2024年
「ネヘミヤ未来プロジェクト」について
皆さんはこの数年の間に、東京聖書学院や教団本部を訪れたことがあるでしょうか。西側の広い駐車場に降り立つと、十字架が空に向かって立っています。これを起点として、一本の未だ若木のアメンドウの木に向かって、コリドー(歩廊)が続いています。そこを歩き終えると、学院チャペルの入口にたどり着きます。わずかな距離ですが、礼拝に訪れる人の心を整えるためにこのコリドーが造られました。2016年から2018年にかけて行われたネヘミヤ・プロジェクトの建設工事です。寮の大がかりな改修工事が行われ、チャペル本館のエントランス、図書館の内装を新しくし、道路を挟んだ東側のエリアには、教師住宅、家族寮、学生寮、隠退者住宅が新築されました。ただただ主をあがめ、この建設事業のために尊い献げものをされた方々に、今もなお感謝は尽きません。
さて、本年5月28日に、東京聖書学院教会、東京聖書学院、日本ホーリネス教団のそれぞれの代表が集まり、学院チャペルの改修と変電設備の移設、あるいは新設などへの対応について話し合われました。3回の会議を経て、長期的な展望をもってこれらの課題に対応すべく、プロジェクトチームを組織することとなり、メンバーも定めて、「ネヘミヤ未来プロジェクト」と命名いたしました。
チャペルは何度も雨漏りに悩まされ、クロスが剥がれカビで黒ずんでいます。先ず防水をし、内装を新しくしたいと考えています。また、学院本館・図書館・学生寮・ネヘミヤ館の電気をまかなうための変電設備は、学院の食堂地下にあります。ここにも雨漏りがあり、浸水しないように、地下室には水中ポンプが設置されています。最近、温暖化によって想定外の集中豪雨が発生しており、いつ浸水してしまうかわかりません。そのリスクを避けるために、地上への移設が求められています。移設の際には、新しいキュービクルの設置も視野に入れています。現設備はすでに30年が経っているからです。他にもチャペルのPA装置の刷新、本館の防水工事などが必要とされています。
特に学院チャペルは、修養生たちが毎週ここでみことばに養われ、自らも講壇に立って神のことばの取り次ぎを経験する大切な場であり、次世代の伝道者たちが夢と誇りを持って巣立ってゆく母校のシンボルです。今後、プロジェクトチームによって何を優先し、どのような工事が必要であるかを精査し、その計画を提示いたします。そのための献金も募りたいと考えています。このプロジェクトのためにお祈りとご協力を、何卒よろしくお願いいたします。
師と同じ思いで教会を担う信徒を
7月30日に第2回宣教研究委員会が行われ、歴史編纂委員会の委員の一人で、教団史の執筆に携わった山田智朗牧師が発題され、1949年の教団創立から今日までの歩みを、教勢という視点から分析・評価してくださいました。その発題の概略を紹介し、それを基に今後の教団の展望について探ってみました。
教団が創立して間もない頃は、弾圧によって閉鎖された教会が再開し、解散され散り散りになった信徒が教会に戻ってきました。また、翌年1950年より開始された「福音十字軍」の伝道運動によって、教会のない地域に新たな教会を生み出す尊い働きがなされ、宣教が開始されました。1950年代から1980年代までは、教団の帰属意識を高め、教団がひとつとなり結束してゆくために、教団主導で宣教が進められ、伝道費はすべてOMS(東洋宣教会)が負いました。
1970年代から始まる「10年ビジョン」という長期伝道計画が功を奏し、礼拝出席平均30名が1982年に達せられ、1990年には会員総数11,354、現在会員数8,231、礼拝者数5,461を達し成長を遂げました。
しかし、1998年に構造改革委員会が発足し、「構造改革」が施行されてからは、教勢が徐々に低下して行きました。「構造改革」の基本方針は、「伝道と教育の主体は教区・教会にある」でした。教団側の事情としては、財政的な理由から「小さな政府(教団組織)」をめざすことが必要とされ、教会側には「10年ビジョン疲れ」と、ひたすら走り続けてきたことへの反動がありました。教団主導、教会・教区主導への移行は正しい選択でありましたが、実際的には各個教会の主体的な伝道ははかどらず、教育もそれほどに進まず、教勢はゆるやかに下降し今日に至っています。教団は経済的な援助を行ってきたものの、それ以上の支援はして来なかったことが反省させられます。
さて、今後の展望は-それにはほど遠いものですが-、任命準備委員会からも要請されているように、それぞれの教会が、今後どのような伝道をなしてゆくのか、どのような教会を形成してゆくのか、牧師主導ではなく、信徒と共有し話し合い、牧師、信徒の協働で教会を建て上げてゆくことではないかと思います。私たちの教団の将来があるとすれば、信徒が成熟して力をつけ、教会、教団を主体的に担って行くことだろうと思っております。私たちの教団は牧師主導が身に染みています。牧師と同じ思いで共に教会を担える信徒が、一人でも多く起こされるように願いつつ。
御言信仰に生きる
去る8月15日、恩師であった小林和夫先生が召天されました。私の修養生時代、主日のミッション(教会奉仕)の帰りだったろうと思いますが、西武新宿線の電車に乗ったところ、その車両に小林和夫学院長がおられたので、思わずその車両を降り、他の車両に乗り換えたことがありました。苦手だったことは否めませんが、むしろ畏れ多く、近寄りがたい存在だったからです。そのような距離感があったからこそ、そこに峻厳にしてあわれみ深い神の御声を、聴くことができたのだろうと思います。
小林和夫先生が残された信仰の遺産としてもっとも偉大なものは、言うまでもなく「御言信仰」でした。これは、車田秋次先生から受け継がれてきた、われわれの伝統的な信仰と言うことができましょう。やはり修養生の頃、車田先生が未だご存命でしたが、教会で御用はされるものの、教団主催の聖会で御用されることはありませんでした。東京中央教会か、上野教会のミッション生とならないかぎり、車田先生の説教は聴けないと、その無念の思いを千代崎秀雄先生に告げた時、同先生は「車田先生の生の説教が聴けなくとも、小林和夫先生の説教を聴いていれば大丈夫である」と言われたのを忘れることができません。
小林先生は、われわれにとっての聖霊経験とは、御言の経験であること。信仰とは、「御言を聴いて恵まれた」という情緒的応答にとどまらず、その御言に聴いて従う意志的応答であること。従うなら、そこで必ず神のみわざを拝すること。これらが御言信仰の全貌であって、このような経験がちょうど竹の節のようになって、キリストの御姿をめざしてまっすぐに成長を遂げることができるのだと教えてくださいました。
車田先生の召命の言葉について、何度も聴いた記憶があります。「我が子よ 爾なんじは充分の音信を持たざるに 何故に走りゆかんとするや」(サムエル下 一八22/文語訳)。アブサロムの反乱を鎮圧するために戦いに出たダビデの軍師ヨアブは、ついにアブサロムを討ち取ります。その戦果を伝える伝令に、足の速いアヒマアズが自ら買って出ます。その時、ヨアブがアヒマアズに言った言葉です。主の言葉を聴かずしてどうしてこれを宣べ伝えることができようか、車田先生はこの御言から、主の言葉に聴くことのためにご自身をささげたというのです。どんなに慌ただしい中にあっても、腰を据えて主の前に静まり、主の言葉を聴いて講壇に立ち、主に従ってゆくものでありたいと思います。
とりなしの祈り
7月23日(火)夜8時より、第2回リバイバル祈祷会が行われました。3回に分けて行われ、1回あたり10~20人ほどの集まりですが、月一度発行されている「祈祷のしおり」を使って祈りがささげられています。全国から祈りに加わる人が起こされ、共に心を合わせて祈ることに、私自身、確かな手ごたえを感じております。心にかけているひとりの人が教会に導かれ、聖書に触れ、聖霊によってキリストを信じる心が起こされて行くことを信じています。そして祈りつづけております。
この度の祈祷会では、エフェソ書6章から、他人に祈られ、他人のためにとりなし祈る恵みについて語られました。その奨励を聴きながら、自分自身にも同じような経験があったことを思い起こしておりました。
私は、高校2年の時に救いにあずかったのですが、その間もない頃に、私の母の出身教会の礼拝に出席しました。礼拝後に見知らぬ人から、「おめでとう!あなたのために祈っていました」と声をかけられたのです。思いがけない祝福の言葉がとても嬉しかったのですが、その時、私のために多くの人が祈ってくださっていたという事実を知ったのです。祈られていたことのありがたさを思い、私の救いが単に個人的な経験ではなく、神のご計画の中にあったことを知ったのです。
19歳の時に、私は、クリスチャンでありながら罪を犯してしまう現実に悩んでおりました。後に、それが聖化の恵みにつながって行ったのですが、自分の救いを疑い、悶々とした生活を送っていました。そのような私を見かねて、KGK(キリスト者学生会)仲間の友人が声をかけてくれたのです。彼はある宣教団体の機関紙を取り寄せて、宣教師の働きのために祈っているというのです。わずか20分の祈りの中で全世界を駆け巡るのだと、彼は目を輝かせて話してくれました。それから私もその機関紙を取り寄せ、宣教のために祈るようになったのですが、結論から言えば、見る見るうちに私の信仰は喜びを取り戻して行ったのです。それまでの私の信仰は内向きでした。自分の信仰を何とかしなければならないと躍起になっていたのです。しかし、外に関心を向け、他人のために祈るようになって、私の信仰は息を吹き返したのです。
とりなしの祈りは、私たちの信仰を健やかにし、育んでくれます。さらに、祈りが応えられる喜びを分かち合う友が与えられるのです。なんと幸いなことでしょうか。
日常の生活にある幸せ
「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。これこそ、キリスト・イエスにおいて神があなたがたに望んでおられることです。」(テサロニケの信徒への手紙一 五16~18)
教会から比較的近くに、「古石場文化センター」という、いわゆる公民館があり、そこには昭和の名映画監督と言われる小津安二郎の紹介コーナーがあります。彼は江東区深川出身であり、年に何度かその公民館で、小津作品が上映されています。彼の作品は主に家族の人間模様をテーマとして、少々退屈と思われる日常の生活をたんたんと描いております。何故、このような映画を好んで制作したのか。それは、戦争の体験ではなかったかと想像しています。戦争は、まさに日常の生活が奪われる出来事でした。それが5年も続いたのです。多くの国民が敗戦に泣いたと言われます。何もかも失いどん底でしたが、戦争が終わって日常の生活が戻って来たのです。物がなくとも、家族が一緒に平穏に暮らせる、そこに最上の幸福があることに、小津は気づいたのだろうと思います。
終戦後、日本の国は驚異的な復興、飛躍的な経済成長を遂げました。「三種の神器」という家電が揃い、裕福で快適な生活をするところに幸せがあると信じ、物質至上主義に向かっていきました。小津監督はこの辺りから、せっかく取り戻した家庭がなおざりにされ崩壊してゆくことへの警鐘として、数々の映画作品を残したのではないかと言われております。
さて上掲の御言葉ですが、ここには、神がわれわれ人間に求めておられることは、いつも喜ぶこと、絶えず祈ること、どんなことにも感謝することであると述べられています。このみ言葉は、日常の生活の中にこそ、人の幸いがあり、この幸いを得て、あなたがたは幸せになりなさいという、そういう神の思いが込められたメッセージではないかと受けとめています。私たちの平凡な生活は、目に見えない神の非凡なわざによって支えられています。
教会の庭先にクチナシの花が、雨にしっとり濡れて白色に輝いていました。私たちの周りには喜べる素材があふれています。どんな時でも、絶えず祈ることができることは、クリスチャンにとっての大きな特権です。あたりまえと思っていた自然環境や人とのかかわりが、あたりまえではないことにクリスチャンになって気づかされました。いつも喜び、絶えず祈り、あらゆる事に感謝する、神によってそのようにされていることが、なんと幸いなことでしょうか。
受け継がれてゆく信仰と神の働き
1991年、インディアナ州グリーンウッドでOMS(旧・東洋宣教会、現ワン・ミッション・ソサイエティ)の創立90周年記念大会があり、私はこの大会に、当時教団委員長だった村上宣道先生を団長とする20数名の牧師、信徒の一団と共に出席しました。その中で、今でも鮮やかに記憶している一つのセレモニーがありました。それは宣教師の派遣式です。若い宣教師夫婦と子どもたちが壇上にあがり、按手の祈りを受けるのです。小さな子どもたちまでも床にひざまずき、頭に手を置かれて祈られ、自らも手を組みうつむいて祈っている姿を見て、思わず涙がこみ上げてきました。それは、日本に駐在する宣教師とその家族も、同じように按手の祈りを受けて日本に遣わされてきたのだということを思ったからです。ふと辺りを見回すと、日本から一緒に来た牧師、信徒たちの誰もが眼がしらをおさえ、その光景を見守っていました。その遣わされた宣教師の中に、1901年にOMSの初代の宣教師として来日したアーネスト・キルボルンの五代目にあたるという、宣教師とその家族がありました。
それから時が流れ、2016年の頃、私たち夫婦は聖書学院の舎監をしていた時代に、わが家の隣の宣教師館に、アーネスト・ジュウジ・キルボルン宣教師夫妻(「ジュウジ」のミドルネームは中田重治から授かったという)が住んでおりました。もう90歳を超えておりましたが、自ら車を運転し、日本での最後の働きをしておられました。一緒にテニスをしたり、会食したり親しい交わりがありましたが、そのキルボルン先生に、「何故、キルボルン家は代々宣教師の家系なのか? どのようにしてその志が受け継がれて行ったのか」尋ねたことがありました。その回答は意外なものでした。「私の父はどんなに忙しくとも、子どもたちと十
分な時間を要して一緒に過ごしてくれた」というただそれだけのことでした。私はその話を聞いて、一緒に主日は礼拝をささげ、日々家庭でみ言葉が読まれ祈りをささげていたのでしょうが、その根底には、その子どもと共に時間を過ごすという温かい愛情があって、親子の間に深い信頼の関係が築かれ、親が子を知り、子が親を知って、世界宣教という志を子どもたちの心のうちに育てていったのだろうと思ったのです。
私たちも家族で共に神に向かいつつ、わが子をいつくしみ、家族の信頼の関係の中で、信仰と神の働きを担う志が受け継がれてゆくように、祈り求めてまいりたいと思います。
絶えず祈っていた
カイザリアにコルネリウスというイタリア隊の百人の部隊を率いる将校がいました。異邦人でありましたが、神を畏れて貧しい人々に施しをし、絶えず祈っていました。そして、いつものように祈っている中で、コルネリウスはペトロと引き合わされ、回心に導かれたのです。ペトロはこの出来事をとおして、神は人をかたより見ることをされず、どんな民族、人種であれ、あらゆる人々を救われる神であることに目が開かれ、宣教の矛先は世界へと向けられ、福音宣教の大きな転換点となったのです。
去る4月23日に、第一回宣教研究委員会がオンラインで開催されました。しばらく休会になっていた同委員会を再開することになったのは、私たちの教団が少子高齢化によって教勢が低下し、教会の統廃合が余儀なくされ、さらに4年間にわたるコロナ感染によって一層拍車をかけ衰微しているからです。決して大袈裟なことではなく、教団の存亡にかかわる問題として危惧しております。
今後、同委員会は教団の歴史をふり返り、特に70年代以降現在に至るまでを分析・評価して、10年、20年後の教団の動向をシミュレーションし、昨年9月に行われた第7回日本伝道会議と、本年9月にソウルで行われる第4回ローザンヌ世界宣教会議の報告から日本のキリスト教界全体と世界の情勢を理解し、この2つの会議で得られた宣教の手立てと知識・情報を取り入れて、どのように宣教を推し進めて行くべきか、如何なる時代の荒波にも押しつぶされることのない教団、教会を如何にして建て上げてゆくべきかについて、話し合おうと考えております。また、その話し合いの成果を実践につなげるために、宣教局主事にも委員として加わっていただいております。
そして、学び実践するこれらのことを実りあるものとするために大切なことは、冒頭に取り上げた祈りです。主の前に祈り、これらいっさいの方策を主に明け渡し主に従って行く時に、聖霊は働かれてひとりの人が救わ
れ、新しい宣教の時代が切り開かれていくのではないでしょうか。実を結ばせるのは神ご自身です。
そこで、同じ4月23日に半徹夜祈祷会を、対面・Zoomのハイブリットで開催しました。かつて上野教会で行われていた徹夜祈祷会を復活させ、まず年4回、20時から24時までの半徹夜といたしました。3回に分けて延べ68名の出席者がありましたが、確かな手ごたえが得られました。この祈りは私たちの教団のみならず、日本のキリスト教界のため、世界の宣教のためにささげられる祈りです。次回は7月23日(火)です。是非ご出ださい。
わたしに従ってきなさい
「わたしに従ってきなさい。」(ヨハネ21:19/口語訳)
前号に引き続いて、献身の証をつづります。伝道者としての召命の御言葉をいただき、献身を決意した私は、帰省して報告すべく、母教会を訪ねました。4年前には牧師から頭ごなしに反対されましたが、その時ばかりは、再び反対されることがあっても、後にはひけぬ覚悟でした。ところが、吉津牧師は手のひらを返したように、私の献身の決意を受け入れ、喜んでくださったのです。どうも、本物かどうかを試しておられたようでした。その時、吉津牧師は次のような話をされました。1952年に、私の父は年会に出席して受洗しましたが、年会で行われた宣教大会に出席した父は、招きに応じて伝道者となる決意をしたというのです。吉津牧師はさらに続けてこう言いました。「その後、あなたのお父さんは教会を離れてしまい、その志は達せられなかったけれども、あの志は神から出たものであって、長い歳月を経てあなたに授けられたのです。あなたは今、それに応えなくてはならない……」と。この言葉をとおして、私の召命が確かなものであることを知り、身の引き締まる思いをいたしました。
教会を後にし、帰宅する前にもう一軒、立ち寄る家がありました。役員の深瀬夫妻宅でした。ご夫君は父の会社の同僚で、父に誘われて信仰に導かれた人であり、ご夫人は母と同じ長井教会出身で、母とは信仰の盟友でした。いつも親身に祈っていただいていた深瀬夫妻に、祈ってもらうために立ち寄ったのです。その時、深瀬夫妻は、一人の求道者が自死したことをめぐって教会が大きな試練に遭遇し、私の父をはじめとして多くの教会員が離散してしまった時のことを話されました。深瀬夫妻はその時、教会にとどまった数少ない信徒に数えられる忠実な人たちでした。その試練の中で、吉津牧師がどのようにして教会を建て直して行ったのか、私に話してくださったのです。食べるものがなく、山に山菜を取りに行ったり、「信仰苗代作り」と言って、幼児教育をとおして福音を伝えて行こうと、苦労して保育園事業を始めたことなど……。
その数週間後のことでした。私は下宿に戻り、朝、いつものように祈っていた時に、深瀬夫妻から聴かされたことを思い出されたのです。否、思い出したということではなく、主ご自身をとおしそのことを聴かされたのです。「あなたを導いた吉津牧師、石沢副牧師は、このようにしてわたしに従ってきたのだ。あなたはどうなのか。そういう覚悟はあるのか」。私は思わずその場にひざまずき、祈りました。「私もそのように従わせてください」と。
伝道者として召されて
「あなたがたのうちに働きかけて、その願いを起させ、かつ実現に至らせるの神であって、それは神のよしとされるところだからである。すべてのことを、つぶやかず疑わなでしなさい。」(ピリピ二13、14/口語訳)
4月は桜がほころび、真新しい制服をまとった新入生が行き交う初々しい季節です。しかし、どういうわけか、私がこの4月に思い浮かぶのは、どんよりとした雲の浮かぶ仙台で予備校生活を送った頃のことです。現役で合格した友人が同じ仙台にいて、気晴らしにと言って新入生歓迎会に誘ってくれましたが、喜びはしゃいでいる学生たちを見て、一層落ち込んで帰ってきたのを思い出します。しかし、この仙台での一年が決して無駄ではなかったと思えるのは、入信して3年目でした。今までになく聖書を読み、あの暗がりの自室で主の語りかけを聴き、最初の伝道者としての召命の御言葉をいただいたことです。翌日、予備校授業を終えて教会を訪ね、「献身したいのです」と言ったところ、当時、出迎えてくださった山口幸子先生が、「先ずあなたは大学に進学しなさい」と言われました。その後、同じく母教会の吉津牧師に相談したところ、「あなたは伝道者にならない方がいい」と言われました。「主の御心ではないのか」とうなだれて部屋を出た時に、副牧師だった石沢先生が小声で私を呼び寄せて、「私は、あなたのために祈っていますから」と言ってくださったのを忘れることができません。
その後進学して、4年生になる3月、KGKの修養会があり、その帰りの西武新宿線の車中、吊革に掴まりながら、学生の信仰を指導するKGK主事から、「君は牧師に向いていると思うから、祈ってみたらどうだろう」と言われ、忘れかけていた献身の思いを再び見直す機会となりました。その半年後、食を断ち切実な思いをもって祈った時に、冒頭に掲げたピリピ2:13、14が与えられ、伝道者として召されていることを確信したのです。くしくもそれは、4年前に山口幸子先生が私のために祈ってくださった時に開いてくださった御言葉でした。その時、先生は決して反対していたわけではなく、もっとも良き道を通ってそこにたどりつけるように祈ってくださっていたのだということを知りました。
私は、誰よりも先にそのことを告げようとそのKGK主事と報告しましたが、「召された以上、生涯かけてその召しを全うしたいものですね」という控え目な餞はなむけの言葉をいただきました。その言葉は私にとって、時間をかけて召命の経験を深めるものとなりました。
祈りは愛を育む
「御子は私たちのために命を捨ててくださいました。それによって、私たちは愛を知りました。だから、私たちもきょうだいのために命を捨てるべきです。」(ヨハネの手紙13:16)
私の信仰生涯をふり返ってつくづく思うことは、祈りとは信仰を生み出し、信仰を育てるものであるということです。私が初めて教会に行ったのは、中学に入学して間もない頃のことでした。当時、教会には親切で思いやりのある、魅力的なクリスチャン中高生が少なからずいました。私もあの人たちのようになりたいと思いながら、教会に通っていましたが、信ずるには至りませんでした。そういう私を見かねて、牧師は「信じられるように祈りなさい」と勧めてくれたのです。そう言われて素直に祈り続け、本当に信じられる時が訪れたのです。聖霊によって先ず自分の罪に気づかされ、わが家に起こった出来事をとおし、神が生きておられることを知ったのです。それは長年教会を離れていた父の回心でした。父の変わりようを見て、神は生きておられる、キリストは人を救い得る神であることが信じられたのです。
上掲の御言葉には、十字架の上に現わされたキリストの愛を知ったならば、隣人のために命を捨てるべきことが述べられています。人は誰一人例外なく、自分さえよければいいという罪が心の内に深く根ざしているのであって、自らを顧みず、自分の命を差し出すようにして人を愛するなどできるはずがありません。しかし、この十字架の愛を自分のこととして受けとめるなら、神の愛が私たちの心の内に確かに芽生え、さらには、祈りの中で、その愛が育まれてゆくことをこれまで体験的に学ばされてきました。
私の信徒時代のことです。教会を長く離れていて、久しぶりに教会に帰ってきたものの、神の愛に全くふり向こうともしない人がいました。彼の心の虚しさに触れ、その人のために祈るようになりました。祈りつづけてゆく中で、彼が変えられたのではなく、私自身が変えられて行きました。私がなく、ただひたすらその人のために祈るという境地に至って、祈れる喜びを味わい知ったのです。そのような経験に導かれて、その人の心に神の愛が届いたのです。それからというもの、彼は聖書講解書を買い集め、熱心に聖書を学ぶようになりました。そして、私が東京聖書学院に入る時には、きっと役立つだろうからと言って、入学の祝いに彼の蔵書の中から、バックストンの『ヨハネ伝講解書』などの貴重な本を頂いたのです。祈りは、おおよそ自分のことしか考えられない私の心に、神の純正な愛を育んでくれたのです。
友のように神と親しく語り合う
はじめに、ジェームズ・フーストン著『神との友情』の序文、その冒頭の文章をご紹介いたします。
「長い間、祈りは、私の信仰生活の中でおそらく最も弱い側面だったと思います。私の父はとても敬虔な人で、私は彼の生き方を非常に尊敬していました。しかし、あまりに素晴らしい人を目の当たりにすると、自分はもう何もやる気が起こらないということがありがちです。私の場合はまさにそうでした。私は以前、祈りとはランニングや跳躍のように、努力してものにする霊的修行のように考えていました。私は、スポーツが全然駄目なので、おそらく祈りも全く駄目だと思っていたのです。何年も劣等感と罪悪感を味わった後、初代教会の教父アレキサンドリアのクレメンスの言葉に出会いました。『祈りとは神との友情を育てることである』。この言葉をとおして、私は祈りについて新しい見方をするようになりました。それからというもの、神に立派な祈りを捧げようとするより、祈りの生活の中で神と交わろうとする姿勢が育ちました」。
「神との友情」とは聞き慣れない言葉ですが、アブラハムがそうであったように、またイエスさまがおっしゃられたように、主は私たち一人ひとりを愛し、信頼して友と見なして、互いの友情を深めることを願っておられるのです。友情を深めるとは、主が私たちをことごとく知っておられるように、私たちも主を知るようになることです。そして、主のお心をわが心として、主のご計画、主が求めておられる宣教と教会形成のために、主と共に働く者とならせていただくことです。
この世の喧騒と忙しさの中で、どうしても主との交わりは、形だけのものとなってしまう傾向があります。祈りにおいては、祈りながら考え事をしたり、一方的に祈って終えてしまったりするのです。御言葉においては、聖書を読んでもただ知性で理解しようとし、そこから主の語りかけを聴こうとしないのです。それは、新聖歌191番にあるように、「静けき祈りの時はいと楽しい」とはならないことでしょう。
しかし、私たちが主にしっかり顔を向ける
ならば、顔の覆いは取り去られ、目で見るかのように、否、目で見るよりも確かに主の臨在を認識し、友と語り合うように親しく交わる自由が与えられるのです。まさにモーセのように顔と顔とを合わせて語り合うのです。時を忘れ、主と永遠の時を過ごすのです。そのようにして、私たちは栄光から栄光へと、主と同じかたちに変えられて行くのです(コリントの信徒への手紙二 3:16~18)。それは、なんと慕わしく、満たされた経験でありましょう。
主の前に恐れかしこむことは大切なことです。しかし、主は聖霊によって自由を与えられ、私たちを友のように神と親しく語り合う交わりにいざなっておられるのです。
愛は、不正を喜ばず
「(愛は)不正を喜ばず、真理を共に喜ぶ。」(コリントの信徒への手紙一13:6)
この年になって、この年であるからか、私は、親がしてくれたことをふと思い出すことがあります。それは就学前のことです。9月になると、地域の祭りがありました。夜店が立ち並び、幼かった私は、その夜店に親に連れられて、玩具を買ってもらうことを楽しみにしていました。
ところが、祭りの日に来客があり、そのもてなしのために、それはかなわなかったのです。私がつまらなさそうにしていると、兄が「夜店に連れてってやる」と言いました。にぎやかな夜店にくり出し、兄は「何がほしい」と言い、私が「これがほしい」と言うと、兄は5百円札を出して買ってくれたのです。電池でレールの上を走る電車の玩具でした。家に帰り、兄は早速それを組み立て動かしてみせてくれました。玩具で楽しそうに遊んでいる二人の姿を母は見て、母はすぐさま兄に詰問しました。兄は母の財布からお金を取り出し、買っていたのです。
母はその電車の玩具を箱に戻し、兄と私を連れて夜店に行ったのです。どういうわけであったか、兄だけでなく私も連れて行ったのです。母は店の人に向かって、「これは、子どもが勝手にお金を持ち出し買ったもので、この玩具は買えません」と、品物を返そうとしたのです。ところが、店の人は「一度売ったものは引き取れない」と言い返しました。しかし、母は引き下がりません。その辺りは想像して書いていますが、「買えない」 「引き取れない」というこうした問答がくり返され、結果的には、母はまったく関係のないもの、おおよそ男の子が欲しがらないままごとセットのようなものを、電車の代わりに買って帰ったのでした。母はなぜそんな無駄なことをしたのか、長く理解できませんでした。そして兄だけでなく、なぜ私も一緒に連れて行ったのか、知る由もありませんでした。
それはだいぶ後になって理解し、その後、伝道者となり、自分もひとりの親となって、母の真意を知ったのでした。わが家は決して裕福ではなかったから、「買えない」ということもあったでしょうが、それ以上に、お金を盗んで物を買うということは、絶対にゆるされることではないことを、子どもに身をもって教えなければならないという母の意志であったことをふり返るのです。まだ若かった母が大勢の人が見ている前で、よくあんな恥ずかしいことができたものだと思うのですが……。母はクリスチャンでした。わが子を悪の道に進ませまいと、その道の真ん中に立ちはだかる、母の毅然とした姿が目に浮かぶのです。
神の愛は不正を喜ばず、義と真理に貫かれた愛です。キリストは、私たちの罪を赦すためにその罪のいっさいを負い、その代償を十字架の上で支払われたのです。
2023年
聖霊に導かれ、聖霊と共に生きる
聖霊に導かれて証せよ
「あなたがたは、キリストを見たことがないのに愛しており、今見てはいないのに信じており、 言葉に尽くせないすばらしい喜びに溢れています。」(ペトロの手紙一1章8節)
私たちが信じる神は、目に見えない永遠の神です。私は入信する前、目に見えない神をどうして信じることができようかと思ったものです。その私が今、目に見えない神を信じ、人々に伝えているのですから、不思議な気がいたします。さて、人はどのようにして目に見えない神を信じることができるのでしょうか。それは、キリスト者である私たちの証をとおしてです。私たちは、聖霊によって目に見えない神を見ているのです。目で見るよりも確かに神がおられることを肌身感じているのです。ですから、人が見ていようと見ていまいと神を畏れ、正しいと思われることを行ない、してはならないことをしないのです。この神を畏れる生き方が、信じない人に対して大きな衝撃を与える証だろうと思います。
キリストの十字架と復活を信じるということも、世の人にとってはかなり高いハードルです。パウロは、このキリストの十字架と復活の福音を「神の奥義」と呼んでいます。この奥義は、人の知性をもって知ろうとすればするほど、私たちから遠のいてゆく真理です。この福音を、人はどうしたら信じることができるのでしょうか。これもまた同じく、私たちの証、宣教をとおしてです。聖霊が私たちの心のうちに働かれ、心の奥底に潜む罪に気づかされて罪を認めるなら、キリストがわがために十字架にかかり、三日目によみがえってくださったことを信じられるようにしてくださるのです。罪の深さを知れば知るほど、キリストの十字架は私たちの前に鮮やかに現わされ、私たちを救いの確信に導くのです。この救いの体験を、私ではなく聖霊によって語らせていただくなら、必ずや人の心に届くのです(マルコ13:10)。この救いの証は何年経とうとも、昨日の出来事のように色あせることはありません。また、百回、千回と語っても、その熱い感動は変わらないのです。
これまで今年度の施政方針にしたがって教団の働きがなされ、私たちは「聖霊に導かれ、聖霊と共に生きる」ことをめざし歩んでまいりました。あなたの救いの証を待っている人たちがいます。これからも聖霊に導かれ、聖霊と共に生き、わが身になされた、キリストの十字架と復活による救いのみわざを語り伝えてゆきたいと思います。
この一冊の聖書があるかぎり
1985年3月、私は東京聖書学院を卒業し、妻と共に千葉県成田市での開拓伝道に派遣されました。同年4月3日の夜、仮集会所で行われた祈祷会が、成田開拓のスタートでした。成田市玉造二丁目の仮集会所に案内され、「ご自身の手で開けてください」と言われて鍵を渡され、玄関のドアを開けたのですが、その時の解錠の音と手の感触を今も鮮明に覚えています。その日は受難週であったので、主任牧師の河野先生をお迎えし、聖餐式が厳かに行われました。
開拓伝道は主任牧師の河野先生がおられ、2つのクリスチャンホームと私たち夫婦によって始められましたが、忘れてはならない、もう一夫婦の協力者がありました。OMS宣教師のフランシス・デイヴィス先生と奥さまのマーサ先生です。1980年にデイヴィス宣教師夫妻によって英会話教室が始められ、すでに伝道の火ぶたは切られておりました。その英会話伝道で二人の人が救われ、市内の他教会で洗礼を受けましたが、「成田にホーリネス教会を」という熱い祈りが起こされ、1985年に教団の開拓指定を受け、伝道が始められたのです。
デイヴィス先生がよく言われたのが、「ユーアー キャプテン、アイアム ソルジャー」でした。同夫妻は四国、名古屋などで宣教師の働きをされ、成田が最後の働きでした。英会話教室をとおして伝道の最前線でひたすら働かれ、一年後の帰国の際には、英会話教室のために貯蓄して来られたものを、「これから建てられる会堂のために」と言って献げてくださいました。
デイヴィス先生が初めて来日したのは終戦直後、進駐軍としてでした。その時、焼け野原だった日本の惨状を見て、涙ながらに日本人のために働きたいという志が与えられ、帰国後、神学校で学び、奥さまを連れて宣教師として再び来日されたのです。
当時は、貨物船による渡航でした。家財道具を車に積み、港に着いたその時、突然車が炎上したのだそうです。ところが、マーサ先生が激しく燃えさかる車に走り寄り―それに気づいた夫が止めようとしたが間に合わず―、火の中に手を入れました。彼女の手にあったのは一冊の聖書でした。一瞬にして家財道具のいっさいを失ってしまいましたが、その時、マーサ先生が、「この聖書があるかぎり、私たちは大丈夫です」と言われたのだそうです。
故国を離れ、いっさいをささげて日本に来てくださったこうした宣教師夫妻の祈りと宣教の働きがあって、今日の私たちがあります。そして、この聖書の御言葉があるかぎり、どんな厳しい時代にあっても私たちは大丈夫なのです。
人を信頼される神
「食事が終わると、イエスはシモン・ペトロに、『ヨハネの子シモン、あなたはこの人たち以上に私を愛しているか』と言われた。ペトロが、『はい、主よ、私があなたを愛していることは、あなたがご存じです』と言うと、イエスは、『私の小羊を飼いなさい』と言われた。」(ヨハネ21:15)
復活の主は、ペトロに羊を委ねるというのです。主は「良い羊飼いは羊のためにいのちを捨てる」(ヨハネ十11)と言われました。羊とは主に従う群れのことですが、主はいのちよりも大
切なものを、数日前にご自身を裏切った者に託すというのです。ここにペトロに対する主の、冒険的と言ってもいい大胆な信頼を見るのです。信じること、信頼することは、人が神に対してす
る行為であるとするのが通念です。しかし、主は私たちを信頼してくださるというのです。
私は朝目を覚ますと、今日も生かされて……と祈ります。神によって生かされているとは、神の信任を受けてここに遣わされているということですが、自分はこれまでどれだけ神の信任に応えて来ただろうかと省みるのです。忍耐強く待ちつづける主の姿を思わずにおれません。Ⅰコリント十三章には「愛は信じる」とありますが、どんなに信用の置けない人であっても信じつづけるなら、いつかその人も信用に足る人となってゆくのではないでしょうか。信じる愛は人を育てます。まさに主は信じる愛をもって私たちを育てられる神です。
文化大革命以前の中国の上海において、宣教大会が催されました。メインスピーカーの米国人エヴァンジェリストのボブ・ピアス師が説教を終えて部屋へ戻ってみると、同室の宣教師がベッドの上で泣いていました。ボブ・ピアス師はその事情を訊くと、彼は身の上を語り始めました。「私はチベットに派遣されている宣教師です。妻と一緒に7年働きましたが、閉鎖的な土地で、何の実も結べないどころか、口さえきいてもらえませんでした。ところが7年が経ち、2人に娘が与えられました。すると、土地の人たちが娘をとおして声をかけてくれるようになり、ようやく伝道ができるようになり、数名救われる人も起こされてきました。ところが、さらに7年が過ぎて、最愛の娘がハンセン病にかかり、今、空港に妻と娘を見送ってきたところなのです」。そこまで話すと、ボブ・ピアス師は、「ここにアメリカ行きのチケットがあります。明日にでもあなたは帰国すべきです」と言ったのです。すると、宣教師は応えました。「私が涙を流していたのは悲しみのせいではありません。今、集会を終えてベッドに横になっていますと、夢枕にイエスさまが現われて、『明日にでも、わたしと一緒にチベットへ行ってくれるのは、あなたの他にいません』と言われたのです。私はその感激のあまり泣いていたのです」と。
なんという主に信頼されていた主の器でしょうか。私たちもいよいよ成熟し、主の信頼に応え得る器とならせていただきたいと思います。
神に召されて生きる
「すべてわが名をもってとなえられる者をこさせよ。わたしは彼らをわが栄光のために創造し、これを造り、これを仕立てた。」(イザヤ書43:7/口語訳)
私は17歳の時に主イエス・キリストの十字架と復活を信じ、罪と死の中から救われました。その喜びは今も変わることがありません。しかし私には、信仰告白した時に与えられた、もうひとつの救いの喜びというものがありました。それは、罪と死からの救いの喜びに勝るとも劣らない喜びでした。「人生の無目的からの救い」です。人は何ために生きるのか? それが十代の私にとって重大な問題でした。
人は、物を作るということにおいて、「同じである」ことに価値を見いだします。工業製品はある一定の水準を満たした同一物でなければなりません。違うものは廃棄されます。それに対して神の創造は、「違う」というところに価値を見いだします。長い人類の歴史と広大な空間の広がりの中に無数の人間が存在しますが、複製されたような同じ人はひとりもいません。神は人を母の胎の中で組み立てたと詩編139編に記されていますが、私たち一人ひとりをご自身の手にかけ、神の全能の力とはかり知れない英知をもって創造されました。たったひとりしかない「私」の創造は神秘的で、「私」というものがどのように造られ、どのような意図と目的をもって造られたのか、それは創造主なる神の他に知るものはないのです。だから、「私は何のために生まれてきたのか?」を知りたければ、創造主なる神のもとに帰るしかないのです。神の御手の中に握りしめられて、「私」というもののうちに秘められた本当の価値が明らかにされるのです。
80年代に映画『炎のランナー』が公開されました。1924年のパリ・オリンピックに出場した2人のスプリンターの実話に基づく物語です。ハロルドは裕福なユダヤ人の家庭に生まれ、野心のために、エリックはスコットランドの宣教師の息子で「神の栄光のために走る」というそれぞれ対照的な目的がありました。2人はパリ・オリンピックの100メーター走決勝の舞台で最後の決着をつけるはずでしたが、叶いませんでした。予選が日曜日にあったため、エリックは出場を断念したからです。ところが、ある友人のはからいで400メーター走に出場し、エリックは世界新記録で優勝したのです。それは神に従った結果、彼自身も知らなかった本来の才能を見いだした瞬間でした。キリスト者は誰でも神に召されて生きるのです。召命は献身をもって応えるものです。行きたくないところへ行く……。その時、そこに輝かしい神の栄光が表わされるのです。
できるようになったら、他の人に
互いに愛し合うことのほかは、誰に対しても借りがあってはなりません。人を愛する者は、律法を全うしているのです。(ローマ13:8)
私の半生をふり返る時に、いつも良き人との出会いがありました。その一人にM先生という女性宣教師がいました。学生時代、近くにホーリネス教会がなく、電車を利用して1時間半ほどかかる教会に通っていましたが、平日の夜の祈祷会はそこに通えないので、近くにある他教派の教会に出席していました。そこで出会ったのがM宣教師でした。大学に聖書研究会というサークルがあって、そのクリスチャンのサークルのクリスマス会は、毎年彼女の家で行われていました。一人千円の会費で贅沢なクリスマス・ディナーをご馳走になったのですが、メンバーのほとんどが県外からの学生だったので、何よりもアットホームなもてなしが心にしみ入るものでした。リビングの壁には、夫や子どもたちの写真が飾られてありましたが、夫は5年ほど前にがんで先立たれ、子どもたちは進学のためアメリカに帰国しており、単身日本にとどまり宣教活動をしておりました。
時折、M宣教師の教会に属する友人とお宅を訪ね、相談し祈っていただくこともあったのですが、ある時、彼女に次のように尋ねたことがありました。「私は他所の教会の者なのに、あなたは何故、こんなにもよくしてくださるのですか」。しばらく考えている風でしたが、次のように答えました。「あなたもそれができるようになったら、私ではない、他の人に、あなたがしてもらって嬉しいと思ったことをしてあげてくださいね」と。私が求めた答えとはおおよそ異なるものでしたが、その言葉が今も忘れることができません。
上掲のみことばには、他人から借りがあってはならないとあります。借りたものは早めに返すように努め、ルーズであってはなりません。ただし、愛は例外であるというのです。他人の愛は拒まず喜んで受けるべきものです。そして、返礼はしないのです。儀礼的な返礼は、愛を愛でないものにしてしまうからです。「私ではない、他の人に」とあるように、神の愛は両者にとどまらず広く拡散してゆくものです。「それができるようになったら」。受けるばかりという時があっていいのです。神は人を介して惜しみなく愛が注がれ、私たちのうちに愛が育んでくださるのです。そして、いつしか「受けるよりは与える方が幸いである」(使徒20:35)とあるように、与えるということの幸いを知るようになるのです。
一歩踏み出して
4月下旬に東京聖書学院を訪れた、OMSの神学教育部門責任者のフィリップ・リチャードソン師とオンラインで会見した。その中で、3年に及ぶコロナウイルス感染が拍車をかけ、日本の宣教が滞っていること、日本という特異な文化の中での宣教の難しさについて語った。それで、日本宣教について何か良き提言をしてほしいと願ったところ、同師は次のような話をされた。
どんなに宣教の困難な人々であっても、クリスチャンの救いの経験、信仰の体験にはインパクトがある。その体験の証はいつまでも人の心に残り、人の心を揺すぶるものがある。クリスチャンであれば、誰もが信仰の体験を持っている。勇気をもって一歩踏み出しその証を語るなら、少なからず主イエス・キリストを求め、信じる者が起こされるのではないだろうか。
その話を聞いて、私が仙台で予備校生活を送っていた頃のことを想い起こした。
私は同じ高校の出身者と3人で、通っていた予備校の事務長の家に下宿していた。その事務長の家に、私の高校の出身者が下宿人として、代々お世話になっていたのだが、毎年クリスマスになると、下宿の主である事務長がクリスマス・パーティーと称して酒宴を開いていた。その酒宴の席に、高校の先輩らが激励に来てくれたのである。彼らはその晩泊って、翌朝には帰って行くのだが、Sさんという先輩は二日酔いで起きられず、皆が帰った後で、昼近くに発った。その時、頭痛をかかえたSさんに、私は救いの証を語ったのである。どれだけ彼の心に届いたかはしれない。小田原3丁目の市内電車の乗場まで見送りに行き、電車に乗ったSさんが遠く離れて行く姿を見送りながら、もう二度と会うことはないのだろうと思ったのである。
それから10年後のことである。成田で開拓伝道を始めて2ヶ月が経っていた。ある主日、近くに住むクリスチャンのIさん夫婦が初めて教会を訪れた。礼拝後の歓談の中で、私が山形の出身であるという話をすると、Iさんは最近、山形県長井市出身の人の結婚式で仲人をしたという話をした。何気なくその人の名前を尋ねると、なんとその人はSさんだった。その晩、Sさん夫婦が結婚後の挨拶にIさんの家に来るというので、私はIさんの家に招かれた。もう二度と会うことはないだろうと思っていたSさんと再会を果たしたのである。あの10年前、別れた後にSさんは教会を訪ね、彼はキリストを信じてクリスチャンとなっていたのである。
一歩踏み出してわが身になされた主のみわざを語るなら、固く閉ざされている日本の宣教の道が確かに開かれて行くのではないだろうか。
三位一体の神と私たち
「神は人を自分のかたちに創造された。神のかたちにこれを創造し、男と女に創造された。」(創世記一27)
人は神のかたちに創造されたとあります。神は目に見えない永遠のお方ですから、 「かたち」とは外観のことを言っているのではなく、内面のことであって、人に神のご性質に似た性質が付与されたことをさしています。たとえば、人に備わっている創造性、主体性、愛、正義感などがそうです。
その中で、神が私たち人にもっとも授けたいと思った性質は、三位一体の神に現わされている、一体の交わりではないかと思っております。神は三つの独立した位格でありながらひとつとなって交わり、ひとつとなって協働し、天地を創造され、人類の罪の贖いを完成して私たちをお救いになりました。その交わりと協働を何にもまさる喜びであると感じておられる神が、その喜びを私たち
にも味わってほしいと願われて、人と人とが関わりをもって生きるように造られたのではないかと想像するのです。
互いに異なる人格を尊重し、心思いをひとつにして、神から授けられた仕事、使命を果たす。さらに、三位一体の交わりの中に私たちも招き入れられて、神を知り神の御心を知って、ちょうど大きな水滴に小さな水滴が吸い寄せられてひとつとなるように、神の御心と私たちの思いがひとつとせられ、神のみわざに携わるのです。
ひとりで何かを構想しひとりで作り上げてゆく創作には、大きな喜びがあります。しかし、二人三人が一緒に考え、力を合わせて作り上げるならば、喜びは倍加し、それ以上のものとなります。さらに、神に知られ神を知り、神と私たちの心がひとつとされて、神と共に宣教のわざをなし、キリストの身体なる教会を建て上げてゆくことは、何とさいわいなことでしょうか。
愛と信頼の中に働かれる聖霊
教会が建て上げられてゆくために必要なことは、建物やお金ではなく、人であるということが、これまでの経験の中で実感してきたことです。人であるとは、多くの人が集められるということや、能力のある人材がそろっているということではなく、人と人との関係であり、そこに愛し愛され、信じ信頼される関係があるということです。牧師と信徒が、信徒と信徒が互いに、主の尊い血潮によって贖われた大切な存在であることを認め、また牧師が主によって遣わされ立てられた牧者であると受けとめて、大切に思い丁寧に接して祈り合う。そして互いのことをよく知り、信頼し合って心をひとつにし、主に託された業を果たしてゆくことです。そうした関係の中に聖霊は自由に働き、神のみわざがなされてゆくのではないでしょうか。
これから教団委員会と教団執行部(各局、各委員会)が本格的に始動してゆきますが、冷たい組織ではなく、この愛と信頼の関係につながれひとつにされてこそ、実りある良き働きをなしてゆくことができるのだろうと思っております。
さらに、教団と各教区・教会とにあって愛し愛され、信じ信頼される関係に結ばれることです。私かかつて「りばいばる」の編集を担当していた時に、電話で「教団は何をやっているのか」とお叱りを受けたことがありました。私はその叱責を受ける立場の者ではありませんでしたが、思わず「申し訳ございません」と謝罪しました。その時、教団と教会・牧師との間に隔たりを強く感じました。誰が悪いということではありませんが、いつの時代もこうした隔たりが生じてくるのです。そのためには、もう一度、教団は何のためにあるのか、その原点に立ち返えらなければなりません。それは、教団は各教区、教会、そこに立てられた牧師、教会の信徒一人ひとりのためにあるということです。前教団委員長が継承し唱え続けてきた「サーバントリーダーシップ」に徹して、ひとつの教会がうるわしいキリストの身体を形成し、ひとりの牧師が健やかで生き生きと本来の使命である御言葉と祈りの御用を果たしてゆく。それによって教会の一人ひとりが神の救いに入れられ、神の恵みに浴する。そのために教団は仕え支えてゆくということです。
このような愛し愛され、信じ信頼される関係につながれて共に主の業に励み、教会に聖霊の風が漂い、ひとりの人が救われ、ひとりの人が御言葉に聴き従い新しく変えられて行く、そのような神のみわざを拝させていただきたいと思います。
主イエスに遣わされた「私たち」
「イエスは重ねて言われた。『あなたがたに平和があるように。父が私をお遣わしになったように、私もあなたがたを遣わす。』」(ヨハネ20章21節)
この言葉を年間聖句に、そして「主イエスに遣わされたわたし」を年間標語とすることを、2021年10月末の教区長会議において説明しました。個人的にはまだ治療前の検査が続いている時で、主イエスに遣わされている「わたし」の将来について何も考えることができませんでした。むしろ、遣わされることよりも、銀行口座やクレジットカードの整理、私名義の契約の解除・変更など、遣わされないための準備をしていました。そして、病院と教会を行き来しながら、今もその「わたし」は遣わされているというよりも、生かされてこの地にあります。
そんな私とは違い、この一年間、多くの方々が、「主イエスに遣わされたわたし」をりばいばる紙上で伝えてくださいました。年間標語の言う通り、既に置かれた所で、主イエスに託された使命を担っておられました。これらの証しに、どれほど喜びと励ましが与えられたことでしょうか。
私はと言えば、こんな私ですが、いえ、こんな私だからこそ、「主イエスに遣わされたわたし」に与えられた祝福を知りました。それは、主イエスに遣わされた「わたし」は、一人で遣わされたのではなく、「私たち」だったことです。端から主イエスも「私はあなたがたを遣わす」と言われていたのです。その言葉の通り、教団(主に教団委員会ですね)でも教会でも、「わたし」は決して一人ではありませんでした。既に書きましたように、病室にあっても、講壇に立っていても(実際には椅子に座っていても……)、「わたし」はいつも支えてくださる方々の中にいました。
新しい年度になっても、私たちは主イエスに遣わされ続けます。私たちが招かれ、参加しているこの宣教の業は、決して一人で担うものではありません。私は支えられている「わたし」であり、同時に誰かの支えになっている「わたし」でもあります。そうして遣わされているのです。冒頭の主イエスの言葉はこのように続きます。「そう言ってから、彼らに息を吹きかけて言われた。『聖霊を受けなさい。』」(22節)主イエスに遣わされている私たちと聖霊が共におられます。一人ではなく聖霊が共に!です。だから、その「私たち」は、遣わされている所で豊かな実を結ぶことができるのです。
皆さまの愛と祈りに感謝し、福島から祝福をお祈りいたします。ありがとうございました。
小さな働きであっても
「バタフライエフェクト」という言葉があります。この言葉は、「蝶の羽ばたきが巡り巡って竜巻を起こす」との意味で用いるそうで、歴史に見られる様々な出来事の不思議なつながりを表現しています。日本風に言えば、「風が吹けば桶屋が儲かる」ですね。もちろん、私たちはその不思議なつながりの背後に、神さまの御手を見るわけです。私たちのなす小さなわざが歴史を動かすものになる……なんて大袈裟なことではないでしょう。でも確かに私たちの小さなわざが、神さまの御業(宣教)において、思いがけない結果につながることがあります。神さまが私たちのわざを用いられるからです。
私は友人が熱心に誘ってくれ、教会に通い始めることになりました。その後は、教会の牧師をはじめ、多くの方々の祈りがあり、助けがありました。しかし、初めて聖書を開いたのは高校生のとき、その聖書は姉が持ち帰ったギデオン協会により配布された日英対訳聖書でした。初めて読んだはずの聖書ですが、私は多くの言葉を知っていました。また、聖書を開く前からキリスト教の祈りも知っていました。中学2年生だった私は、何とか好きだった女の子の隣りに座りたいと、一ヵ月以上祈り続けたのです。それも毎晩窓を開けて、「天の神さま」と呼び、「アーメン」と締めくくっていました。何とその祈りは答えられ……。
ところが、どうして聖書や祈りを知っていたのか考えることもなく、私はクリスチャンになり、牧師になりました。そして、何とようやく10数年前、そのすべてが母の与えてくれた一冊の本から始まったことを思い出したのです。それは母が近くの教会のバザーで見つけた「ベッドタイムーストーリーズ」(ふくいん社)でした。内容は道徳的な教訓話と聖書物語ですが、何しろ自分の本はそれ一冊だけでしたから、何度も繰り返し読みました。こうして私に福音の種を蒔いたのは、実はキリスト教のことなど何も知らない母でした。
その母は、肝臓癌の手術をきっかけに教会に通い始め、1992年に召されました。母の死をきっかけに父が教会に通い始め、2017年に召されました。昨年、初めて京都紫野教会での追悼記念会に参列することができました。まだほとんどがクリスチャンではありませんが、そこで姉たちの家族全員(15名)が共に御言葉を聞いていたのです。息子に本を読ませてやりたいと願った母の小さな行動が、思いがけない結果となりました。神さまの宣教という御業は不思議で満ちています。
教会の「ゆ」
温泉が嬉しい寒い季節となりましたが、ここ飯坂も古くからの温泉地です。飯坂温泉の特徴は、効能もいろいろありますが、何と言ってもお湯が熱いこと。そのため、「地元のお客様へ」との張り紙があります。「温度が高く、観光客の方が困っているときは、43度位になるようご協力ください」。これでも熱いと思われるでしょうが、通常は47度なのですから、私のような初心者は数秒でアウトです。
九州のある教会を訪問しました時、近くの温泉に誘われました。冬の露天風呂、お湯が温めで湯船の外に出られませんでし た。だからこそのぼせることなく、一時間 ほどお湯の中でおしゃべりを続け、とても楽しい時間を過ごすことができました。
教会は温泉ではありませんが、それぞれに温度があります。もちろん、伝統的にホーリネス教会では熱くあることを求めました。でも、個人的なことを言うと、教会の温度はちょっと温めがちょうど良いな……と思っています。いやいや、「冷たいか熱いかであってほしい」と主イエスは言われたはずだ。だから熱くあるべきとお叱りを受けるかもしれませんね。
確かに黙示録3章には、「熱いか冷たいかであって欲しい。熱くもなく冷たくもなく、生温いので吐き出そう」と言われています。しかし、追い求めるべき理想的な姿として熱いか、冷たいかが語られているのではありません。問題は生温さの意味するところです。それは、目に見える豊かさに安住し、そのため自分の貧しさに気づかず、問題意識も、神への求めもない姿を表します。そのような人は、主イエスが必要を満たすために待っておられても気づかない。扉を叩いておられる主を、その人生に招き入れようとしない。この主イエスへの無関心さを生温さとするのです。
大切なことは人間的な熱心さで教会を測るのではなく、主イエスを中心とした交わりと、それによって与えられる豊かさに心向けることです。きっとその中で最も尊いものは赦しでしょう。それにより友人を得、夢を分かち合うことができる。そして、人生にゆとりが生まれ、さらに将来に進む勇気が湧き上がってくる。もう気づかれましたね。一度人れば出たくなくなるほど心地よいたくさんの「ゆ」が、教会とその交わりにはあります。このように教会の温度を実に心地よいものにしてくださるのが主イエスなのです。皆さんの教会の「ゆ」はいかがですか。
次年度、「来らんしょ、熱いお湯なら飯坂温泉、ちょっと温めな○○教会」なんて年間標語もいいなあと思うのです。
ペイフォワード 恵みへの感謝
福島交通飯坂線のとある駅近く、BTLカフェがあります。2018年に開店したハンバーガー店です。この店のユニークさは、味や大きさ(私にはグッド!)だけでなく、「ペイフォワード」に取り組む姿にあります。この「ペイフォワード」(ペイ・イット・フォワード)とは、自分の食事代を支払う時、顔も知らない誰かのために食事代を先払いしておくことです。お腹が空いているけれどハンバーガーを買うお金がない。そんな人も大丈夫! もう代金は支払われていますよ……というシステムです。店頭には、「ペイフォワード」された金額が書かれている引換券、そして、支払った人からのメッセージカードが貼られています。だから、「ペイフォワード」を利用する人は、ハンバーガーといっしょにこのメッセージも受け取ることになります。
この「ペイフォワード」はアメリカの小説で、20年前には邦題「可能の王国」として映画化されています。映画の主人公は、「もし自分の手で世界を変えたいと思ったら、何をする?」との社会科教師が与えた課題に答え、この「ペイフォワード」を提案しました。自分が受けた善意や思いやりを、その相手に返すのではなく、別の誰か3人に渡すというものでした。映画のストーリーでは、「ペイフォワード」を試しても、主人公の思い通りの結末にはなかなか結び付きません。彼の心を挫こうとすることが続きます。けれど主人公の知らないところで、この「ペイフォワード」はつながっていくのです。
この「ペイフォワード」は素敵な試みです。ただ、それがつながっていくとするなら、自分が持ち合わせている善意や思いやりによるのではなく、人から受けた善意や思いやりへの感動であり、感謝によると思わされます。誰かのために与えましょ……ではなく、自分が受けたことへの感謝によってなされるから喜びが伝わるのです。
私たちもこの「ペイフォワード」の恩恵にあずかっています。もちろん主イエスが私たちの贖いのため、そのいのちをもって代価を支払ってくださったからです。私たちが誰かのために小さな代価を払うのなら、それは受けた多くのもののおすそ分けに過ぎません。あなたのそばにはBTLカフェはないかもしれません。でもあなたが置かれた地域で、別の誰か3人に試みてみませんか。主イエスの始められた「ペイフォワード」をつないでいくのです。
「私があなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。これが私の戒めである。」(ヨハネによる福音書15:12)
2022年
クリスマスに見てもらうもの
子どもの頃のある年のクリスマス、父がクリスマスケーキ(サンタクロースのロウソクが乗っている丸いケーキ!)といっしょに帰ってきました。我が家にとっては初めての出来事、ケーキはさっそく仏壇にお供えされました。夕食の後、ケーキを前にして誰が言ったのか、「クリスマスやさかいに、ケーキ食べる前に『きよしこの夜』歌わなあかん」。それで「き~よしこ~の夜~」と家族で歌ったのです。クリスマスの意味など何も知らない、見よう見まねのクリスマスでした。
あれから50年余り、クリスマスの楽しみ方なら何でも知っている社会になりました。この社会の中で教会もそれらしい飾り付けをし、クリスマス礼拝に知り合いを誘い、チラシを見て来てくれる人を待つのです。では、この特別な礼拝で私たちは何を見てもらうのでしょうか。
マタイは、弟子たちへの最初の説教を始めようとされる主イエスの姿を、このように書きました。
「イエスはこの群衆を見て、山に登られた。腰を下ろされると、弟子たちが御もとに来た。」(マタイ五1)
この説教はそば近くにいる弟子たちだけに告げられたのでしょうか。いえ、それら弟子たちを遠巻きにするように群衆がいました。これらの人たちは、生き辛さの解決を求めていました。にもかかわらず、弟子たちのように主イエスに近づくことができなかったのです。そこで主イエスはこれらの群衆をご覧になられ、遠くまで見渡せる山に登られました。だから、主イエスは弟子たちの向こうに群衆を見ながら、「幸いなるかな」と話し始められたのです。そして、群衆は主イエスの言葉を聴く弟子たちの後ろ姿を、遠くで語られる主イエスといっしょに見ていました。この時主イエスもその言葉に聴き入り、心探られながら変えられていく人の姿を彼らに見てもらいたかったのではないでしょうか。それが群衆から目立つ山に登り、ご自分に近づく者たちに語られた主イエスの心だったと思うのです。
「いつもは地味な教会もちょっと目立つ」クリスマス、多くの人を教会にお迎えしたいと願います。でも私たちはクリスマスの祝い方を見てもらうのではありません。神の言葉に聴く私たちを見てもらうのです。そして、神の言葉によって生きる私たちに、インマヌエル、共におられる神を見てもらいたいのです。クリスマスは、今も神の言葉を聴く人の人生に起こる奇跡なのですから。
主イエスによるアレンジ
一緒に神を賛美するように、講壇横に生花が飾られています。おそらく日本の教会ならではですね。さて、この生花ですが、生け花というよりフラワーアレンジメント(風)だと、小さな白い花のカスミソウがよく使われます。このカスミソウ、花束でも上手くアレンジされると名脇役になります。ただの引き立て役とは言えない、見事な存在なのです。
このようなアレンジを教会とその働きにも見ることができます。
神は教会に様々な人を導き入れ、一人ひとりにふさわしい務めを託されます。そして、その務めを担うため聖霊の賜物が与えられます。こうした教会の姿をパウロはキリストのからだとして理解し、「体は一つでも、多くの部分から成り、体のすべての部分は多くても、体は一つであるように、キリストの場合も同様」(Ⅰコリント12章12節)と言っています。一人ひとりとその務めの違いに神のデザイン、ご計画があると続けるのです。この神のデザインについては、「そこで神は、御心のままに、体に一つ一つの部分を置かれたのです」(同18節)と言いました。この「置かれた」はただそこにあることではなく、英語のある聖書では、アレンジするとされています。これはとても意味深いことではないでしょうか。
2001年12月、ブラジルから帰国しました。私にとって楽しかった生活と働きでしたが、とても中途半端な終わり方でした。日本に向かう飛行機の中、どうしてこんなことになったのか……やるせない気持ちで一杯でした。そんな自分を責める惨めな私に響いてくる言葉がありました。ブラジルでの働きに踏み出させてくれた「主も弟子たちと共に働き」(マルコ16章20節)との言葉でした。この言葉を思いながら、わたし一人でやり遂げたことがあっただろうかと振り返りました。長い間の祈りが積まれ、誰かが種を蒔き、少しばかり刈り取りの喜びに与らせていただいただけ。私は大きな主イエスの働きのある部分に関わったのに過ぎない。だから大切なことは、私の働きでなく、今も主イエスの働きがなされていること……。こうして私は、私の小さな働きを、不十分な働きを、大きな神のお働きの中でアレンジし、一つの働きとして調和を与え、実を結ぶようにされたのは、まさに共に働かれる主イエスであることを知らされたのです。
あなたやあなたに託された務めは大きな花のようでしょうか。それとも、引き立て役としか思えませんか。どちらでも良いのです。大切なことは、主イエスが私たちの働きをアレンジしてくださることなのです。
主は共に働かれる
「主イエスに遣わされたわたし」、その姿をまず主イエスの弟子たちに見ると、その始まりは教会の伝道計画や信徒訓練プログラムによるのではありませんでした。それは、エルサレムの教会に対して激しい迫害が起こり、使徒たちのほかは皆、ユダヤとサマリアの地方に散らされて行ったからでした。家から追われ、楽しかった仲間たちとの交わりからも離され、緊張と不安の中、エルサレムから出て行った。それが「主イエスに遣わされる始め」でした。
そんな彼らが共通して経験したことがありました。それが、「主も弟子たちと共に働き、彼らの語る言葉にしるしを伴わせることによって、その言葉を確かなものとされた」(マルコによる福音書16章20節)ことでした。信仰の先輩や仲間から離された不安、迫害される緊張の中で福音を告げた時、そこに主イエスが共に働いておられると知ったのです。
私たち夫婦は1989年にブラジルに派遣されました。それは、ブラジルでの日本語による伝道活動に加わるためでした。私がこの働きの必要について知ったのは、東京聖書学院2年生の時でした。その働きの大切さは分かりましたが、まさか自分がとは考えられませんでした。しかし、1981年7月のある朝、祈りの中で「主も弟子たちと共に働き」との言葉が心に迫ってきました。そして、「私と一緒に行こう」との主イエスの招きだと受け止めたのです。そうして多くの方に祈られ、支えられて遣わされました。
ブラジルでは何度もこの主イエスが共におられる、働かれるという恵みを経験させてもらいました。でもそのほとんどは、自分の弱さを知らされ、愚かさに失望した時でした。道が開かれた時ではなく、閉ざされた時でした。そして、私が知った主イエスのお働きは、誰よりも私自身に赦しと愛を知らせるものでした。つまり、主イエスが共に働かれるとは、何よりも遣わした者の内に、その人生に働かれることにあると知らされたのです。
主イエスに遣わされるのは、私たちがスポットライトを浴びるためではありません。私たちの人生が舞台のようになり、主イエスのお働きが表されるためなのです。さあ、あなたも今立ち止まっているところから出て行きませんか。
「弟子たちは出て行って、至るところで福音を宣べ伝えた。主も弟子たちと共に働き、彼らの語る言葉にしるしを伴わせることによって、その言葉を確かなものとされた。」(マルコによる福音書16章20節)
当事者意識を持つ
あるテレビドラマで、当事者意識について考えさせられたシーンがありました。
主人公である妻から夫に妊娠を告げられます。彼は喜び、父親になる覚悟を伝えます。「子どもが生まれるにあたって、全力でサポートします。何でも遠慮なく言ってください」。きっと妻の笑顔を期待していたのでしょう。ところが彼女は困惑し、「違う! サポートって何? 手伝いなの?一緒に親になるんじゃなくて……、指図しなければいけないの?」。この言葉に夫は妻以上に困惑するのでした。
夫の言葉、何がいけないのでしょうか。夫婦であってもそのどちらかにしかできないことがあります。一人は応援、サポートに回ることもあるのです。ところが二人で親になろうとしていた妻にとって、「サポートします」の言葉は、当事者意識が感じられないものでした。この夫は善良な人です。だからこそこんな心のズレ、失望があっても、きっと現実には「しょうがないよね」で済んでしまうのでしょう。
こうした当事者意識のズレは家庭だけでなく、様々なシーンに起こりますし、教会にも見られます。
数年前、任命制度を検討している時、日本福音伝道教団の高木寛牧師によるレポート「牧師が交代する時」(教会のホームページで公開中)が紹介されました。この教団は任命制度でしたが招聘制度に変わり、牧師に他教会から招聘や兼任要請などがありました。牧師の転任、交代は牧師の個人的な課題になりがちですが、教会は教会形成の在り方に十分な理解を持つことに努めました。その上で、この求めていく教会像に必要な牧師像について検討したのです。
また、別の機会では牧師像だけでなく、「どのような信徒になろうとしているのか」との信徒像を求めました。つまり、信徒としての当事者意識なのです。こうして教会が目指していく教会像、信徒自身が描く信徒像、そして、そのために必要な牧師像によって教会形成を目指されたわけです。
牧師への期待の前に、信徒としての役割を自分が担うこととして考える。これは「ハードル高いな……」と思われるかもしれません。でも新しい任命制度への取り組みにおいて、教会の現状確認と問題点の対応だけで終わるのはもったいない。将来に向かって目指す教会像を描き、「わたしが担う信徒としての役割」として信徒像を考えてみませんか。「しょうがないよね」でも、「必要なことがあれば言ってください」でもない。当事者意識をもってあなたの教会の信徒像を思い描きませんか
教会のご近所付き合い
「お隣からお醤油かってきて」。こんな母の言葉を覚えています。ご存じのように、京都ではこの「かってきて」は、「借りてきて」です。たまにはお風呂を借りることもあり、電話のなかった家は電話番号も借りました。まさに昭和の近所付き合いですね。こうした近所付き合いは、日本人の生活スタイルが変わっていく中、面倒で避けたいものと遠ざけられます。人と人との間に距離がどんどん取られるようになったのです。ところが、大きな災害が起こると人は肩を寄せ合い、再び手で触れる距離に戻ります。
東日本大震災の被災地でもそうでしたし、それは地域の教会にも起こりました。教会の場合、牧師は被災者でありながら、地域の復興支援の役割も担わなければならない。そこで相互に支え合うことを必要とした牧師たちを中心にし、ここ福島では、福島教会復興支援ネットワークが立ち上げられました。名前はお堅いのですが、いっさいイベント開催などの活動を目的としない、100%交わり、肩を寄せ合うグループなのです。
肩を寄せ合う交わりですから、座ってお茶を飲むだけではありません。必要に応じて互いに肩を貸し合います。新参者の私にも、入院治療の間、何度も肩を貸していただきました。礼拝説教で助けられました。米袋を担いでお見舞いに来られた方もいました。個人の祈りに覚えるだけでなく、毎朝の早天祈祷会で祈ってくださる教会もありました。この冬は数十年振りの大雪となりましたが、その早天祈祷会に出席している青年たち10名ほどで、教会周辺の雪かきをしてくれました。祈りの中で、ホーリネス教会は雪かきができないだろうと必要に気づき、与えられている「若さ」を分かち合ってくれたのです。
2030年問題という言葉を覚えておられるでしょうか。今、教会に進む高齢化は予想通りの現実となっています。これに対し、インターネットの活用は一つの有効な対応手段となるでしょう。また、同じ地域に遣わされた教会同士のご近所付き合いはどうでしょうか。その大切さについて、主イエスもこのように言われています。
「父よ、あなたが私の内におられ、私があなたの内にいるように、すべての人を一つにしてください。彼らも私たちの内にいるようにしてください。そうすれば、世は、あなたが私をお遣わしになったことを信じるようになります。」(ヨハネによる福音書17章21節)
皆さんの教会の将来を思い描かれる時、教会のご近所付き合いも考えてみませんか。
区切りをつけること
「創立〇〇周年記念誌」を一年に何度かいただきます。どの記念誌も工夫が凝らされていて、写真の中に懐かしい方々の姿を見つけると実に楽しいものです。この記念誌を作成する側から考えると、その作成には手間がかかり、同時に意味深いものになります。その作業において過去を振り返ることになりますが、そこには単純に感謝だけでなく、複雑な思いがよみがえることもあるでしょう。しかし、こうした作業の中で、教会の歩みに一つの区切りをつけることになるのです。また、編集後記は必ずと言って良いほど、将来への期待や祈りの言葉で閉じられています。つまり、過去の振り返りに終わらず、将来を望み見るものになるのです。
このように振り返る歩みに区切りをつけることの大切さは、一般的にも知られていることですし、また、聖書、特に旧約聖書の中にも見られます。さらに今年の総会で承認された新しい任命制度も、一つの区切りをつ
ける作業と言えます。そこで、よく聞くこの区切りをつけることの意味に、信仰の歩みを重ねてみましょう。
第一は、「現在地」を知る。自分の現在地……という表現が当たり前のように使われますが、この現在地とは、例えば施設の案内板(地図)にある「現在地」、つまりあなたが今いる所です。どんなに素晴らしいゴールが待っていて、手には完ぺきな地図があっても、この現在地が分からなければどうすることもできません。だから、地図を手にしたら、誰もがまず現在地を確認するのです。人生の旅の地図を手にしている私たちも同じです。とりわけ神さまとの関係の中での現在地は、どこにあるのでしょうか。
第二は、感謝する。今を知ることは、「今日まで守られ、来たりし我が身」(新聖歌171)を知ることでもあります。「しかし、神の恵みによって、わたしは今日あるを得ているのである」(コリント人への第一の手紙15章10節/口語訳)とある通り、現在地に溢れる神の恵みを覚えるのです。
第三は、将来を確信する。先の聖歌は、「露だに憂えじ、行く末などは」と続きます。人の計算や計画通りでない神の恵みという御業は、将来に対する確信の根拠となるからです。そして、思い通りにならない状況で、「如何なる折りにも愛なる神は、すべての事をば善きにし給わん」と神さまは歌わせてくださるのです。
せっかく新しい任命制度が始まるのです。互いの信仰、教会の歩みに区切りをつけるため、そして、目指すゴールへの道筋を確認するため上手く用いたいものです。
植えられた地で種になる
いろいろな花が咲き乱れるという意味の「百花繚乱(ひゃっか-りょうらん)」という言葉。この美しい言葉を初めて福島の春で知りました。第7クールの治療を終えた後、まだ雪に覆われた吾妻連峰を見ながら飯坂町に帰ると、ちょうど桜が開花し始めていました。桜が満開になると、競うように桃の花が咲き始めるのです。赤、白、ピンク、美しく彩られた飯坂から再び病院へ。そして、第8クールを無事に終えて飯坂に戻ると、街路樹のハナミズキが満開でした。
せっかく開いた美しい花も、自然に抗(あらが)うことなく散っていきます。咲き続けることに固執しないのです。その一瞬一瞬に生きるこの花木の姿は、神のデザインの豊かさや不思議に気づかせてくれます。
主イエスは言われました。「あなたがたが私を選んだのではない。私があなたがたを選んだ。あなたがたが行って実を結び、その実が残るようにと、また、私の名によって願うなら、父が何でも与えてくださるようにと、私があなたがたを任命したのである。」(ヨハネによる福音書15章16節)詳訳聖書(いのちのことば社)では、この「選んだ」を「任命した」「植えた」とも訳しています。植えるために選ぶというのなら、単に能力的に優秀なものとして選別することではありません。それぞれの場所には特有の環境があります。だからその場、その環境にふさわしい品種が選ばれ、植えられるのです。選ばれたのはその優劣ではなく、ふさわしさです。神さまのデザインの中で、私たちは置かれた場所にふさわしい者として植えられたのです。
それは「実を結び、実が残る」ため、つまり新たないのちへの種となるためです。人の目を惹くような美しい花を咲かせることに、私たちの関心は向きがちです。しかし、そこにある神のデザインは、しばらくの美しさを表すことよりも、いのちがつながれていくことに向かっているのです。だから大切なことは、内にいのちを豊かに宿すことです。小さくてもいのちある種は、いつか必ず良い実を結ぶからです。主イエスはそれを、「私につながっており、私の言葉があなたがたの内にとどまっている」(15章7節)とも表現されています。だから、み言葉により日ごとに内なるいのちが新たにされ、豊かにいのちを宿しましょう。すると種が蒔かれるように、何気ないことや何気ない言葉が、思いがけず誰かの人生に留まるのです。そして、その人の内で慰めとなり、勇気を与える。決して百花繚乱ではないけれど、神の不思議がそこに現われるのです。
「私」と「わたし」
3月の教団総会において承認を得ました今年度のテーマは、「主イエスに遣わされたわたし」です。このような次年度のテーマや聖句は、まず教団委員会において、続いて全国教区長会議において質問、意見をお受けします。その上でさらに教団委員会で協議し……という手順を踏みます。今回ある教区長から、「『主イエスに遣わされたわたし』の『わたし』がどうしてひらがななのか」と問われました。至極まっとうな質問でした。その答えの準備のなかった私は、「ひらがなの方が、見た目がいいからかな。キャッチーじゃないですか」と答えたように記憶しています。実際、同じ言葉も漢字で書くよりひらがなで書く方が柔らかな印象となることは、一般的によく言われることです。
改めてどうしてひらがなにしたのかを考えると、やはり自分の中では漢字の「私」とひらがなの「わたし」に違いがあるのです。漢字の「私」には堅い印象がありませんか。そして、「私」と表記される場合、立場や務め、外見……そのように人に見せている「私」、人から見えている「私」があるように思います。ところが、ひらがなで「わたし」と表記すると、自分を覆い、飾っているものを取り外してしまった「ありのままの自分」 「素顔の自分」が表現されるように思うのです。
私たちが遣わされ、置かれた場所でどのような働きをしているのか、どのような立場を得ているのかという自分の「していること」は大切なことです。人の評価もそのところに向けられます。でも実際はどうでしょうか。何をしているのだろうと迷うことがあります。いくら働いても実を結べない、良い結果につながらないとがっかりします。そんな「わたし」なのですが、それでも誰が、どのような評価をしても、主イエスに遣わされている「わたし」だと信じる。これを大切にしたいのです。
そもそも復活の主イエスに遣わされた弟子たちは、マルコによると復活されたイエスを見た人々の言うことを信じなかったため、不信仰とかたくなな心をとがめられた人たちでした。にもかかわらず遣わされたのです。「主イエスに遣わされたわたし」は、選抜チームに選ばれる優秀な弟子ではありません。ただ恵みにより立てられた「わたし」です。そして、その「わたし」が遣わされ、今あるところに置かれているのです。今年度、主イエスはこの「わたし」を通して何をなされるのでしょうか。楽しみじゃないですか。
主イエスに遣わされたわたし
「しかし、あなたに言うべきことがある。あなたは初めの愛を離れてしまった。」(ヨハネの黙示録2章4節)
この「初めの愛」は、私の中では、誰もが知る名曲「あの素晴らしい愛をもう一度」とつながります。「……一人の心と心が今はもう通わない、あの素晴らしい愛をもう一度……」。つまり、「初めの愛」は「初めの頃の愛」。以前は神さまへの熱い思いがあったじゃないか、若い頃はもっと違ったじゃないか、ところが心と心が今はもう通わない。これじゃだめだ、初心忘るべからず、もっと頑張ろう……となります。ただし、初めの頃の愛がどれほど純粋で、強いものだったのかは不明。思い込みなのかもしれません。むしろ、まず覚えなければならない「初めの愛」があります。それは、まず神が人を愛された」という「初めの愛」ではないでしょうか。
「私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、宥めの献げ物として御子をお遣わしになりました。ここに愛があります。」(ヨハネの手紙一4章10節)
するとこの「初めの愛を離れ」とは、この神の愛を見失うことと言えます。人が神を愛したから神も人を愛されたのではありませんでした。罪の中にあった人をまず神が愛されたと信じたのです。この「初めの愛」は、ポルトガル語では「プリメイローアモール」ですが、それは「第一番目の愛」ともぺ最高級の愛」とも理解することができます。つまり「初めの愛」とは、神がそのひとり子を人のために十字架に献げられた神の最高の愛、究極の愛なのです。
今年もすでに大きな地震がありました。「想定外」はいつもあり得ます。東日本大震災の時には千葉の路上にいましたが、動かないはずの道が揺れて立てなくなる経験をしました。疑うこともなかったものが揺れ動くのです。何を足場にしているのか考えさせられたことでした。新しい年度の計画、信仰の歩み、生活において、その足場と言えるものは何でしょうか。それこそ「初めの愛」ではないでしょうか。何かあっても神が愛し、支えておられることを信じることができるなら、何と力強い支えを得ることでしょう。
新しい年度、もう一度この「初めの愛」を覚えて進みましょう。何かあっても大丈夫、何か変わっても変わらない「初めの愛」があるのですから。
3月は教団総会、年会が行われる大切な節目の時となっています。私たちは過ぎた一年を振り返り、そして、新しい一年の計画をもって主イエスに期待するのです。このような振り返り、期待を各教会でも同じように持たれることでしょう。
この一年は、昨年度に続きパンデミックの影響を大きく受けました。もちろん手探りではなく、ある程度の状況把握ができ、適切な対応策も準備できたことは感謝でした。とりわけインターネットの活用により物理的な距離を超えて、様々な活動が可能になりました。それでもインターネットでは届かないと思うことがあります。対面での人と人との関りのなさに、多くの教会、牧師たちは葛藤を覚えられたのではないでしょうか。実際、対面での礼拝が可能になっても、以前のように人が集まらない……との声も聞こえます。
こうした振り返りの中で、大好きな詩画家、星野富弘氏の作品「日日草」の言葉を想いました。この詩の言葉をお借りすると、「悲しいことがあった、嬉しいことがあった、笑ったり、泣いたり……」の私の一年でした。そして、これらのこととともに、「数え切れないほど沢山の平凡なことがあった」のです。もちろん星野氏は平凡なことを尊いものとして観ておられるのですが、実際には平凡なことは当たり前のこと、どこにでもあるあまり価値のないものと考えがちです。しかし、改めてこれらの平凡なことを想うと、平凡だと思い込んでいるものほど、自分が努力して手に入れたものではなく、むしろ与えられ、授けられたものであることに気づかされます。平凡さにある尊さ、当たり前だと思うことの有難さを思うと、人生そのものが与えられたもの、神の恵みに他ならないと感謝が湧き上がるのです。
「どんなことにも感謝しなさい。これこそ、キリスト・イエスにおいて神があなたがたに望んでおられることです。」(テサロニケの信徒への手紙一5章18節)
一年を振り返りながら、当たり前だと思っていたどんなことの中にも、神の恵みを見つけてみませんか。どんなことも当たり前が当たり前でないことを知るとき、必ずそこに感謝が生まれます。そして、その感謝は希望となるのです。
沢山の感謝と共に一年を振り返り、新しい年度への望みを主イエスにおきましょう。
支えられるということ
「教団の牧師の中で、教団委員長ほど祈られる牧師はいないよ」。昨年の春、私を励ましてくださった方の言葉です。今病を得て、この言葉を実感しています。
悪性リンパ腫の疑いがあるとされたのが昨年8月末。ようやく10月に数十種類もあるというこの病気の中から病名が特定されました。この検査の期間から、福島市内の病院で治療を受けている今も、実に多くの祈りの中にあることを感謝いたします。パウロはその生き方を、「受けるよりは与える方が幸いである」(使徒言行録20章35節)との主イエスの言葉で言い表しました。私といえば教会でも、病院でも、神の家族たちから、医療スタッフの方々からただ受けるだけです。市内のある単立教会では、毎朝6時と7時の早天祈祷会で私の名前を上げて祈ってくださっていると聞きました。お会いしたこともない方々です。どのように報い、お返しするのかと戸惑い、心苦しく思う時、改めて祈られ、支えられることを想いました。
私にとって支えることは、力のある人が弱い人に行うこと。与えることは、豊かな人が貧しい人に行うことでした。そうではないはずと否定しつつも、やはり本音はそこにあると思わされたのです。だから受けること、支えられることに心苦しさを覚え、どうしてお返しするのかとなってしまう。
では「与える方が幸い」と、弱い者を助けるように勧めるパウロは強く、豊かだったのでしょうか。自分の強さや豊かさを誇っているのでしょうか。いえパウロは、むしろその弱さと貧しさを語りながら、キリストにあって受ける力や豊かさを伝えています。ローマの信徒への手紙8章32節、コリントの信徒への手紙二12章9節など、こうした言葉は枚挙にいとまがありません。パウロは、与えることを幸いだと言われる主イエスから、多くの力や豊かさを経験していたのです。パウロが「与えるほうが幸い」との主イエスの言葉を用いるのは、受けることと与えることを比べ合い、どちらの程度が高いのかと問うているのではありません。主イエスにより豊かに受けていることが前提にあるわけです。
それは、ペンテコステを経験した人たちが、財産や持ち物を売って支え合いますが、「必要に応じて、皆がそれを分け合った」(使徒言行録2章45節)と表現しているようです。支えることは分け合うことです。主イエスの広げられた愛で一緒に覆われるようにと、誰かのためにスペースを作ることです。与えられたものを分け合うのです。だから、主イエスの前に支えることのできる強い人と弱い人がいるのではありません。ただ主イエスのいのちの豊かさに生かされ、支えられている人だけがいるのです。
私はこれまでも支えられてきました。そして、これからもなのです。
神への期待と神の期待
新しい年を迎え、皆さんは何を期待されているでしょうか。
クリスチャンになる前、私にとって正月と言えば神社仏閣への初詣。もちろん新しい年への期待、夢が願い事でした。それは、賢くなりますように、よく勉強ができますように、テストで良い点を……と、年齢が進み、表現は変わりますが、すべては自分のためでした。そんな私も、礼拝に初めて出席した18歳の頃には、自分と将来に期待する気持ちさえも失っていました。ただ「あの人みたいやったらエエのになぁ……」と、人への羨ましさと自分への惨めさだけでした。ところがキリストとの出会いは、願い事を向ける神さまが代わったのではなく、新しい生き方へと私を招いたのです。それは、キリストの権威にあって生きることでした。
イエスは、近寄って来て言われた。「私は天と地の一切の権能を授かっている。だから、あなたがたは行って、すべての民を弟子にしなさい……」(マタイによる福音書28章18、19節)
ある日の主日礼拝で語られたこの主イエスの言葉は、劣等感に閉じ込められ、足元だけをうつむき見ていた私に、一切の権能を授けられた主イエスにより立ち止まっている所から行く、そこから出て行く決断を与えたのでした。
それから何度も置かれた場所から出て行く経験を繰り返したことです。まず家族や故郷から離れました。日本から出て行きました。生涯の使命と信じていた地から戻されました。共に過ごした娘たちと別れました。そして、今も……。主イエスはその権能により私を新しい世界へと連れ出されるのです。
精神科医ヴィクトール・フランクルが、ナチスの強制収容所で想像を絶する経験をしたことはご存じでしょう。生きていることが当たり前でない状況で、人生に、自分に何も期待できない中で、彼は生きていることそのものに意味があると考えました。それは生き残れば良いということではありません。「私は人生にまだ何を期待できるのか」ではなく、「人生は私に何を期待しているか」と、生きている者自身が問われている。そして、その問いに答えることに、人生に生きる意味があると言うのです。
人生が主イエスの権能の下にあり、主が私たちをある状況に置かれたのなら、フランクルが言うように、そこに私たちに期待しているものがあるのです。それがたとえ病院や施設であっても、期待した通りの状況でなくてもです。この迎えた新しい年、あなたが置かれた場所で、主イエスはあなたに何を期待されているのでしょうか。
2021年
アドベント 待つための時
新しい年の準備で忙しくなる師走。教会では、クリスマスに向けて忙しく準備がなされているでしょうか。さて今年はどのように……と、期待と不安が混じり合っているかもしれません。
このクリスマスの4週間前の日曜日からの期間、これをアドベント(待降節)と呼びますね。このアドベントは到来を意味しますが、もちろん2千年前の救い主のお生まれという到来です。この期間、多くの教会では日曜日ごとにろうそくに火を灯していきます。一本、二本と火が灯っていくろうそくを見ながら、近づいてくる救い主の誕生を祝う日を待つのです。
ご存じだと思いますが、このアドベントはクリスマスを待つとともに、再び来られるキリストの到来を待ち望むことも意味していますね。この到来をキリストの再臨と言いますが、それは使徒信条において「かしこより来りて、生けるものと死にたるものとをさばきたまわん」と言い表す通りです。すべてに始まりがあり、終わりがあります。そして、この終わりは、キリストの再臨により実現するのです。しかし、その終わりはいっさいが無に帰するような終わりではありません。人の目からことごとく涙が拭い去られる、慰めと喜びという苦難の終わりであり、神の約束が完成する希望という終わりなのです。このアドベントにおいて、私たちはこの終わりの時を待ち望み、その時を目指して生きていることを覚えるのです。
このキリストの到来を待ち望むことは、新しい生活を思いながら引っ越しの準備をすることに似ています。これまで私たち夫婦は何度も引っ越しをしました。福島への引っ越しは11回目になります。引っ越しで学んだことは、いつも新しい生活のために不必要なものは処分する、いわゆる断捨離の大切さです。どんなに大切なものでも、すべてを持っていくことはできません。必ず痛みを感じながら手放すものがあります。3人の娘たちにとっては、何よりも友だちと過ごす時間でした。
終わりの時を待ち望む私たちは、多くのものを手放していきます。これまで築いてきたもの、大切に守ってきたもの。人生とその使命に忠実に生きた人ほど、手放すことに心痛むものがあるはずです。それでも失ってはならないものを失わないために、心を痛めつつも手放していくのです。クリスマスを待ちながら、終わりの日の喜びと希望に目を留めましょう。
「恐れるな。私は、すべての民に与えられる大きな喜びを告げる。」(ルカによる福音書2:10)
主イエスを喜ぶ
新型コロナウイルス感染拡大に伴う緊急事態宣言が、9月末で全面解除されました。りばいばる紙本号が皆さんの手元に届く頃、どのようになっているでしょうか。不安と期待が混じり合った複雑な思いでいます。今後ですが、教会での感染予防については、その対応を急に緩めることはありません。それでも礼拝堂に集まり、同じ場所で礼拝を行うだけでもきっと嬉しいことでしょう。なぜなら、キリストにあって人が集められることが教会本来の姿なのですから。
主イエスは弟子となる人たちを招き、彼らとともに歩まれました。そこに作られた交わりが信仰の共同体となり、それが教会と呼ばれます。今回のパンデミックにおいて、物理的に集まるだけでなく、バーチャルな空間での礼拝や交わりも広がりました。その是非は別にして、キリストに招かれた人たちが、どのような形であれキリストにあることを互いに喜んでいる。このように喜んでいる人を見るのが、また何とも喜ばしいのです。
主イエス自身はこのように言われています。「私が来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招いて悔い改めさせるためである。」(ルカによる福音書5:32)
この言葉は、主イエスがレビ(マタイ)を招かれたときに語られたものです。マタイはこの招きに答え、すべてを捨てて従いました。その招きはマタイにとり大きな喜びをもたらし、盛大な宴会を自宅で催したほどでした。
「そして、自分の家でイエスのために盛大な宴会を催した。そこには徴税人たちやほかの人々が大勢いて、一緒に食卓に着いていた。」(同5:29)
徴税人は同業者で、町の嫌われ者です。大勢のほかの人々とは、自分のきよさに誇りを持つ宗教的エリートたちから、彼らに蔑まれ罪人と呼ばれていた人たちまで、種々雑多な人たちです。彼らはどうして一つの場所に集まったのでしょう。もちろん、主イエスがおられるから、さらにはそのそばに大喜びしているマタイがいるからなのです。マタイは教会案内やトラクトを配ったのではありません。主イエスに招かれ、主イエスに近くあることの嬉しさに、自宅で宴会を開いただけです。主イエスとともにあることを喜んでいる。その姿が、人を引き寄せたわけです。
教会におけるアフターコロナはどのようなものになるのでしょう。伝道について、交わりについて考えていく課題があります。どのようであっても、何ができなくなっても、主イエスとともにあることを互いに喜びたいですね。
ユースジャムは熱かった
「きょうだいたち、あなたがたは自由へと召されたのです。ただ、この自由を、肉を満足させる機会とせず、愛をもって互いに仕えなさい。」
(ガラテヤの信徒への手紙5章13節)
教団のビッグイベント、ユースジャムがオンラインで行われました。毎回とても印象深いテーマが掲げられますが、今回は「FREEDOM」、自由でした。そして、6回のメッセージを3人の説教者が担当され、とても正直に自分の体験と共に、大胆に熱く語られました。右の言葉が語るように、キリストが与えられた自由は、決して好き勝手に生きることではありません。この自由は人を愛することへと向かうものです。メッセージを聴きながら、人を愛することの難しさ、貧しさに気づかされたいくつかの経験を思い出しました。その一つが、東京聖書学院の寮生活での出来事でした。
聖書学院での寮生活には、学期ごとに決められる同室者がいました。寛容さのない私には、人と人との距離が近い環境はしんどいものでした。ある学期、同室者だった先輩は、「私の目には」ちょっと変わった人でしたので、あまり関わらないようにしていました。しかし、同室ですからお互いに生活音があるのは当たり前で、それらの小さな音にも徐々に苛立ちを感じるようになりました。そんな自分はダメだと、就寝前に「神さま、一人の人を愛せない私を赦してください」と毎晩のように祈るのです。でも何も変わらない自分を情けなく思うばかりでした。とうとう同室者との最後の夜、私はようやく決意をして、「〇〇さん、いっしょにお祈りしてもらえますか」と言いました。「神さま、〇〇さんの学びと訓練を祝福してください」と祈るとき、決して自分を取り繕ったのではなく、自然な心で祝福を祈ることができました。結局、その同室者を好きにはなれませんでしたが、その人の祝福を祈るとき、苛立ちや苦々しさからの自由を経験しました。大切なことは神の前で自分を責めるのではなく、神に心を向け、その人の祝福を祈ることでした。
ジャムでの恵みの集会、ガラテヤ書の言葉を通し、キリストが与えられた自由は、神に愛され、赦されている自分を知ることによると語られました。そして、自由へと召されたのですから、キリストによって自由に生きる人生に招かれたのです。もちろん、これは若者たちだけへの招きではありません。誰もが愛をもって互いに仕える自由に生きることへとチャレンジされているのです。あなたはどう答えるのでしょうか。
信仰におけるコンプロミッソということ
「愛しているよ」というと、妻が答える。「口だけじゃダメよ。」ある日の私たち夫婦のやり取りです。もちろん、「言葉だけじゃなく、ダイヤモンドの指輪が欲しいわ」ということではありません(よね?)。愛するということは、言葉以上に行動することであり、日々の生き方につながっていると言いたいわけです。
このように人と人を深く結ぶ関わりを、ブラジルではコンプロミッソと言います。この言葉は、辞書的には「約束、誓約、合意」ですが、それは約束に誠実であることを願う心と言えます。悲壮感がなく、自発的で、喜びに満ちたものです。犠牲と責任を負いますが、その苦労を苦労としません。そして、他の何よりも大切なこととして選ぶことを誇りとします。だから献身なのです。
このコンプロミッソは、スポーツ選手たちの競技に打ち込む姿勢にも用いられ季聖会、ユースジャム2021がオンラインで行われました。私も説教者の一人でしたのでちょっと勇気をもって言いますと、その時に開かれた言葉は、あなたの信仰生活にチャレンジを与え、そのチャレンジに対する決断がなかったでしょうか。その決断が信仰の実を結ぶには時間がかかります。その決断を妨げるような出来事が起こるかもしれません。必ずしも周囲の人々の理解を得られるとも限りません。だから、コンプロミッソを覚えていただきたいのです。あなたの決断が何において、誰に対してのものだったのか忘れないでください。
ブラジルで幼児期に移住された一人の老婦人にお会いしました。彼女は日本語も、ポルトガル語も学ぶ機会が与えられず、両語とも読み書きができませんでした。ある時、神と出会い、人生が変えられます。彼女は聖書を自分で読みたいと願い、文字通り六十の手習いで読み書きを学びました。私がお会いした時には耳がとても遠くなり、日本語の礼拝にも自由に出席できなくなっていましたが、聖書の言葉を何よりも喜びとし、神への信頼に堅く立っておられました。神の言葉を愛する彼女を神は養い続けられたのです。
「私が主に願った一つのこと、私はそれを求め続けよう。命のあるかぎり主の家に住み主の麗しさにまみえ、主の宮で尋ね求めることを。」(詩編27:4)
何が変わっても変えない姿勢を
新型コロナウイルス感染が拡大する中、一時的に福島教会も教会に集まれなくなりました。そのため多くの教会と同様に、ネット礼拝を開始しました。「歳を取って教会に行けなくなっても、こんな風に礼拝ができるのですね。安心しました」と、ご自宅で礼拝に出席した方が言われました。確かにこのネット礼拝は、様々な事情で教会に集まれない方々のために有用で、コロナ収束後も続いて用いられるのでしょう。
少子高齢化社会の中で変わりつつある教会は、今回の感染症の世界的大流行により、その変化を早めることになりました。今後、教会や礼拝についての理解を深めつつ、各教会ではインターネットを活用した働きを取り込み、その将来の姿を思い描いていくことになります。
こうした教会の移り変わりを考えながら、ブラジルで出会った戦後移民のI兄を思い出しました。私が出会った頃、I兄は日用品の卸売りを個人で行っていました。もちろん、商売に必要な程度のポルトガル語はわかりましたが、やはり読み書きとなると別でした。あるとき、教団教育局がデボーション・ガイド「日ごとのパン」を出版し始めました。私たちの遣わされた教会でも、日系一世以外の方々に、「神の家族として毎日同じ言葉で養われましょう」と購入を勧めました。ところが、日本人のI兄が「私も買います」と一冊持ち帰ったのです。
I兄はそれまでと変わらず日本語の聖書を読み、祈った後、この「日ごとのパン」を読みました。ポルトガル語を理解する人なら数分で読める程度なのですが、何度も辞書を引きながら読みますから、一日分を読むのに一時間かかることがある。それでも、教会の皆さんと同じ言葉を読むことができるし、ポルトガル語の勉強にもなるから嬉しいと笑っていました。神の言葉により信仰が養われ、共に神の言葉を聴くことで教会が建て上げられることをI兄は知っていたのです。
さまざまな理由から教会や信仰生活の形は、思いがけず変化します。変化を寂しく感じることもあります。しかし、神の言葉を喜び、生かされる人は何事においても神の思いを信じます。だからその状況に対して受け身にならない。だから変化に対応し、どこでも実を結んでいくのです。聖書はこのように語ります。
「主の教えを喜びとしその教えを昼も夜も唱える人。その人は流れのほとりに植えられた木のよう。時に適って実を結び、葉も枯れることがない。その行いはすべて栄える。」(詩編1:2、3)
偉大な自然に神を思う
高齢の教会員が教えてくれました。「福島じゃあ吾妻山に雪うさぎが見えると種を蒔くんだよぉ。」
福島市の西側に吾妻連峰がそびえていますが、春になるとその雪がとけ始めます。そして、吾妻小富士の山肌に残る雪形がうさぎのように見えてくる。だから雪うさぎなのです。かつてこれが見えると苗代に種を蒔いていたことから、「種蒔きうさぎ」とも呼んだそう。雪うさぎ、何とも微笑ましい名前です。
自然は美しく、恵み深いものです。福島市の気候は盆地特有の気温の大きな変化が特徴的で、日本有数の果物の生産地にしました。多くの花が生活を彩ります。自然は人に喜び、豊かさを与えてくれるのです。でも自然は人の思い通りになりません。その厳しさは人を打ちのめすこともあります。一昨年の台風では、教会近くの川の堤防も一部崩れました。ようやく改修が終わったばかり堤防を歩きながら、この自然の大きさと不思議を詩編の言葉とともに思いました。
「あなたの指の業である天を、あなたが据えた月と星を仰ぎ見て、思う。人とは何者なのか、あなたが心に留めるとは。人の子とは何者なのか、あなたが顧みるとは。」(詩編8:4~5)
この詩人は夜空を見上げています。そして、輝く幾多の星を見つめながら、神の創造の偉大さと巧みさに心捕らえられます。この偉大な自然への感動は、神への賛美となり、驚きとなりました。それは、この賛美のことばを幼子、乳飲み子に与えられたことでした。知恵や力のある人ではなく、いと小さく、弱き人に、神はその偉大な働きを知らせてくださいます。主イエスが「子どものようにならなければ」と言われた通りです。
詩人にとって、この神はあまりに不思議なお方でした。指のわざと言うように、その創造のわざは非常に巧みなものです。しかし、創造の偉大さやその巧みさ以上に、神が小さな人に心を留め、顧みられることこそが不思議でした。人は神の目に貴いのです。だから、神は人をその価値にふさわしく扱われます。この不思議に、詩人はただ神を賛美するのでした。
新型コロナウイルスにより、私たちは振り回されました。でも幸いコロナワクチン接種も始まりました。この混乱もきっと収束へと向かうでしょう。けれど毎年のように繰り返される自然災害はどうでしょうか。この先を誰も見通すことはできません。それでも「恐れるな」と語られる神は、何があってもあなたを心に留め、顧みておられます。だから「主よ、我らの主よ。御名は全地でいかに力強いことか」と歌うのです。
「イエスは主」を基として
お雪をかぶった山を背景に色々な花が一気に咲く美しさ、東北の春は格別です。この美しさは、冬の厳しい時を通るからこその不思議と聞きました。昨年度は教会の働きにおいても厳しい時となりましたので、この自然の不思議を新しい年度の働きに期待しています。
この春に任地を異動された牧師たち、これらの牧師を迎えられた教会はどのように働きを始められたでしょうか。私たち夫婦も2年間の猶予を経て、ここ福島教会の専任となりました。前任地では最初の任命と合わせて21年間の働きで、その働きを振り返る機会が与えられました。この振り返りの中で、自分たちがなしたことではなく、与えられた経験こそが大切な思い出になっていることを覚えました。そして、それらの経験は、私たちの中にある教会の姿をいのちあるものとしているのです。
教会は、イエスを主とする人たちが集められ、礼拝を行う共同体です。イエスを主とすることは礼拝の心に留まらず、生き方において表されるものです。この教会という共同体は人の集まりですから、それぞれ様々な違いがあります。それでもイエスを主として仰ぐから、教会はキリストの教会であり続けるのです。
1986年、前任地の教会の主任牧師が執務室で倒れられました。最後の様子を医師に説明するために、私も搬送される救急車に同乗しました。救急車の中で、「私の声が分かったら合図して」との奥さまの言葉に、先生は意識が失われていく中で、上を指さしOKサイン、Vサインをされました。死を前にし、自分の置かれた状況を認識し、あるがままで受け入れ、さらに天国を指さしVサインをすることができる。私には忘れられない姿、死に勝利した姿でした。でもそれは最後だから取られた姿なのではなく、いつも自分を従とし、イエスを主として生きることに心を向けているからこそ……だったのでしょう。
残念ながら教会にも問題(そのほとんどが人間関係ですが……)が起こり、教会生活や人生が複雑なものになることがあります。意見の対立の中で、自分の考えこそが聖書に根差している、自分の判断は誰が考えても正しいとの思いから動けないことがあります。そんな時、目をイエスに向けて、「私ではなくあなたが主です」と言い表すことができれば幸いです。このように、教会が教会のあるべき姿である時、キリスト者がキリスト者本来の姿である時、ほとんどの問題は解決できるのではと思うのです。
「イエスは主」と告白する人が集う教会でありたいと願っています。
神が備えられたところへ
「人間の心は自分の道のことに思いを巡らすが、主がその一歩を確かなものとする。」(箴言16:9)
先の教団総会において教団委員長に選出されました。きっと驚かれた方も多いでしょうが、誰よりも私が驚き、恐れています。神の招きを拒むモーセのように、「私は何者なのでしょう。この私が本当に……」との思いでいっぱいで
す。ご存じだと思いますが、この総会からの招きに、祈ってお返事させていただきますとは答えられません。選出後、総会のすぐ後のセッションで就任式、誓約があるからです。そして、挨拶、祝辞、原稿……次々と求められ、すべてに答えようと必死(のパッチ)です。
こんな私の心に浮かぶのは、遣わされた教会での新年礼拝で開きましたこの箴言の言葉です。その後半が、口語訳聖書では「しかし、その歩みを導く者は主である」、新共同訳聖書では「主が一歩一歩を備えてくださる」、新改訳2017では「しかし、主が人の歩みを確かにされる」となっています。それぞれとても味わい深いものがあります。そして、この言葉から、新型コロナウイルス感染の収束が見通せない状況であっても、それでも私たちの人生を導かれるのは神であり、この神の備えられたところへ一歩を踏み出しましょうと勧めたのです。
自分の人生、教会の働き、教団の歩み、私たちは考え、計画し、夢を描きます。そして、思い通りにならないと嘆き、失望するのです。でも、そもそも私たちは将来を見通すことなどできません。私たちに確かなことは、私たちを導く神がおられることだけです。この方が私たちの歩みを確かなものにされます。だから、神が備えられたところへと一歩踏み出すのです。
ある日、電車に乗ろうと駅に急いでいました。ホームへと駆け上がりましたが一歩及ばず、目の前でドアが閉まりました。悔しさと失望で行く電車を見つめていました(大袈裟ですね……)。ああもっと速く走れば、あんなことをしなければ……と思いながら、時刻表で自分が逃した電車を確認しました。そして、一本後の電車の時間を見ていました。そのとき、気づきました。乗るべき電車を逃したのではなく、私の電車は今私に向かって懸命に走っていると。
目に見えるものしか見えていない私、思い通りにならないことに捕らわれ続ける私。そんな私を神はどのように見ておられるのでしょう。でも、神は確かに見えないところで働かれ、将来を備えてくださっているのです。新年度、ご一緒に神の備えられたところへ一歩踏み出しませんか。
新しい出発
私が教団委員長を務めさせていただいた4年間、何と多くの方々に祈られ、支えられてきたかということを思います。本当に、ありがとうござました。心より感謝いたします。新しい執行部のためにも、引き続き、お祈りとご支援をよろしくお願いいたします。
ヨハネ20章19節以下に、復活された主イエスが弟子たちに現れたときのことが記されています。日曜日の朝、主イエスは復活され、マグダラのマリアたちにそのお姿を現してくださいました。ところが、弟子たちはそのことが信じられず、ユダヤ人の迫害を恐れて、家に閉じこもっていました。
その弟子たちの真ん中に主イエスが現れ、「あなたがたに平和(新改訳聖書は「平安」)があるように」と言われたのです。そして、主イエスは弟子たちにご自分の手と脇腹とを見せられ、確かに十字架に付けられた主イエスが復活したのだということを示されました。聖書は、「弟子たちは、主を見て喜んだ」と記しています。弟子たちの喜びは、どんなに大きかったことでしょう。
私たちは今、地域によって差があると思いますが、コロナの影響で、みんなで教会に集って礼拝をささげることが難しい状況の中にあります。外出自粛が呼びかけられています。弟子たちが家の中に閉じこもっていた状況と、何だか似ているなあ、と感じます。しかし、あの弟子たちの真ん中にお立ちくださった主イエスは、私たちの真ん中にもお立ちくださっています。そして、「あなたがたのために十字架に付いた私が、復活して、今、あなたがたと共にいるのだ。恐れることはない。あなたがたに平和(平安)があるように」と語りかけてくださっているのです。私たちも、この主を見て喜ぶ、そのような礼拝をおささげいたしましょう。
主イエスは弟子たちに「父が私をお遣わしになったように、私もあなたがたを遣わす」と言われ、息を吹きかけ、「聖霊を受けなさい」と言われました。主イエスは、私たちにも聖霊を注ぎ、この世へと遣わしてくださいます。主の息吹を受けて、ここから新しい出発をいたしましょう。
キリスト・イエスの僕
執り成しの祈り
私はこの原稿を、皆さんのところに届けられる約一か月前に書いています。新型コロナウイルスの感染が再び拡大し、自粛生活が強く呼びかけられています。政府の対応が遅いという批判が高まっています。そのような中で、私は右記の御言葉に出会いました。
政府の対応が正しく的確になされるために検証され、批判がなされることは大事なことだと思います。そのことを踏まえた上で、聖書が「まず第一に」教会がなすべきことは祈りであり、特に王たちやすべての位の高い人たちのために、執り成しの祈りを献げるようにと言っていることは大事なことだと思いました。私たちは今、世界的な危機の中にいます。この状況の中で、日本は勿論ですが、世界の指導的な立場にある方々が、正しい判断をし、適切な対処をしていくことができるように祈ることが、教会に託された使命なのだと思います。このような時だからこそ、教会の祈祷会が盛んになっていくことを願います。
それにしても、迫害の厳しい時代の中で、パウロが教会に対してこのような指導をしていることは、ちょっと驚きですね。その鍵が、続く5節に書かれています。「神は唯一であり」ということです。唯一の神がすべてを治めておられる、歴史を動かしておられるのは神である、これがパウロの確信でした。ですから、たとえ神を知らない指導者であっても、その指導者が神に喜ばれるような政治を行っていくことができるように祈ろう、すべてを治めておられる唯一の神が働いておられるのだから、と勧めているのです。
唯一の神を信じる信仰は、「常に敬虔と気品を保ち、穏やかで静かな生活」となって実を結びます。それは、不安や恐れの中で混乱し、慌てふためくのではなく、「静まれ、私こそが神であることを知れ」(詩四六11)と言われる主を信頼した生活です。主が共にいてくださり、主が働いていてくださるのですから、私たちは、祈りつつ、平静な心で、あきらめないで、忍耐強く、一つひとつのことに取り組んでいくことができるのです。そのとき、主の素晴らしさが私たちを通して証しされていきます。主の平安が広がっていくのです。
平和の計画
あなたがたのために立てた計画は、
私がよく知っているI主の仰せ。
それはあなたがたに将来と希望を与える平和の計画。
(エレミヤ29:11)
2021年が始まりました。昨年を振り返ると、新型コロナウイルスの感染拡大によって、計画をしていたことがことごとく中止になったり、延期になったりしたのではないでしょうか。
東京オリンピックの延期に象徴されるように、何年も時間をかけて準備をしたとしても、一つの感染症でそれが簡単にひっくり返されてしまうのです。人間の立てる計画の限界というものを見せつけられたような気もします。
神さまの立てる計画はそうではありません。この計画が実行されるまでには、長い年月がかかっています。だから、何も進んでいないように見えた人もいるかもしれませんが、着実に進められていったのです。そして、イエス・キリストさまによってこの計画は実行され、じつは現在も進められているのです。聖書を読んでみますと、そのことがよくわかります。
それは、わたしたち人間を罪と死から救うという壮大な計画です。アダムの犯した失敗によって、人間に罪と死が入り込んできました。そこから救うために、独り子であるイエスさまがこの世に遣わされました。そして、イエスさまはわたしたちの罪の身代わりとなって十字架にかかり死なれましたが、三日目によみがえられたのです。これらの出来事によって、イエスさまを自分の救い主として信じるならば、わたしたちの罪は赦され、永遠の命が与えられるのです。死はもはや終わりではないのです。
2021年がどのような年になるかは誰もわかりません。しかし、イエスさまを救い主として信じる人にとっては、聖書の言葉に約束されているように、将来と希望と平和の計画が与えられるのですから、あまり心配する必要はないかもしれません。
2020年
コロナに打ち勝つ教会
今年は新型コロナウイルスのために、世界が一変してしまいました。主イエスは、「シモン、シモン、サタンはあなたがたを麦のようにふるいにかけることを願い出た」(ルカ22:31)と言われましたが、今まさに私たちは、「ふるいにかけられている」ように感じます。
私たちの礼拝がふるわれています。「心から主を愛する」という信仰をもって礼拝をささげていたでしょうか。それともうわべだけの、風が吹くと飛ばされてしまう殻のような、礼拝への姿勢だったでしょうか。礼拝を生活の中心に据えましょう。様々な制約のある中で、それを乗り越えて、主を慕い、御言葉を慕って、心からの礼拝をささげていきましょう。
特に、オンラインで礼拝を守っておられる方々は大変だと思います。ぜひ自分が礼拝をささげているその場にも、主がおられるという信仰を持って礼拝をささげてください。そして、説教だけを聞くということではなく、礼拝全体を共にするようにしていただきたいと思います。心から礼拝をささげる者を、主は祝福してくださいます。
私たちの伝道もふるわれています。イベントで人を集めるという伝道は、難しい状況です。そのとき、大事になってくるのが、一人ひとりの信仰生活のあり方です。主から遣わされた生活の場で、主の恵みに感謝して生きるとき、その人からキリストの香りが放たれ、それがキリストを証しすることへとつながっていきます。ここに、これからの伝道の基本的な姿があると思います。まさに、一人ひとりが喜びをもって主に仕える、主の僕、主の弟子となっていくということです。
私たちの交わりもふるわれています。教会で共に集っての交わりができない状況が続いています。孤独になっている人はいないでしょうか。電話や手紙やオンラインなどを用いて、様々な工夫がなされていると思いますが、「共に喜び、共に泣く」という主にある交わりを、今こそ深めて行きましょう。その際、牧師にだけゆだねるのではなく、信徒同士が助け合い、励まし合うという交わりを、ぜひ築いていっていただけたらと思います。
主イエスは、「私は信仰がなくならないように、あなたのために祈った」とシモン・ペトロに言ってくださいました。主は、試練の中にある私たちのためにも祈ってくださっています。信仰生活、教会生活の基本を深めて行くこと、そこにコロナに打ち勝つ道があると思います。
弟子として聞く
「主なる神は、弟子としての舌を私に与えた。疲れた者を言葉で励ますすべを学べるように。主は朝ごとに私を呼び覚まし、私の耳を呼び覚まし、弟子として聞くようにしてくださる。」(イザヤ50:4)
今年度、教団は「使命に生きる主のしもべ」というテーマを掲げました。主のしもべは、主の弟子です。では、主の弟子はどのようにつくられていくのでしょうか。
2.朝ごとに
朝は新鮮な時です。その朝に、まず聖書を通して主の語りかけを聞きましょう。「ごとに」と言われているように、続けることが大切ですね。できないときもあるでしょう。それでも続けましょう。その毎日の積み重ねが、主の弟子をつくっていきます。
3.耳を呼び覚ましてくださる
私たちには、自分が聞きたいことだけを聞くという傾向があります。しかし、主の語りかけは、私たちの考えを超えています。良い意味での「想定外」の言葉です。アブラムが故郷を離れて、主の示される地に行けと言われたのは、75歳の時でした。アブラムの人生設計の中には、全くなかったことでしょう。パウロが棘を取り除いてくださるようにと祈ったときの主の答えは、「私
の恵みはあなたに十分である」(Ⅱコリント十二9)でした。これも、パウロにとっては想定外の言葉だったと思います。でも、彼らはその主の語りかけを受け留めることができました。主が彼らの耳を呼び覚まし、耳を開いてくださったのです。このように、自分の考え、計画を超えて語りかけられる主の言葉を聞いていくとき、自分の中にある固いものが砕かれ、また自分の考えにまさる主の恵みを体験していくのです。主の弟子は、こうしてつくられていくのです。
4.疲れた者を励ます者へ
こうして主の弟子は、疲れた者を言葉で励ますすべを学びます。「すべを学ぶ」とは、テクニックではありません。自らの体験に基づいて、「確かに、主は慰め主でいてくださいます」と言って主を紹介する、ということです。
コロナ禍の中で、心も体も疲れ切っている方々がおられます。その方々に主の恵みを伝えるために、主は私たちを主の弟子として召してくださっているのです。
私は新しいことを行う
「先にあったことを思い起こすな。昔のことを考えるな。見よ、私は新しいことを行う。今や、それは起ころうとしている。あなたがたはそれを知らないのか。確かに、私は荒れ野に道を、荒れ地に川を置く。」(イザヤ四三18~19)
この御言葉は、バビロンに捕囚となっていたイスラエルの民に語られた、主からの御言葉だと言われています。
1.先にあったことを思い起こすな
「先にあったこと」とは、出エジプトのことです。主が紅海を2つに裂いて、そこに道を造り、彼らをエジプトから脱出させてくださったのです。その素晴らしい御業を思い起こすな、と言われるのです。どうも、このときの彼らは、「昔は良かったよね。神さまが素晴らしいことをしてくださった。でも、今は状況が違う。神さまは少しも働いてくださらない。私たちは見捨てられている」と言って、無力感と虚無感にとらわれていたようなのです。
そのような民に対して、主は語られたのです。「ただ昔を懐かしむような思いで、先にあったことを思い起こすな。昔のことを考えるな」と。私たちも、「コロナの前はあれもできた、これもできた。でも今は駄目だ」と言って、先のことを思い起こしているとするならば、主は「思い起こすな。考えるな」と言われるのです。
2.私は新しいことを行う
主は、「新しいことを行う」と言われます。「今や、それは起ころうとしている」とありますが、新改訳聖書はここを、「今、それが芽生えている」と訳しています。冬の間、枯れ木のようになった木の枝に、よく見るとすでに新芽が出ているのを見ることができます。コロナの後に、新しいことが始まるのではないのです。コロナの渦中にある今、主はすでに新しいことを始めてくださっているのです。すでに、新芽が芽生えているのです。「それを見なさい。見つけなさい。そして、それを育てなさい」と主は言われます。
みんなで、主の新芽の発見ごっこをしてみませんか。コロナの状況の中で、こんな新しい働きが始まった、今まであの人の中に隠されていた賜物が発揮されるようになった、というようなことがありませんか。新芽ですから小さなことでよいのです。楽しく、柔軟な心で、見つけてみませんか。
ちなみに、私の牧する教会では、教会会計のシステムと奉仕のあり方を、会計の専門的な知識がなくてもできるように、そして、もっとスピーディーにスムーズに行えるように改良中です。コロナが背中を押してくれたのです。
「確かに、私は荒れ野に道を、荒れ地に川を置く」と言われています。主が道を開いてくださいます。その信仰を持って進んで行きましょう。
下に根を張り、上に実を結ぶ
「ユダの家の、のがれて残る者は再び下に根を張り、上に実を結ぶ。」(イザヤ三七31/口語訳)
私はこの原稿を、毎日、感染者がどんどん増えている状況の中で書いています。これからどうなるのか、全く予測がつきません。かなり長期にわたって忍耐の生活を続けることを、覚悟しなければならないのでしょう。それはつまり、今は「下に根を張る」時だということです。
1.祈りの根を張りましょう
感染者が増えて来ると、どうしても私たちは不安になります。それは当然のことです。しかし、不安や恐れに圧倒されることは防ぎたいものです。
そのためにも、祈りの時を大切にしましょう。祈りは、主との交わりの時です。聖書の御言葉を通して主からの語りかけを聞き、主がどんなに愛に富み、恵み深いお方であるかを味わいましょう。
サタンが私たちを悪い思いの方に引っ張って行こうとするときには、「愛、喜び、平和」という御霊の声の方を選びましょう。パウロは「私のために祈ってください」(エフェソ六19)と言っています。どうぞ、牧師のために祈ってください。また、病んでいる人、助けを必要としてる人のためにも祈りましょう。主がそこに御業を行ってくださいます。
2.聖書の中に根を張りましょう
聖書は、命の糧です。ウイルスのことで不安が広がる中でも、聖書の御言葉は、私たちにイキイキと生きる命を与えてくれます。
今年3月の教団総会で、教団の公用聖書として「聖書協会共同訳聖書」が決まりました。この聖書に馴染む意味でも(もちろん、どの翻訳聖書でも構いませんが)、聖書の通読にチャレンジしてみませんか。新約聖書を毎日3章読むと、3か月で通読できます。今から始めても、今年中には終わりそうですよ。
3.「人とのつながり」に根を張りましょう
感染を避けるため、外出を自粛する生活が続いています。一人暮らしの方は、一日中誰とも話をしなかった、という方もおられるでしょう。教会員同士、電話などを用いて声を掛け合いましょう。信仰の仲間づくり、祈りの仲間づくりに努めてみませんか。
また、あなたの周りに、神さまからの平安を必要としている方はいませんか。今はたくさんの人を集めての伝道は難しい状況です。でも、救いを求めている人はいるのです。そのような人を牧師に紹介してください。牧師は感染防止に細心の注意を払いつつ、工夫して、その人をお導きさせていただきます。「時が良くても悪くても」、御言葉を宣べ伝えましょう。
新しい生活に向かって
列王記19章には、バアルの預言者との戦いに勝利した後、まるで燃え尽き症候群のようになってしまったエリヤの姿が書かれています。
1.休息
エリヤは、「主よ、もうたくさんです」と主に訴えました。主はその彼に、睡眠と食べ物を与えてくださいました。「石焼きのパン菓子」と書かれていますが、きっと焼き立てで、いい香りもしたのでしょうね。こんなところにも、神さまの優しさを感じます。
教会に集っての礼拝を再開している教会も多くなってきていると思います。でも、教会が感染の源にならないようにと、神経を使いながらの日々だと思います。それだからでしょうか、妙に疲れますね。「エリヤは起きて食べ、そして飲んだ。その食べ物で力をつけた」とあるように、私たちも適度な運動とバランスの良い食事と良き眠りに心がけ、長期戦になるかもわからない「コロナと共に生きる」歩みを続けていきましょう。
2.成功体験にとらわれない
エリヤは神の山ホレブで主とお会いします。激しい風、地震、火の中に、主はおられませんでした。その後、「かすかにささやく声」があり、そこに主がおられたのです。バアルの預言者との戦いでは、主は天から火を降して、ご自身を現してくださいました。エリヤは今回も、そのような神さまを期待していたのかもしれません。しかし、バアルの預言者と戦ったときと、このときとでは状況が違っていたのです。
私たちは今、新しい生活を作って行かなければなりません。そのとき、かつては良かったやり方であっても、今は変えた方が良いということも出てくると思います。そのとき、かつての成功体験にとらわれていると、柔軟に変えて行くことが難しくなってしまいます。主は「かすかにささやく声」で語りかけてくださいます。耳を澄まして、柔らかな心で、主の語りかけを聴きましょう。
3.新しい使命
主はエリヤに、「エリシャに油を注ぎ、あなたに代わる預言者としなさい」と言われました。エリヤはこれまで、先頭に立って戦ってきました。でもこれからは、後継者の育成に努めるようにと主は言われたのです。
エリヤはこのとき、人生の大きな危機に直面していました。「危機」は、これまでの生き方は今後は通用しない、新しい生き方に転換する必要があるというサインです。私たちは今、新型コロナウイルスのことで、大きな危機に直面しています。しかしそれは、新しい使命、新しい教会のあり方、新しい信仰生活のあり方へと転換していくチャンスのときでもあると思います。
主は私たちに何を願っておられるのでしょうか。
集まることと、散らされること
緊急事態宣言が解除され、礼拝の再開に踏み出している教会もあると思います。共に集うことができなかった間、それぞれの教会で様々な工夫がなされ、つながりの絆を保つために悪戦苦闘の日々が続いたと思います。とりあえず、緊急事態宣言は解除されましたが、ワクチンや新薬ができるまでは、再び感染が広がることもあるでしょうから、しばらくの間、教会としても、その地域の状況を見ながら試行錯誤していくことになるのだと思います。
1.集まること
今回、共に集うことができなかったことを通して、改めて、教会にとって共に集うことがどんなに恵みであり、大事なことだったのかということを痛感しました。ペンテコステのときも、「皆が同じ場所に集まっていると」(使徒二1)、そこに聖霊が降りました。
共に集まることができなかったとき、インターネットを用いて礼拝を配信した教会も多かったと思います。今回のことを通して、ネットの活用がどんどん進み、伝道や交わり、教会教育など様々な面で新しい試みが進んで行くことと思います。ここには大きな可能性が秘められていると思います。
その上でなのですが、人間は安易な方向に流れやすい存在です。具体的に共に集まるということは、体を動かすということです。巣ごもり生活が続いて、体がなまってしまったという方がおられるかもしれません。体を動かすことがおっくうになる、という心理が働くこともあるのではないかと思います。そのおっくうさを振り払って、体をそこに持って行き、顔と顔を合わせる。やはり、教会はこれを大事にしなければいけないと思うのです。「兄弟が共に住むことは、何という幸せ、何という麗しさ」(詩一三三1)。ここに、教会の姿があります。今は感染予防に細心の注意を払いながらですが、「共に集う」教会を再建して行きましょう。
2.散らされること
使徒八章には、迫害のために使徒たち以外の人々(つまり信徒の人たち)がエルサレムにいることができなくなり、地方に散らされて行ったことが記されています。でも、彼らは散らされて行った場所で御言葉を伝え、こうして福音が広がって行ったのです。すごいですね。彼らは信仰的に自立しているのです。牧師がいなくても、信仰生活を守り、伝道にも励んでいるのです。
今回、私たちは共に集うことが難しい状況の中を通りましたが、その中でも、初代教会の信徒たちのように、それぞれの場で、しっかりと信仰生活を守り、主を証ししていく者として、成熟していくことが大事だということを知ったのではないでしょうか。共に集うことと、散らされる(遣わされる)こと、この2つに強くなることが大事だと思いました。
つなぎ合わされ、結び合わされ
今年度、教団ではエフェソ4章16節のみ言葉を年間聖句として掲げました。ここに「キリストによって、体全体は、支えとなるすべての節々でつなぎ合わされ、一つに結び合わされて」と書かれています。教会が体に譬えられていて、体がスムーズに動き成長していくためには、体の各部分がバラバラではなく、つなぎ合わす働き、結び合わす働きが大切なのだと言われています。人間の体で言えば、関節や靭帯、そして神経や栄養を運ぶ血管の働きなどということができるでしょうか。
私たちは今、新型コロナウイルスの感染拡大により、人と接触しないようにという状況の中に置かれています。これは、教会の交わりということを考えるとき、危機的な状況だと思います。私の牧する教会でも、共に集って礼拝をすることは控えることにして、インターネットを通じて礼拝を届けるようにしました。やってみると、これは大変ですね。教会員の皆さんがいないところで、一方的に話すわけです。いつもなら、うなずいてくださる方、首をかしげる方、いろいろな反応を見ながら話します。つくづく説教は一人でするものではなく、会衆の皆さんとの共同作業なのだということを感じています。反応が見えない中で語るというのは、普段の2倍は疲れますね。
そんな中で有難いことに、電話やメールで、何人もの方々が応答してくださいます。思いがけない方からのメールが届いて、びっくりすることもあります。普段は一緒に礼拝に来られない家族の方と一緒に見ました、という声も届いたりします。信徒の方々が、結ぶ働きをしてくださっているのです。追い詰められて行っている礼拝の配信ですが、私の思いを超えて、神さまはそこにも働いていてくださるのだ、と教えられています。
祈祷会や交わり会を、インターネットの会議システムを使ってやってみることにしました。「私は、環境の激変について行けずに絶滅した恐竜のように、この変化について行けない」とつぶやいたところ、ある方から、「そんなことを言ってはいけない。この変化を前向きに捉えるべきだ」と言われて、背中を押されて始めてみました。パソコンの画面に、何人もの、教会の兄弟姉妹の顔が映りました。「やあやあ、久しぶり。元気?」と声が飛び交います。「ああ、ここにも聖徒の交わりがある」と思いました。
ネットでつながることができない方々もおられます。電話や手紙などで、み言葉を届け、安否を確認します。しばらくはつなぎ合う働き、結び合う働きを、悪戦苦闘しながら、主から知恵をいただきながら進めていくことになるのでしょう。でもそこから、新しい教会の姿が浮かび上がってくるのかもしれません。
偶像を捨てて
「わたしたちが、どんなにしてあなたがたの所にはいって行ったか、また、あなたがたが、どんなにして偶像を捨てて神に立ち帰り、生けるまことの神に仕えるようになり」(Ⅰテサロニケ1:9)
パウロがアテネに行ったとき、「市内に偶像がおびただしくあるのを見て、心に憤りを感じた」(使徒17:16)と書かれています。テサロニケでも、偶像礼拝が盛んに行われていたのだと思います。その中で、テサロニケ教会の人たちは、偶像を捨てて、生けるまことの神に仕えるようになったというのです。彼らの信仰は、この点でとてもはっきりとした信仰でした。
日本も「八百万の神」と言われるように、様々なものを神としてしまう風土があります。しかし、「もろもろの国民の偶像はしろがねと、こがねで、人の手のわざである。それは口があっても語ることができない。目があっても見ることができない。耳があっても聞くことができない。またその口には息がない。これを造る者と、これに信頼する者とはみな、これと等しい者となる」(詩篇135:15 ~18)と言われています。つまり、偶像には罪の問題、愛と赦しの問題、死の問題、平和の問題に対する真の救いはないのです。この問題に対して真の救いを与えてくださるのは、「生けるまことの神」だけです。それが、パウロが伝えた福音でした。テサロニケ教会の人々はそのことを知って、偶像を捨てて、生けるまことの神に仕えるようになったのです。
ですから、私たちにとって大事なことは、この明確な転換です。そして、生けるまことの神に仕えるということが、いかに素晴らしいものであるかを証ししていくのです。そのとき、かつてのローマ帝国が変えられていったように、私たちの家庭が変えられ、私たちの国が変えられていくのです。
さて、エペソ人への手紙にこういう言葉があります。「すべて不品行な者、汚れたことをする者、貪欲な者、すなわち、偶像を礼拝する者は、キリストと神との国をつぐことができない」(5:5)。ここには、貪欲が偶像礼拝だと言われています。貪欲とは欲望をどこまでも追求し、満足することを知らない姿です。「もっと、もっと」と要求し、際限がないのです。このように自分の欲を神とするところに、偶像礼拝の本質があります。気をつけないと、キリスト者の中にもこのような偶像礼拝が入ってきます。聖書の神さまを礼拝すると言いつつも、その神さまを自分の欲をかなえてくれる神として礼拝しているとしたら、それは偶像礼拝になってしまいます。偶像を捨てるとは、貪欲を捨てるということです。そして、生けるまことの神に仕えるところに、私たちの信仰生活があるのです。
主の言葉を響きわたらせる教会
「すなわち、主の言葉はあなたがたから出て、ただマケドニヤとアカヤとに響きわたっているばかりではなく、至るところで、神に対するあなたがたの信仰のことが言いひろめられたので、これについては何も述べる必要はないほどである。」(Ⅰテサロニケ一8)
マケドニヤは、ピリピやテサロニケがある地方、アカヤはコリントやアテネがある地方です。今のギリシャに当たります。テサロニケ教会の信仰の証しが、この地方いったに響きわたっているというのです。
素晴らしいことですね。
マタイ一八章19~20節には、このようなみ言葉があります。「もしあなたがたのうちふたりが、どんな願い事についても地上で心を合わせるなら、天にいますわたしの父はそれをかなえて下さるであろう。ふたりまたは三人が、わたしの名によって集まっている所には、わたしもその中にいるのである」。
ここで「心を合わせる」の「合わせる」と訳されている言葉は、「シンフォニー」(交響曲)の元になった言葉が使われているそうです。オーケストラには、様々な楽器がありますね。ヴァイオリンもあれば、チェロもあります。フルートもあれば、トランペットもあります。いろいろな楽器があるからこそ、深みのある豊かなハーモニーを響かせることができるのですね。
ですから、ここで「心を合わせる」とは、みんなが同じようになるということではないと思います。それぞれの個性が生かされるということが、まずあるのだと思います。ヴァイオリンがどんなに素敵な音を響かせても、ヴァイオリンだけでオーケストラの豊かで厚みのある音色を響かせることはできません。そういえば、それぞれの楽器の奏者には、共通した性格があるということを聞いたことがあります。○○の楽器の奏者は単純明快、○○の楽器の奏者は忍耐強いとか、面白いですね。神さまは、それぞれに個性を与えてくださいました。ですから、証しの仕方も、それぞれの個性に合わせたもので良いのだと思います。
では、違った個性を持ったそれぞれが、どうして調和のとれたハーモニーを響かせることができるのでしょうか。それは、指揮者のタクトに合わせて演奏するからです。私たちにとって、指揮者とはイエスさまのことです。イエスさまのタクトに合わせて、それぞれが主の素晴らしさを歌うのです。そのとき、その教会でしか響かすことができない調べを響わたらせることができるのです。
ある人が初めて教会に行って、帰って来てから言いました。「教会って、いいところだね」「どういうところが?」「音が違っている人も、喜んで歌っているところ」。主はどんな人も、主の素晴らしさを証しする器として用いてくださいます。
2019年
主にならう者
「そしてあなたがたは、多くの患難の中で、聖霊による喜びをもって御言を受けいれ、わたしたちと主とにならう者となり」(Ⅰテサロニケ1:6)
1.わたしにならう者となり
「私を見ないでください。私を見ると躓きますから。私を見ないで、イエスさまを見てください」と言いたくなりますね。でも、「では、イエスさまを、どうやったら見ることができるのですか」と言われたら、どう答えたらいいのでしょうか。ですからパウロは、大胆にも、「どうぞ、私を見てください。私がイエスさまにならって生きているように、私にならって生きてみてください。そうしたら、イエスさまってどういうお方か、イエスさまにならって生きるとはどういうことかがわかりますから」と言うのです。
教会に来られる求道者の方が、教会員の方々の姿を見て、「ああ、ここにイエスさまにならって生きる人たちがいる。この人たちを見ていると、イエスさまがどういうお方なのかがわかる」と思ってくださったら、なんて幸いなことでしょう。
2.イエスさまにならうとは
「いやぁ、これはハードルが高いなあ」と思ってしまいますね。
ヘンリ・ナウエンという人が、「傷ついた癒し人」という本の中でこんなことを言っています。「キリストにまねぶということが、キリストのように生きることではなく、キリストが自らの生を真実に生きられたように、あなたがたもあなたの生を真実に生きることを意味するとすれば、人がキリスト者として生きることのできる道や型は多くある」(「まねぶ」は「まねる」の意)。
イエスさまは、父なる神のみ旨に、最後まで忠実に歩み抜かれました。パウロは、主の「異邦人たち、王たち、またイスラエルの子らにも、わたしの名を伝える器として、わたしが選んだ者である」(使徒9:15)との召しに応えて、真実に歩み抜きました。ペテロはヨハネのことが気になったとき、イエスさまはペテロに言われました。「あなたはわたしに従ってきなさい」(ヨハネ21:22)。ペテロにはペテロの、ヨハネにはヨハネの使命があったのです。一人ひとりはユニークな存在です。イエスさまは、それぞれがそれぞれの使命に、真実に、創造的に生きることを願っておられるのです。
3.聖霊による喜びをもって
私事で恐縮ですが、私は高校生のとき、hi-b.aという高校生に伝道している団体の集会に導かれました。そこで出会ったクリスチャンの高校生たちが、自分にはない、一本筋の通った生き方をしていることに魅力を感じ、信仰を求め始めました。今から思うと、私は彼らの中に「主にならう者」の姿を見たのだと思います。聖霊は、どんな人をも、喜びをもって主にならう者へと育ててくださいます。
喜びをもって御言を受けいれ
「そしてあなたがたは、多くの患難の中で、聖霊による喜びをもって御言を受けいれ……」(Ⅰテサロニケ1:6)
1.多くの患難の中で
当時、主イエスを救い主と信じることは、覚悟のいることでした。そこには、迫害が待っていたからです。日本でも、キリシタンの時代、大変な迫害がありました。いまでも世界には、キリスト者が厳しい迫害に遭っている国があります。
今の日本では、一応、信教の自由が認められていますので、かつてのような迫害はないかもしれません。しかし、日本の社会には、まだまだ同調圧力の強い体質があるので、信仰を貫こうとすると、みんなと違うということでいろいろ言われたり、変な目で見られたりということがあるかもしれません。そこで、学校や職場ではなるべくキリスト者であることを隠して生活をしている、ということも起きかねません。
しかし、テサロニケ教会の人たちは、迫害に負けませんでした。主イエスを信じたら多くの患難が待っていると承知の上で、大胆に信仰の一歩を踏み出していったのです。
2.喜びをもって御言を受けいれ
望みの忍耐
「わたしたちは祈の時にあなたがたを覚え、あなたがた一同のことを、いつも神に感謝し、あなたがたの信仰の働きと、愛の労苦と、わたしたちの主イエス・キリストに対する望みの忍耐とを、わたしたちの父なる神のみまえに、絶えず思い起している」(Ⅰテサロニケ1:2~3)。
テサロニケ教会が立っていた3つの柱のうち、これまで「信仰の働き」、「愛の労苦」と見てきましたので、今回は3番目の「望みの忍耐」です。
1.望み
まず、「望み」ということですが、10節にこう記されています。「死人の中からよみがえった神の御子、すなわち、わたしたちをきたるべき怒りから救い出して下さるイエスが、天から下ってこられるのを待つようになった」。主イエスは天に帰られましたが、再び来てくださるのです。そのとき、死者はよみがえり、正しいさばきが行われ、愛と平和に満ち溢れた神の国が完成します。ここに、私たちの希望があるのです。
2.忍耐
この希望を持つとき、私たちは忍耐して、今ゆだねられている務め
に励むことができます。聖書が「忍耐」というとき、それはただじっと我慢しているということではありません。聖書がいう忍耐は、「木の根の力」にたとえられます。硬い岩に、木の根はジリジリと食い込んでいき、やがてその岩にしっかりと根を張っていきます。そのように、神さまは必ず完成してくださるという希望を持って、今の務めに励むのです。
3.あせらず、あわてず、あきらめず
私は最近、自分の机の前の壁にこの言葉を張って、時々ながめています。この言葉は世の中でもよく言われる言葉で、聖書の言葉ではありません。でも、この言葉を本当に生きることができるのは、キリスト者ではないかと思うのです。聖書にも、「静まって、わたしこそ神であることを知れ」(詩46:10)と言われていますから、「あせらない、あわてない」。また、「神のみ旨を行って約束のものを受けるため、あなたがたに必要なのは、忍耐である」(ヘブル10:36)と言われていますから、「あきらめない」。 最近、300年くらいの長さで物事を見ることが必要だということを教えられています。ローマ帝国がキリスト教を受容するまで約300年、日本では、江戸幕府によるキリシタン禁制から明治になってその高札が廃止されるまで約260年です。目先のことに一喜一憂するのではなく、300年後くらいを見据えて、「あせらず、あわてず、あきらめず」、やっていきたいと思います。
愛の労苦
「わたしたちは祈の時にあなたがたを覚え、あなたがた一同のことを、いつも神に感謝し、あなたがたの信仰の働きと、愛の労苦と、わたしたちの主イェス・キリストに対する望みの忍耐とを、わたしたちの父なる神のみまえに、絶えず思い起している」(Iテサロニケ1:2~3)。
テサロニケ教会は、「信仰の働き」「愛の労苦」「望みの忍耐」という3つの柱がしっかりと立っている教会でした。前回は「信仰の働き」について書きましたので、今回は「愛の労苦」ということを考えたいと思います。愛の賛歌として有名なコリント人への第一の手紙第13章4節に、愛の姿として真っ先に、「愛は寛容であり、愛は情け深い」と言われています。
「寛容」と訳されている「マクロスメオー」という言葉は、「マクロ」(大きい、時間や距離が長い)と「スメオー」(怒り)という2つの言葉からできているそうです。そこから、「広い心、寛容、忍耐強い」という意味になりました(聖書協会共同訳は、ここを「忍耐強い」と訳しています)。怒りをすぐに爆発させる瞬間湯沸かし器のような人は、「マクロスメオー」ではないのですね。愛は広い心を持って人を受け入れ、またすぐに結果が出なくても、信じて支え続け、待ち続けるのです。そして、「愛は情け深い」(新改訳聖書は「親切」と訳しています)。誰かが助けを必要としてるときに、進んで助けてあげる人です。
テサロニケ教会には、ユダヤ人もいればギリシヤ人もいました。また貴婦人もいれば、それこそ普通の人、一般庶民と言われる人たちもいたと思います(使徒17:4)。人種も違い、社会的な階層も違う人たちが、一つの教会をつくっていたのです。そこには、思わぬ行き違いや、ぎくしゃくすることなどもあったことでしょう。しかし、彼らは「愛(寛容・忍耐強い・情け深い・親切)の労苦」に生きたのです。
さらに彼らは、内側への愛だけではなく、外への愛も示しました。彼らは極度の貧しさにもかかわらず、喜びをもって、惜しみなく、他の教会のために献金をし、パウロの伝道を助けました(Ⅱコリント8:1~2)。こうして、その地方で模範的な教会といわれる教会を形成していったのです。
「愛の労苦」というと、ちょっと身構えたり躊躇したくなりますが、ジヤン・バニエという人がこんなことを書いていました。「愛とは特別な、英雄的なことをすることではなく、あたり前のことを、やさしさをもってすることである」(共同体-ゆるしと祭りの場)。日曜日の朝、教会で人に会ったら「おはよう」と挨拶をする。初めて教会に見えた方がいたら、「よくおいでくださいました」と声をかける。そんなことが案外大事なのだと思います。
信仰の働き
テサロニケ教会は、「マケドニヤとアカヤとにいる信者全体の模範となった」(一7)といわれる素晴らしい教会でした。そのテサロニケ教会がどのような教会だったかということについて、パウロはこう記しています。「わたしたちは祈の時にあなたがたを覚え、あなたがた一同のことを、いつも神に感謝し、あなたがたの信仰の働きと、愛の労苦と、わたしたちの主イエス・キリストに対する望みの忍耐とを、わたしたちの父なる神のみまえに、絶えず思い起している」(一2~3)。ここに信仰の働き、愛の労苦、望みの忍耐という3本の柱が出てきます。柱が傾いていたり、ぐらぐらしていたら、地震などが起きたとき、その家は倒れてしまいますね。でも、テサロニケ教会は、この3本の柱がしっかりと立っている教会でした。
まず、「信仰の働き」です。私たちは、主イエス・キリストの十字架の恵みを信じるときに救われます。私たちが立派な行いをしたから救われるのではありません。行いにはよらないのです。これは私たちの信仰の大原則です。ですから、信仰の働きとは、私たちが自分の力で頑張って働くということではありません。そうではなくて、無限の力をお持ちの神さまを信じるとき、その力が私たちにも注がれて、私たちも主に喜ばれる実を結ぶようになっていくのです。信仰は、良い働きとなって表れてくるのです。そのことを信じて生きること、それが信仰の働きです。
使徒行伝に、タビタ(これを訳すと、ドルカス、すなわち、かもしか)という女性のことが記されています。病気になって死んでしまった彼女を、ペテロが生き返らせてくださったということが書かれているのですが、その彼女がどんな人であったかということが、このように紹介されています。「数々のよい働きや施しをしていた婦人であった」(九36)。また、こうも言われています。「やもめたちがみんな彼(ペテロ)のそばに寄ってきて、ドルカスが生前つくった下着や上着の数々を、泣きながら見せるのであった」(九39)。ここにも信仰を働かせて、愛に生きた一人の女性の姿を見ることができます。
私は立場上、いろいろな教会を訪問させていただく機会がありますが、どこの教会に行っても、このドルカスのような方がおられることを思います。目立たないところで、黙々と愛に生きている。教会はそのような人たちによって支えられているのだと思います。
思い煩うとき、恐れを覚えるとき、そうです。生活のあらゆる場面で、無限の力をお持ちのお方を信じて生きる、その信仰を働かせましょう。そのとき、私たちが信じているお方が、どんなに素晴らしいお方であるかを体験することができるでしょう。
パウロとシルワノとテモテ
テサロニケ教会は、「多くの患難の中で、聖霊による喜びをもって御言を受けいれ」(1:6)た教会でした。テサロニケ教会はまさに、今年度の教団の標語である「聖霊による喜びに生きる」教会でした。私たちは、このテサロニケ教会に学びたいし、倣いたいと思うのです。
テサロニケ人への第一の手紙の冒頭には、この手紙の発信者として、「パウロとシルワノとテモテ」という3人の名前が記されています。パウロがリーダーであることに間違いはないでしょう。彼はブルドーザーのように、道なきところに道を造っていく人でした。しかし、パウロによる異邦人伝道は、彼一人によってなされたのではありません。彼を支え、助ける人たちがいたのです。
パウロの次に名前が記されている「シルワノ」は、使徒行伝では「シラス」という名前で登場しています。シラスはユダヤ名、シルワノはローマ名ではないかと言われています。彼はエルサレム会議で決まったことを、異邦人教会に伝えるための使者として選ばれた人です。彼については、「兄弟たちの間で重んじられていた人(「指導的な立場にいた人」新共同訳)」(使徒15:22)と言われています。エルサレム教会の指導者のひとりであったシルワノが、異邦人教会との橋渡しをしてくれるということは、パウロにとってどんなに心強いことであっただろうかと思います。彼はピリピで迫害に遭い、捕らえられた時も、パウロと共に、真夜中「神に祈り、さんびを歌いつづけた」信仰の勇士でした。
テモテは、パウロから「愛する子テモテ」(Ⅱテモテ一2)と呼ばれているように、パウロに深く信頼され、愛された人でした。少々気の弱いところがあったようですが、「テモテのような心で、親身になってあなたがたのことを心配している者は、ほかにひとりもない」(ピリピ2:20)と言われているように、彼は細やかな心遣いをする人でした。ある本に、これからのリーダーは権
力志向ではなく、分裂した世界を愛をもって包み、癒す人、そのようなリーダーが求められている、という趣旨のことが書かれていました。テモテのようなリーダーが求められている時代になってきたのだと言えるでしょうか。
パウロとシルワノとテモテ、神さまはそれぞれに素晴らしい賜物を与えてくださいました。そして、それぞれに与えられている長所を生かすことによって、お互いの欠けているところをカバーするという、なんとも見事なチームワークがそこにありました。私たちは、ここに教会の姿を見ることができると思います。主が召してくださったお互いの強みを生かし、助け合う、そこに主の御業が前進していくのです。
使命
今年度の教団のテーマは、「聖霊による喜びに生きる―苦難に打ち勝つ信仰」です。苦しいことがあっても、それに打ち勝って喜びに生きることができたら、そんな生き方って凄いですね。そんな喜びは、どこから湧いてくるのでしょうか。
使徒パウロは、初めは教会を迫害する急先鋒の人でした。その彼がダマスコ途上で復活の主イエスと出会い、彼の人生は180度転換することになります。その彼にアナニヤを通して主イエスが語られたのが、この言葉です。「あの人(サウロ、後のパウロ)は、異邦人たち、王たち、またイスラエルの子らにも、わたしの名を伝える器として、わたしが選んだ者である。わたしの名のために彼がどんなに苦しまなければならないかを、彼に知らせよう」(使徒9:15〜16)。
洗礼を受けるとき、「これからは、イエスさまのために苦しまなければなりませんよ」と言われて、洗礼を受けた方がどれだけいるでしょうか。でも、パウロはそのことをはっきりと告げられて、主イエスを信じる信仰の歩みをスタートしたのでした。なぜ、彼は苦しまなければならないことを承知の上で、主イエスを信じ、主イエスに仕える歩みを始めたのでしょうか。それは、アナニヤを通して告げられた、「(あなたは)わたしの名を伝える器として、わたしが選んだ者である」という主イエスの言葉に、鍵があると思います。教会を迫害し、ステパノを殉教にまで追い込んだパウロです。そのような自分を、主イエスがこの尊い務めのために選んでくださったということを知ったとき、どんなに大きな感謝に包まれたことでしょう。「やらされる」という思いの中でする働きからは、喜びは生まれてきません。パウロの場合、主イエスが与えてくださった使命が彼の心の奥底にストンと落ちて、それが彼自身の内側から湧いてくる志となった。まさに、「神はみこころのままに、あなたがたのうちに働いて志を立てさせ、事を行わせてくださる方です」(ピリピ2:13新改訳)。
「やらされる」ではなく、それが彼自身の志となったからこそ、彼は苦難の中でも、主イエスが与えてくださる使命に喜びをもって仕える人となったのだと思うのです。
主イエスがあなたに託しておられる、あなたの使命は何ですか。まだよくわからないという方は、あなたが救われたときのみ言葉、そして、今日までの歩みの中であなたの支えとなったみ言葉を思い出してみてください。それを書き出して、眺めてみてください。きっと、そこからあなたを導いてくださっている神さまの御手を読み取ることができると思います。そして、神さまのあなたへの期待も、きっと見えてくることでしょう。
「聖霊による喜びに生きる」
パウロがテサロニケで伝道したとき、激しい迫害が起こりました。「多くの患難の中で」とは、そのことを指しています。しかし、その患難に負けてしまうのではなく、その患難の中で、「聖霊による喜びをもって御言を受けいれ」る人々が起こされたのです。主イエスを信じたら患難に遭うのです。そのことを承知の上で、主イエスを信じる人たちが起こされました。これは、すごいことですね。どうして、このようなことが起きたのでしょうか。 第一に、それは「御言の力」です。「福音の力」と言ってもよいでしょう。パウロがテサロニケで伝道したときのことが、使徒行伝17章に記されています。3節にはこう書かれています。「キリストは必ず苦難を受け、そして死人の中からよみがえるべきこと、また『わたしがあなたがたに伝えているこのイエスこそは、キリストである』とのことを、説明もし論証もした」。ここに、パウロがテサロニケで伝えた御言のエッセンスが記されています。主イエスの十字架と復活、そして、このイエスこそキリスト、これがパウロの伝えた御言の中心的な内容でした。この福音(グッドニュース)を聞いたとき、テサロニケの人々は喜びをもって御言を受け入れたのです。御言(福音)は、患難の中で、患難に打ち勝ち、喜びに生きる力を与えるのです。
もう一つのことは、聖霊の働きです。Ⅰテサロニケ2:13に、テサロニケの人々が、パウロが伝えた御言をどのように受け入れたかということが記されています。「わたしたちがまた絶えず神に感謝しているのは、あなたがたがわたしたちの説いた神の言を聞いた時に、それを人間の言葉としてではなく、神の言として―事実そのとおりであるが―受けいれてくれたことである」。パウロが伝えた福音の言葉を、人間の言葉としてではなく、神の言として受け入れるということは、普通に起きることではありません。真理を明らかにしてくださる聖霊が働いてくださったのです。
聖霊は、患難の中でも、喜びをもって御言を受け入れる人々を起こしてくださったのです。私たちにも福音が託されています。聖霊は今も働いてくださっています。私たちも聖霊による喜びに生き、苦難に打ち勝つ信仰を証ししていきましょう。
2018年
十字架の死に至るまで
ピリピ2:8には、主イエスのご生涯がこう記されています。「おのれを低くして、死に至るまで、しかも十字架の死に至るまで従順であられた」。
①主イエスのご生涯は、低いところに降りていくご生涯でした。一番低いところで苦しんでいる人に、ご自身が降りて行って福音を届けられたのです。
②最後の最後まで、父なる神への従順を貫き通されたご生涯でした。聖書は、「死に至るまで」というだけではなく、あえて「しかも十字架の死に至るまで」と記します。そこまで徹底して、主イエスは父なる神のみ旨が実現するために従い通されたのです。
③愛に生きるご生涯でした。主イエスが「十字架の死に至るまで」従順であられたのは、滅び行く人々を愛し、救うためでした。「主は、わたしたちのためにいのちを捨てて下さった。それによって、わたしたちは愛ということを知っ
た」(Ⅰヨハネ3:16)のです。主イエスは私たちを愛し抜いてくださったのです。
④そして、そのご生涯は、喜びのご生涯でした。ヘブル12:2にはこう記されています。「信仰の導き手であり、またその完成者であるイエスを仰ぎ見つつ、走ろうではないか。彼は、自分の前におかれている喜びのゆえに、恥をもいとわないで十字架を忍び、神の御座の右に座するに至ったのである」。主イエスには十字架の先に、この十字架によって滅びから救われて、喜びに溢れる人々の顔、顔、顔が見えていたのではないでしょうか。ですから、主イエスご自身も喜びをもって、十字架の道を歩み抜かれたのだと思います。
パウロは、ピリピ教会の人たちにこう言いたいのだと思います。「主イエスは、私たちを愛してくださって、私たちを救うためにこのようなご生涯を歩んでくださった。それなのに、あなた方は党派心や虚栄にとらわれて足を引っ張り合い、くだらないことに労力を使っていていいのか。今はそんな時ではないだろう。目を教会の外に向けようではないか。私たちの周りには、主イエスの愛と救いが届けられるのを待っている人々がたくさんいるではないか。主イエスが私たちのところにまで降りてきてくださったように、私たちもその人々のところに出て行って、福音を届けようではないか。主イエスの愛をいただいて、私たちも人々を愛し、喜びをもって福音を伝えようではないか」。
これは、私たちへのメッセージであると思います。ここに、「神の宣教に仕える教会」の姿があります。
僕のかたちをとり
主イエスが私たちを救うためにしてくださったことが、ピリピ2:7にはこう記されています。「かえって、おのれをむなしうして僕のかたちをとり、人間の姿になられた。その有様は人と異ならず」。主イエスは、神のひとり子としての特権をすべて手放して、空っぽになってくださり、私たちを救うために、私たちと同じ人間の姿になってくださいました。しかも、ここではただ「人間の姿」というだけでなく、「僕のかたち」と言われています。「僕」とは、本来の人間の姿なのだというのです。主イエスは最後の晩餐の席で弟子たちの足を洗ってくださり、仕える者となってくださいました。こうして主イエスは、人間の本来の姿を示してくださったのです。パウロはこのことを記すことによって、ピリピ教会の人々に、「党派心や虚栄、高慢やねたみに生きるのではなく、主イエスが示してくださった、互いに仕え合うという、人間の本来の姿を取り戻し、そのような生き方をしていこうではないか」と呼び掛けているのです。皆さんは、「僕」と聞くと、どんなイメージが湧いてくるでしょうか。窮屈で、暗くて、重たい、というようなイメージが湧いてくるかもしれません。でも、パウロにとって「僕」は、自分を紹介するときに、最も大事にしていた言葉だったように思います。ですから、ピリピ人への手紙では、自分のことを「キリスト・イエスの僕」(1:1)とのみ記しています。罪の奴隷であった者が救われ、主イエスの僕としていただいたということは、彼にとって大きな喜びであり、誇りでもあったのだと思います。
青山学院の院長をされた深町正信先生が、ウェスレーが作った「伝道者心得十二則」を紹介した後で、こう書いておられます。「とにかく日本メソジスト教会の教職は、私の祖父や父のことを考えてみても、質素で、献身的で、生活態度は厳しく、絶対に禁酒禁煙で、どんな苦労も嫌わず、主の命とあらば、どこへでも出掛ける、まことに伝道熱心であった。メソジストの教職は、或る神学校教師の言葉でいえば、学者でも、また雄弁な説教家でもなく、ただ人々の魂の救済のために熱心に働く伝道者であった。彼らは一にも伝道、二にも伝道と言う具合に、福音宣教につかえる足の伝道者であったと言えよう」(ウェスレーの信仰とメソジスト教会)。同じ信仰の流れに属する者として、私たちの先輩たちもそのような伝道者であったことを思います。それぞれの場で、私たちもまた、主の僕として、喜びをもって主に仕える者でありたいと切に願います。
固守すべき事とは思わず
神の宣教に仕える教会は、どのようにしてつくられていくのでしょうか。ピリピ一6には、主イエスがしてくださったことがこのように記されています。「キリストは、神のかたちであられたが、神と等しくあることを固守すべき事とは思わず」。キリストは「神のかたち」であり、「神と等しい」お方でした。このことを、コロサイ1:15〜16ではこう記しています。「御子は、見えない神のかたちであって、すべての造られたものに先だって生まれた方である。万物は、天にあるものも地にあるものも、見えるものも見えないものも、位も主権も、支配も権威も、みな御子にあって造られたからである」。まさに主イエスは、私たちが思い描くことのできる範囲をはるかに超えた栄光をお持ちのお方でした。しかし、主イエスはそれを「固守すべき事とは思わず」、それを捨ててくださったのです。なぜ?私たちを救ってくださるためです!
ピリピ教会の中に、「党派心」や「虚栄」を握りしめて、高慢になっている人たちがいました。その根っこには、「ねたみ」がありました。その人たちが教会の中に分裂を引き起こしていたのです。使徒パウロは言うのです。「キリストは、神と等しくあることさえも握りしめることなく、私たちを救うために手放してくださったではないか。それなのに、あなたがたは党派心や虚栄などというつまらないものを、いつまで固く握りしめているのか」。
それにしても、主イエスはどうして神と等しくあることさえも、手放すことがおできになったのでしょうか。それは手放しても、父なる神さまとの愛の関係は変わることはないと確信しておられたからではないでしょうか。主イエスは弟子たちに言われました。「父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛したのである。わたしの愛のうちにいなさい」(ヨハネ一五9)。父なる神と主イエスとのこの愛の関係は、あの十字架においても変わることはありませんでした。ですから、主イエスは、「父よ、わたしの霊をみ手にゆだねます」(ルカ23:46)と言って息を引き取られたのです。
なぜ、党派心や虚栄に固執するのでしょうか。なぜ、ねたみが起きるのでしょうか。自分に対する神の愛がわかっていないからではないでしょうか。父なる神、そして主イエスの自分に対する愛に気づくとき、人と比較して生きる思いから解き放たれます。自分がどんなにつまらないものを握りしめていたのかがわかります。そして、それを捨てることができるのです。こうして、神の宣教に仕える教会がつくられていくのです。
キリストの心
使徒パウロはピリピ教会の人々に、「キリスト・イエスにあっていだいているのと同じ思いを、あなたがたの間でも互いに生かしなさい」(ピリピ二5)と勧めています。このみ言葉を文語訳聖書は、「汝らキリスト・イエスの心を心とせよ」と訳しています。皆さんの中には、この文語訳聖書の言葉で覚えているという方もきっと多いことでしょう。
このみ言葉を直訳すると、「キリスト・イエスにあること、それをあなた方の間で思いなさい」となります。「キリスト・イエスにある」とは、どういうことでしょうか。ややもすると、このみ言葉は、「キリスト・イエスを模範として、キリストに倣って歩もう」というように受け取られがちです。もちろんそれは間違いではないのですが、自分の力でキリストの生き方を真似しようと思っても、それはできないのです。また、ピリピ教会の中で問題となっていた「党派心」「虚栄」「高慢」といった問題、それはピリピ教会の中の問題だけではなく、私たち一人ひとりの中に巣食っている問題ですが、これらも自分の力ではどうにもならない問題です。それほどに根深いのです。
その私たちが「キリスト・イエスにある」ということのために、キリストは何をしてくださったのでしょうか。それが6節以降に記されています。一言でいえば、「十字架」です。キリストの十字架によって私たちは罪から救われ、「キリスト・イエスにある」者としていただいたのです。「恐れるな、わたしはあなたをあがなった。わたしはあなたの名を呼んだ、あなたはわたしのものだ」(イザヤ四三1)という恵みの中に入れていただいたのです。
この恵みに対する感謝、喜び、それが私たちを動かします。それが「キリスト・イエスの心を心とする」生き方となっていくのです。そして、そのときも「キリスト・イエスにある」、つまり「キリストと結び合わされている」ということが大切です。枝が幹につながっているとき、幹からの栄養が枝に送られ、そしてやがてその枝に多くの実が実っていくように、キリストのいのちが私たちに注がれ、その恵みの中で、私たちはキリストの心を心として生きるという実を結んでいくことができるのです。
日ごとに、聖書を読んで祈るときを大事にしましょう。週の初めの日の礼拝を大切にしましょう。聖会やキャンプに積極的に参加しましょう。キリストのいのちに日々生かされ、そして、キリストの心を心として生きることができるという喜びの実を結ばせていただきましょう。
他人のことも考えなさい
ピリピ2章4節には、「おのおの、自分のことばかりでなく、他人のことも考えなさい」と書かれています。「イエス・キリストは主である」の信仰に生きる教会は、自分のことばかり考える教会ではなく、他人のことも考える(「顧みる」新改訳・「注意を払う」新共同訳)教会です。5つのパンと2匹の魚で、5千人以上の人々が養われた奇跡が福音書に記されていますが、ヨハネ6章9節には、それをささげたのは、子どもだったと書かれています。それはきっと、その子のお弁当だったのではないでしょうか。このささげものが用いられて、多くの人々が食事にあずかることができました。それを見たその子も、きっと喜びにあふれたことでしょう。与えるとき、与えられた人が喜ぶだけではなく、与えた人にも喜びが返ってくるのです。
自分のことしか顧みなかった人のことが、ルカ12章に書かれています。彼は、畑が豊作だったとき、大きな倉を建てて、食料を全部しまい込もうとしました。彼は自分に語りかけます。「おまえには長年分の食糧がたくさんたくわえてある。さあ安心せよ、食え、飲め、楽しめ」。しかし主は言われるのです。「愚かな者よ、あなたの魂は今夜のうちにも取り去られるであろう。そしたら、あなたが用意した物は、だれのものになるのか」(ルカ十二19〜20)。
これに対して、ルカ6章38節にはこう記されています。「与えよ。そうすれば、自分にも与えられるであろう。人々はおし入れ、ゆすり入れ、あふれ出るまでに量をよくして、あなたがたのふところに入れてくれるであろう。あなたがたの量るその量りで、自分にも量りかえされるであろう」。神さまのしてくださることって、スゴイですね。
こんな話を聞いたことがあります。ある人が地獄に行ったところ、食事の真っ最中でした。テーブルには美味しそうなご馳走が並んでいます。ところがナイフやフォークの柄がとても長いのです。ですから、自分の口に食べ物を持ってくることができません。イライラして、ついには周りの人と喧嘩が始まってしまいました。次にその人が天国に行ったそうです。すると同じように美味しそうなご馳走が並んでいます。そして、やはりナイフやフォークの柄が長いのです。しかし、ここではみんながにこやかに食事をしています。よく見ると柄の長いフォークやスプーンを使って、向き合った前の人に食べさせているので、みんなが仲良く食事ができていたのです。願わくは私たちの教会・教団も、こんな姿でありたいですね。
へりくだった心をもって
パウロは、ピリピ教会の中に分裂があることに心を痛めていました。そこで、彼はピリピ教会の人々にこう書き送るのです。「何事も党派心や虚栄からするのでなく、へりくだった心をもって互に人を自分よりすぐれた者としなさい」(ピリピ2:3)。
教会の中に問題が生じるとき、それぞれが自分の意見を主張します。そのとき、いかにももっともらしい主張をする、その根っこのところで、実際は「党派心」(「利己的な思い」新改訳)や虚栄が動機となっているということがあります。そして、これは「ねたみ」とも深く結びついていることが多いのです(ピリピ1:15)。そのような場合、論理的な対話がなかなか成立しません。話が積み上がっていかないのです。感情的なもつれが尾を引きます。自分の意見が通らないとスネル、ゴネル、ひどいときは、交わりから出ていくということさえ起こってしまいます。自分が主張している動機がどこから来て
いるのか、ちょっと立ち止まって考えてみるということは有益です。
そこでパウロは、「へりくだった心をもって互に人を自分よりすぐれた者としなさい」と勧めます。この「へりくだり」とは、単なる謙遜とは違うように思います。「私は罪人のかしらだ」という自覚です。「罪人のかしら」(Ⅰテモテ1:15)とは、「罪人の親分」という意味ではありません。「罪人の中でも一番の罪人」という意味です。この自覚があるとき、すべての人は「自分よりすぐれた者」なのです。
こんな話を聞いたことがあります。正しい者同士の夫婦と罪人同士の夫婦の話です。夫が畳の上にあったコップを蹴飛ばしてしまいました。夫は「誰がこんなところにコップを置いたのか」と怒鳴ります。すると妻は言い返します。「あなたがちゃんと足元を見ていなかったからでしょう!」。これが正しい者同士の夫婦です。これに対して、罪人同士の夫婦はどうなるでしょうか。夫は言います。「ごめん。ぼーっとしていて、コップを蹴っ飛ばしちゃった」。妻は答えます。「ごめんなさい。私がそんなところに置きっぱなしにしていたのが悪かったの」。
もちろん、「どんな過ちも見過ごせ」ということではありません。正すべきことは正していかなければいけないでしょう。でも、そのときにも、自分は罪人のかしらだという自覚と、その私を主は赦してくださったという感謝。そして、相手の上にもこの主の憐れみが注がれている。だから、その人のことも尊重しようとする思いを持つことができたら、きっと新たな展開が始まるのではないでしょうか。
心を合わせ
ですから、パウロはピリピ教会の人々に、こう書き送りました。「どうか同じ思いとなり、同じ愛の心を持ち、心を合わせ、一つ思いになって、わたしの喜びを満たしてほしい」(ピリピ2:2)。ここでパウロは、「同じ」「合わせ」「一つ」と言葉を重ねて、一致への願いを記しています。そして、「わたしの喜びを満たしてほしい」とさえ書くのです。ここに、牧師であるパウロの心が表されていると思います。牧師にとって不一致があるということは心の痛みであり、一致があるということは、何よりの喜びだからです。
① 相手の意見をよく聞く。相手には、自分が見えていないものが見えているのかもしれません。
② 謙虚な心。自分の考えが絶対に正しいと思って正義の刀を振り回している時ほど、危ない時はないのです。もしかすると、私が間違っているかもしれない、という謙虚な心が必要です。
③ 「主にあって」。パウロはユウオデヤとスントケに「主にあって一つ思いになってほしい」と書いています。主の前にお互いがひざまずくとき、そこに一致が生まれます。
④ 神の御業の前進という視点で物事を見てみる。ヨセフは、この視点で自分がエジプトに奴隷として売られたことを見直したとき、兄たちを赦すことができました。
⑤ 祈り。パウロはユウオデヤとスントケに一つ思いになってほしいと書いた後、祈ることを勧めています。祈りの中で主は私たちに気づきを与え、主の御心を示してくださいます。
⑥ ユーモア。ユーモアは、心にゆとりを与え、人間関係を滑らかにする潤滑油です。
いくらかでもあるなら
ピリピの教会は、迫害の中でもイキイキとした信仰に生き、使徒パウロの伝道を親身になって助けた素晴らしい教会でした。しかし、その教会の中にも問題がありました。二人の女性の信徒の間に、いさかいがあったのです。ですから、パウロはこう記しています。「わたしはユウオデヤに勧め、またスントケに勧める。どうか、主にあって一つ思いになってほしい」(ピリピ四2)。彼女たちは、「福音のためにわたしと共に戦ってくれた女たち」(四3)と言われていますので、信仰的にはとても熱心な人たちだったようです。ところが、原因はわかりませんが、二人の人間関係がどうもぎくしゃくしてしまったようです。それが二人の間だけで終わらず、教会の中に悪い雰囲気を醸し出してしまっていたようです。
パウロは、そのことに心を痛めていました。そこでいきなりこの二人の名前を出すのではなく、第二章でまずこう記すのです。「そこで、あなたがたに、キリストによる勧め、愛の励まし、御霊の交わり、熱愛とあわれみとが、いくらかでもあるなら」(二1)。「キリストによる勧め」とは、「キリストによる慰め」と訳してもよい言葉です。また、「愛の励まし」「熱愛とあわれみ」も、父なる神とキリストから与えられる愛に基づく相互の愛ということが言われているのでしょう。「私たち人間の中には、愛の持ち合わせはない。しかし、父なる神から、またキリストから、愛が注がれているよね」とパウロは言うのです。
そして、そこに「いくらかでもあるなら」と言葉を添えるのです。父なる神から、またキリストから、愛は豊かに注がれているはずです。しかし、ここではそう言わないで、「いくらかでもあるなら」と言うのです。問題に直面するとき、問題ばかりが大きく見えてしまって、そこに神の働きが見えなくなってしまうことがあります。ちょうどユウオデヤとスントケは、そんな状態だったのではないでしょうか。そんな二人に、お腹をすかせた五千人以上の人々を前にして、「食べる物が何にもない」と嘆く弟子たちに、主イエスが「5つのパンと2匹の魚がある」ということに気づかせてくださったように、パウロは「ほら、よく見てごらん。あなた方の中に、小さいように見えても、愛が与えられているではないか」と言って、愛がすでに与えられていることに気づかせようとしているのです。そして、「その愛を、ちょっとした、小さなことでいいから、働かせてごらん」と勧めているのです。互いに愛し合う歩みは、足元の小さな愛に気づくところから始まるのです。
その所で祭壇を築く
3月は卒業式の季節ですね。進学、就職等、新たな歩みへと踏み出そうとしておられる方もいらっしゃることでしょう。
教団では、3月に聖別派遣式が行われ、牧師たちが各教会へと遣わされていきます。教団に加入して初めて任命を受ける者、任地が変わって新たな教会へと遣わされる者、そして、今までと同じ教会に遣わされる者などさまざまですが、それでも、みな等しく新たな思いをもって任命を受け、それぞれの任地へと遣わされていきます。
神から遣わされるということにおいては、牧師も信徒も同じだと思います。家庭へ、職場へ、学校へ、地域社会へ、それぞれの場所へと、私たちは神から遣わされていくのです。そのときに、どうしても生じる思いは、「隣の芝生は青く見える」ということではないでしょうか。「何で私がこの地なのだろう。あの人はいいなあ」という思いです。この思いに打ち勝つ鍵は、神によって私はここに遣わされている、という信仰です。人間的にはいろいろな事情があって、私は今ここにいる、ということがあるでしょう。そこには、不本意と感じることがあるかもしれません。しかし、その中で、それらを超えて、神が私をここに遣わされたのだ、という信仰に立てるかどうか、そこが鍵だと思います。
私事で恐縮ですが、父が小さな事業をしていて、いざ就職というとき、私は自分のやりたかったことを断念して、それを手伝わなければならないことになりました。友人たちは、それぞれの道へと進んでいきます。私は何だか取り残されたような、小さなところに閉じ込められていくような思いに駆られたことでした。そのようなとき、創世記13章を読んだのです。アブラハムと甥のロトの羊が多くなり、一緒に羊を飼うには牧草が足りなくなります。そこで別れて住むことになるのですが、アブラハムはどこに住むかの選択権をロトに譲るのです。ロトは肥沃な低地を選びます。そこでアブラハムは、羊を飼うには適さないと思われる山地に行くことになるのです。しかし、アブラハムは、そこで神の声を聞きます。「目をあげてあなたのいる所から北、南、東、西を見わたしなさい」と。そして神は、「この地をあなたに与える」と約束してくださいます。アブラハムはそれを聞いて、「その所で主に祭壇を築いた」のです。彼は、そこを神からの地と受け取ったのです。
私にとって父と一緒に仕事をした数年間は、貴重な訓練の時となりました。そここそ、そのときの私にとって、神が遣わしてくださった地だったのです。
チームで1人を
1人の中風を患う人が、床に寝たままで4人の人々に運ばれて主イエスのもとに連れてこられました。ところが、主イエスがおられた家には、すでに多くの人々が詰めかけていて、主イエスに近寄ることができません。普通でしたらここであきらめてしまうところですが、彼らはあきらめませんでした。なんと、主イエスのおられるあたりの屋根をはがして穴をあけ、そこから中風の人を床に寝かせたままつりおろしたのです。4人の人たちは、中風の人の友人たちだったのでしょうか。それとも子どもたちだったのでしょうか。ともかく、主イエスは「彼らの信仰を見て」、中風の人に「あなたの罪はゆるされた」と言ってくださり、さらに病をも癒してくださったのです。「1人が1人を」ということはしばしば言われてきましたが、ここでは、4人の人たちが1人の人を主イエスのところに導いてきたのです。チームによる伝道です。私は、このチームによる伝道ということが大事ではないかと思っています。
私事で恐縮ですが、私は高校生のとき、hi-b.a.という高校生を対象にした伝道団体の働きを通して信仰に導かれました。夏のキャンプで信仰の決心をし、そこで紹介されたのが上野ホーリネス教会でした。日曜日の朝、教えられた教会に行きました。でも、いざ教会に足を踏み入れようとすると、なかなか教会の敷居は高く、私は教会の前を行ったり来たりしていました。「入るべきか、入らざるべきか」、まるでハムレットの心境です。すると玄関に立っていた方が、「島津さんではありませんか」と私に声をかけてきたのです。びっくりしました。どうして私の名前を知っているの?!
あとでわかったことですが、キャンプで同じグループだった高校生が、教会に「島津という高校生が行くと思うのでよろしく」と電話をしてくれていたのです。それで牧師夫人が玄関で待っていて、どうもあの青年が怪しい、ということで声をかけてくださったのでした。もしあの高校生が電話をしてくれていなかったら、そして牧師夫人が玄関で待っていてくださらなかったら、優柔不断で引っ込み思案の私は、この日、教会に足を踏み入れることなく、帰っていたかもしれません。こうして教会に通うようになると、おばあちゃんたちが「島ちゃん、よく来た」と言って歓迎してくれました。牧師があの独特のポーズで、身体を前後に揺らしながら、私のために祈ってくれたことは言うまでもありません。こうして、私はチームによる伝道で救われたのです。神の宣教に仕える教会は、チームで伝道する教会です。
幻に導かれて
使徒行伝十六章には、福音が海を渡ってヨーロッパに伝えられるようになった経緯が記されています。
当初、パウロはアジヤに行って伝道したいと思っていたようです。しかし、理由はわかりませんが、聖霊によって禁じられてしまいました。そこで、次にビテニヤに行こうとしましたが、これもイエスの御霊が許さなかったというのです。そして、ついにトロアスにたどり着きました。ここは今のトルコの西の果て、その先はエーゲ海です。つまり、これ以上は進めないという行き止まりの地でした。
彼はそこで、ひとりのマケドニヤ人が、「マケドニヤに渡ってきて、わたしたちを助けて下さい」と懇願する幻を見るのです。マケドニヤ、それは海を渡った向こう側の地です。パウロは、これは彼らに福音を伝えるために、神が自分たちをマケドニヤへと招いておられるのだと確信して、海を渡ってマケドニヤに行くのです。ヨーロッパへの伝道は、こうして始められていったのです。
このトロアスから使徒行伝は、パウロたち一行のことを「わたしたち」という言い方で記すようになります。つまり、使徒行伝の著者であるルカが、ここからパウロの伝道旅行に同行することになったということです。ルカは医者です。どうして、トロアスでパウロはルカと出会うことになったのか。想像をたくましくして考えると、パウロが当初計画していた伝道計画通りに旅を続けることができなかったのは、彼が病気をしたためということができるのではないかと思います。だから、トロアスに来て、医者のルカと出会うことになった。そして、パウロのことですから、ルカに福音を伝えたのではないでしょうか。ルカはパウロの語る福音を信じ、そして自分の同胞にも福音を伝えてほしいと願ったのではないでしょうか。「マケドニヤに渡ってきて」と懇願するマケドニヤ人こそ、ルカ、その人だったのではないでしょうか。
自分の計画通りに行かないこと、健康が損なわれること、行き止まりの地に追い詰められること、そのすべてにマケドニヤへと導こうとする神の見えざる手があった、ということが言えるのではないでしょうか。パウロは万策尽きるそのところで、神の幻を見、思っても見なかったであろう、ヨーロッパへと導かれるのです。お手上げの地が、新たな出発の地となったのです。
神は私たちにも幻を見せてくださり、私たちを導いてくださいます。神の宣教に仕える教会は、神の幻に生きる教会です。
2017年
教会が病むとき(2)―律法主義
教会をむしばむ病に、律法主義があります。律法と律法主義は違います。モーセの十戒に代表される律法自体は大事なものです。私たちに罪とは何であるかを教え、罪を自覚させ、キリストへと導きます(ガラテヤ3:24)。また、キリスト者がどのように生きることができるのか、本当の意味で神に祝福された幸いな人生はどのようなものなのかを示します。
私たちは、主イエスの十字架と復活の恵みをただ信じることによって救われます。そして、それが感謝となって、律法に示された生き方をすることができるように変えられるのです。この救いは、神さまからの一方的なプレゼントです。これに対して律法主義は、自分の力で律法の要求を満たし、神に受け入れられようとします。自分の力によって救いを獲得しようとするのです。気をつけないと、恵みと信仰によって始まった信仰生活が、いつの間にか、律法主義的な信仰生活へと変質してしまうことがあります。
律法主義が入ってくると、人は高慢になり、他者を裁くようになります。自分がこんなに頑張っているということが誇りとなり、自分と同じようにしていない人を見るとその人を裁いたり、見下げたりするようになるのです。そうすると、教会の中の人間関係がとげとげしいものになっていきます。
また、律法主義的な生き方は、高いノルマを課せられたセールスマンのようなもので、どんなに頑張っても達成できない目標を前にして、達成できない自分を責めるようになります。信仰生活が苦しくなってきます。これが律法主義という病です。
自分のことで恐縮ですが、ある時期、私も律法主義的な生き方に陥ってしまったことがありました。自分で一定の基準を設けて、それに到達できない自分に失望し、信仰生活が苦しくて仕方がありませんでした。そのような時に、ある集会に出席しました。そこで語られたみことばが私の心に沁み込んできました。「愛には恐れがない。完全な愛は恐れをとり除く」(Ⅰヨハネ4:18)。神さまは、私が何かできるとかできないとかということではなく、丸ごとの私を愛してくださっている、この愛に包まれて主と共に歩むところに信仰生活があるのだと気づかされたのです。その集会の最後に歌われた新聖歌202番「時の間をも惜しみて 君はわれと語ろう」は、私の大好きな賛美の一つとなりました。
今でも、気をつけないと律法主義に陥ってしまう自分がいることを認めざるを得ません。だからこそ、主の愛の語りかけを聞き続けることが大切! と思っています。
教会が病むとき
教会は、生きたキリストのからだです。生きているということは、動きがあるということです。イキイキとしているときもあれば、残念ながら病んでしまうときもあります。では教会は、どんなときに病んでしまうのでしょうか。
①利益追求型の企業のような教会
ピーターソンという方が、こんなことを書いています。「アメリカの牧師たちは『企業経営者』の一群に変容してしまった。彼らが経営するのは『教会』という名の店である。牧師は経営者感覚、すなわち、どうしたら顧客を喜ばすことができるか、どうしたら顧客を道路沿いにある競争相手の店から自分の店へ引き寄せることができるか、……そうした経営者的な感覚に満ちている」(E.H.ピーターソン著『牧会者の神学』)。私は、企業経営者的感覚のすべてが間違っているとは思いません。ここで問題となるのは、利益追求のみに傾いてしまった経営者的感覚ということだと思います。そのような企業は長続きせず、やがて破綻すると言われています。
この感覚が教会の中に入ってくると、成功、名声、数などという成果を求めることに重きを置く教会となってしまいます。一人ひとりの存在を大事にし、尊重するというよりも、どんなことができるかという、その人の能力で人を評価し、being(共にいる)よりもdoing(何かをする)に傾いた教会、イベントからイベントへと追い立てられていく教会となり、やがて教会員は教会生活に疲れてしまうのです。
②ゆがんだ家族のような教会
これは先ほどとは逆の形ですが、ここにも病んでしまった教会の姿があります。教会は「神の家族」と言われていますので、家族的であるということは大事なことです。ところが、「私たちの教会は家族的な教会です」というとき、注意しなければならないことがあると思います。それは、「神の家族」というよりも、「ゆがんだ、人間的な家族」という姿に陥っていないかということです。
教会が仲良しグループになってしまっていて、閉鎖的で外から入りづらい。教会の中に親分と子分のような関係ができてしまっている。できないこと、無理なことに対して、「No」と言えない。息が詰まる。こんな症状が出ていたら、要注意です。
私たちを丸ごと愛してくださっている主に感謝し、喜びをもって主に仕えていく、ここに健やかな教会の姿があります。
心からの礼拝こそが、伝道
「しかし、全員が預言をしているところに、不信者か初心者がはいってきたら、彼の良心はみんなの者に責められ、みんなの者にさばかれ、その心の秘密があばかれ、その結果、ひれ伏して神を拝み、『まことに、神があなたがたのうちにいます』と告白するに至るであろう」(Ⅰコリ14:24~25)
ここで言われている「預言」は、「説教」と言い換えても良いと思います。神のことばが語られているところに、まだ神を信じていない人が入ってきたら、その人は自分の罪に気づき、その結果、「まことに、神があなたがたのうちにいます」と言って、神を礼拝するようになるというのです。
ここで大事なことは、神のことばをまっすぐに解き明かす説教者と、語られる神のことばを真摯に受け止める聴衆の存在です。説教者がまずみことばの前にひれ伏して、そのみことばに取り扱われて、そしてそのみことばを語ります。聴衆はそのようにして語られたみことばを、自分に語られた神のことばとして聴きます。そして、みことばの前にひれ伏します。このような礼拝の場に求道者が身を置くとき、「神がここにおられる」という気
づきが起こるのです。ですから、礼拝の場こそが、伝道の場なのです。毎週、毎週の礼拝を真摯にささげて行くことこそが、伝道なのです。心からの礼拝をささげる教会こそ、神の宣教に仕える教会です。
さて、ウィリモンという方が、こんなことを書いていました。「牧師は礼拝に向けて自分自身の調子を整えなければならない。もし牧師が気乗りのしない状態で主日礼拝にのぞむなら、その結果はいいかげんな礼拝というかたちになって現われるだけである。『熱意』は『伝染』しやすい。そして、『神経過敏』『退屈感』『疲労感』もまたしかりである」(ウィリアム・ウィリモン著『礼拝論入門』)。
耳の痛い話です。まず、牧師が襟を正さなければなりません。その上で、これは牧師だけに当てはまる言葉ではないと思います。牧師も信徒も、すべての人が礼拝に臨む姿勢を点検し、そして熱意をもって、イキイキとした礼拝を心からささげて行きたいと思います。そこに、主の臨在が輝き、主の栄光が表されていくのですから。
ある古くからの信徒の方が亡くなったとき、私はかけがえのない説教の聞き手を失った、という思いを強くしたことがありました。うなずきながら、身を乗り出すようにして説教を聴いてくださる方でした。良き説教の聞き手に恵まれた牧師は幸せです。
初めの愛に帰ろう
神さまはご自身の愛を伝えるために、人間を神さまの代理人として用いてくださいます。なぜ、神さまは天使ではなく人間を用いてくださるのかということについて、宗教改革者であり、何よりもひとりの牧師であるカルヴァンは、次のように言います。
① 神はこの方法を用いることによって、われわれ人間をどんなに重んじているかを明らかにしたもう。
② われわれはこれによって最善の、また最も有効な謙遜の訓練をほどこされるのである。
③ われわれのうちに兄弟相互の愛をはぐくむため。(『キリスト教綱要』第四篇第三章)
若い牧師が教会に遣わされたとします。その教会には、その牧師よりも社会経験も豊富で、信仰生活の年月も長い人々がいることでしょう。若い牧師はそのような人々に向かってみことばを語らなければなりません。そのとき、みことばを聞く側は、どのように聞くのでしょうか。どんなに若くあろうが、神が立てた器であるという一点を信仰をもって受け止め、その牧師が語ることばを神のことばとして聞くのです。カルヴァンは、ここに「最も有効な謙遜の訓練」があると言うのです。そして、そのように謙虚にみことばを聞く信徒を前にして、牧師は自分の能力を誇ることなどできるはずがありません。謙虚にみことばを聞く信徒によって、牧師もまた謙遜とはどういうことかを学ぶのです。そして、牧師はいっそう、神さまの前に謙虚に出て、説教の準備に励むことでしょう。自分が語ることばを神のことばとして聞こうと待っている方々がいるのですから。このようにしてお互いを尊重し合い、互いに愛し合う教会が造られていくのです。
私は聖書学院のインターン生の途中から、ある教会に遣わされました。その教会を創立された牧師と、交代で礼拝の説教をさせていただくことになりました。その教会で最初に説教をさせていただいたとき、私はヨハネ黙示録第二章、エペソの教会に宛てて書かれたところから、「初めの愛に帰ろう」と題して語らせていただきました。今から考えると、何と無謀な説教をしたことかと思います。「あなたに対して責むべきことがある。あなたは初めの愛から離れてしまった」というのですから。「教会の事情を何も知らない若造が、生意気なことを言うな」と言われても、仕方がありません。しかし、礼拝を終えたとき、まっ先にその教会の牧師夫人が私のところに来て言われました。「島津さん、今朝のメッセージはこの教会に対する神さまからのメッセージでした。ありがとう」。謙虚にみことばを聞く姿勢を教えていただいた一言でした。
見よ、あなたは美しい
神の宣教に仕える教会は、互いに愛し合う教会です。そして、互いに愛し合う教会は、まず一人ひとりが神さまから愛されている、ということを心から受け止めていくところから造られていきます。そして、神さまの愛は、神さまが造られた自然界を通して知ることができます。また、私たちが自分の人生を神さまの光の中で振り返るときに、気づくことができます。そんなことを、これまで書かせていただきました。
今月は、何と言っても一番大切なこと、神のことばである聖書のみことばについてです。私たちは聖書のみことばを通してこそ、はっきりと神さまの愛を知ることができるのです。
「わが愛する者よ、見よ、あなたは美しい、見よ、あなたは美しい、あなたの目ははとのようだ」(雅歌1:15)。これは、花婿が花嫁に語りかける言葉です。「こんな言葉、私の夫は一度も言ってくれたことはない」とおっしゃる方がおられるかもしれませんね。まあ、世の夫たちは、面と向かっては、あまり言わないものです。でもこれは、真の花婿でいてくださる主イエスが、私たち一人ひとりに語っていてくださるみことばです。 「この私が美しいですって」と思ってしまいますよね。でも、主イエスは心を込めて、私たちにそう語りかけてくださっているのです。
私事で恐縮ですが、私は小学校1~2年生のとき、学校の授業がさっぱりわからない落ちこぼれでした。3年生になったとき、担任の先生が代わりました。「お前もそろそろこういう本を読んでみたらどうか」と親から言われて読んだのが勝海舟の伝記でした。ちょうど読み終わった頃、学校の授業で、何と勝海舟が出てきたのです。私は嬉しくなって、読んだばかりの勝海舟にまつわるエピソードを、思わず得意になって先生に話していました。自分から発言するなんて、それまでなかったように思います。先生は「うんうん」とうなずきながら聞いてくださり、最後に「島津、良く知っているなあ」と言ってくださったのです。それからです。学校が楽しくなってきたのは。今になって思います。私はそのとき、認められている、大事にされている、つまり愛を感じたのだと思います。一人の教師の愛の一言が、大げさな表現のようですが、私を変えてくれました。
聖書のみことばは、私たち自身の中から出てくる言葉ではありません。自分で「私は美しい」なんて、とても言えないということはよくわかっています。百も承知です。でも主イエスは、「(わたしの目には、誰が何と言おうと)、見よ、あなたは美しい」と言ってくださるのです。この愛の語りかけを聞き続けるとき、私たちは変えられていくのです。
生まれてからきょうまで
主イエスは言われました。「わたしは、新しいいましめをあなたがたに与える、互に愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互に愛し合いなさい。互に愛し合うならば、それによって、あなたがたがわたしの弟子であることを、すべての者が認めるであろう」(ヨハネ13:34~35)。主イエスは、「びっくりするような奇跡を行ったら、あなたがたがわたしの弟子であることを、すべての人が認めるであろう」とは言われませんでした。そうではなく、「互いに愛し合うならば」と言われたのです。互いに愛し合う教会こそ、神の宣教に仕える教会です。
では、互いに愛し合う教会は、どのように造られて行くのでしょうか。神さまから無条件の愛で愛されている、ここにこそ、その鍵があります。神さまは、こんな私のことを愛してくださっているということを知るとき、その神さまの愛に包まれて、私たちも隣人を愛する者へと変えられていくのです。ここから、互いに愛し合う、神の宣教に仕える教会は造られていきます。
そんなことはわかっている、と思われる方が多いことでしょう。しかし、残念ながら、そうなっていない現実が私たちの前にあることを認めざるを得ません。だからこそ、私たちは、いつも、いつも、神さまの無条件の愛というシャワーを浴び続けていくことが必要なのです。そこで前号では、神さまが造られた自然界を通して、私たちは神さまの愛を知ることができるということを書かせていただきました。今月は、自分の人生を振り返ることを通して神の愛を知る、ということを考えてみたいと思います。
自分の人生を振り返ってみるとき、誰もが、悲しかったこと、辛かったこと、傷ついた経験などがあるに違いありません。思い出したくもない、ということもあるでしょう。でも、勇気を出して、神さまの愛の光の中でこれまでの歩みを振り返ってみてください。そのとき、エマオに向かう弟子たちのように、悲しかったとき、気がつかなかったけれどもイエスさまが一緒にいてくださったのだ、ということに気づいたり、エジプトに奴隷として売られ、「何でこんな目にあわなければならないのか」と思っていたであろうヨセフが、やがて家族を救うために、神が私をエジプトに遣わしたのだと悟ったように、辛かった経験にもこんな意味があったのだということを見出すことができるかもしれません。こうしてヤコブのように、自分の人生を振り返って、「生まれてからきょうまでわたしを養われた神」(創世記48:15)と言うことができたら、どんなに幸いなことでしょう。
神さまの造られるものって、すごいね
教団委員長 島津 吉成
今年度の教団のテーマは、「神の宣教に仕える教会」です。そこで「仕える」ということですが、ここでは当然、「何かをする」ということが期待されているわけです。しかし、何かをするということの前に、「私たちがどのようなものとされているのか」ということが大事なことだと思います。doing(行為)の前にbeing(存在)が大事だ、ということです。そこで前号では、私たちは、「神に愛されている者だ」ということを書かせていただきました。
今月もその続きになります。では、神の愛を私たちはどのようにして知ることができるでしょうか。神さまはいろいろな形でご自身を表してくださっていますが、そのひとつとして、神さまはご自身が造られた自然界を通して、ご自身がどのようなお方であるかということを表してくださっています。「もろもろの天は神の栄光をあらわし、大空はみ手のわざをしめす」(詩一九1)と言われているように、私たちは大空を見上げるとき、これを造られた神さまの偉大さを思わずにいられません。
主イエスも、思いわずらいで心がいっぱいになってしまっている人々に向かって、「野の花がどうして育っているか、考えてみるがよい」(マタイ6:28)と言われました
ね。私たちは心配事があると、そのことしか見えなくなってしまいがちです。でも主イエスは、「内側ばかり見て、くよくよしているのではなく、その目を外に向けてごらん」と言われるのです。「ほら、野原に咲いている小さな花を見てごらん。あんなにもきれいに咲いている。神さまが装ってくださっているのだ。その神さまがあなた方に、もっとよくしてくださらないわけがないではないか」と教えてくださいました。
ずいぶん前のことですが、心配事を抱えて、あれこれ考えながら歩いていたときのこと。ふと脇を見ると、あるお宅の庭の梅の木が満開の花を咲かせていました。毎日のように歩いていた道なのに、まったく気がつきませんでした。「ああ、もう春だ」と思ったとき、何だか心が明るくなってきたことを思い出します。「神さまは、私の知らないところで、着々と働きを進めてくださっている。そして冬は終わり、確実に春は来る」、梅の花をとおして、神さまが私に、そんなふうに語りかけてくださったように思ったのです。
お母さんが子どもに「きれいな花だね」と言ったら、その子が「神さまの造られるものって、すごいね」と答えたという話を聞きました。この一か月、「神さまの造られるものって、すごいね」見つけをしてみませんか。きっとそこから、神さまのすごい愛を発見することができますよ。きっと!
あなたは愛されています
巻頭言でも書かせていただきましたように、今年度は、「『神の宣教に仕える教会』逆転の神を見上げて ―たくましく、しなやかに―」を標語に掲げて進んでいきたいと願っています。神は御国の完成を目指して、今も力強く宣教の働きを進めてくださっています。私たちはその神を見上げて、「主よ、あなたの宣教の御業のために私たちを用いてください」と祈りつつ、今、この時代の中で、それぞれの場にあって、神の宣教に仕える教会を形成していきたいと思います。
そのための第一歩として、まず私たちが神をどのように理解し、受け止めているか、ということから始めたいと思います。「あなたにとって、神さまはどのようなお方ですか」ということです。神さまは大きなお方ですから、いろいろな受け止め方、表現の仕方があると思いますが、やはり一番大切なことは、「神は愛なり」ということでしょう。
テーオドール・ボヴーという人が牧会ということについて、こう書いています。「一人一人に向かって、神の国の一員として語りかけ、キリストが彼を愛していることを知らせる、これが牧会である」(「魂への愛と慰め」)。これは、私が大切にしたいと思っている牧会についての言葉です。「キリストが私のことを愛してくださっている」、そのことを受け取ることができたら、神の子たちは健やかに育ち、教会は健全に成長・成熟していくことができるというのです。
キリストが私のことを愛してくださっている、これはよくわかっていることのように思いますが、実はそうではない、とヘンリ・ナウエンは言います。「自分が、一切の条件なしに、限りなく愛されているということを知っている人は、本当に少ないのです」(「イエスの御名で」)。私たちは、自分でいろいろな条件を作ってしまいがちです。そして、その条件に届かない自分に失望し、そんな私は神さまの愛から外れてしまっている、と思ってしまうのです。また、自分の心の中にある醜いものを、こんなものがあると神さまは愛してくださらないと思って、自分の心にふたをして隠そうとします。そうすると、神さまとは表面的な交わりしか持てなくなってしまいます。
「あなたは愛されています。何も恐れることはありません。神は愛をもって、あなたの心のもっとも深いところをかたち造られ、あなたを母の胎の中で組み立てられたのです」(詩篇139:13参照)(ヘンリ・ナウエン「イエスの御名で」)。この言葉を、この一か月、味わってみていただけますか。きっと素晴らしいことが起きると確信しています。
信仰による義人は生きる
「神の義は、その福音の中に啓示され、信仰に始まり信仰に至らせる。これは、『信仰による義人は生きる』と書いてあるとおりである。」 (ローマ1:17)
3月にもたれた第54回教団総会において、新しい教団委員長が立てられ、新年度の歩みを始めました。ルターによる宗教改革から500年となる今年、前身の東洋宣教会から、東洋宣教会ホーリネス教会として歩みを始め、ちょうど100年となります。新しい力を得て、歩み出す私たちでありたいと願います。前教団委員長としてのこの4年間の歩みを、祈りとともにお支えくださり、心から感謝いたします。1年目は「共に」、2年目は「喜んで」、3年目は「主なる神は私の力」を掲げ、主に信頼し、信仰によって主の御心に「生きる」(4年目)、を御言葉を通して与えられた主からの光(キーワード)として、教団委員をはじめ、同労者の先生方とともに進んできました。主よ、何故でしょうか……と問わざるを得ない、出来事や進展を前に、いつも立ち帰らされるのは、ハバクク書の御言葉でした。「義人は信仰によって生きる」。教団委員長の任を受けるに当たって、主から与えられた御言葉です。この主への信頼なくては、歩み得なかった日々でもあります。その中で、主は希望を見せてくださいました。(ユースジャム等における)青年
たちの霊的成長、(牧師先生方のメッセージの研鑽により)御言葉に整えられていく
各個教会、主からの知恵をいただき展開されるさまざまな伝道、国内外における協力
関係(宣教協力)……主の御前に生きる、主の聖徒がいるかぎり、主のみわざは前進
します。日本ホーリネス教団を日本の地に置いていてくださる主は、大いなる期待
を持って私たちの教団を用いようとしておられるのだと肌身に感じた4年間でした。これからも、主のみわざは進むでしょう。「しかし、わたしは主によって楽しみ、わが救の神によって喜ぶ。主なる神はわたしの力であって、わたしの足を雌じかの足のようにし、わたしに高い所を歩ませられる」(ハバクク3:18~19a)。新教団委員長、新しく立てられた教団委員と「これを琴に合わせ、聖歌隊の指揮者によって歌わせる」とあるように、ともに心を一つにして賛美し、告白する者でありたいと思います。教団とは、ともにそれができる共同体なのです。これからも、ともに喜んで主なる神は私の力であると主に信頼をし、信仰によって主の御心に生きる教団の一員でありたいと願っています。ありがとうございました。
神のみ顔を仰ぎつつ生きる
「昼には、主はそのいつくしみをほどこし、 夜には、その歌すなわちわがいのちの神にささげる祈がわたしと共にある」(詩篇42:8)。
新年度を前に、卒業・異動の季節が近づいてきました。開かれた次のステップに移る希望とともに、何が待ち受けているのだろうとの不安も心に去来します。主によって導かれた感謝をもって今まで過ごしてきた、慣れ親しんだ場所を離れる寂しさもあります。この時期、毎年心に浮かぶ賛美歌があります。私が以前お世話になった、北米ホーリネス教団の教会のシニア会の方々が、好んで賛美されていた曲でした。「村の小さき教会」(新聖歌423番)です。その歌詞には、自分を育て導いてくれた場所への愛が溢れます。私を主に導き、心を燃え立たせ、献身の思いで立ち上がったこの場所。「主よ、私をこの教会に導いてくださり、礼拝を守らせてくださりありがとうございます。ここに、この教会がなかったら、今の私はいません」どんなに感謝しても感謝しきれない思いになる。 「日本で信仰を持ちました。もう帰ることもない故郷です。しかし、そこで礼拝をともに守った同胞(はら)からを忘れたことはありません。あそこにあの教会があったから、私は主に出会えたのです。今はみんな世界各地に散り散りになりました。しかし、どこにいても、ともに同じ主を慕い求めています。互いに頑張ろう、主が見ていてくださる」。その主への愛がこの曲を賛美する度に心に湧いてくるのです。
今月、私はそれぞれ62年と65年の歴史を閉じることになる二つの教会で、この教会を愛して止まない方々とともに感謝の礼拝を守らせていただきます。時は流れます。その中で、主が私たちに求められる働きは違ってくるのでしょう。日の照る昼も、月星またたく夜も、あなたは「私の『時』」とともにおられます。状況が違ってくる中で、あなたが私に求められる働きは違います。しかし、変わることのないあなたがそこにいてくださいます。我が魂はあなたを慕い求めます。わがいのちの神よ。私たちにあなたのいつくしみを見させてください。詩篇42篇の詩人の思いと重なって、主を慕い求めます」。詩篇42篇の、この涙の祈りは、歴史の中でも後に詩篇126篇にあるような、大いなる主への賛美に変えられていきました。歴史の中においても主は、多くの信仰者の涙の祈りが積まれ、主を慕い求め続ける者たちに証詞を立てさせてくださることを、私たちも信じます。
幻は生きつづける
「これらの事の後、主の言葉が幻のうちにアブラムに臨んだ、『アブラムよ恐れてはならない、わたしはあなたの盾である。あなたの受ける報いは、はなはだ大きいであろう』」(創世記15:1)
「この時、神は夜の幻のうちにイスラエルに語って言われた、『ヤコブよ、ヤコブよ』。彼は言った、『ここにいます』」(創世記46:2)
学院デーに参加したある方が、「1901年と2016年の今と、どちらの宣教が難しいと思いますか?」との質問を持って帰ってきました。日本ホーリネス教団の創立者の一人であるミセス・カウマンの生涯を学ぶクラスで、東京聖書学院長の錦織寛先生から受講生に投げかけられた問いだそうです。カウマン夫妻の生涯を書いたB・H・ピアソン著『幻は生きつづける』(日本ホーリネス教団出版部)を見ると、日本へのビジョンが与えられた後、夫妻に「神は再び語りかけられた。『どの団体にも所属せず、わたしだけに頼って進め』と。『なんじらもぶどうぞのに行け、相当のものを与えん』……。初めに記したように、最初の献金がわずか25セントでは、普通の人なら絶望して投げ出してしまったであろう。しかし神は『……行け、……与えん』とお約束くださっている。夫妻にとって神の約束は現金と同じである」。こうして夫妻は船で長旅をし、1901年2月22 日、横浜の地に着くのです。「見なれない顔・顔・顔。忙しげに駆けまわる人力車。耳をおおいたいような激しい言葉。靴をぬぎ、床にすわり、畳の上に寝る珍しい習慣。低いテーブルで箸をつかう食事」。戸惑うことの多い、全くの異文化の中で始められた宣教活動でした。未知の地での伝道の開始という、その困難さを改めて読むときに、「備えられ、与えられている中で伝道ができる今の私」に気づかされました。昔のようにキリスト教に心を開かなくなった現代の人々……も一面でしょう。しかし、そのことを言い訳にするのなら、それは間違いだと示されました。いつの時代にも困難や障害はあります。しかし、変わることのない御方の御言葉の約束に従って生きる人生に間違いはないのです。このカウマン夫妻の主への信頼、御言葉信仰、宣教へのスピリットが、今の日本ホーリネス教団・東京聖書学院のルーツです。御言葉に従って生きた、一組の夫妻が蒔いてくれた種があっての、今の私たちです。今から116年前、そしてこれから116年後……時代を超えて、主は「わたしにだけ頼って進め」と招いておられます。どの時代にも、主に御声をかけていただいて、その導きに生きた者たちがいます。あなたもこの御方に生涯をかけていきませんか。
主の励ましの中に生きる
「主の使は彼に現れて言った、『大勇士よ、主はあなたと共におられます』」。
(士師6:12)
昨年のユースジャム2016の中で、教団委員全員が挨拶をする時間がありました。ある人が、「東日本大震災の後、同じ地に住む若手が応援団を結成して、地域の方々をさまざまな場面で応援して励ましているそうです。辛いときエールがあるってうれしいですね」と言っていました。青年たちへ祈りのエールを送る応援団として、「フレーフレー、若者!祈ってる、エールーと大声で、教団委員が揃って応援したらどうでしょうか?」と提案されました。結局は応援団の格好はしなかったのですが、それぞれの地に、家庭に、教会に、職場に学び舎に遣わされる彼らに、「ガンバレー祈ってるから」という気持ちを伝えたいと今も思っています。
さて、この士師記に出てくるギデオンは、敵の目を恐れて、酒ぶねの中で麦を打つような者でした。しかし、その彼に主の使いは、「大勇士よ、主はあなたと共におられます」と声をかけるのです。そうではない者を、そうだと言ってくださり、造り変えてくださる神がそこにおられます。この後のギデオンの歩みは恐る恐るです。しかし、その中で神さまはギデオンを励まし、導いてくださるのです。主の守りは確かです。偶像を打ち壊し、主の祭壇を築き直したときも、ミデアンびとを打ち破ったときも、不思議な守りと導きがそこにありました。主の言葉に素直に従う者を、神さまは支え続けてくださるのです。人の目にはなぜ?と思えることの中にも、主の御計画があるのです。また、その導きも、一人ひとりを良く知っていてくださる御方が、それぞれにふさわしい励ましをもってなされるのです。何と慈愛に富みたもう神さまでしょうか。
「その夜、主はギデオンに言われた、『立てよ、下っていって敵陣に攻め入れ。わたしはそれをあなたの手にわたす。もしあなたが下って行くことを恐れるならば、あなたのしもベプラと共に敵陣に下っていって、彼らの言うところを聞け。そうすればあなたの手が強くなって、敵陣に攻め下ることができるであろう』」。(士師7:9~11b)
この御方のもとで、主に従う私たちとしていただきましょう。この年、主は「大勇士よ、主はあなたと共におられます」とのエールを私たちに送ってくださっておられます。さあ勇気を出しましょう。主のために立ち上がりましょう。私たちは一人ではありません。天において何万の軍勢が私たちにはついているのです。主の兵士たちとして、この年も生きていきましょう。
2016年
神の契約のうちに生きる
「すると主の軍勢の将はヨシュアに言った、『あなたの足のくつを脱ぎなさい。あなたが立っている所は聖なる所である。』ヨシュアはそのようにした」(ヨシュア5:15)
ヨシュアをリーダーとしたイスラエルの民は、主の約束された地に向かいます。「あなたがたが、足の裏で踏む所はみな、わたしがモーセに約束したように、あなたがたに与えるであろう」「モーセと共にいたように、あなたと共におるであろう」「見放すことも、見捨てることもしない」。主からの多くの励ましと約束とともに歩み行くヨシュアと民たちですが、その現状はそう簡単なことではありませんでした。しかし、その中で主はねんごろにヨシュアたちを導いてくださいます。主の導きに従うとはどういうことであるかを、その度ごとに教え、進ませてくださるのです。
1. 神の御言葉を通して、御心を確認すること。
2. 神の臨在の中で、主がともにいてくださる恵みを体験すること。
3. 妨げとなるものが示されたら取り除き、悔い改めの勇気を与えられること。
4. 一歩一歩従うことを通して、より深く主を知ること。
5. その主の恵みを噛みしめつつ、主の記念を心に刻むこと。
教会に何人かの受験生がいます。彼らと祈り合う中で、彼らの押しつぶされそうになる不安との戦いをひしひしと感じます。「祈られているもんね。大丈夫だよね。でも、もし……」。彼らの正直な気持ちと向き合いながら、臨在の主を仰ぎ、将来を幸いへと導いてくださる主を信じて生きる者たちであることを、御言葉をともに再確認しています。献身の思いを持ちつつも、どのような形で進めばよいのかを迷いながら、新年度に向けて新たな歩みを祈っている者たちがいます。「ここまで主にお従いをしてきました。これからどうすればよいのでしょう。結婚とか……不安がないわけではないのです」。ヨシュア記5章では、ヨルダン川を渡ったヨシュアたちに主は語られます。そこはエリコまであと3km程の地です。城壁が見えたことで彼らに恐れも生まれたでしょう。敵前のこの地で主は語られます。「割礼を受けることをないがしろにしてはいないか?」「主との正しい関係が崩れていないか?」 そこをはっきりとするようにと言われるのです。そのことを通して、神の契約のうちに生きていることを再確認し、敵の前で主に感謝をささげる過越の祭を行うのです。その後、主の軍勢の将がともにいてくださることを見る目が与えられていくのです。主の契約のうちに生きる者たちのために、主がともに戦ってくださることを教えられていくのです。
この感謝をもって年の最後に、主からの整えをいただいて、新しい年へと歩み踏み出していきましょう。
神の憐れみと恵み深さに生きる
「そしてエリシャが祈って『主よ、どうぞ、彼の目を開いて見させてください』と言うと、主はその若者の目を開かれたので、彼が見ると、火の馬と火の戦車が山に満ちてエリシャのまわりにあった」(列王紀下6:17)
ユースジャム2016で受けた恵みの証詞が止まりません。参加者数479通りの恵みがあります。 「1時間でも足りないっす。俺もっとしゃべれる。いや語りたい」。恵みの分かち合いが、聞いた者たちの心に更なる恵みを生み出していきます。「あの時決心したことを両親に話しました。来年、東京聖書学院に入学します」「迷っていた洗礼を、今度のクリスマスに受けます!」「よかった」「やったね!」。互いが互いを思いやり、愛する姿に、感動を覚えるのです。「ユースジャムに参加予定だったHちゃんがキャンセルに……。でも、期間中グループのみんなは彼女のためにも祈ったよ。だって、彼女も私たちの仲間だから! 神さまはきっとどこかで彼女に出会わせてくださるはず。その時、私たちは笑顔で彼女にこう言うんだ『Find You!』」。先輩たちのようになりたい。そういう願いが起こされた次世代がいます。すべてが御手の中にあることを感謝しつつ。
また9月末には、神戸で第6回日本伝道会議が持たれました。日本と世界の宣教のために祈りの手を上げ、何か自分にできることはないだろうかと考える者約2100名が集い、熱気に溢れた4日間を過ごしました。日本ホーリネス教団からも77 名の牧師と約20
名の信徒、東京聖書学院の修養生が参加しました。それぞれのプロジェクトに分かれ、熱のこもったディスカッションがなされました。主に信頼し、立ち上がるきっかけを与えられ、教団・教派を超えた主にある協力関係を確認して帰ってきました。「テーマは、『再生へのRe -VISION 福音・世界・可能性』です。これは列王紀下6:17から取られたものです。強大な軍隊の前でたじろぐ若者の目が開かれ、信仰の目で同じ現実を見直すことができるようになり、そこから新たな展開が生み出されていきました。同じことが再生を求める私たちにも必要とされています。主の働き(福音)とそれが生み出したもの、置かれているところ(世界)、仕える姿(可能性)を見直す。福音とそのインパクトの素晴らしさを知るならば、喜びに押し出され、世界の現状を真正面から見据えることができる。可能性に目が開かれ、新旧のチャレンジに取り組むことができると信じてこのテーマとしました」(開催地委員会副委員長鎌野直人師)。そのとおり、次の目標に向かうため
の良き時となりました。私たちの生き方は福音の素晴らしい魅力を伝えているでしょうか。神の民として、神の憐れみと恵み深さを「生きる」のです。私たちの教団もこの日本と世界の宣教を真剣に考え、霊の目を開かれ、主のみわざに期待し、前進していきましょう。
喜びに満ちあふれ生きる
「わたしはあなたがたを大いに信頼し、大いに誇っている。また、あふれるばかり慰めを受け、あらゆる患難の中にあって喜びに満ちあふれている」(Ⅱコリント7:4)
ユースジャム2016が、祝福の内に終わりました。「嬉しいね」「よかったね」の多くの感謝に満ちた報告がなされています。それぞれが主から語られたメッセージを受け取り、新たな思いで立ちあがり、各々の家庭に職場に学び舎に遣わされて行きました。主に置かれた場での、クリスチャンとしての生活です。世の中で「生きる」のは、ある意味戦いです。祈りのエールを青年たちに贈ります。
南西教区の喜界教会からもお手紙をいただきました。
「遠い離島からも、6名が参加させていただきました。8月8日の昼過ぎに飛行機で飛び立ち、夜8時過ぎに会場に到着し、前泊させていただきました。『FindYou』のテーマソングを口ずさみながら、大きな期待をもって臨みました。(中略)帰りはい11時頃、みなさんよりも一足早く羽田へと向かい、鹿児島空港からはリムジンバスで鹿児島市内に移動し、離島航路の『北埠頭』に急ぎました。しかし、予想外のことに、予約がいっぱいでその船に乗ることができなくなってしまったのです。私たちは次の船が出るまでの3日間を鹿児島で留まることになりました。『みんな、ごめんね』とわびながら、泊まるところを検討し、鹿児島武キリスト教会の洪美英先生に事情をお話しして、受け入れていただくことができ、心からのおもてなしをいただきました。子どもたちが喜んで滞在期間を過ごしてくれたことは、私の大きな慰めでした。一番嬉しかったことは、一人ひとりがユースJAMで歌った讃美をいつも口ずさんでくれていること、われ先にとお祈りをしてくれるようになったこと、イエスさまに対する信仰の目が開かれている姿に感動しました。……こうして楽しい8泊9日の旅は、16日(火)早朝4時半、11時間の船旅を終えて、それぞれの家族のもとに帰ることができました。ハレルヤー」
何と、大変な思いをして……しかしそれを「帰りのハプニングはあったものの、すばらしい恵みを倍加された感動の旅となりました」と報告してくださる先生がおられるのです。このように全国から、この「ユースジャム」に期待をもって集まって来た若者たちのため、送り出すことのために労を惜しまなかった先生方や教会が教団にはあるのです。それを支えた同じ教団の教会があったのです。感動でした。この教団で良かったと言える幸せ。続けて次世代のために祈っていきたいと思います。
互いに協力し合いつつ生きる
「わたしたちも数は多いが、キリストにあって一つのからだであり、また各自は互に肢体だからである。」(ローマ12:5)
教団として次のような協力体制が必要とされています。外国の教団や他教団との協力が宣教のみならず、災害時などの危機管理が必要な時においても求められ始めています。互いの特色を尊重し合いながら、ともに主に仕える者としてネットワークを築き、協力し合っていきたいと思います。主なる神のもとに集まる者としての働きのゆえに。
①日本宣教に多大な寄与をしてくださったOMSとのさらなる協力関係を継続していきます。またOMSクリスチャン・ミッションチャーチの働きも応援していきたいと思います。OMSが期待しているように、日本からもOMSの宣教師が起こるように祈り始めます。
②世界ホーリネス教会連盟(WH連)関係の諸団体との関係を深めていきます。
③北米ホーリネス教団とブラジル福音ホーリネス教団との協力関係を深めていきます。
④基督兄弟団とは歴史検証や青少年伝道、修養生訓練などの具体的な協力を進めていきます。
⑤日本福音連盟(JEF)内では、不測の事態に備えて説教者要請のための隠退牧師リストの作成や各神学校ができる協力の可能性を模索しています。日本福音同盟(JEA)内では将来の宣教協力や教会の統廃合などを視野に入れた情報交換を進めていきます。
このような時流の中で、今月、第6回日本伝道会議が神戸で持たれます。次の理念のもとに開かれます。「私たちは、聖書信仰と教会の公同性に基づいて、教会・教団・宣教団体の宣教協力のためにさらに優れた態勢と環境を整え、また私たちの互いの交わりとネットワークをより活きたものとすることによって、実り豊かな福音宣教の働きを行うことを目指します。3・11を通して、福音の確認と宣教のあり方の再検討、また地域における新たな教会
協力の取り組みが進められています。私たちはこの危機の時代の希望であるイエス・キリストの福音宣教の使命を確認し共有します。現在行われている宣教の働きを振り返りつつ、互いの状況と情報を交換し、対話を深めることにより、新たな協力分野を見いだし、さらなる協力態勢を築く機会とします。宣教に携わる人々が励まされ、キリストにある交わりが深められ、ネットワークを活性化することによって、受け継がれてきた宣教のビジョンと働き
を新たな世代に継承します。日本の教会の歴史に大きな貢献をし、また阪神淡路大震災からの復興の途を歩んでいる国際都市神戸に集い、世界と日本の各地域における宣教のために祝福を祈ります。」
教団としての歩みに沿った学びと交わりのできるチャンスとして、参加を勧め、協力します。日本の福音宣教のために!
神と人に仕え、生きる
「わたしは、更に進んで、わたしの主キリスト・イエスを知る知識の絶大な価値のゆえに、いっさいのものを損と思っている。キリストのゆえに、わたしはすべてを失ったが、それらのものを、ふん土のように思っている。それは、わたしがキリストを得るためであり、 律法による自分の義ではなく、キリストを信じる信仰による義、すなわち、信仰に基く神からの義を受けて、キリストのうちに自分を見いだすようになるためである」(ピリピ三8~9)
私たちの教団が大切にする「聖化」の実は、主権者なる神に心から喜んで従い生きることです。とても単純で、クリスチャンとしては当然のことなのですが、これが「主権者なる神に、『すべてをささげ』心から喜んで従い生きること」となると、難しさを覚え始めるのです。神さまが主権者なのだから、その御方にすべてをおささげするのは当然だと、頭ではわかっていてもなかなかできないのです。そして、自我に死ななければ、全き献身を喜ぶことができないのです。そして、自我に死ぬには、イエス・キリストの十字架の死によるみ業を信じて生きるほかないのです。イエス・キリストを見上げつつ、主なる神に仕える思いを忘れないようにしていきたいと思います。置かれている場の働きの中で、キリスト者として、
神と人に仕えていくことを大切に「生きて」いきたいと思います。「心から喜んで、主権者なる神に従い生きる」私たちの教団でありたいと思います。そのために、
①教会や信徒一人ひとりがどのように地域に仕えていくか、遣わされているところで使命をもって生きていくかを考えていきます。このために必要な学びや情報交換を行っていきます。
②今ある緊急支援対策室の働きを活かしつつ、災害時に迅速に対応できるようにさらに備えを充実していきます。災害に備えて防災ネットワークを築くために、近隣の教会との交わりを育てていくように各教会を励ましていきます。
③教団本部の土地・建物と東京聖書学院が、一教団のみならず、キリスト教界、日本や世界に仕えていくものとなるようにネヘミヤ・プロジェクトを進めていきます。
夏に、各地で「聖会」がもたれます。その中で、今一度、私たちの信仰生涯の歩みを点検させていただきましょう。喜びや感謝が、主への愛と従順が、この世の中の何かに押しつぶされてはいないでしょうか? 各々整えられ、主に遣わされたいと思います。この夏、修養生のチームは熊本の被災地支援と、各地の教会奉仕に遣わされています。お祈りください。また、5月に北米ホーリネス教団から、ネヘミヤ・プロジェクトに多額の献金をいただきました。多くの期待の中で、世界に仕えていく教団でありたいと願います。
成熟を目指して生きる
「わたしは、神に生きるために、律法によって律法に死んだ。わたしはキリストと共に十字架につけられた。生きているのは、もはや、わたしではない。キリストが、わたしのうちに生きておられるのである。しかし、わたしがいま肉にあって生きているのは、わたしを愛し、わたしのためにご自身をささげられた神の御子を信じる信仰によって、生きているのである」(ガラテヤ2:19〜20)。
今年度に入り、「生きる」をキーワードに書かせていただいています。感謝を捧げ、御言葉を信じ、福音を伝えつつ、成熟を目指して、神と人とに仕え、互いに協力し合いつつ、「生きる」大切さを覚えたいと思います。これは教団としての実際的な歩みを考える中での課題であり祈りです。私の罪のために死んでくださった、イエス・キリストの十字架の御わざを信じていく身の幸いは、義認・聖化・栄化へと私たちを導いてくれます。キリストと共に十字架に死んだ我が身は、キリストと共に生きる生き方へと変えられたのです。キリストが我が内に生きておられると告白しながら、喜びをもって、御言葉を信じて歩む私たちでありたいと思います。かつて律法にがんじがらめにされていた身が、律法の拘束から解き放たれ「律法に死んだ」ように、自分の考えや理解にこだわることに死に、キリストに生きる者たちとさせていただきましょう。私を愛し十字架の御わざを与えてくださった御方に育てられていきましょう。私たちはキリスト者として、教会として成熟していくことが御心として求められています。主なる神の御前に出るとは、礼拝であり祈りでもあります。整えられつつ、主の御前に生きるという、ホーリネスの本質を大切にする者たちでありたいと思います。お互いの信仰によって、孤立せずにともに励まし合えるような関係を築きつつ生きる教団でありたいと願っています。
①信徒の方々に、ともに任を負ってもらい、賜物を用いていただく機会を積極的に増やしていきます。
②箱根での夏季聖会をはじめ、各地でもたれる聖会を充実させ参加への呼び掛けを行います。
③「祈りの栞」をさらに充実させて毎年出版し、継続的に教団に属する各教会の祈りの課題を共有し、祈りのネットワークを築いていきます。この栞は神の家族という意識を強め、教団への帰属意識を育むものとなると考えています。
④キャンプ伝道を次世代育成の働きの一つとして、さらに重要課題として力を入れていきます。
⑤ユースジャムとその後のフォローアップの働きを全面的に支援し、全国規模で次世代の育成を進めていきます。
福音を伝えつつ生きる
「神は、すべての人が救われて、真理を悟るに至ることを望んでおられる」(Ⅰテモテ二4 )
私たちの教団は今までも、「伝道第一」を大切にしてきました。主を受け入れる場面に立ち会える喜びは最高の特権です。しかし、いつのまにか他の働きが優先され、福音を伝えることが後回しになっているのではないでしょうか。福音を伝えることこそ、私たちが最優先すべきものです。神の御心を考える時に、「神の情熱(パトス)」を抜きにはできません。その御心にお応えする各々でありたいと思います。この年、私たちには何ができるでしょうか。私自身、この「りばいばる」を通して、それぞれの教会が主から与えられた知恵を用いて、さまざまな方法を用いて伝道しておられるのを知り、励まされ教えられています。「あぁ、そういうこともできるかも知れない」とヒントが与えられると同時に、熱心に取りくんでおられる教会の方々の姿に、同じ主の弟子であるという兄弟愛を感じるのです。うれしい瞬間です。
教団として「福音を伝えつつ生きる」ことを支えるために、次のことをお覚えくださり、お祈りにお加えください。
① 包括的福音理解のもとに、全人格的な関わりの中で宣教を進めていきます。
② 勧士候補者が増えるように、各教区で働きかけていただければと思います。いろいろなかたちの兼牧支援の方法を探ります。OMSが世界規模で展開しているCM(教会増殖)の学びを進めていきたいと思います。続けて新たな宣教師候補者が生み出されるように祈り、派遣していきます。
③ 孤立することなく、一緒に悩み、御心を求めて、教会に関わる共同牧会の道を探っていきます。
④ 証を携え、救いへの導きができる信徒の方々の育成を進めていきます。そのために「いのちへの道」の改訂も企画され、ECC(OMSの働きの一つ)のテキストが作成されつつあります。
⑤ 信徒の方々の教会間での応援と交わりを応援していきます。このことによって一人ひとりが成長し、神の家族としての意識も育まれていきます。
⑥ 基督兄弟団との協力関係をさらに密にし、神学校間の協力も含めともに協力して伝道者を育成していきます。
⑦ 韓国に加えて台湾からも宣教師を受け入れていきます。
福音はすべての人に必要であり、どんな人をも造り変える力があるのです。このことを確認して「救い主」なる御方とともに生きるこの喜びを手渡すために生きていきましょう。
ともに労させていただきましょう。神は、すべての人が救われて、真理を悟るに至ることを望んでおられるのですから。
御言葉を信じて生きる
「主のみことばは直く、そのすべてのみわざは真実だからである。」(詩篇33:4)
聖書66巻は誤りのない神の言葉であり、信仰と生活との唯一の規範であるという「聖書信仰」は、私たちの教団の生命線です。そして、聖書に基づいた礼拝、ディボーション、祈りを通して御言葉に導かれて行く歩みは、クリスチャン生活の基本です。また御言葉によって取り扱われるという御言葉経験が、私たちの大きな力となります。「主なる神はわたしの力」であることを日々御言葉を通して経験することなしに、喜びは生まれてきません。御言葉は「主なる神の言葉である」ことを心に刻み、主の御前を歩ませていただきましょう。御言葉を通して、主の御心を聞きましょう。
この3月にもたれた第68年会で、多くの先生方と話す機会が与えられました。隠退される先生方の証詞の言葉の重みに教えられ、励まされもしました。ある女性の先生が38年の献身者生涯を振り返り、「『今までの献身生涯を支えてきたものは何だったか?』と問われるならば、それはただ御言葉です。疑ったり、迷ったり、恐れたりの繰り返しの中にあっても、神さまは節目ごとにいつも御言葉をもって選びの確かさを表してくださいました。あのときあそこで語られたあの御言葉により、今の私があることを確認させられております。そしてこれからも、御言葉に対する信頼を失わないかぎり、神さまは私の献身生涯をお支えくださり、全うさせてくださると確信しております」と書かれた文章を読ませていただき、深く感動しました。アーメンです。御言葉信仰を貫く私たちでありたいと思います。
教団として今年度は、とくに「御言葉を信じて生きる」ことの深まりのために、①9月に神戸でもたれる第6回日本伝道会議を、教職者のための集中した研修の場と考えています。各教会の役員会には研修の重要性を理解していただき、積極的に教職者を学びの場に送り出していただきたいと願います。②メッセージ・シーリズやディボーションの書籍の出版を通し、学びと恵みを受ける機会を提供していきます。現在、小林和夫師の「ローマ人への手紙講解説教」の再販本、松木祐三師の「静まりと黙想の朝に」シリーズが教団出版部から出されています。お用いください。③教団として、若手の先生方に神学論文の発表の場を提供することは大切なことであると考えています。お祈りください。
感謝をささげて生きる
「われらは感謝をもって、み前に行き、主にむかい、さんびの歌をもって、喜ばしい声をあげよう」(詩篇95:2)
昨年度の感謝として、以下のことがあげられます。
①ネヘミヤ・プロジェクトの第一期工事が終わり、東京聖書学院の旧寮の改修工事が完成しました。続いてチャペルや本館・図書棟、外構・エントランス工事などの改修の工事も完成間近です。教団債も集まりつつありますが、なおも主の御心を求めてこの大きな働きを活かしていけるようにと願っています。続けてお祈りお支えください。
②次世代育成プロジェクトは、各地のキャンプも祝され、クリスチャンホーム形成を目指した出会いの場作りの働きなども活発です。ユースジャム実行委員会も次の世代を担う青年たちが中心となり、活発に準備が進められています。ユースジャムの働きを通して、教団に関わるすべての人々に祝福がもたらされることを願います。
③東京聖書学院は2015年度の入学者が14名与えられ、今まで以上に活気が出てきました。さらにきよめ派や福音派の諸教会においても信頼され、広く用いられる神学校となっていけるようにお祈りください。
④ロシアに新しく宣教師候補を送り出すことができました。
⑤「祈りの栞」が発行されたことによって、教団内の教会・教会員がさらに具体的に祈り合うことができるようになりました。
⑥聖会説教の学びによって、教職者同士による説教の研鑽が始まりました。
⑦長い間主の働きに仕えて来られた先生方を支えていくため、教会厚生費の増額によって謝恩金の改革が行われました。
⑧基督教大韓聖潔教会やイエス教大韓聖潔教会に加えて、台湾聖教会とも宣教協力を結ぶことができました。また、北米ホーリネス教団とも覚書を結ぶ予定です。このことによって国際的な協力の輪が拡大してきました。
多くの感謝の中で、このように導いてくださった主の御心をなおも求めつつ、へりくだってこれからの歩みを一歩一歩進めさせていただく一年でありたいと願います。この混迷の時代に、私たちキリスト者が地の塩、世の光としてどう生きて行くかが問われています。その中で「信仰によって生きる」ホーリネスの生き方をさせていただきましょう。
主のみこころを知って
教団委員長 中西 雅裕
「わたしの父のみこころは、子を見て信じる者が、ことごとく永遠の命を得ることなのである。そして、わたしはその人々を終りの日によみがえらせるであろう」(ヨハネ六40)。
この地上で与えられている齢が幾つであるのかは、互いに知りません。しかし、必ずここを去るときが来ます。誰でも。必ず。それは、人間に与えられた厳粛な神の御計画でもあります。いえ、それは人間の罪のゆえに入ってきてしまった、支払うべき報酬と言ったほうがいいのかもしれません。その「死」を前にしたときに、私たちは多くのことを考えさせられます。
今年の年始挨拶の手紙で、一人の青年が昨年の春に亡くなっていたことを知りました。ショックでした。前任地で出会った彼が中学生の時に、教会では中高生の集まりが盛んでした。夕食をみんなで食べ、夜遅くまで時間をともに過ごしました。開拓中の教会であったこともあり、そこに来ている子たちは、全員ノンクリスチャンホームでした。聖書を語る前の心の耕しが必要で、まずは教会に来ることを目標にしました。彼らに聞く耳が与えられるように、教会員の方々も熱心に祈ってくださいました。しかし、個々にしっかりと福音を手渡すことはできませんでした。大きな痛みです。数年前、その中の一人が、結婚して一ヶ月も経たない内に、森林伐採の仕事の途中に、一本の大きな木の下敷きになり命を落としました。不慮の事故でした。その時も、なぜ彼らにもっと熱心に福音を伝えなかったのかと悔やまれました。もちろん、私たちの努力や頑張りでどうにかなるものではありません。聖霊のお働きに委ね、主の御力に信頼すべきことです。しかし……今年に入り、バスの事故などで多くの若い命が失われたことなどを聞くと、心新たに祈り続けるべきことを教えられているのです。
「年寄りから順番に天の御国に行かせていただけるわけではないのですね。なぜ、この歳までこんな弱い小さな者が生かされているのか正確にはわかりません。何か大きな御奉仕はもうできません。しかし、若い方々のために祈ることはできます。その子たちに『良くやってるね。頑張ってるね。』と声をかけることはできるのです」。今年の抱負をそう語ってくださった姉妹がいます。「そこで主が言われた、『主人が、召使たちの上に立てて、時に応じて定めの食事をそなえさせる忠実な思慮深い家令は、いったいだれであろう。……主人のこころを知っていながら、それに従って用意もせず勤めもしなかった僕は、多くむち打たれるであろう』」(ルカ12:42、47)。主の御心は、すべての人が救われることです。その愛に、若い人々が気がつきますように。今年はユースジャムの年でもあります。お祈りください。
戦ってくださる主に寄り頼んで
教団委員長 中西 雅裕
新年になり、ヨシュア記を黙想しています。
14章では、エフンネの子カレブが、ヘブロンの地を嗣業として与えられたことが記されます。この地には、アナキびとが住んでいました。しかし、カレブは自らヨシュアに申し出るのです。「それで主があの日語られたこの山地を、どうか今、わたしにください。あの日あなたも聞いたように、そこにはアナキびとがいて、その町々は大きく堅固です。しかし、主がわたしと共におられて、わたしはついには、主が言われたように、彼らを追い払うことができるでしょう」と。その時、カレブは85歳でした。彼は45年前に神に遣わされた時の鮮明な約束の言葉をしっかりと心に持ち、その後のすべてのことと、「主は言われたように、
わたしを生きながらえさせてくださいました」という感謝に溢れます。そして、今もなお健やかで力に満たされ、「どんな働きにも、戦いにも」遣わされる覚悟も与えられていると語るのです。聖書の記者は、カレブを「全くイスラエルの神、主に従った」者と記します。この「主に従った」は、「従い通した」と理解した方がよいでしょう。私たちもそのような者たちでありたいと願います。昨年末に、この箇所からメッセージをした時、「主に従い通した生き方に必要な3つのK」として、「回想、感謝、期待と確信・献身」のローテーションを語らせていただきました。しかし、今年に入りさらに黙想する中で、この時のヨシュアにとってカレブのこの訪問は、主への信頼を再確認させる助け手としての役割があったのでは、と思うようになったのです。カレブは開口一番に、「主がカデシ・バルネアで、あなたとわたしについて」と言います。このカデシ・バルネアはヨシュア記10章にあるように、ヨシュアが戦いで勝利を得た地でもありました。そしてその勝利は、「イスラエルの神、主がイスラエルのために戦われたので」与えられたものでした。我らの主は何と憐れみに富み、力強い御方でしょうか。カレブとて、肉体的には45年前と全く同じとは言えなかったと思います。しかし、この寄り頼む主によって、「わたしの今の力は、あの時の力に劣らず」と言えるのです。互いが互いのヨシュアであり、カレブでありたいと思うのです。「あの時のこと覚えているか? あれから今に至るまで主はなんと良くしてくださったことか。さぁ新しい働きに遣わされて行こうではないか」。そう言い合える仲間でありたいと願うのです。新年度の歩みのために祈りはじめている今、共に「主に従い通した」生き方をさせていただけるように励まし合いたいと思います。
主に信頼し、主を喜ぶ……
「この日はわれわれの主の聖なる日です。憂えてはならない。主を喜ぶことはあなたがたの力です」 (ネヘミヤ8:10)
ネヘミヤ・プロジェクトの第一期工事が終わり、修養生の寮の部屋や食堂等が新しくなりました。改修工事ですので、水道・電気・ガス等の配管・配線を探りながらの大変な工事でした。壁や床を開けてみて、工事の必要な個所があることがわかり、当初の予測を超えるものになりました。工事の必要経費も膨らみ、1億円の予算に600万円を上乗せすることになりました。どうぞお祈りください。
この秋、教団より出版されている「聖書の光」(教会学校教案誌)では、3回にわたってネヘミヤ書が取り上げられました。その中の「神殿再建の戦い」では、「城壁を建て直す作業は何度も邪魔が入りとても大変でした。心がくじけそうになることが何度も起こったのです。順調ではない中であきらめないでやっていくために、神さまに祈りました。また、神さまによる確かな支えがありました」と、「霊の武具をまといつつ、愛の奉仕に生きる」をテーマにしています。片手に工具、片手に武具の工事は民たちにとって大きな負担です。しかし、その中でネヘミヤは民とともにまず「われわれは神に祈り」と、主を信頼する祈りを盾にして進むのです。困難の中に、主権者なる主を見るのです。この器ものは、主の働きに用いられていくものです。そこに主の働き人が多く送られてきますように、東京聖書学院がこれからの日本宣教に大きく用いられていきますように、教団がそれを支え続けていけますように、続けてネヘミヤ・プロジェクトのためにお祈りください。
「聖書の光」ではネヘミヤ8章に入り、「試練やさまざまな戦いを経て、城壁は再建されました。と同時に人々の信仰のあり方、神への姿勢、神の言葉に対する熱意ももう一度建て直され、回復されたようです」とあります。城壁完成後、民たちはエズラの語る御言葉に耳を傾け、「民はみなその手をあげて、『アァメン、アァメン』と言って答え、こうべをたれ、地にひれ伏して主を拝した」のです。城壁の完成は民たちを、自分たちの身になされた神のみわざに気づかせ、悔い改めと感謝に導くのです。私たちも同じように、この工事に祈りとささげものをもって加わり、ともに主を喜ぶものとさせていただきたいと思います。
2015年
「宣教師の帰国と派遣」
「全世界に出て行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えよ」(マルコ16:15)。
「フェリース・ナタール」(ブラジル、ポルトガル語でのメリー・クリスマス!)ロシアのプロテスタント教会では、12月25日だけでなく、1月7日(ロシア正教のクリスマス)にも御降誕を祝います。
今月中旬、12年間のブラジル宣教の使命を果たし、新谷聡一郎、聖美宣教師ご夫妻が帰国される。新谷宣教師ご夫妻は、ブラジル福音ホーリネス教団リベルダージ教会(サンパウロ市)とクリチバ教会の日本語部の牧師として日系ブラジル人一世、二世への宣教と牧会に励んでこられた。日本とブラジルの架け橋となり働いてこられた新谷宣教師ご夫妻のミッションに感謝し、心から出迎えたい。
「お帰りなさい! ブラジル日系人教会での尊い働きを感謝します。」
新谷宣教師ご夫妻は、2016年1~3月の2ヶ月半であるが、巡回報告をされる。帰国される宣教師とバトンタッチするように新しい宣教師候補が、宣教地での働きを進めている。今年6月4日、河瀬愛子宣教師候補は、ロシア極東の都市ウラジオストクに出発された。働きの場所は、ウラジオストク長老インマヌエル教会である。ソビエト連邦が崩壊した直後、韓国人宣教師がロシアに入国し、開拓された教会である。教会学校の子どもたちに伝道し、彼らを育て、23年かけて一つの教会を形成してこられた。教会の規模は大人50名、子ども25名。会堂はスリッパ履きで、日本の教会のようで違和感がない。河瀬愛子宣教師候補は、韓国からの宣教師夫妻、韓国系ロシア人の副牧師、白系ロシア人の神学生、長老夫人で構成される牧会チームの一員として働いておられる。7月1日、ウラジオストクにて現地の教会と日本ホーリネス教団との間で宣教師派遣契約を結んだ。
河瀬愛子宣教師候補は3ヶ月の宗教ビザで、すでに2度のウラジオストクでの働きを終え
られた。次の出発は、2016年1月3日である。この3ヶ月間で、長期(3年)の宗教ビザの申請を行う。ロシアで長く働く道が開かれるようにお祈りいただきたい。
「私も宣教師になりたいビジョンを持っておりました」 そのような篤い願いを持ちつつも、日本での伝道と牧会に励んでこられた先生方を知っている。自分が宣教地に行く代わりに、宣教師を送り出し、宣教地を訪問し、帰国される先生方を迎える。日本でそのような立場を取る者も必要である。日本ホーリネス教団宣教局国外宣教の役割はそれである。
神の恵みのゆえに……
「しかし、神の恵みによって、わたしは今日あるを得ているのである。そして、わたしに賜わった神の恵みはむだにならず、むしろ、わたしは彼らの中のだれよりも多く働いてきた。しかしそれは、わたし自身ではなく、わたしと共にあった神の恵みである」(Iコリント15:10)。
ブラジル福音ホーリネス教団の宣教90周年記念式典に参加させていただきました。
地理的に地球の対極にあると言われるブラジルと日本ですが、その関係は深く、日本から1908年に781人が「笠戸丸」に乗ってブラジルに渡ったのが日本からの移民の初めと言われ、今では160万人の日系人がこの国で生活しています。東京聖書学院で学んだ物部赳夫先生は、1925年に32歳でブラジルの地に『福音』を携え赴きます。交通の不便な時代、馬に乗るか徒歩で各地を回り伝道したと言います。あるときは、歩き疲れて空腹のあまり、道のわきにあった見ず知らずの家に「何か食べさせてください」と倒れ込んだと言います。そこで、先生は空腹をかかえて3時間待たされます。そして、出てきたのは白米のご飯でした。その家の主婦は、「日本人だからお米が良いでしょうと思って、畑に行き、稲を刈り、臼でついて炊きました」と言ったそうです。3時間!しかし、その時間はブラジルの人々の旅人をもてなそうとする心の優しさを表します。このようなブラジルの方々の間にあって命がけで伝道すること5年。先生は肝臓癌で召されます。日本からビジョンを与えられて、遠い国での5年は短いようにも感じます。しかし、その期間に日本から先生と同じようにブラジルの地に使命を持つ先生方が起こされ、ブラジルで救われた者が聖書学院に留学するのです。
冒頭の御言葉は、先生の生涯の御言葉であったと言います。神の恵みによってなのです。先生の墓石には、「福音使 物部赳夫」と記されています。「福音使」!何と素晴らしい響きの言葉でしょう。この先生によって始められたブラジル福音ホーリネス教団は、現在国内10州に41の教会があり、伝道所、巡回地を持ちながら伝道のわざを進めています。この記念式典の会場には、ブラジルと日本の国旗の間を繋ぐように何百もの鳩の形をした折り紙が、虹のように飾られていました。今回、総会で日系ブラジル人秦野教会の上山マルシオ先生が按手礼を受けられ、12年間宣教師としてブラジルで奉仕された新谷聡一郎・聖美先生御夫妻が、日本へ帰国されるために「再派遣式」が持たれました。「日本からブラジルに福音が届けられた。今、ブラジルからも日本に福音が届けられている。」日本とブラジルの良き関係を目の当たりにさせていただきました。
霊なる主の働き
「わたしたちはみな、顔おおいなしに、主の栄光を鏡に映すように見つつ、栄光から栄光へと、主と同じ姿に変えられていく。これは霊なる主の働きによるのである」(Ⅱコリント3:18)。
「主から与えられた賜物は、主の働きのために用いることを、主が望んでおられることを聖会で教えられました。」
ひとりの高校生が、証詞をしてくれました。「集会が始まる前、『急だけど来週キャンプに行かない? 奉仕者が足りなくて困っているんだけど』とさそわれました。スケジュール表を見ると、日程的には空いていました。『でも、この夏は他にも多くの予定が入っていて無理。その週は休みたいもん』と答えました。その後の集会で、『何が神さまに喜ばれるのか』と語られた御言葉に心がザワザワしました。主の語りかけにお応えすべきだと示されました。そして、祈って『行ってもいい』と返事をしました。翌日、そのキャンプの案内が来たときビックリしました。このキャンプを私は知っていたのです! 数日前に、キャンプのためにお祈りくださいと、メールでみんなに言っていた文章を、私は読んでいたのです。あぁ、私が神さまに導かれて行くことになったのは、このキャンプのことだったんだ! と。それを先生に伝えると『不思議な摂理に導かれて……がんばろうね。神さま、私たちに与えてくださった賜物を用いさせてください。土の器ですが、用いてください。と祈りつつ』 と返事が来ました。その集会で賛美した『土の器』という賛美の歌詞を思い出しました。
♪土の器――欠けだらけの私 その欠けからあなたの光がこぼれ輝く 土の器 ヒビだらけの私 そのヒビからあなたの愛があふれ流れる こんな私でさえも 主はそのままで愛してくださる だから今 主の愛に応えたい 私のすべてで 用いてください主よ 私にしかできないことが 必ずあるから
―あぁ、そうなんだなと思いました。」御言葉を聞いて、主に従っていく幸い。しかし、そこには犠牲も生まれます。それを喜んでさせていただけるのは、主の愛に応えたいからではないでしょうか。感謝だなぁと思いました。各地でもたれた聖会において、主を仰がせていただき、恵みの御座に導かれた方々のお証しが分かち合われています。御言葉をいただき、生き方を変えられていく「聖会」は、ホーリネス教団が大切にしていくべきものの一つです。老いも若きも、「聖会で主に取り扱われる」経験をおのおのがさせていただきましょう。
勝ち得て余りある
「しかし、わたしたちを愛して下さったかたによって、わたしたちは、これらすべての事において勝ち得て余りがある。わたしは確信する。死も生も、天使も支配者も、現在のものも将来のものも、力あるものも、 高いものも深いものも、その他どんな被造物も、わたしたちの主キリスト・イエスにおける神の愛から、わたしたちを引き離すことはできないのである」(ローマ八37〜39)。
突然の病の宣告に動揺を覚え、「すべてを主におゆだねします、と毎日祈っていた祈りが急にできなくなってしまったのです。何と信仰のない者か、自分の弱さを痛いほど思い知らされました。こんな私のために祈ってください」。そんな祈祷課題が出されました。死を前にしたときに、私たちの心は震えます。あんなに愛していた主を疑い、従うことを平気でやめてしまうかもしれない自分に愕然とするのです。その姉妹の素直な告白に、その場にいた者たちは何と返答してよいかわからず、沈黙が続きました。そのときです。最長老の姉妹がこの御言葉を引き、祈り始められました。御言葉を聴きながら、みんなの心が主に向きました。「わたしたちを愛して下さった主」は、私の手を引いてくださる主です。祈れないとき、主の御前に連れ出してくださる主です。暗闇の中でも、しっかりと導びいてくださる主です。「わたしは確信する」。死ですらも、この御方の愛から私たちを引き離すことはできないと。それは、私たちサイドの力ではない、「わたしたちを愛して下さったかたによって」なのです。その愛の大きさに打たれ、今一度その愛の大きさを確認させていただき、みんなが心から「アーメン」と唱和しました。
いたずらをした子どもが、謝るべきお父さんの前になかなかでられないときに、お母さんが手を引いて一緒にでてくれるように。真っ暗な夜道を、不安で不安でたまらないときに、暖かく力強いお父さんの手に安心を覚えるように。主は私たちの人生の中にあっても、どんな状況の中でも手を引いてくださるのです。ともにいてくださる以上の恵みを覚えます。主の手のぬくもりを我が身に感じるのです。祈った姉妹は帰り際に、祈祷課題を出した姉妹の肩に優しく手を置き、「私も祈るから。主に信頼しましょう。それ以上の幸いはないからね」と。敬老の日を前に、このような信仰の諸先輩が各教会にいてくださることを感謝します。
主なる神の福音を伝える
「願わくは、わたしの福音とイエス・キリストの宣教とにより、かつ、長き世々にわたって、隠されていたが、今やあらわされ、預言の書をとおして、永遠の神の命令に従い、信仰の従順に至らせるために、もろもろの国人に告げ知らされた奥義の啓示によって、あなたがたを力づけることのできるかた、すなわち、唯一の知恵深き神に、イエス・キリストにより、栄光が永遠より永遠にあるように、アァメン」(ローマ16:25〜27)。
敬愛する一人の牧師先生から、「このところしきりに心にかかっていることがあります。教団の総会報告を隅々まで読むようにしていますが、とくに教勢報告を見ながら心が痛みます。少子高齢化の時代だから仕方がないのでしょうか? 今こそ福音を必要としている時はないのではないでしょうか? ……だからこそ、伝道しなければならないのではないでしょうか? やらなければならないことが多すぎて、手が回らないように思えて仕方がないのですが……」とのご意見をいただきました。隠退されたこの先生は、今もその置かれている地で、個人的な魂の重荷を求め労しておられます。伝道し続けておられるのです。一人の人が救われるという喜びに生きておられる先生の言葉には重みがあり、深く考えさせられました。
わたしたちは今、真理のメッセージを躊躇することなく宣べ伝え、神への全き献身の道を歩んでいるでしょうか。どのような暗黒の時代であっても、徹底的な悔い改めをし、主に自らを明け渡し、神の愛に満たされ、罪の力が打ち破られる経験をした者たちには、生活に聖さと輝きが現れてくるのです。神の力と恵みと愛が溢れる、神の恩寵に生きられるのです。主に栄光を帰しつつ、喜んで主に従って生きる者たちとさせていただけるのです。その生き方は、この世にインパクトを与えます。そこに聖霊が働いてくださる時、主の救いあずかる人々が起こされていくのです。戦後70年を迎えるこの時も、私たちに与えられている「聖化」の恵みをしっかりと自分たちのものとしながら、祈りと御言葉に深く身をゆだねたいと思います。この夏、また秋、各地で聖会が開かれます。キャンプや修養会も持たれます。そこで主に取り扱っていただき、再献身をさせていただきましょう。福音はすべての人に必要であり、どんな人をも造り変える力があるのです。「救い主」なる御方とともに生きる、この喜びを手渡すために生きる者たちとさせていただきましょう。
主を待ち望む者は新たなる力を得……
「しかし主を待ち望む者は新たなる力を得、わしのように翼をはって、のぼることができる。走っても疲れることなく、歩いても弱ることはない」(イザヤ40:31)。
ネヘミヤ・プロジェクトのためにお祈りとご協力をありがとうございます。時間をかけての歩みの中で、思いもかけない道に導かれたりする不思議さを味わっています。その中で、「このプロジェクトは神さまによって始められ、神さまによって導かれ、神さまの御心がなる働きなのだ」との更なる確信が与えられてきています。日本ホーリネス教団・OMS・東京聖書学院・東京学院後援会・東京聖書学院教会を中心とする実行委員会を、各部が支えます。またその働きを、全国の教会と信徒の方々が日々覚え、祈って支えてくださるのです。何と感謝なことでしょう。この日本の地において、多くの献身者を育成する学院の働きと、その献身者の働きを支える教団の働きが前進していくようにお祈りください。一つひとつの歩みの中で、「わが思いは、あなたがたの思いとは異なり、わが道は、あなたがたの道とは異なっていると主は言われる。天が地よりも高いように、わが道は、あなたがたの道よりも高く、わが思いは、あなたがたの思いよりも高い」(イザヤ55:8〜9)ことを教えられ、「あなたがたは喜びをもって出てきて、安らかに導かれて行く。山と丘とはあなたの前に声を放って喜び歌い、野にある木はみな手を打つ。いとすぎは、いばらに代って生え、ミルトスの木は、おどろに代って生える。これは主の記念となり、また、とこしえのしるしとなって、絶えることはない」(イザヤ55:12〜13)との将来に目を向けさせられています。主のなさる最善を信じ、この御方に信頼しての一歩一歩の歩みです。目の前に見える課題に臆することなく、御言葉に従って主の喜ばれる正しい歩みをしていきたく願います。「このように、わが口から出る言葉も、むなしくわたしに帰らない。わたしの喜ぶところのことをなし、わたしが命じ送った事を果す」(イザヤ五五11)と約束してくださっているのですから。この働きが、これからの日本の福音前進のために用いられ、主のご真実を証しする「主の証し(主の記念)」となっていけますように。
富ませる力のあるかたに守られて
「神はあなたがたにあらゆる恵みを豊かに与え、あなたがたを常にすべてのことに満ち足らせ、すべての良いわざに富ませる力のあるかたなのである」(Ⅱコリント9:8)
4月17日からOMSの新総理になられたロバート・フィッツァレン師御夫妻が来日され、東京聖書学院チャペル、教会でのご奉仕などをしてくださいました。教団委員たちとも良き交わりをなし、これからの歩みのために祈り合うときがもてたことを感謝いたします。また、4月27日にはブラジル福音ホーリネス教団のアウグス梅木師との懇談のときをもちました。互いに託されている働きの場で、どのように助け合い、福音の前進のために労することができるのかを話し合うときでもありました。こうして折りあるごとに与えられる、主にある同労者たちとの交わりにより、心が燃やされます。それぞれの国の言葉を託され、そこで福音を語る主の証人とされている幸いを、心からありがたく思うのです。互いにイエス・キリストを仰ぎながら、その十字架の下に力を結集し、「協力」ができることもまた幸いです。6月15〜18日には、WH連女性教職・牧師夫人大会が韓国でもたれ、同じホーリネスの信仰を持つ韓国・台湾の方々との関係を深めます。また今年度は、教団から北米ホーリネス教団に一家族の牧師を派遣します。主なる神のもと、ともに協力していくのです。「ただ、聖霊があなたがたにくだる時、あなたがたは力を受けて、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、さらに地のはてまで、わたしの証人となるであろう」(使徒行伝1:8)。それぞれに、時代の中で困難さを覚えないわけではありません。しかし、その状況を打破してくださる力のある御方が私たちにはいてくださるのです。すべての必要を満たしてくださる、この力のある御方を信じて、ともに置かれている場で福音宣教に励む者たちでありましょう。
今年、東京聖書学院に入学した一人の兄弟のお母さまが、新聖歌311番「いかに恐るべき」を賛美して彼を送り出しました。歌詞を味わってみてください。何があっても守ってくださり備えてくださる愛の神を信じて、さぁ出て行きましょう。「御翼の陰は安らかなり」。おのおの遣わされている地で。