」と問われるような思いもしましたが、「まさか私のことではないでしょう」とお断りをしていました。けれども、ある朝のデボショーンのとき、「主も彼らと共に働き、御言に伴うしるしをもって、その確かなことをお示しになった」(マルコ十六20 )が語られ、一人で出て行くのではなく、主がご一緒に行ってくださると信じさせていただきました。こうして、いつか道が開かれたら、ブラジルに行かせていただくと心に定めました。私にとって宣教師になるということはブラジルで主に仕えるということでしたから、これが四番目の「最初からブラジルに重荷があったのですか?」の答えでもあります。

2014年7月

「なぜ宣教師になったの?」(連載第二回)
宣教局員 木下 理恵子

⑤「宣教師になってよかったと思ったことは何ですか?」
――やはり人が救われることですね。台湾で伝道して初めて救われる人が起こされたときは、もし自分の宣教師生涯で救われるのが、この人ひとりだけだとしても台湾に来てよかった。来る価値があったと思いました。
⑥「人の救い以外にもありますか?」
――たくさんあります。自分ではイエスさまのことを伝えてあげようと思って行ったのですが、台湾の人たちや教会からさまざまなことを学びました。まず台湾の教会は、多くの人が救われ、自分たちの国が変わるように真剣にリバイバルを祈っていました。そのため教団教派を超えて一致しようと努力していました。私のいた地域でも二週間に一度、教派の違う牧師が集まり、その地域や台湾のための祈祷会をしていました。また教会は、新しいことも恐れずに挑戦していました。もしうまくいかなくても、誰が責められるわけでもなく、前に向かって進んでいました。そして台湾の教会・クリスチャンは、聖霊をとても大切にしていました。 私もそれがどういうことかを実際に見て体験できました。私が中国語で聖書の話をするときは、日本語でするようにはいきません。だからこそ、そんな自分の中国語で福音を伝え、人が悔い改め、主を信じるのを見ると、明らかに自分の力ではない、聖霊が働かれたとわかりました。そうした主の働きが、はっきりわかり、見られるというのも大きな恵みでした。
いうのも大きな恵みでした。
⑦「良いことばかりのようですが、大変なことはありませんでしたか?」
――もちろんありました。初めて台湾に行ったときには、現地の人や文化に適応しようと意気込んでいました。しかし実際には中国語もできず、OMFの宣教師と一緒にいる方が多かったのです。中国語を学んでいた時期なのに、OMFの週一回の祈祷会も英語で、また、特に私は独身だったので、シンガポール人、アメリカ人と一緒のアパートで、家に帰っても英語学校にいるような気分でした。さらに私も含め宣教師というのは、みな結構頑固で変わったキャラの人が多く、そのような人たちと良い関係を築いていくのも大変でした。
 しかし主が、助けてくださいました。

2014年6月

「なぜ宣教師になったの?」(連載第一回)
宣教局員 木下 理恵子

 どうして宣教師になったのですか?――宣教師と言えば、この質問を度々受けます。これから何回かにわたって教団派遣の宣教師に、どうして宣教師になったのかをお伺いして、紹介したいと思います。1回目は、台湾宣教の木下理恵子です。
 ①「クリスチャンになった頃から、海外宣教に興味があったのですか?」
 ――いいえ、宣教師は身近にいなかったし、海外宣教の話しもほとんど聞いたことがなく、教会の掲示板に宣教師の祈りの手紙が貼ってあるのを読んで、「へー、珍しいことをしている人がいるな」という程度でした。
 ②「献身したときには、もう宣教師になりたかったのですか?」
――いいえ、どういう形であれ、フルタイムで主に仕えたいと思っていました。
 ③「いつ、どんなふうに宣教師の召しを受けたのですか?」
――神学校で学んでいたとき、ケズィック・コンベンションに出ていて、御言葉は何て素晴らしいものかと思いました。「もし聖書が無かったらどうなるのか……。」死にかけている人にどうやって天国の望みを証明できるか、また信仰を持っても、どうやって成長できるかと思い(ロマ十17)、まだ母国語で聖書を持っていない人たちのために聖書翻訳をしたいと思いました。そのとき、海外宣教だと思いました。
 ④「最初から台湾宣教に重荷があったのですか?」
――最初は、聖書翻訳の宣教師として、パプアニューギニアとか、ジャングルに行くと思っていました。その準備をしているときに、ある宣教師から、どこかの国の人によく会っていないかと聞かれました。振り返ってみると、いわゆる華僑(中国人)に、多く会っているのを思い出しました。そして、中国語の聖書はあるけれども、そのときの中国には「もし聖書がなかったら」というあの「もしも」が、現実にあるのではないかと思いました。こうして中国に重荷を持つようになりましたが、最初の導きとあまりにも違うので悩みました。神学校の校長に相談すると、「主は、あなたに肉体をとって人々の間に宿ってくださったイエスさまのような、聖書翻訳をしてほしいのではないか(ヨハネ一14)。つまり、まだ聖書を読んだことの無い人たちが、あなたを見て、聖書に書いてあることがわかった、神の栄光を見たというような、宣教師になって欲しいのではないか」とおっしゃいました。しかし、中国に宣教師は入れなかったので、OMFからの勧めで台湾に行きました。自分の重荷というよりも、神さまによって台湾へと導かれて行ったのだと思います。

2014年4月

「宣教のバトンタッチ」」(前編)
―ミンダナオ グロリアス教会―
国外宣教担当主事 松沢 実喜男

 いつも教団の国外宣教の働きのため、皆さまの尊いお祈りとご支援に、心より感謝申し上げます。今回は「支える会」についてご案内いたします。
 現在、教団から派遣されている宣教師は、それぞれ「支える会」を持っています。なぜなら、宣教師の顔の見える支援体制を整えるためです。
 教団が関わっている国外での働きには、宣教師やボランティアの数だけ、その働きがあります。また、その数だけ違った必要と、祈りのリクエストがあります。ところが残念なことに、この紙面だけではそれら全てをお伝えすることはできません。そのために、ニュースレター等が皆さまのお手元に届くようになっています。
 実際のニュースレターの発送や献金の集計等は、「支える会の事務局」が多くの労をとってくださってなされています。しかし、この「支える会」というのは、実はいくら事務局だけが頑張っていても、うまくはいきません。皆さまにもご協力いただかなければ、「支える会」は機能していかないのです。いいえ、実際には「事務局」が「支える会」なのではなく、皆さまが「支える会」(のメンバー)なのです。
 どうか、この「支える会」に意識的に参加することによって、宣教師をご支援頂けないでしょうか。皆さまが宣教師をご支援くだされば、皆さまも主の宣教の業に共にあずかることになります。宣教師と共に、海外での働きに、携わっていくことができます。
 それぞれの「支える会」に、入会、退会の手続きは必要ありません。どなたでも宣教師の働きを知って、そのために祈り、ご自由に献金していただくことができるようになっています。献金先、ニュースレターの取り扱いの情
報が必要であれば、ぜひ各「支える会事務局」にお問い合わせください。
 どうにかして、神さまからの、「全世界に出て行け」との宣教の使命を、共に全うしたく願っています。ぜひ「支える会」のメンバーとして、私たちの宣教師をお支えください。

2014年3月

「宣教師を支える会について」
国外宣教担当主事 松沢 実喜男

 いつも教団の国外宣教の働きのため、皆さまの尊いお祈りとご支援に、心より感謝申し上げます。今回は「支える会」についてご案内いたします。
 現在、教団から派遣されている宣教師は、それぞれ「支える会」を持っています。なぜなら、宣教師の顔の見える支援体制を整えるためです。
 教団が関わっている国外での働きには、宣教師やボランティアの数だけ、その働きがあります。また、その数だけ違った必要と、祈りのリクエストがあります。ところが残念なことに、この紙面だけではそれら全てをお伝えすることはできません。そのために、ニュースレター等が皆さまのお手元に届くようになっています。
 実際のニュースレターの発送や献金の集計等は、「支える会の事務局」が多くの労をとってくださってなされています。しかしこの「支える会」というのは、実はいくら事務局だけが頑張っていても、うまくはいきません。皆さまにもご協力いただかなければ、「支える会」は機能していかないのです。いいえ、実際には「事務局」が「支える会」なのではなく、皆さまが「支える会」(のメンバー)なのです。
 どうか、この「支える会」に意識的に参加することによって、宣教師をご支援頂けないでしょうか。皆さまが宣教師をご支援くだされば、皆さまも主の宣教の業に共にあずかることになります。宣教師と共に、海外での働きに、携わっていくことができます。
 それぞれの「支える会」に、入会、退会の手続きは必要ありません。どなたでも宣教師の働きを知って、そのために祈り、ご自由に献金していただくことができるようになっています。献金先、ニュースレターの取り扱いの情報が必要であれば、ぜひ各「支える会事務局」にお問い合わせください。
 どうにかして、神さまからの、「全世界に出て行け」との宣教の使命を、共に全うしたく願っています。ぜひ「支える会」のメンバーとして、私たちの宣教師をお支えください。

2014年2月

「フィリピン宣教報告」 ミンダナオ・グロリアス教会
エノプレ 悦子

 尊き主の御名を讃美いたします。いつも、フィリピン宣教のためにお祈りいただき、ありがとうございます。皆さまのお祈りに支えられて、新しい年を迎えることができました。引き続き、フィリピン宣教のためにお祈りくださると感謝です。
 昨年12月7~9日、フィリピン福音ホーリネス教団の宣教師であるエリンダ・アシュオース師が、ミンダナオ・グロリアス教会を訪問されました。そして、礼拝で力強く宣教のメッセージをしてくださり、その後教会員との交わりのときを持ってくださいました。このエリンダ師が、ミンダナオ・グロリアス教会の新しい牧師候補者です。ただ、教会の中には正教師の派遣を願う声もあり、調整が必要です。このまま行けば、2月に正式に派遣される予定ですが、どうかお祈りください。
 また、12月8日の礼拝後、教会で洗礼式が行われました。(教会に洗礼漕を設置しましたので、洗礼式が教会で行えるようになりました。)今回は、アーマン(Arman B. Ombos Jr.22歳)という青年が、青年牧師のゲディオン・モード師より、洗礼を受けました。アーマンは、ゲディオン・モード牧師の従兄弟です。家庭集会に、2年間出席していましたが、礼拝にも出席するようになり、今回の洗礼となりました。
 そして、12月22日の礼拝の中で、ペドロ牧師の記念会を行いました。教会員一同、ペドロ牧師を偲び、天国での再会の希望を新たにいたしました。
 ペドロ牧師の召天とフィリピン福音ホーリネス教団への加盟により、事務的な作業が進められております。登記証の移行がすみやかに行われますようにお祈りください。

2014年1月

宣教局主事(国外担当)  松沢 美喜男

 「取り残されている?」
 昨年12月、JOMA(海外宣教連絡協力会)の会議に出席したとき、非常に興味深い報告を耳にしました。それは、ある15 年続いてきたアジアの宣教会議が終わるという報告でした。しかしその理由は、決して悪いものではありませんでした。「今まではアジアの国は、自国だけでは宣教会議を持つことができなかったので、そのように国を越えた集まりが持たれていた」そうです。ところが徐々に、それぞれの国が宣教師を派遣するようになって、「今は、自分の国だけでも、宣教会議を開くことができるようになり、わざわざ外国まで宣教会議に参加しに行く国が減ってきたから、今回で終わることにした」ということでした。つまり、アジアの国々では、それぞれに国外宣教の働きが、着実に進んでいるので、会議をやめるということです。
 このアジアでの国外宣教の状況から、国内に目を向けるときに、日本が宣教の点で、取り残されてしまっている感は否めません。日本ホーリネス教団だけでなく、一部の団体を除き日本のほとんどの団体では、国外宣教が縮小傾向にあります。多くの団体で宣教師の隠退が目立ち、後継者の派遣に苦慮しています。ところがアジアでは、 全く違うことが起こっています。
 もちろん、宣教の働きは比較や競争でするものではないし、数だけでは測れないものもあります。また、牧師も信徒も一生懸命にやっているのはわかっています。しかしこの現実を突きつけられるときに、もう一度日本ホーリネス教団が大切にしてきた宣教のスピリットと聖書の大宣教命令に、目を向ける必要があるように思います。神さまの宣教の働きに共にあずかる私たちが、さらに神の愛と救いをお分かちするために、祈り備えていく必要があるのではないでしょうか。どうか皆さんも共にお祈りください。
 また、国外で労する宣教師のために祈り、お支えください。

2013年11月

宣教局主事(国外担当)  松沢 美喜男

 「フィリピン福音ホーリネス教団との話し合い」
 いつも国外宣教のためにお祈りいただき、ありがとうございます。
9月12日にメトロ・マニラで、宣教局長の中道善次師と一緒に、フィリピン福音ホーリネス教団(PEHC)との話し合いのときを持ってきました。まずその話し合いの中で、ミンダナオ・グロリアス教会が正式にPEHCに受け入れられたことを確認することができました。感謝です。
 またそれに伴い、それぞれがなすべきことと、責任を記した「覚え書き書」を作成することができました。そこに教団を代表して中道師がサインをし、証人として同席してくださった韓国聖潔教団の宣教師(PEHCの宣教母体)のサインも頂くことができました。これで日本ホーリネス教団が土台を築いてきたミンダナオ・グロリアス教会の働きを、宣教パートナーとして、PEHCが引き継いでくださることになります。
 その場で、PEHCの教団代表(委員長)は、「ミンダナオ・グロリアス教会のために、最善を尽くします。」との約束をしてくださり、教会の成長のヴィジョンを熱く語ってくださいました。
 日本ホーリネス教団のフィリピン宣教は一つの節目を迎えることになりますが、5月までの移行期間の守りと、これからのミンダナオ・グロリアス教会の成長のために、引き続きお祈りくださいますと感謝です。

2013年8月

宣教局主事(国外担当)  松沢 美喜男

 いつも、教団の国外宣教の働きのためにお祈りいただき、心より感謝申し上げます。
 以前から、フィリピン福音ホーリネス教団(PEHC)へのミンダナオ・グロリアス・チャーチ(MGC)の加盟が課題となっていましたが、昨年12月のペドロ先生のご召天によって、それを急いで進めなければならなくなりました。
 そのため、国外宣教では加盟の準備を続けてきましたが、この7月にPEHCの教団委員長と、副教団委員長が、ミンダナオに訪問する道が開かれました。感謝です。その懇談によって、エノプレ悦子師を含むMGCの教会役員全員が署名をして、PEHCに加盟する届けを提出したということです。
 ただ、まだいくつかの難しい課題が残っております。今後、正式な手順に従って、MGCがPEHCに受け入れ
られ、これまで継続されてきたミンダナオ島ダバオ市での宣教が、更に進展していくように、お祈り頂けますと感
謝です。主の最善が、フィリピン宣教になされていくように、引き続きお祈りくださいますと感謝です。

2013年7月

宣教局主事(国外担当)  松沢 美喜男

「全世界に出て行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えよ。」
 いつも国外宣教の働きのために、お祈りとご支援をいただき、心より感謝申し上げます。2012年度も、すべての必要が満たされました。感謝いたします。ただ単年度で、国外宣教の会計を見ますと、138万円のマイナスとなり、引当金の取り崩しをいたしました。
 皆さまも多くの必要がある中で大変なこととは存じますが、国外宣教では、毎月お祈りと共に、ワンコイン(100
円)を国外宣教のためにお献げくださるようにお願いしております。確かに、国外宣教の働きは、直接的にご自分の教会の人数を増やすような効果はないかも知れませんが、ワンコインが皆さまと世界でなされる神さまの働きを結びつけることになります。いわば、このワンコインは、皆さまの国外宣教への祈りと参加のしるしだと言うことができます。
 どうか、今一度、全世界に出ていくことが、神さまから私たちに与えられた使命であることを心にとめていただき、国外での宣教の業を共に担ってくださいますようお願いいたします。今後とも共に国外宣教をお支えください。感謝の報告と共に。

2013年5月

「木下理恵子『宣教師』退任に際し」

宣教局主事(国外担当)  松沢 美喜男

 これまで、木下理恵子宣教師の働きのために、お祈り頂きありがとうございました。すでに『りばいばる』の紙面で、その旨をお伝えしてきましたが、この3月をもって木下師は、宣教師の働きを終えられました。
 これまでのように日本在留の中華系の方々への宣教も続けますが、4月からはさらに宣教の働きの幅を広げ、日本人にも伝道していくことになります なお、それに伴い、「木下理恵子宣教師を支える会」もその働きを終え、郵便振替口座も閉じることになりました。永年にわたる皆様の尊いご献金に、心より感謝致します。ぜひ、木下師の今後の歩みのためにお祈りください。

【祈祷課題】

ブラジル宣教(新谷師ご夫妻)、各ボランティアの健康と安全と働きのためにお祈りください。

◆「ブラジル日系人宣教」

「ブラジル宣教」、新谷総一郎・聖美 宣教師ご夫妻のお働きと、健康のためにお祈りください(新谷宣教師のブログが、教団のホームページ内、「宣教局」のページで読むことができます。どうぞ、ご利用ください)。*安全と健康が守られて、クリチバでの働きが祝福されますよう。

◆「保健衛生ボランティア」&「ビジネス(教育)ボランティア」

「保健衛生ボランティア」、「教育ボランティア」ご一家、それぞれの健康と、安全と働きのためにお祈りください。た。特に、ご家族の健康のためにお祈りいただけますと感謝です。