シンデレラのように普通の女の子が王妃になるお話が聖書の中にもあります。それがエステル記です。 10月5日(日)エステル二1〜4  王さまは、ワシュティに王妃をやめさせたことを後悔しました。だから代わりにもっと美しい人を王妃に選ぶアイデアを喜びました。私たちは、人が自分の思い通りにならないと腹を立てることがあります。でもその怒りにまかせて大事なことを決めるのは気をつけたいものです。 10月6日(月)エステル二5〜7  ペルシャの国には、バビロンの時代に戦争で負けたユダヤ人が連れてこられて住んでいました。その後ペルシャの王さまが帰ることを許したので、イスラエルに帰った人たちがいましたが、残った人たちもいました。モルデカイもその一人でした。彼は死んだ親戚の子を自分の子どもとして育てていました。美しい娘エステルでした。 10月7日(火)エステル二8〜11  国中から美しい娘たちが集められました。エステルもその一人でした。集められた娘たちのお世話をするヘガイは、他のだれよりもエステルを気に入り、彼女こそ王妃にふさわしいと思いました。そこに神さまの計画がありました。 10月8日(水)エステル二12〜14  集められた美しい女の人たちは、たくさんのお化粧品やエステ、マッサージなどを一年間受けてさらにきれいにされました。そして順番に王さまのところにいくのです。王宮での暮らしは、華やかで欲しいものはなんでももらえます。でもどんなに美しくても、王さまに呼ばれなければ、王さまのもとに行くことはできません。だから2度と王さまに会うことなく、一生王宮から出られないで過ごす人もいました。 10月9日(木)エステル二15〜18  エステルを見る人はみんなエステルが大好きになりました。王さまもエステルが大好きになりました。だれよりもエステルのことを気に入り、彼女を王妃に選びました。エステルがみんなから好かれる人であったのは、神さまの恵みによりました。 10月10日(金)エステル二19〜20  エステルはがユダヤ人であることは秘密でした。ユダヤ人のことをよく思わない人もいるので、モルデカイのアドバイスだったのです。エステルは、モルデカイの言うことをよく聞き、王妃になっても彼の言葉を大切にしました。 10月11日(土)エステル二21〜23  モルデカイはある日、二人の男が王さまを殺す計画をしているのを知りました。そこでエステルを通して王さまに伝えたので、二人の男は逮捕されました。モルデカイのしたことは王さまの日記に忘れられないように書き残されました。このことが後になってモルデカイの命を守ることになりました。 エステルは王妃になって「めでたしめでたし」では終わりませんでした。王妃になったことには大きな意味がありました。 10月12日(日)エステル三1〜7  モルデカイは大臣ハマンにひれ伏しませんでした。神さま以外にはひれ伏さないと決めていたからです。怒ったハマンはモルデカイだけでなく、ペルシャ中のユダヤ人を殺そうと考えました。ハマンは大臣の強い力を正しく使わないで、気に入らないことをなくすための恐ろしい計画に使おうとしました。神さま、自分に与えられた力を正しく使うことができるよう助けてください。 10月13日(月)エステル三8〜11  王さまはハマンの言葉にそそのかされて、よく考えもしないで、ハマンの計画を許してしまいました。神さま、国をおさめるリーダーがよく考え、正しく判断し、大事なことを決めることができるように導いてください。 10月14日(火)エステル三12〜15  恐ろしい決定がペルシャの国中に伝えられました。約一年後にユダヤ人は全員殺されて持っているものは何もかも取り上げられるという内容でした。これを聞いたユダヤ人たちは、このとんでもない命令に大きなショックを受けました。ハマン一人の勝手な思いが、多くの人の命を奪おうとしていました。 10月15日(水)エステル四1〜3  この命令を聞いたモルデカイは、悲しくて苦しくてボロボロの服を着て灰をかぶり、大きな声で街の中を叫びました。そしてお城の門の前で「神さま、どうしてこんなことが許されるのですか?王さま、これはひどすぎます」と言い続けました。ユダヤ人たちはみんな同じように希望を失い、ご飯を食べないで神さまにお祈りし、悲しみ泣きました。 10月16日(木)エステル四4〜6  エステルは、モルデカイがボロボロの服を着て、涙を流し苦しんで叫んでいることを聞きました。何も知らないエステルは、モルデカイが一体何に苦しんでいるのかわからず、心配でたまりませんでした。そこでハタクに何があったのかを聞いてもらうことにしました。神さま、苦しんでいる人の声を聞く心を与えてください。 10月17日(金)エステル四7〜14  モルデカイは言いました。あなたが王妃になったのは、このような大ピンチからユダヤ人を救うためだったに違いないと。エステルが立ち上がらなければ、ユダヤ人のエステル自身も助からないのです。 10月18日(土)エステル四15〜17  エステルは自分から王さまにお願いしに行く覚悟を決めました。でも決まりを破るので殺されるかもしれません。だからユダヤ人みんなで心を合わせてお祈りしました。神さまへの祈りは私たちをピンチから救う一番の道です。  大きな力を持った人の悪い計画を止めることは難しいことです。けれども私たちの祈りを聞いてくださる神さまは、どんでん返しへと導くことができるお方です。 10月19日(日)エステル五1〜8  ドキドキしながらエステルは王さまに会いに行きました。すると王さまはエステルを見て喜び、彼女に金の笏を差し伸べて、会いにきたことを許しました。王はエステルのためならなんでもしてあげようと言いました。神さまがエステルとユダヤ人の祈りにこたえてくださったのです。私たちも信じて祈ることができますように。 10月20日(月)エステル五9〜14  ハマンはエステルの開いたパーティーに王さま以外自分だけがよばれて浮かれていました。ところが自分にひれ伏して敬うことをしないモルデカイを見たら、腹が立って喜びはすっ飛んでしまいました。モルデカイさえいなければいいのにと、モルデカイをすぐに殺すことにしたのです。何もかも思い通りにしたいと思う心は、恐ろしいものです。 10月21日(火)エステル六1〜10  ハマンは王さまが褒美をあげたいと考えていた人が、まさかあのモルデカイとは思ってもみませんでした。ハマンの提案は、モルデカイにすべて行われることになりました。彼の思い通りにはなりませんでした。 10月22日(水)エステル六11〜14  ハマンは、モルデカイに立派な服を着せ馬に乗せ、町の人々に「この人は王さまのために良いことをしました」と紹介しました。ハマンにとってこれほど惨めで悔しいことはありませんでした。ハマンの友だちも妻も、強い力に守られ、王さまに認められたモルデカイ対しては、もうハマンの勝ち目はないと感じました。 10月23日(木)エステル七1〜4 「あなたの願いならどんなことでもかなえてあげよう。」という王さまの揺るがない思いを聞いて、ついにエステルは訴えました。「このままでは私と私の民族は滅ぼされてしまいます。どうぞ私たちをお救いください。」神さまの私たちへの愛も揺るぎません。だから神さまにお願いできます。「私を、あの人をどうぞ助けてください」と。 10月24日(金)エステル七5〜8  ハマンはまさか自分が滅ぼそうとしているユダヤ人の中にエステルもいるとは思いもよりませんでした。エステルに「命だけでも助けてください」とお願いしました。けれどももうどうすることもできませんでした。王さまの怒りが収まらなかったからです。 10月25日(土)エステル四9〜10  誰にも止められない恐ろしい計画を、神さまは止めてくださいました。私たちもエステルのように、今いるところで、自分のできることをして人と共に歩めますように。  バビロンに連れて来られたユダの人々には希望がありました。それは70年経ったらイスラエルの地に帰ることができるという神さまの約束でした。その時がついにやってきたのです。 10月26日(日)エズラ一1〜4  ペルシアの王キュロスは神さまの霊に導かれて国中に知らせを出しました。自分がペルシアの王になったのは、天の神さまがそうしてくださったからだということ、さらに神さまからエルサレム神殿を建てることを任されたということでした。ペルシアは天の神さま以外の神を信じる国です。けれどもキュロスは、天の神さまに心を動かされたのでした。 10月27日(月)エズラ一1〜4  キュロス王はこの知らせの中でユダの人々のために祈りの言葉を入れました。「主の民に属する者は誰でも、神がその人と共におられるように。」神が共にいてくださることが私たちにとって一番の恵みです。 10月28日(火)エズラ一1〜4  キュロス王は実際にエルサレムに神殿を建てるために、ユダの人々に命令しました。「エルサレムに帰って神さまのために神殿を建てなさい。」こうしてユダの人々は、ついに長い間待ち望んでいた自分たちのふるさとに帰ることができるようになったのです。神さまの約束は必ずなるのです。 10月29日(水)エズラ一1〜4  ペルシアに残る人のための命令もありました。神殿を建てるためにはいろいろな材料が必要です。だからそのためにいろいろささげて工事ができるように支えてあげなさいと言われました。そこに行けなくても協力できることがあるのです。 10月30日(木)エズラ一5〜6  神さまの霊によって心を動かされた人たちが、神殿を建てようと立ち上がりました。残る人たちは神殿を建てるための捧げ物や献金をしました。帰る人も残る人も神殿を建てることに心が一つにされていました。神殿を建てることは、神さまを礼拝することを一番大切にすることで、それが生きる力になるからです。 10月31日(金)エズラ一7〜11  かつてバビロンの王さまに、神殿の中に置かれていたたくさんの礼拝のための高価な道具が取り上げられて、バビロンの神さまの神殿に納められていました。しかしエルサレムの神殿ができあがったら納められるようにキュロス王はそれをユダの人々に返しました。天の神さまのものは天の神さまのところへ帰るのです。 11月1日(土)エズラ一7〜11  神さまの約束の通り、神さまの民もまた神さまの与えた土地に帰るのです。大勢の人がリーダーと共に、献金やささげ物、神殿の道具を持って、エルサレムへ向かって出発しました。私たちも神さまの約束を信じて待ち望めますように。  神殿の完成は、ユダヤ人だけでなく、祈ってもらえるペルシアの王と国にとっても恵みです。 11月2日(日)エズラ三8〜13  エルサレムに帰ってきた人々は、二年目になって神殿の建て直し工事を始めました。そして神殿の基礎ができるとみんなで集まって神さまに賛美をささげました。外国でとらわれていた生活から戻ってくることができたこと、神殿をもう一度建てることができることがうれしくて、神さまへの感謝であふれていました。 11月3日(月)エズラ三8〜13  昔ソロモンが建てた神殿の基礎に比べたら小さなものでした。昔を知っている人々は、昔の神殿の偉大さには追いつけない今を見て泣きました。神さまへの感謝と喜びがありました。でも自分たちの罪のせいで国を失って今の姿になったことに悲しい気持ちもが混ざり合っていました。 11月4日(火)エズラ四1〜5  イスラエルの地に住んでいたサマリア人が、自分たちも神殿を建てるのをぜひ協力したいと言いました。でも、ユダの人々は断りました。サマリア人が自分たちのことを敵のように思っているので一緒にやれるとは思えませんでした。ところが、サマリア人の思い通りにならなかったので、工事の邪魔をして、ユダの人々が工事をできなくしてしまいました。神さま、私たちが協力して神さまの働きをしようとする時、邪魔する力からお守りください。 11月5日(水)エズラ五1〜5  工事ができなくなってから十八年がたちました。預言者ハガイと預言者ゼカリヤが言いました。「神殿の工事をまた始めるようにと神さまが言っておられます。」そこでもう一度人々は立ち上がり工事を始めました。サマリア人の邪魔が入ってももう手を止めませんでした。神さまが助けてくださったからです。 11月6日(木)エズラ六1〜5  キュロス王の命令で、ユダの人々がイスラエルに戻って神殿を建て直すことになったと書かれた記録が見つかりました。私たちが知らないことも記録が教えてくれます。聖書も私たちに書き残された大切な神さまの恵みの記録です。 11月7日(金)エズラ六6〜10  ダレイオス王はサマリヤ人たちに決して邪魔をしないように命令しました。そして工事に必要な材料や、礼拝でささげるための動物、小麦、塩、葡萄酒、油なども与えるように言いました。王さまが何もかも支えてくれたのでした。 11月8日(土)エズラ六11〜14  サマリヤ人たちは神殿工事に手を出すことはありませんでした。ユダの人々は預言者の言葉に励まされ、神さまと王さまの守りの中で神殿が完成しました。神さま、始めたことが途中で挫けてもやり遂げることができますように。  ペルシアの王がエルサレムに帰ることを許してから何年も経ちました。しかし戻った人々は貧しくて、町をなかなか建て直すことができませんでした。 11月9日(日)ネヘミヤ一1〜4  ネヘミヤは、自分の故郷エルサレムが戦争で負けから、何年経っても苦しい状態が続いていることを知りました。とてもショックで座り込んで泣きました。でもネヘミヤは泣いて終わりませんでした。神さまにお祈りしたのです。悲しみの中で途方に暮れても、神さまにお祈りすることを忘れませんように。 11月10日(月)ネヘミヤ一5〜11  ネヘミヤの祈りは悔い改めから始まりました。「神さま、ユダの国が滅ぼされてしまったのは自分たちの罪のせいです。神さまに従わなかった私たちをゆるしてください。そしてどうぞ私たちを助けてください。」私たちも罪を悔い改めるなら、神さまのゆるしをいただくことができます。 11月11日(火)ネヘミヤ二1〜3  ネヘミヤは王さまのそばで働く人でした。元気のないネヘミヤを見た王さまは、彼のことを心配しました。王さまにとってネヘミヤはとても大切な人だったのです。外国人のネヘミヤが王さまに信頼されることは、神さまの恵みによりました。 11月12日(水)ネヘミヤ二4〜8  ネヘミヤは心の中で神さまに祈ってから王さまに、エルサレムの町を建て直したいと伝えました。王さまは快くネヘミヤを送り出すことを許しました。ネヘミヤはいつまでに戻ってくるかを決めて、必要な助けも王さまから受けることができました。ネヘミヤは神さまが祈りに答えて助けてくださったことを感謝しました。私たちもとっさの時でも祈って神さまに頼れますように。 11月13日(木)ネヘミヤ二9〜10  サマリアの総督サンバラトと役人のトビヤは、ネヘミヤが帰ってきたのが面白くありませんでした。エルサレムの人々に必要なものを届け、町を建て直そうとする人は彼らにとって邪魔であり敵でした。ユダの人々にはみじめで苦しいままでいてほしかったのです。 11月14日(金)ネヘミヤ二11〜15  ネヘミヤは仲間数人と夜中に町の様子を見に出かけました。敵にこれからの計画を邪魔されないため、だれにも知られないで調査したかったのです。これからしようとしていることはネヘミヤが神さまから与えられた計画でした。 11月15日(土)ネヘミヤ二16〜20  ネヘミヤはユダの人々に呼びかけました。「さあ、町を、城壁を建て直そう。神さまの恵みの手が私たちを助け成功させてくださる。王さまも賛成しておられる。」ユダの人々はこの言葉に勇気をもらい立ち上がりました。神さまの恵みの手は私たちの上にも置かれています。  敵があの手この手で、城壁の建て直しの邪魔をしようと仕掛けてきました。このままではもう完成など無理だとみんなの心が挫けてしまいそうでした。 11月16日(日)ネヘミヤ四1〜4  城壁が建て直され、修復が進んでいくと、反対する人々はなんとかして邪魔しようと考えました。武器を持って攻め入り、工事をやめさせようとしたのです。ネヘミヤとユダヤ人たちは、神さまにお祈りしました。そして敵が攻めてきても戦えるように見張りをたてました。けれども中には、「もう無理だ。自分たちの力では完成させられない」と思う人がいるほど大変でした。でも神さまから出た計画は、神さまが完成へと導いてくださるのです。 11月17日(月)ネヘミヤ四5〜8  ユダヤ人たちは敵に命まで狙われて、心も体も追い詰められてしまいそうでした。武器を持って見張りをたて、攻められてもやられないようにしました。でも必要なことはみんなが敵の脅しに負けないことです。そのためには、敵よりも強い神さまに信頼することが大切でした。私たちが恐れで挫けそうな時、神さまを心から信頼できますように。 11月18日(火)ネヘミヤ四9〜17  敵の計画は神さまによって挫かれました。そこでひとまずネヘミヤたちは城壁を直す作業に戻ることができました。けれどもみんな片手に作業の道具を持ち、もう片方の手には武器を持ち続けました。何よりも神さまが自分たちのために戦ってくださることを信じて作業を続けました。 11月19日(水)ネヘミヤ六1〜4  ついに城壁がほとんど完成しようとしていました。敵はなんとかして邪魔しようとネヘミヤを誘い出す手紙を何度もよこしました。ネヘミヤは自分が危険な目に会うことがわかっていたので会いにいくことはしませんでした。どんな時にも油断しないで、神さまの導きを聞くことができますように。 11月20日(木)ネヘミヤ六5〜9  敵はネヘミヤたちが王さまに反対しようとしていると噂されているといって脅してきました。でたらめなことをいってなんとかネヘミヤを誘い出そうとするのです。ネヘミヤは祈りました。「脅しに負けないよう私の手を強くしてください。」 11月21日(金)ネヘミヤ六10〜14  預言者までもが、敵に操られてしまいました。ネヘミヤに嘘の預言を伝えて、罪を犯させようとしたのです。神さま、間違った言葉に惑わされて、恐れで罪を犯してしまうことがないように助けてください。 11月22日(土)ネヘミヤ六15〜16  何度も挫けそうなことがありました。でもついに神さまが城壁を完成させてくださいました。人にはできなくても神さまにはできないことはないのです。  パウロはイエスさまに反対して、信じる人々をたくさん苦しめました。でもイエスさまに出会って、イエスさまを伝える人になりました。またたくさんの手紙を書いて、教会を励ましたり支えたりしました。 11月23日(日)フィリピ四1  落ち込んだり、元気が出なかったりするとしっかり立てない気がします。でもパウロは「主にあってしっかり立」つように、といいます。自分でがんばってしっかり立っても、何かあると立てなくなる私たちです。だからパウロは「主にあって」というのです。それはイエスさまにしっかりつながって、イエスさまに頼ることで、しっかり立たせていただけるということです。 11月24日(月)フィリピ四2〜3  フィリピの教会の仲間でも仲が悪くなった女性たちがいました。二人は一緒に同じ気持ちでやれなくなっていました。そういう時は二人の間をつなぐ人が必要です。イエスさまとそして他の仲間たちです。祈りと時間も必要です。神さま、お互いの離れた心をまたつないで一つにしてください。 11月25日(火)フィリピ四4〜7  いつも喜ぶことは簡単ではありません。生活の中で怒ったり悲しんだりすることもあるのに、どうやって喜べるのでしょうか。神さま、いつも喜んでいることは自分にはできません。神さまが私に今日喜びを与えてください。喜びを発見できますように。 11月26日(水)フィリピ四4〜7  それにしても「喜びなさい」とパウロは2回繰り返して書いています。喜ぶことは命令されてできるものではないですね。でも「主にあっていつも喜びなさい」とまで言います。イエスさまとつながっていることで、イエスさまが喜びを教えてくださるのです。喜べなかったこと、苦しかったこと、悲しかったことが、それで終わらないようにされるのです。 11月27日(木)フィリピ四4〜7  私たちはちゃらんぽらんな人、時間を守らない人、いい加減な人のことを責めたくなります。でもイエスさまの前では自分も偉そうなことは何も言えないと気づかされます。だから人を責めたくなる時は、イエスさまの前で自分も正しくはないことを思い起こしたいものです。 11月28日(金)フィリピ四4〜7  心配や悩み事があると心が重たくなります。楽しいこともなんとなく楽しめないし、眠れないこともあります。そんな私たちの強い味方はお祈りです。神さま、今までお祈りを聞いてくださりありがとうございます。今回もこの悩みに答えてください。 11月29日(土)フィリピ四4〜7  お祈りをし続けると、悩みの中の私たちの心が「神さまにお任せしよう」と平和にされていきます。そこにも喜びがあるのです。  今週からアドベントといって、イエスさまのお誕生を待ち望む時に入ります。喜びいっぱいのクリスマスでありますように。 11月30日(日)フィリピ二1〜2  私たちは、イエスさまを信じたら、イエスさまから生き方を教えてもらう人になります。人を励ますこと、愛すること、優しい心で人を大切にすることなどです。今までもやってきた、と思うかもしれません。でもイエスさまから教えていただかないと、私たちは自分の好きな人や仲の良い人にしかなかなかできないのです。イエスさまはどんな人にもそうされたから、教えていただくのです。そうしてイエスさまが私たちを一致させてくださいます。 12月1日(月)フィリピ四3 私たちは、人からすごいと言われたいし、だれかよりもよくできていたいし、できる人に見られたいものです。でも気づいたら人をバカにしていたり、下にみていたりするかもしれません。そういう心は人と一致していくことを難しくします。どうぞ私たちがへりくだってお互いに相手を自分より優れた人として考えることができますように。 12月2日(火)フィリピ四4  私たちは気づいたら自分のことばかり考えています。自分が損しないように、自分が成功するように、自分が……と。自分の徳になることを人のためだと思ってしていることもあります。神さま、どうぞ人のことを本当に考えて行動できますように。 12月3日(水)フィリピ四5〜7 私たちは、人よりもできないと自分を低く感じます。それでも人より低いことを受け入れたくない自分もいます。でもイエスさまは、だれよりも高いお方で神の子なのに、神の子のままでいることにこだわらないで、神の子より低い人間になってくださいました。 12月4日(木)フィリピ四7〜8  神の子は私たちを超えた無限の力を持っておられます。私たち人間のように罪を犯すことも失敗や間違いもありません。人間の体は病気になったり、痛みを感じたりします。そしていつか必ず死ぬのです。神の子のままであれば、そういうこともありません。でもイエスさまは人間になって全てを経験されました。 12月5日(金)フィリピ四7〜8  イエスさまはご自分を低くして、罪人として十字架で死なれました。神さまが決めた救いが行われるために、神さまに完全に従われました。神さま、イエスさまのようにへりくだって従う心を持たせてください。 12月6日(土)フィリピ四9〜11  今イエスさまはよみがえられて天におられます。でもイエスさまを信じるすべての人のそばにもいつもいてくださる救い主です。だから私たちは感謝と賛美で神さまを礼拝するのです。  マリアがイエスさまのお母さんに選ばれたことはすばらしことです。でも心配になることもいろいろありました。それでもマリアは信じて従いました。 12月7日(日)ルカ一26〜28  天使のあいさつは「おめでとう」「恵まれた方」「主があなたと共におられる」すべてすばらしい言葉です。どれもマリアとって良いことで、お祝いと祝福の言葉です。そしてこの天使の言葉は、私たちにも言われているのです。クリスマスは、まさに私たちにとってすばらしいことだからです。 12月8日(月)ルカ一29 突然現れた天使にお祝いの言葉を言われたマリアは、喜びよりもとてもびっくりして、どう受け止めたらいいのかわかりませんでした。私たちも聖書の言葉を喜んで受け取れる時もありますが、どういうことだろうと考え込んですぐに受け取れない言葉もあるものです。神さま、あなたの言葉がよくわかるように助けてください。 12月9日(火)ルカ一30〜33  マリアが神さまからいただいたすばらしい恵みは、神の子のお母さんになることでした。生まれてくる男の子は、神の子で、永遠にイスラエルを治める王さまなのです。長い間イスラエルの人々が待ち望んできた救い主がとうとう来られるのです。神さまの約束がマリアを通して行われようとしていました。 12月10日(水)ルカ一34  マリアには結婚することを約束している人がいました。ヨセフです。でも二人はまだ結婚していません。だからお母さんになると言われても、まだマリアにはよくわかりませんでした。私たちが普通に考えたら起こらないことを神さまはしようとしておられました。神さまのなさることは、私たちが思いつく考えをずっと超えているのです。 12月11日(木)ルカ一35  人間の赤ちゃんは、お父さんとお母さんの夫婦の交わりを通して与えられます。でもマリアのお腹に与えられる赤ちゃんは、ヨセフとの関係ではなく、聖霊なる神さまがマリアの中に働いて与えられるのです。生まれてくる子どもは人間だけれども神の子なので、罪のないきよいお方です。 12月12日(金)ルカ一36〜37  マリアの親戚のエリサベトはもう歳をとっていて子どもがお腹に与えられるはずのない人でした。それなのに赤ちゃんが与えられてお腹が大きくなっているのです。ありえないことが神さまによって起こっていました。神さまにできないことはないのです。 12月13日(土)ルカ一37〜38  マリアは神さまの言葉の通りになることを受け入れました。マリアは確かに特別なすばらしい恵みをいただきました。でも大切なのは、それを信じて受け取ることなのです。信じて神さまの言葉に従えますように。  イエスさまは長い間待ち望まれた救い主でしたが、だれにも知られずお生まれになりました。神さまの計画は人が知らなくても進んでいます。 12月14日(日)ミカ五1  イエスさまがお生まれになるずっと前に、預言者ミカが、ベツレヘムから「イスラエルを治めるものが出る」と預言しました。ベツレヘムは小さな村でした。人々が注目するような特別な場所ではありません。でも神さまはベツレヘから救い主が生まれると計画されたのです。 12月15日(月)ルカニ1〜5  ローマの皇帝は、自分が治めている国中の人々に命令を出しました。自分の故郷に帰って登録をしなさいという命令です。ローマ帝国に住んでいる人について調べるためでした。ナザレに住んでいたヨセフとマリアもヨセフの故郷ベツレヘムに行きました。こうして救い主がベツレヘムで生まれると預言された神さまの言葉の通りに導かれていきました。 12月16日(火)ルカニ1〜5  神さまは、歴史の中のリーダーの命令を通して計画されたことを実行していかれました。私たちが過ごす生活で起こっていることの中に、神さまは働いておられます。大きなことから小さなことまで、振り返ったら実は神さまの計画されたことが実行されていたということがたくさんあるのです。 12月17日(水)ルカニ1〜5  ヨセフはダビデの子孫でした。ダビデは、ベツレヘムの人でイスラエルの二代目の王さまでしたが、イスラエルの歴史の中では一番有名で人気のある王さまです。神さまに信頼して従ったので、神さまはダビデの子孫から救い主が生まれると約束されました。まさにイエスさまは約束通り、ダビデの子孫のヨセフの子どもになって生まれてくださったのです。 12月18日(木)ルカニ6〜7  ベツレヘムは住民登録のために大勢の人が集まっていました。だから登録を終えるまでには時間がかかったでしょう。そのためヨセフとマリアがベツレヘムにいるうちに、救い主の赤ちゃんの生まれる時が来たのでした。それが神さまの時でした。 12月19日(金)ルカニ6〜7  赤ちゃんのベッドは飼い葉桶でした。飼い葉桶は動物の餌を入れる入れ物です。イエスさまが生まれたのは病院やきれいな家の中ではなく、牛やろばを飼う家畜小屋だったのです。神の子救い主はお城や華やかな場所ではなく、貧しく低い場所でお生まれになりました。 12月20日(土)ルカニ6〜7  いつもより大勢集まった小さな村の宿屋には、ヨセフとマリアと生まれようとするイエスさまの泊まれる部屋はもうありませんでした。私たちの心がいろいろなことでいっぱいで、イエスさまの場所がなくなってしまいませんように。  いよいよクリスマスですね。心からイエスさまのお誕生をお祝いしたいですね。 12月21日(日)ルカ二8〜12  羊飼いたちは驚いたでしょう。突然天からのまぶしい光に照らされて、何事かと思っていたら、天使が現れたのですから。天使は「すべての人に与えられる大きな喜び」を伝えに来たのです。大きな喜びとは「あなたがたのために救い主が生まれました」という知らせでした。「あなたがたのために」の中には今の私たちも入っています。 12月22日(月)ルカニ8〜12  羊飼いは羊に合わせて生活するのでちゃんとは礼拝に参加できず、貧しい人が多いので、献金もあまりできなかったかもしれません。だから神さまの目に留まらないと自分たちのことを思っていたかもしれません。でも救い主が自分たちのために生まれたという天使の言葉に、彼らは大きな喜びをいただきました。神さまが自分たちのことも見ていてくださることを知ったのです。 12月23日(火)ルカニ13〜14  最初のクリスマス、天の軍勢の大合唱が空に響き渡りました。天使は救い主をこの世に送られた神さまを賛美しました。そしてこの地上の世界が平和であるようにと歌いました。神さまに背いて生きてしまう私たちでは、平和にできないこの世界に、本当の平和をもたらす救い主を神さまは送ってくださいました。 12月24日(水)ルカニ15  天使の言葉を聞いて、羊飼いたちは「ベツレヘムに救い主に会いに行こう」とすぐに立ち上がりました。良い知らせを聞いてもめんどくさいと思ったり、自分には関係ないと思ったりしたら出かけなかったでしょう。でも彼らは天使の言葉を信じました。そして出かけたのです。 12月25日(木)ルカニ16  クリスマスおめでとうございます。天使が教えてくれた救い主のしるしは、「飼い葉桶に寝かされた赤ちゃん」です。そんな赤ちゃんは普通いません。だから羊飼いたちには探しやすかったでしょう。そしてそこは、貧しく羊の匂いがついてそれほど清潔でもない彼らには一番近づきやすい場所だったのです。 12月26日(金)ルカニ17〜19  羊飼いたちが「天使に教えてもらって救い主に会いに来た」というのを聞いて、マリアも自分に語られた天使の言葉を思い出していました。そして神さまは小さな自分たちを忘れていないのだと思い巡らしました。 12月27日(土)ルカニ20〜21  羊飼いの帰りの道は、神さまへの賛美であふれていました。神さまの言葉は本当なんだとわかると、賛美が出てくるのです。そして赤ちゃんはイエスと名づけられました。クリスマスは、神さまが言葉通りにしてくださったことと、信じた人が従った出来事なのです。  今年もあとわずかとなりました。どんな一年でしたか。神さまがしてくださった良かったことを忘れないでいたいですね。 12月28日(日)ローマ八18〜22  私たちには苦しいことがあります。病気や不幸な目に遭うこと、まただれかとうまくいかないことも辛いです。自分のした悪いことに苦しむこともあります。罪を犯して自分だけでなく周りの人も苦しめることになったら、生きるのも辛くなります。でもいつかこの世界が新しくなると、すべての苦しみはいやされます。それまで今を生きられるように神さまが助けて導いてくださいます。 12月29日(月)ローマ八18〜22  苦しんでいるのは私たちだけではありません。神さまに造られたすべてのものたちが苦しんでいます。神さまが造られたこの世界が、罪と死のために壊れて失われているからです。何かがなくなったら、それがないと生きていけないものもなくなっていきます。だからこの世界の造られたものたちは、もう一度イエスさまが来られて、この世界が新しくされるのを待っているのです。 12月30日(火)ローマ八23〜25  今の世界では、私たちがイエスさまを信じて神の子とされても、また罪を犯すかもしれないし、間違いや失敗はあります。病気や心が元気をなくしてしまうこともあります。この世界で生きている間は、できないことがあって、不自由なのです。でもこの世界が新しくされる時には、私たちの体も完全に神の子になります。罪や痛みも苦しみもない体をいただいて、自由にされるのです。 12月31日(水)ローマ八23〜25  世界中の神さまに造られたものたちは、うめきながら、イエスさまがもう一度来てくださるのを待っています。そうしたら救いが完成するからです。神さま、いつイエスさまが来られてもイエスさまを喜んでお迎えできますように。 1月1日(木)ローマ八26  あけましておめでとうございます。新しい時も神さまの祝福がありますように。私たちはどうお祈りしたらいいかわからない時があります。心がうめくだけしかできない時です。でも聖霊もうめいてくださって、私たちの思いを神さまに伝えてくださいます。 1月2日(金)ローマ八27  神さまは私たちのことをなんでも知っておられます。それは聖霊を通しても、私たちのことを聞いてくださっているからです。聖霊は神さまと私たちの間をいつもつないでくれているのです。 1月3日(土)ローマ八28  楽しいことも苦しいことも、今は理解できないことも、すべてが私たちをイエスさまに似た神の子へと造り変える働きをしています。そして神さまがすべてのことを良いものにしてくださるのです。